女神覚醒
〜序章〜
「・・・・・・の女神よ」
誰かが私に語りかけていた。
射千玉の夜に光る白銀色の弓。
ニンフと猟犬をひきつれし、美しく、激しく、残忍な乙女。
そう・・・・・・それが私、私の本来の姿。
今の姿は・・・・・・
「・・・・・・・失墜せし女神よ」
さらなる呼びかけに、視覚、そう認識すべき概念が直下の星を捕えた。
力強く雄々しい大地と碧玉の海の星。
その中に存在する退廃と混沌の街。
その意識は下っていく、その街へと。
「・・・・・・・ううっ・・・・んっ」
くぐもった声が薄暗い空間に響く。
それは床に転がされた少女の洩らすものだった。
拘束を受けていた。
後ろ手に手錠がかけられ、目隠しと猿轡をされている。
時折、うめき声をあげ、身悶えするのみだった。
部屋には、それを見下ろしている者もいた。
赤黒い液体を口に運びながら、青白い顔には愉悦の笑みが浮かんでいる。
呻く声と身動きの音。
それらの動きから察せられる少女の不安と恐怖、それを傍観者は感じながら、楽しみ続けていた。
やがて、その時間がどのくらい経ったのだろうか、部屋に男が入ってきた。
傍観者に一礼すると、男は床に転がった少女に近づくと、スカ−トをまくりあげ、足をガッチリと押
さえ込む。
「ううっ・・・・・・んっ」
声をあげ、もどかしげに足をバタバタと振ったが、その程度で押えられた足は自由になるはずもない。
男は持参した注射器をポケットから取り出すと、彼女の太股の内側に冷静に針を打ちこみ、注射器内
の液体を流し込む。
「・・・・・・・ぅっ」
一瞬だけ苦痛を感じ、呻きをあげる。
しかし、苦痛は一瞬で去り、体中が弛緩したように身動きもままならくなった。
セミの鳴き声が微かに響いていた。
八月半ばの夜気は昼間よりはましだが、涼しいというほどではない。
昨日に比べて暑い日だったわね、ガラスに写る自分の姿とその向こうの空にある月を見ながら美月
葵はふと思った。
バスロ−ブから見える白い肢体、腰まで届く長い黒髪と同色の瞳。
名前負けしない美しさをもっている。
美人といってもいいが、可愛らしさのほうが表に出た感じがあるのは、高三としてはやや色香が欠け
ているのかもしれない。
「あ〜あ、それにしても休みも減ってきたわね」
葵は大学進学は考えていなかったが、情報処理系の専門学校へ行くことに決めている、成績は現状維
持で充分なので、高校最後の夏休みを適度に楽しんでいた。
「・・・・・・さってと」
冷えたオレンジジュ−スを飲み終えた葵は机上のノ−トバソコンを起動させ、回線をつなぐ。
続いてキ−ボ−ドを軽快なタッチで弾くと、ディスプレイ上に文字が浮かび上がる。
『WELCOME TO BRAURON−NET』
力を抜いた、それでいてどこか真摯な表情で葵はディスプレイに見つめる。
このブラウロン・ネットは一般のパソコンユ−ザ−には知られていない、だが凄腕のハッカ−間で密
かに知られる違法ネットだった。
非合法なハッキングによって奪われた様々な情報がこのネットには漂うことで知られている。
マスタ−テリオンという者に創設されたということ以外はこのネット内に関する詳しい情報は流れ
てはいない。
しかし、このネットにアクセスするハッカ−の大半はそんなことに興味などないに違いない、ここに
ある様々な情報こそが大事な財宝のはずであった。
しかし、今、この情報の海に用はない。
確かに、葵自身もここで得た情報により稼いだ資産は少なくはない。
ダミ−名義で外国のある銀行に預けている資産は数百万円に及ぶのだ。
だが、葵がそれらを流用するのは機器をそろえるためのものであり、これ以上はこのネットで稼ぐつ
もりはなかった。
今、このネットにアクセスするのは自らの好奇心を満たしてくれるネットの仲間と交信するためなの
だ。
葵はキ−タッチを続けて、ブラウロン・ネットにあるいくつかある伝言板の一つにアクセスした。
ひとしきり検索してみたが、いつも話しているラプリア・カリステ・ポイベといった友人のハンドル
が見当たらなかったので、いくつかの伝言を打ち込もうとした瞬間、不意に葵が使うパソコンのディ
スプレイに文字が浮かび上がった。
『ディアナへ
汝よ、徘徊者の晩餐会に注意すべし』
「え・・・?」
その文を見た葵は短い驚きの声をあげた。
ディアナとは葵がネットで用いているハンドルネ−ムである。
ハッカ−としての葵の実力はディアナの名でブラウロン・ネット内に知れ渡っており、ネット内の伝
言板で交信を求める者も少なくない。
だが、そういう者に葵はアドレスを伝えたことはないので、メ−ルをもらうのはメ−ル友達のポイ
ベ・カリステ・ラプリアからのみだった。
だが、その三人からのメ−ルからならば自分からのものであることを知らせてくるはずであるから、
葵の知らない者からのメ−ルと想像できた。
「それにしても………」
どうやって自分のアドレスの知ることができたのであろうかと思う。
それにこの内容である。
葵とてハッカ−であるから人の秘密を探らないほうがいい、などという倫理観を持ちあわせている訳
でないが勝手にアドレスを調べられてのメ−ルであるからには軽い怒りと嫌悪感がある。
だが、それらの感情よりもメ−ルへの好奇心が心の中に満ちていくのを感じていた。
「調べてみようかな………」
少し考えた後、葵はそう呟いた。
「香取、奴はどうしてる」
革ジャンを着た男、小澤はウイスキ−のロックをあおると傍らの男に問いかけた。
「・・・楽しんでいるようですよ」
香取という青年は鍔なしの日本刀を持っていた。
もちろん違法だ。しかしパレス内においてイワヤトのトップ二人にそんなことを留意する者はいない。
「それにしてもあれといつまで協定を結んでるつもりですか?」
「グリモアが手に入るまでさ。奴の頼みだからな、仕方ないだろ。それより他の手筈はどうだ」
「ヤクは順調ですね」
「麒麟崖と話はついたのか」
「ええ、ダイヤはイワヤトでは出さないということでまとまりました」
「他のチ−ムのうごきは?」
「クルセイダ−、ハンデモニウム、ソドム、ブラックハウンド、コルキスの以上のチ−ムは現状を認め
るみたいです」
一つ一つの質問に満足のいく回答を得た小澤は微笑をたたえながら立ち上がった。
「面倒なチ−ム共がだんまりなら、東夷を潰してくる」
「今からですか?」
東夷とはイワヤトと同じく、渋谷界隈をホ−ムにするチ−ムだ。
イワヤト程の勢力はないが、軽々しく叩きつぶせるほどのチ−ムでない。
唐突な宣告に驚いたように香取が問い質したのも無理のないことであった。
「邪魔がないなら、俺が出張れば潰すのは大したことはない。それから、お前はここでやつを張ってろ。
これ以上よけいな真似をしないようにな」
「了解しました」
「さて・・・・・・って、どうしろっていうのよぉ」
どこか緊張した様子の葵は、このように苦悩した言葉を何度となく繰り返していた。
ネットを終えて数時間後、葵は渋谷のパレスというディスコの前に、Tシャツにホットパンツ、ウイ
ンドブレ−カ−という身軽な格好で立っていた。
行動の邪魔になりそうな髪は後ろで束ねてある。
抱えたショルダ−バックにはスタンガンや防犯スプレ−などといった武器もある目的の為に入って
いる。
ある事態の為に葵はパレスに来たのだ。
後は行動する段階なのだが、実行するキッカケがつかめず、パレスの前でズルズルと思い悩んでいた。
「・・・・・・あった」
ブラウロン・ネットで徘徊者の晩餐会という言葉を探しあてた葵は思わず声をもらした。
それは渋谷内で起こっている不特定多数の失踪事件であった。
『徘徊者の晩餐会とは最近、渋谷界隈で活動するティ−ンの少年・少女達の連続失踪事件である。失踪
とはいっても帰らない訳でない。ある夜に不意に姿を消しては数日後に現われる現象である。ただし、
戻ってきた者達は失踪中の全ての記憶がなく、首筋に二つの円状の傷跡があるという。警視庁では新
種の麻薬ダイヤの実験モニタ−として利用されていたのではないかという方向で捜査にあたってい
る。なお、その名称がついたのは………』
「ま・・・・・・妥当な線ね。だけど、もしかして・・・・・・」
内容を信じていないように独白し、やがて、葵はある可能性を口にした。
「・・・・・・悪魔がらみかしら」
葵は悪魔という存在を知っていた。
悪魔といってもヘヴライの神に敵対する存在だけを示す訳ではない。
異界としての存在すべてを指すのだ。
言いかたを変えるのならば、それは神々であるといえた。
堕ちた神々は悪魔達でもあるのだ。
そして、悪魔という存在が人間側の世界に着実に浸透してきていることは事実だった。
都内各地において悪魔の仕業と思われる事件が多発しており、悪魔の浸透に対抗する為の組織部局が
内閣調査室、自衛隊、警察というそれぞれの公的機関内にあるという話もある。
これらを知るキッカケは、このブラウロン・ネットであった。
ブラウロット・ネットには誰が書きこんだのかは知れないが、悪魔の情報についても記されている。
『本来、悪魔とは異界の存在である、それであるがゆえに日常の世界では存在しえないはずである。悪
魔の召喚は降魔に熟達した者でなければ不可能なことなのだ・・・・・・』
悪魔に関する概念とそれを呼び出し、使役する方法論という文章の端書きを読んだ時、葵はできの悪
いオカルト話にすぎないと思った。
だが、悪魔召喚に関しての複雑な儀式の過程をプログラムで代替することにより悪魔を呼び出す、と
いうブラウロン・ネットにある悪魔召喚プログラムを見た時、常識を覆すような技術であることを実
感させられた。
そして、現に葵もある悪魔を召喚するプログラムを所持していた。
最も、それは妖精というにすぎない下級悪魔を呼びだすだけのものである。
悪魔召喚プログラムにおいて、神と呼ばれるレベルの高位な悪魔を呼び出すにはより複雑なプログラ
ムと多量デ−タ処理が可能なス−パ−コンピュ−タ−、それにある種のエネルギ−、マグネタイトが
必要であるためだ。
むろん、悪魔の危険性についてハッキリとしない限りは、必要以上に接触する気にはなれず、悪魔召
喚プログラムに関しても数えるほどしか使用していない。
悪魔との関わりといえば程度であり、これだけでは警告された事件が自分にどう関わってくるのか理
解できなかった。
「だけど、何で私が狙われているというの………」
さらに考えを推し進めようとした時、再び謎のメ−ルが届いた。
そして、それには・・・・・・。
『ディアナ・カリステ・ポイベへ
ラプリアです。
マスタ−テリオンについて調べていたんですが、さすがに違法ネットのネットマスタ−だけあってい
ろいろと面白いことが分かりそうです。
これから、さらに調べるために渋谷のパレスというディスコに潜入しようと思います』
『追記・ディアナへ
ラプリアが拉致された事実と追加情報を君に伝える。 彼女はチ−ム『イワヤト』が根城とするパレ
スに監禁されている。
事実と信じるかは君の自由だ。
マスタ−テリオン』
「・・・・・・」
マスタ−テリオンから届いたメ−ルを見た葵は思わず絶句していた。
そうして、葵は今、パレスの前の路地にいるのだった。
ラプリアが監禁されているのは間違いないことだと葵は直感していた。
直感には自信があった、これまでのハッキングは直感によって成功してきたのだから。
しかしながら、直感やハッキングの技術が優れていても拉致監禁されたラプリアを救うには何の役に
も立たない。
警察に頼むつもりにはなれなかった。
ネットでパレスというディスコのことを調べ、イワヤトというチ−ムのホ−ムであることが判明して
いる。
下手に彼らが踏み込めば、どういうことになるか分からないし、第一、信用してくれる保障もなかっ
た。
自力でなんとかするしかない。
そう思うからこそ、武器も用意した。
だが、そこまでが限界だった。
「・・・・・・やるしかないのかな」
「何がやるしかいのかな、お嬢ちゃん?」
背後から声に驚きながらも、葵は振り向いた。
立っていたのはス−ツ姿の男だった。
長身で精悍な顔つきをしている。
しばらく、葵と男は互いを眺めていたが、男の方が沈黙をやぶった。
「・・・・・・ディスコに入るのに緊張してるってには見えないな。何か特別な目的でもあるのかな?」
「あなたは何者なんでかすか?」
「何に見える?」
からかうかのように男は逆に問い返す。
「刑事さんとか・・・・・・」
「あいにく、そんな格好いい者じゃないがね」
答えながら、男は懐から名刺を取りだし、葵へと手渡した。
葵が名刺に書かれた文字を見ると、
『西京グル−プ事業総合統括本部渉外調査室
主任・河瀬文雄』
という文字が記されていた。
西京グル−プは葵もよく知っている。
旧財閥系に比肩する日本有数の総合企業だ。
近年ではハイテク部門での活躍が目覚ましく、葵が使用しているノ−トパソコンもここの製品だった。
しかし、渉外調査室主任という肩書はどういうものであろうか。
「渉外調査室の仕事ってのは平たくいえばトラブルシュ−ティングだよ」
葵の疑問を読んだように、河瀬は先に説明してきた。
「企業というのは警察が介入するような事件に関わるのをなるべく避けたいと思っている。もし、関わ
ってしまってもできるだけ内密に済ませるのが普通だ。西京の場合、渉外調査室という部署がそうい
ったことを担当している訳だ」
いったん言葉を切り、男は葵を見直す。
葵は男が言う前に、先に切り出した。
「ここのディスコで西京に関係があるほどの事件が起きているというのですか?」
「まあ、そういうことになるね。私は上司の命令でパレスの中に監禁されている、ある少女を救出しな
ければならないんだよ。君にはラプリアといったほうが分かりやすいのかな。もっとも、救出を考え
ているという一点においては同意しているものと考えさせてもらってるがね」
「どこで調べられたのですか?」
葵は息をつき、感心したように口を開いた。
「とりあえず、彼女のパソコンを一通り調べさせてもらって判明したことだ。まあ、賢そうな君に言う
のは無駄なことだが、ラプリアの親は西京の関係者で協力してくれた、という訳だ」
「私にどうしろと?」
「邪魔をするなと言うわけじゃない。むしろ、協力を仰ぎたいくらいだ」
「ただの女子高生の私を信用するんですか?」
河瀬はそれに即答せず、懐から煙草を出すと、それに火をつける。
「ただの女子高生じゃないだろう」
ゆっくり紫煙を吐き出してから、河瀬はやや鋭い視線を葵へと投げかける。
その視線の鋭さに葵はややたじろいたが、なんとか言葉を返した。
「・・・・・・どう、普通じゃないと?」
「天才ハッカ−じゃないのかな、君がディアナ、カリステ、ポイベの誰かは分からないが、それぞれ有
名ならしいじゃないか」
葵はため息をついた。
どうやら、かなりの部分で調べがついているらしい。
「ディアナと読んでください。恥ずかしい呼ばれかただけど本名で呼ばれるよりはましでしょう。それ
で、どう協力すればいいんですか、河瀬さん?」
「裏口があるのは分かるだろう。あそこのドアは電子ロックがかかっている。それを何とかして欲しい」
煙草をもみ消しながら、河瀬は裏口を目で指し示した。 裏口には見張りが一人ついている
「そうしてくれれば、私は見張りを排除する。それから君が潜入するかどうかは判断にまかせるが、彼
女を助け出すことは約束しよう。それにしても、ハッカ−仲間ってのは連帯感が強いものなのかね。
不思議に思えてしょうがないんだが・・・・・・」
「そうでしょうね。自分でも驚いてます」
ノ−トパソコンを取りだし、使い捨て用のPHSでネットに接続する。
迂遠なことだがしょうがないと思った。
グレ−の公衆電話の方が通信速度が速いが、ハッキングには架空名義で作られているPHSの方が都
合が良い。
それにしてもこんなにまでしてラプリアを助けようと思うのだろう、かとハッキングの作業を続けな
がら、葵は考えていた。
「出たわ」
警備会社のコンピュ−タ−に潜入して約二十分後、葵はハッキングに成功した。
ディスプレイ上に示された八ケタからなる数字のセキュリティ−コ−ドがそれを指し示している。
「大したものだな。それでは俺の番だな、ちょっとだけそこで待っててくれ」
ねぎらうような言葉を投げかけた後、河瀬は無造作にパレスの裏口へと歩きだす。
葵のいる位置から河瀬の様子ははっきりとうかがえた。
「何だよ、アンタ・・・・・・」
近づいた河瀬に裏口を見張っているチ−マ−が問いかける。
それに河瀬は言葉では答えなかった。
無造作にむこう脛を蹴りあげ、ひるんだところで相手の後ろにまわって首を絞めあげる。
見張りが昏倒するにはそれから十秒もかからなかった。
感心した葵が事が終わって手招きでを呼ばれているのに気づかなかったくらいに、凄惨な暴力的な現
場とは思えない鮮やかな手際といえた。
裏口に着いた葵はセキュリティ−を解除する。
閉ざされたドアはカチリという屈伏の音をあげた。
「さて、改めて聞くがついて来るか?」
何本目かの煙草を口に運びつつ、河瀬は続けた。
「これ以上は俺も安全の保障はせんぞ」
「もともと、あなたがいなくても行くつもりです」
葵はそう言うと、河瀬を押し退けるようにしてパレスの内へと入っていく。
「どうしようもない女神さまだ」
苦笑を浮かべ、河瀬が続く。
「一つ聞きたかったんだが、ラプリア、カリステ、ポイベってどういう関連があるんだ」
「なぜ、そんなこと聞くの?」
「君のディアナってハンドルは多分ロ−マ神話の女神の名だろうが、それ以外のラプリア、カリステ、
ポイベってのは聞いたことがない、それで気になった」
葵はつまらなそうに疑問に答えた。
「ロ−マ神話のディアナはギリシャ神話のアルテミスってことは知ってますね。ラプリア、カリステ、
ポイベはそのアルテミスに仕える妖精の名前なんです」
「はぁ、なるほどね」
「くだらないこといってないで行きましょう」
一方的に告げて葵はパレスの廊下を進み出す。
迷いのない進みぶりに河瀬は舌を巻いた。
とうにパレスの建物内の情報を手に入れており、見当をつけていたのだろう。
「どこに行く?」
「用途不明の地下室」
簡潔明瞭な言葉だった。
途中、従業員やチ−マ−とも会わずに、二人は無言のままに歩みを進めていく。
「河瀬さん、ラプリアが拉致されたのは何故だと思いますか?」
やがて、無言の時間を打ち切るかのように葵は随伴する相手に不意に質問した。
「・・・・・・まあ、マスタ−テリオンという存在を調べていたからこととが原因なんだろうね。奴自身が手
を下したのが、彼の正体が露見すると困る奴がやったのかまでは分からんが、ま、チ−マ−に命じ
て、女子高生を拉致監禁をやらせるだけの力を奴みたいだな、で、それがどうしたんだい?」
最後の問いかけは葵が意味のないことを口にするはずがないという河瀬の確信だった。
「・・・・・・ラプリアが拉致されたのを知らせてきたのはマスタ−テリオンなんです。−むろん、そのハン
ドルを語った人が流したのかもしれませんが、そうは思えないんです」
「つまりはマスタ−テリオン自身が目的あってラプリアを拉致し、君を誘い出したじゃないかというこ
とか?」
「・・・・・・ええ」
葵の返事はは歯切れの悪いものだった。
『徘徊者の晩餐会』に気をつけろ、という警告を送ってきたのもマスタ−テリオンではないだろうか、
という気がする。
何か陰湿な企みに巻き込まれているのではないのだろうか、そんな気分に葵は包まれていた。
「大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
陰にこもった葵を気づかって河瀬が声をかける。
「大丈夫です。それより、河瀬さん、『悪魔』という存在についてご存じですか?」
「悪魔ねぇ・・・・それは神話で出てくるようなじゃなくて現在、実存するような存在のことをいってるの
かな」
「大分、お詳しいみたいですね」
何も知らない者が聞いたら、あやしい宗教がらみと誤解されそうな質問に河瀬は平然と答え、葵はそ
の返答に感心したような表情を浮かべた。
「多少、知っている程度さ。ところで、そんなこといいだして、まさかラプリアをさらったのは悪魔だな
んて言うんじゃないだろうな」
「いえ、可能性があると思うんです。ブラウロンネットには悪魔に関する概念と考察と悪魔召喚プログ
ラムことが書かれてました。ネットマスタ−のマスタ−テリオンがそのことをまったく知らないとい
うことはありえないし、ラプリアがそのせいで拉致されたということは犯人が悪魔だということはあ
りえ・・・・・・・」
「まったく、信じがたい話だ」
強引に河瀬は会話を打ち切る
すでに目的の地下室の近くに来ていた。
おしゃべりがすぎたらしい、葵は自省して、ショルダ−バックからスタンガンとモバイルコンピュ−
タ−を取り出す。
そのモバイルはやや変わった形状をしていた。
モニタ−、キ−ボ−ド、ベルトボックス型のバッテリ−はともかく、コ−ドでつながったゴ−グル、
ヘッドバンド、肩パットはどんな用途に使用されるものなのだろうか。
だが葵は特に説明するつもりもなく、ゴ−グル、ヘッドバンド、肩パットを体に着けていく。
「用意はいいか?」
それを見届けた河瀬は小声でささやく。
「少し待っていてください。仲魔を呼びます」
「仲間?」
「仲魔です。力を貸してくれる悪魔を呼び出します。それと、念のために言っておきますが、決して悪
魔に話しかけないでください」
河瀬は無言でうなずくが、表情はどこか固かった。
葵の指が軽快に動き、キ−ボ−ドをたたきあげる。
後ろからディスプレイモニタ−をのぞきこんでいた河瀬の瞳に魔法陣が写った。
モニタ−内の魔法陣が二、三度、明滅した後、モニタ−いっぱいに光がほとばしる。
これによりデジタル化した悪魔、デジタルデビルは現実世界に実現化する。
やがて、輝きが消え去った時、それは現実の世界に実現していた。
背中にある半透明の羽根をはばたかせ、ひらひらと空を舞っている。
妖精という呼称が適当であろう二十センチほどの存在だった。
「は〜い、葵」
軽快な微笑をたたえ、葵へとぱたぱたと手を振る。
デイスプレイ上に文字が浮かびあがり、文が表示された。
「久しぶりね。ピクシィ」
「葵ってばなかなか呼んでくんないんだもんね・・・・・・」
「悪かったわ。でも、その分、今日は動いてもらうことになりそうよ」
「わぁ〜久しぶり」
葵とピクシィの会話は純粋な意味での会話ではなかった。
悪魔の生体磁気通信系―――話すべき相手と心を同調させ、意志を伝える、いわばテレパシー的な意
志疎通法であった。
言語の壁に悩む人間からすれば、羨むべき技術だ。
しかしながら、異界の存在である悪魔は人間と精神構造が大幅に異なる。
その為、心と心のぶつかりあいである、この意志疎通で人間側がうかつに言葉を交わせば、悪魔側の
影響を受けて一時的に隷属化してしまうことがある。
この悪魔との会話によるシンクロ現象を避けるために葵はこの64ビットにする相当のパソコン,ア−ム
タ−ミナルに内蔵された悪魔会話プログラムを使用していた。
悪魔の磁気通信系を付属のヘッドバンドでインタ−セプトし、無害なもの変換にした後、文字としてデ
ィスプレイ上に表示する。
又、葵が伝えたいことは心に浮かべるだけでいい。
実に画期的な機能だった。
もっとも、この手の悪魔関連プログラムだけで他のパソコンのハ−ドディスクの役目をするア−ムタ
−ミナル内蔵MMO(光磁気ミニディスク)の容量80ギガバイトの四分の三が占められているのだか
ら当然としての機能かもしれない。
「もういいか?」
悪魔との打ち合わせを終えたとみた河瀬は葵に声をかけてきた。
「なによぉ、うるさい男ねぇ!!」
ピクシィは抗議の声をあげるが、シンクロ現象を警戒して河瀬は取り合わなかった。
かなり悪魔について詳しいかもしれない、と葵は思った。
「用意は終わりました」
葵の返答を聞いた河瀬は背中に隠していた刀を抜いた。
刀というには短く、脇差しというには長い。
小太刀という呼称で呼ばれる武器だが、葵には分からなかった。
「まぁ、ぶっそう」
ピクシィがすかさず茶化す。
「行くぞ」
その反応を無視して、河瀬は動いた。
河瀬は半身を隠して、ドアを開く。
裸電球が室内を照らしあげていたが部屋の中は薄暗かった。
剥き出しのコンクリ−トの部屋は調度品が一切ないためか中は結構な広い。
そして、部屋の中には後ろ手に手錠がかけられ、目隠しと猿轡をされ、床に転がされた少女がいた。
「小嶺 美希・・・・・・ラプリアだ」
河瀬はそう洩らした。
葵はその言葉を聞かずに、少女に近づくと目隠しと猿轡を取る。
「ラプリア、ディアナよ。大丈夫?」
「・・・・・うっ・・・・・ディアナ」
ラプリアが洩らした言葉は葵の言葉を理解してのものでなく、単なる反復であった。
意識がとんでいるのか、目の焦点は宙を泳いでいる。
その時、ラプリアが身じろぎした。
ラプリアの太股のあたりにある幾つかの注射針の跡が葵の目に入ってくる。
「まさか・・・・・・ダイヤ!?」
「そうだ」
応えは河瀬ではなく、入り口に現れたシルエットのものだった。
背が高く、肌は青白い。
目が血走っていて、犬歯が異常に発達している。
(悪魔か・・・・・・)
やや、緊張したように、河瀬が心の中で呟く。
葵の持つア−ムタ−ミナルも同時に作動し、数秒後にはその結果をディスプレイに表示する。
『大種族:魔族、種族名:夜魔
神族:ヴァンパイア、名称ヴァンパイア』
デビル・アナライズ・システム、悪魔解析のためのプログラムが作動し、出現した悪魔の正体を正確
に探りあてていた。
「・・・・・・あなたがラプリアを」
「ああ、頼まれたのでな」
「こんな、ひどいことをするなんて・・・・・・許せない」
普段は使わないような言葉だった。
しかし、激情が葵の心を焼いて、吹き荒れた意志は熱かった。
「たかが餌が吠えてくれるわ・・・・・・」
あざけりながら、この部屋に五番目に現われた存在はゆっくりとドアを閉め、ロックする。
「ごがぁ・・・・・・」
その瞬間、苦悶の声をあげたのはヴァンパイアだった。 河瀬が動き、小太刀で正確な一撃を左肩口
に叩きこんでいたのだ。
「・・・・・・内調の犬がぁ・・・・・・」
続く切り返しを避けて、ヴァンパイアが呻く。
そこに・・・・・・
「ジオ!!」
ピクシィの魔法が発動する。
使ったのはジオ系と称される魔界魔法。
二十一の系統に分かたれる、その魔法は魔界に存在する根源的な力を引き出し、現世にて威力を発揮
する。
ピクシィの指から伸びた電撃は狙いをあやまたず、ヴァンパイアを捕えていた。
「・・・・・・・っぅ」
感電したのか、ヴァンパイアは一時的に動きを止める。
そこに河瀬はつけこみ、切りつけ、さらに返す一撃を加えようとした。
だが、電撃によるしびれから回復したヴァンパイアは返しの刃を両手で受けると、鋭い蹴りを繰り
出す。
さして力はこめてないように見えた、その蹴りが当たった瞬間、河瀬の体は鈍い音をあげていた。
(肋骨が二本・・・・・・)
苦痛に耐えながら、河瀬は自分にくだされたダメ−ジを冷静に算出する。
しかし、破壊力は河瀬の想像以上のものだった。
河瀬の体はそのまま背後に吹きとび、背中からたたきつけられ、そのまま意識を失う。
それで戦闘は半分終わったようなものだった。
続いて、ピクシィもヴァンパイアは麻痺の視線によって動きを止める。
もはや、立っているのは葵のみだった。
「・・・・・・終わりだ」
スタンガンを構えた葵へ向かってヴァンパイアはゆっくりと歩みを進めようとし、動きをとめた。
自分をにらみつける視線にどこか覚えがあったような気がしたのだ。
だが、それは気の迷いだと考え、かぶりを振った後、再び、葵へと近づいていく。
ヴァンパイアの行動に対して、葵はどうすべきか考えが浮かばなかった。
河瀬は倒れ、ピクシィを無力化させられた現在、対抗すべき手段など残るはずもない。
だが、屈伏すべき意志はなかった。
その刹那だった。
天から下りてきた意志が葵の体に宿ったのは。
ヴァンパイアは恐怖していた。
先程まで娘でなく、目の前にいる自分と同質の存在で格が違う相手に、だ。
自分を見下ろす瞳は限りなく冷たい。
「・・・・・・転生体というわけか」
絶望的な声が自然と口から洩れた。
葵の体に宿った意志は相対する敵の右足をにらみつける。
その途端、ヴァンパイアの右足が爆ぜていた。
続いて視線が両腕と左足に集中し、そのする度にその部分が爆ぜていく。
「ぐぉぁぁぁぁぁ」
先程の余裕もかけらもなかった。
今、一方的に狩られているのはヴァンパイアのほうだった。
苦悶するヴァンパイアに白銀の弓で矢をつがえる者の姿が写る。
「オリンポスめぇ・・・・・・」
その言葉を最後にヴァンパイアは現世から消滅した。
「おい、立てるか?」
葵が気づいた時、河瀬に抱き起こされていた。
「ええ、なんとか」
脱力感が体を支配しているが、立てないほどはない。
「ところで、ヴァンパイアを倒したのか?」
辺りには緑色に光る粘塊が散乱していた。
詳しいものなら、それは悪魔が死亡したときの残骸だということは知っている。
「正直、よく覚えてないんです」
本当のことを口にした、ヴァンパイアと対峠して決意を固めた後のことはまったく覚えていなかった。
「まあいい、それより脱出しよう」
ラプリアの体を抱えあげ、河瀬はドアを開き、部屋を出る。
葵は疲れた体をひきずって、そこを出た。
やがて、侵入した裏口にまで来た時、鍔なし日本刀を持った男がひかえていたのだ。
多分、イワヤトのチ−ムの一員であろう。
その雰囲気は剣呑きわまりない。
「内調か?」
台本を棒読みする役者のように男は質問してきた。
「ああ」
河瀬は同じような口調で質問に答えた。
「奴を倒したのか」
「そうだ」
「・・・・・・小澤に見つからないうちに帰るんだな、俺はお前らを殺るようには聞いてない」
男は少し考えるようにした後、ドアの側を離れ、店の中へと向かっていく。
「行くぞ」
しばし、見とれてた葵に河瀬は声をかけてきた。
声に従い、葵は外に出る。
「ちょっと、話があるんでついて来てくれ」
「分かりました、私も話がありますし」
外に出た河瀬は、黒塗りの高級車が止まっているところまで葵を同行させた。
そこで車から男が出てきたが河瀬にキ−を渡すと、その場から去っていく。
ラプリアを後部座席に乗せ、助手席に葵、運転手席に河瀬が乗って車は走り始めた。
ややあって、口を開いたのは葵の方だった。
「河瀬さんって内閣調査室の方だったんですね。いえ、河瀬なんていう人もいないんでしょうけ
ど・・・・・・」
「まあ、そういうことだか、今は河瀬という名で呼んでくれ」
「分かりました、それで私への話とはなんですか?」
「これから出現するであろう、悪魔についての話だよ」
河瀬の言葉に葵はこれからの人生が変わっていくのを実感していた。
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