少女死せるとき

イラスト/S I E G L E R

 

「ふぁ〜あ」

 トリ−ル王国国教会の若き侍祭ミハイルは大きなあくびとともに目覚めた。

 朝を告げる朝課の鐘を鳴らすためである。 

 寝着から白くゆったりとした法衣へと着替えると、ミハイルは鐘突き塔へ向かった。

「まったく、こんな面倒な役目は守役の役目なんですがねえ‥‥‥」

 ぶつくさと文句を言いながらも、ミハイルは仕事を果たす。

 分僧院から鐘の音が響き渡って、レオネの村に朝を告げ始めた。

 

 

「さて、今日は何をしましょうか‥‥‥」

 ミハイルはそう呟くと、ぼけっとした表情のまま、テ−ブルの上にある冷めかけた緑茶をすすった。

 銀髪といい、整った顔立ちといい、充分に美男なのだが、いつもぼけっとした顔をしているために、

 美男らしく見えないのがミハイルの特徴である。

 誰が見ても、王国の国教会の長、前法皇グレゴリウスを殺害した者を捜し出し、倒した人物には見え

 ないであろう。

 それ故に、辺境の村で修道士をしているのが似合っていたが、その功績なら本来は都にある白く荘厳

 な国教会本神殿で審問官の役に就いていてもおかしくはないのである。

 だが、その功績のために新法皇より侍祭位と宝剣を賜ったものの、それを恨み妬んだ審問官の高位修

 道士や騎士警察の高官達は本神殿の人事に圧力をかけ、ミハイルを辺境にある本神殿付属のレオネ分

 僧院へ飛ばしたのである。

 さらに、その分僧院の管理をしていた修道士達全てを他に転属させるように圧力をかけ、ミハイルだ

 けでそこの務めを行なわせるように仕組んだ。

 かくして、ミハイルは大して多くもないが一人では面倒な分僧院の仕事を文句を言いながら、一人で

 果たしていた。

「本当にやることがありませんからね‥‥‥」

 独語しつつ、残っている緑茶を飲み干す。

 その割には、部屋の中は汚れ、散らかっている。

 もし、ミハイルを憎む一派がいたら、どこぞやかの家の姑のような文句をつけ、懺悔させるにちがい

 ない。

 もちろん、そんなことを言っても、無駄に終わる可能性は非常に高い。

 何せ、功績も凄いが、叱責された数も半端ではないという修道士である。

 とにかく尋常でないことは、彼を憎む一派も認めるところであった。

「サイアス先輩やレテウス大司教様は元気にやってるんでしょうかね。アルティアさんも今頃はどうし

 てるんでしょうね‥‥‥」

 思ったことを半ば無意識的に呟きながら、窓から外をちらり見る。

 子供たちが何かをして遊んでいるのが目に入った。  

 朝食が終わってしまえば、親達は畑仕事や放牧で暇ではなく、子供達は仲間を求めて分僧院の庭に集

 まってくる。

 分僧院の庭は本来は解放されていないが、ミハイルは子供達が庭で遊ぶのを黙認していた。

「子供達と遊びましょうかね‥‥‥」

 子供たちにしてみれば、ミハイルを仲間としかみなしていなかったりするのだが。

 ミハイルは緑茶の入ったカップをかたずけると、のんきに庭へと出ていった。

 

 

 子供達と混じって遊び始めたミハイルは、昼食用にパンと果物を子供達に分けて、六時課の鐘を鳴ら

 した後に一緒に食べると、日が暮れ始めるまで遊びにつきあった。 

 日が暮れ始めると、子供達は徐々に帰っていく。   

 最後の一人が帰ると、ミハイルは日暮れを知らせる晩時課の鐘を鳴らし、鐘突き塔から分僧院の建物

 の中へと戻ろうとした。

「侍祭さま」

 その時、庭からミハイルを呼びとめる声がした。   

 ミハイルが庭の方を振り向くと、一人の少女が立っていた。 

 村の皮革商人ジェニングの娘エィミである。

 美女と形容できるほどではないが、スラリとした肢体と幼さを残した可憐な顔立ちのこの少女はなか

 なかどうして村の男達に人気があったりする。 

 なお、顔を赤らめていたりするが、これは友達が『男はこれに弱いもんよ』という、かなり嘘っぽい

 話を律儀に守っているからであった。

「やぁ、エィミさん」 

 どこか寝ぼけたような声でミハイルが挨拶する。

「お久しぶりです」

 ちなみに会ったのはたった二日前のことである。

「何か御用ですか?」

「母が侍祭さまにこれをって‥‥‥」

 そう言ってから、エィミはミハイルに籐の籠を差し出した。

 中身は鶏卵や野菜、木の実などの食物であった。

「いつも、すみませんね。ところで、夕食はおすみですか?」

 籠を受け取りながら、ミハイルは尋ねた。

「いえ、まだですが‥‥‥」

 ある期待を持ちながら、エィミは答えた。

「よかったら、今から夕食をつくりますから、一緒に食べませんか?」

「え……ええ、侍祭さまがよろしければ」

 内心の喜びをできるだけ抑えながら、待ってましたとばかりにエィミは応えた。

「それでは、分僧院の食堂の所で待っていてください」(挿し絵1)

 ミハイルはそう言うと、籠を持ったまま厨房へ入っていった。

「お待ちどうさま」

 ミハイルは椅子に座って待っていたエィミに呼びかけながら、大きな盆から料理をテ−ブルへと並べ 

 た。 

 それは蜂蜜を薄くぬった黒パン、スクランブルエッグ、鳥肉の入ったス−プ、チ−ズ、野菜と果物の

 盛合せといった料理にブドウの実をしぼったジュ−スだった。

「さて、お祈りをしてから食べましょうか」

 ミハイルは料理をテ−ブルへと置き終えると、エィミの向かいの椅子に座り、手を組んで目をつむっ

 た。

 エィミもミハイル同様に手を組み、目をつぶる。

「偉大なる王国の守護神たるヴァルギニアスと建国の聖者たるディオス・ファルトよ。今日の糧を与え

 たもうことを感謝します」

 ミハイルは心にもない祈りの言葉をすらすらと述べた。 

 一人で食事する時はミハイルはそんな祈りの言葉を唱えたことはない。

 それでいて、しっかり神聖なる奇跡を行えるのであるから、信仰心あふれる格下の聖職者が知ったら

 激怒してもおかしくない。

 ばれなきゃ無罪とは良く言ったものだった。

 もし、ミハイルを目の敵にしている審問官が知ろうものなら、修道士の裁判官たる異端審問官に告発

 して破門を迫るであろう。

 ミハイルはそういうところのある一種の不心得者の罰当たり修道士であった。

「おいしい。侍祭さまって料理が上手ですね」

 エィミはス−プを一口飲むと、本当においしそうな声をあげた。

「おせじなど、言わなくてもいいですよ」

「いいえ、わたしなんかがつくるより数倍上手ですよ……情けないですけどね」

 エィミは顔を少ししかめ、呟いた。

「そんなことはありませんよ。前の収穫祭の時にいただいたパンケ−キはおいしかったですよ」

 のんびりとした声で応えてから、ミハイルはジュ−スに口をつける。

「本当ですか!」

「えっ、ええ、げほっ、げほっ」

 勢い良く聞き返したエィミの声に驚き、ミハイルは思わずむせてしまった。

「あっ、ごめんなさい」

 エィミは顔を赤らめながら謝罪する。

「いえ、大丈夫ですよ」

 せきがおさまったミハイルは微笑とも苦笑ともとれる笑みで応えた。

 

 

 やがて、食事も終わり、ミハイルはエィミを送っていく事にした。 

 辺境の夜は危険であるから、これは当然だった。 

 ミハイルは左手にランタンを持ち、腰に長剣を下げると、エィミと共に外に出た。

「修道士の方は武装を禁じられていると聞きますが、いいんですか?」

 ミハイルの腰の長剣に目を見張りながら、エィミが尋ねる。

「審問官と聖堂騎士は武装を許されていまして、僕は特別審問官だから、これくらいは持っていても構

 わないんです」

 答えつつ、ミハイルはエィミの家がある村の中心部に向かっていく。

 しばらく、無言で二人は道を進んでいたが、途中で足を止まった。

 メスのジガバチが二人の前で道の上を飛び、道を塞いでいたからであった。

 ジガバチのメスは産卵期になると、動物に卵を生みつけねばならない為、非常に凶暴になり、数年に

 一度の割合でこの村ではその被害者が出ている。

 目の前にいるジガバチはちょうど状態であるようであるように見えた。

 ジガバチは明かりに気づいたのか、一直線に二人の方へと向かってきた。

「侍祭様‥‥‥」

「これを持っていてください」

 頼るように抱きついてきたエィミにカンテラを預けると、ミハイルは長剣の柄に右手をかけ、左手を

 鞘へと添えた。

 羽音をたてながら、ジガバチは針を立て、襲いかかってくる。

 ミハイルとの距離がつまり、長剣の間合いに入った刹那、ミハイルの腰元から抜け出た白刃がランタ

 ンの明かりを照り返した。

 次の瞬間、斬撃音が響き、ジガバチは体の真ん中で両断され、地面に転げ落ちる。

 すばらしい剣の冴えであった。

 ミハイルは剣についたジガバチの体液を法衣の裾で拭うと、剣を鞘にしまい、手を合わせて、ジガバ

 チに対して祈った。

「じゃ、行きましょうか」

 語りかけ、ミハイルはエィミからカンテラを手早く受け取ると、再び歩を進めた。

 ジガバチが現われてから、倒されるまでの変化についていけず、呆然としていたエィミも正気に返る

 と、ミハイルに小走りで近づき、ついていく。

「侍祭様って、強いんですね」

「このことですか?」

 右手で長剣をさしながら、ミハイルが訊く。

「ええ」

「しごかれましたから、育ての親と指導役の先輩に、ね」

「どんな人だったんですか?」

 好奇心を隠せずに、エィミは尋ねる。

「育て親は今はレナンで神殿長を務められてるレテウス大司教様で、僕ののんびりした性格のあの人の

 影響でしょうね。最も、護身用の剣技や神学や学問の重要な事だけはしっかり叩き込まれましたけど。

 先輩の方はというと都で審問官をしているサイアス侍祭で、僕の兄みたいな人で剣技や学問からお酒

 や賭事まで教えてくれた面白い人です。最も、おかげで真面目な方には睨まれてましたけどね‥‥‥」

 ミハイルの話を聞いたエィミは微笑した。

「面白かったですか?」

「いえ、侍祭さまって近寄りがたかったんで、それを聞いて何となく安心しました」

「そうですか、僕もうれしいです。何せ、分僧院には話す相手すらいませんので‥‥‥」 

 ミハイルもエィミに微笑み返した。

「都って、いいところですか?」

 エィミはそこで話題を転じた。

「面白いとこですよ。いろいろな人がいて、いろいろな事ができる街です」

「いつか、行ってみたいです」

 できれば侍祭さまと二人だけで、という部分はエィミの口からは出せなかった。

 やがて、二人は村の中心部にあるエィミの家の前に到着した。

「それでは」 

 ミハイルは別れを告げ、分僧院へと戻ろうとする。 

「侍祭さま」 

 エィミがそれを呼び止めた。

「はい」

 ミハイルは足を止めて、エィミの方を振り向いた。 

「来週、パンケ−キをつくりますので、持っていっていいですか?」

 不安さを含んだ、ためらいがちの口調だった。

「ぜひ、お願いしますよ」

 ミハイルにしてはまともな口調で応じると、ゆっくりと闇の中に消えていった。

 それを見送ったエィミの顔には、微笑をたたえた喜びの表情が浮かんでいた。 

 

 

 日が過ぎていった。

 ミハイルは子供達と遊んだり、鐘を突いたりしながら、日々を過ごし、やがて、エィミがパンケ−キ

 を持ってくると約束した前夜となっていた。

 ミハイルはいつものように、数少ない仕事の一つである終時課の鐘を鳴らすと、自室へと戻った。

「明日が楽しみですね」

 ミハイルは呟きながら、明かりを消すと、ベッドに入り、すぐに眠ってしまった。

 気持ち良い眠りに入ったが、それは半課程で目を覚ますことになった。

 それは、地響きが伝わってきたからであった。

 長剣を引っ掴むと、村が一望できる鐘突き塔へと向かう。

 ミハイルはそこから地響きが伝わってくる方向を見た。 

 そこには、各々異なる武装をして、馬に乗った者達がいた。

 人数は四十か五十はいるだろう。

 それらが、この村へと向かっていた。

「野盗!」

 ミハイルは思わず叫ぶと、野盗襲来を知らせる為に速いテンポで鳴らした。

 その鐘の音で目を覚ましたのか、村の男達は、手に武器を持って野盗へと向かっていく。

 かくして、村人と野盗達の間で戦いは始まった。  

 

 

 ミハイルは手にした長剣を閃かせた。

 野盗は呻き、血を流しながら倒れていく。

 既に野盗達から火矢が放たれ、家々が燃えている。  

 村人も必死になって、野盗達を倒していた。

 そのような中でミハイルは長剣を手に、村の中心部へと向かっていた。

 途中、分僧院の財産を目当てに向かってきた野盗を何人か斬ったため、刃は血に染まっている。

 村人達は何十人と死んでいた。

 村を守る騎士も兵士もいない、この村で本格的に戦える者など、ミハイルと徴兵されたことのある数

 人の村人だけだった。

 男や子供、老人は殺され、娘達はもっと悲惨な目にあっていた。

 野盗達を十人ばかり斬ったろうか、ミハイルは疲れはてながら、エィミの家に入った。

 村一の商人であっただけに、金目の物はあらかた略奪されていた。

「エィミさん」

 家の中の一角で倒れている少女を見つけ、ミハイルはエィミに近づいていった。

「侍、侍祭‥‥‥さま」

 かすれ声で、エィミはミハイルに声をかける。

 エィミの腹には深々と短剣が刺さっていた。

「お願いです。あたしに‥‥‥お別れの‥‥‥祝福を」 

 エィミは途切れ途切れで声をしぼり出すと、苦しそうにあえいだ。

 その傷は、もはやミハイルの治癒の奇蹟でも直せぬくらいの深手を負っていた。

 ミハイルは小さく息をつくと、抱きよせ、エィミの唇に自らの唇を重ねた。

 エィミは思わず涙を浮かべていた。

 祝福は額にするものだ。

 ミハイルが自分の思いを知って、行なってくれたことに対する感謝の涙だった。

 互いの唇がやがて離れる。

「ありがとう。ミハイル‥‥‥さま」        

 ミハイルの名を初めて呼んで、少女はそのまま動かなくなった。(挿し絵2)    

「私が仇をとろう」

 しばらくしてから、ミハイルは一言、氷のような声を発すると、ゆらりと立ち上がり、少女の遺体か

 ら離れた。

 エィミは純潔を守った。

 ミハイルの為に。

 故に殺された。

 報復に何のためらいがあろう。

 いつのまにか、ミハイルの黒瞳は鮮烈な青の光発していた、長剣の刀身からは心の怒りを表わすかの

 ように炎が吹き出ていた。

 ミハイルはゆっくりとした足取りで、野盗達の集まっている村の広場へと向かっていった。

 

 

 レオネの村を襲った野盗達は全滅した。

 その大半は、剣によって体じゅうがバラバラに斬り刻まれていた、と生き残った村人が調査に来た街

 道衛士の隊士に答えている。  

 それから数ヶ月後、ミハイルは転属が決定し、この地を離れることになる。 

 ミハイルがどのような感情を抱いて、村を去っていったかを知る者はいない。

 ただ一人の死せる少女を除いては。

       

END

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