〜女神覚醒外典〜
混沌と退廃と……
ダンスホ−ル『アヴァロン』にはBGMが鳴り響いている。
踊る者、アシッドの売をする男、ウリの交渉をしている女、このヘドの出そうな光景はいつも見てい
てあきることはない。
『ハンデモニウム』の溜まり場である、ここは『ハンプティ−・ダンプティ−』の次に気に入っている。
「鷹山さん」
煙草に手を伸ばしかけたところで、不意に俺の名が呼ばれた。
振り向けば、そこにはかわいい顔の男が立っていた。
別段、ホモの気があるわけじゃないがそういう形容が妙にあう。
「パイヤンか‥‥‥」
本名は知らない。
中島とかいったが、通称のほうが有名だ。
渋谷最大のチ−ム『クルセイダ−』のナンバ−2。
「座っていいかい?」
俺は無言で顎をしゃくった。
その態度に首をすくめるようにしてパイヤンは向かいに座る。
「クリ−ムソ−ダ−を」
手近な店員を呼びパイヤンが注文する。
「クリ−ムソ−ダ−ですか?」
「頼むよ」
確認する店員にパイヤンが念を押す。
「かしこまりました」
店員が去ってから俺は口を開いた。
「エティエンヌの代理か?」
「ええ」
パイヤンは苦笑しながら、応えた。
エティエンヌは『クルセイダ−』のトップだが、人前に滅多に顔を見せることはない。
分かっているはハ−フで金髪だということだけで、よく知らない奴は実質的にしきっているパイヤン
をトップだと思いこむことが多い。
「ご苦労なことだ」
「まあ、いつもことですよ」
クリソを微笑ましそうに飲みながら、パイヤンは再び苦笑する。
「ところで、呼びつけた奴の‥‥‥」
「鷹山さん」
俺がパイヤンに話しかけようとしたした時、声がかかった。
今度は直接の知り合いではなかった。
俺を―――というより主だったチ−ムのトップ連中を呼びつけた奴のチ−ム『ハンデモニウム』のメ
ンバーの一人だった。
「用意ができましたので、どうぞ」
丁寧な言葉を半ば聞き流しながら、俺は腰をあげた。
用意された部屋−VIPル−ムの一角に座りこんだ俺は辺りを見回した。
パイヤンの他にも何人か知っている顔ぶれがいた。
『ソドム』のミズチ。
『イワヤト』のタヂカ。
『コルキス』のメディア。
それぞれ、チ−ムでは有名な奴らばかりだ。
ミズチは武闘集団『ソドム』の切りこみ役で、キれると手がつけられないと聞くし、イワヤトのタヂ
カは素手なら渋谷随一の巨漢だ。
そして、『コルキス』の魔女メディア。
ウリをやっている女中心のチ−ム『コルキス』のトップだ。
ちょっとしたアイドルばりの顔とスタイルしている女だが魔女と呼ばれるのは他に理由がある
メディアと付きあうと死ぬ。
それがあいつの半ば伝説化した噂だった。
俺が知っている限りでは、三人死んでいる。
又、あいつの予言は外れたことはないと言われている。
これも事実だ、と俺は信じている。
メディアの隣に、この場には不釣合いな軟弱そうな男が一人ついているが、奴はそのことを知ってい
るのだろうか?
「ようやくおでましかい」
そんな思いにはせていたが、隣のパイヤンの声で注意を現実に引き戻し、部屋に入ってきた男を見据
えた。
『ハンデモニウム』のセト。
チ−ムの規模としてはクルセイダ−に一歩譲るが、渋谷界隈では最も力を持っていると思われている
奴だ。
そして、セトの後ろには二人の奴がついている。
入ってきたセトは重々しげに口を開いた。
「集まってもらって悪い。渋谷のチ−ム全体に関わる話があってな」
「そんなにおおごとかい?」
タヂカが皮肉るようにいう。
「それは本人から聞いてくれ」
表情をかえず、セトはつきしたがっていた二人の方を向いた。
背は並みだが、やたらと目つきが鋭い革ジャンの男と長身で寡黙そうな男の二人だ。
長身の方は手に鍔なしの日本刀を持っていた。
「小澤といいます。セトさんの方には話を通してあるんですが。皆さんにも話しておこうかと思いまし
てね」
革ジャンが口を開いた。
「俺は新宿から流れて来たんですが、今度、渋谷でも動きたいと思うんですよ」
「何がいいたい?」
やや剣呑な口調でミズチが口を挟んだ
「場所を融通してほしいんです」
「なんで俺がヨソ者の世話しなきゃならねえんだよ」
タヂカは小澤をにらみつける。
拳に力がはいっているのがはっきりと周囲にはっきりとわかった。
他のチ−ムの奴らも多かれ少なかれタヂカの意見よりに見える。
俺とて例外ではない。
例外は超然としたパイヤンと事態を面白そうに見守っているのメディアだけだ。
「セトさん、あんたはどうなんだい?」
周囲の空気を代表するように俺は口をひらく。
「俺はこいつに借りがあってな。だから、こういう場を設けただけで、俺のチ−ム以外がどういう態度
をとろうと知ったことじゃない」
「俺は借りがねえ」
タヂカが小澤に向かって、足を踏み出す。
長身が小澤を庇うように前にでようとしたが、小澤をそれを手で制し、嘲弄するように声をかけた。
「『イワヤト』のタヂカさんだっけ?」
「ああ」
「あんた、強いんだってね?」
「何がいいてえんだ」
タヂカが半分、分かっていながら問いかける。
「決まってるだろう。賭けるんだよ、あんたのチ−ムと場所をね」
「俺がてめえに勝ったら何をよこすんだ」
「キャッシュで一千万でどうだ?香取、見せてやれ」
小澤がそういうと、長身の男は上着から一万円札の固まりを取りだしては、近くのテ−ブルに置いて
いく。
たちまち、テーブルの上に札束の塔ができあった。
「確認してくれ」
小澤の声にタズカは札を改める。
傍目にも、本物のようだ。
「いいだろう、俺とやるのはそいつか」
タヂカは小澤に香取と呼ばれた男をねめつける。
「イレこんで勘違いするなよ。俺とだよ」
「お前がか?」
タヂカは慎重そうに小澤を眺めまわした後、不審そうな声をあげた。
「まさか銃でも使うんじゃあねえだろうな」
「そんな物をここで使ったら、ここにいる全員を敵にまわすことになる。そんな愚かしいことをするか
よ」
「俺が裁定をしよう。そんなモノを使ったらここから、生かして出さん」
セトの誓約にタヂカと小澤がうなずく。
俺達は二人から離れた。
香取と呼ばれていた男も同様に距離をとる。
セトの手があがった。
ダヂカは身構える。
それに対して小澤の行動は不可解だ。
右手を革ジャンの左手を袖口突っこんだのだ
ナイフでも隠してあるのだろうか。
セトの手が振り落とされた。
タヂカはショルダ−タックルをかまそうと小澤に突っこむ。
まともにくらったらアバラがいきそうな勢いだ。
だが、小澤は慌てる様子はまったくなかった。
左手の袖口に突っ込んだ右手の指を複雑そうに動かしているようだ。
それとともにパソコンのキ−ボ−ドを叩きあげるような音がする。
そして、タヂカが小澤を弾き飛ばそうとした瞬間、異様な光景が展開された。
攻撃を仕掛けた瞬間、タズカは突如として小澤の前に現われた存在に捕われていたのだ。
「‥‥‥!?」
そして、驚きの声をあげる間もなく、一瞬の後に、タズカはそれに頭からむさぼり喰われていた。
手足と牙を持った人間並みの大きさの魚だった。
そいつはタズカの肉を味わっているように見えた。
タズカが凄まじい悲鳴というか、断末魔の声をあげていたはずだが、俺の記憶にない。
うれしそうな笑いを浮かべた小澤の表情のみが俺の脳裏に焼きついていた。
「これで『イワヤト』とその場所は俺のものだな」
勝ち誇るような台詞は妙にうつろに聞こえた。
あの武闘派のミズチすら茫然としている。
「な‥‥‥なかなか面白い見世物だったぜ」
強がるように、俺は震える手で煙草を吸う。
「ありがとう。『ブラック・ハウンド』の鷹山」
あざ笑う笑みを向けた小澤だったが、俺はそれ以上の言葉を出せなかった。
「悪魔だ‥‥‥」
かすかに呟くようなパイヤンの声が俺の耳に届いた。
その声は小澤の所行をいったのではない。
魚の化物についての言葉だ、と俺は直感的に思った。
「他に俺とやりあう奴らがないなら、帰らせてもらいますよ」
セトは小澤の言葉を認めるように無言でうなづいた。
「セトさん、その一千万は置いていきますよ。挨拶がわりにね」
小澤と香取は歩き出す。
そのまま去るに見えたが、止めた者が一人だけいた。
コルキスの魔女、メディア。
「一つ、予言しておくわ」
「拝聴しようか」
小澤の応えなど気にしてなかったようにタロットカ−ドの一枚がつき出された。
皇帝のカ−ドだ。
「あなたは渋谷の王となり、すべてを手にいれる。しかし、それだけ、あなたはまた何も手に入れるこ
とはできない」
「面白いことをいう。覚えておくよ、メディアさん」
小澤が再び歩きだし、その場を去る。
後に残った俺達が自覚したのは、小澤という新勢力が脅威であるいうことだった。
そして、これが俺が悪魔に関わるきっかけとなった初めての出来事だった。
END