修道士、学院に帰る

 

「眠れないな」

 寝苦しさを感じた学生は、水を飲もうとし、ベットの近くに置いてある水さしに手を伸ばし、舌打ち

 した。

 軽く、水が入っていないことが分かったからだ。

 学生は起き上がると、水を飲みに井戸へと向かうことにした。 

 秋なので、やや寒い。

 学生は一番近い森の古井戸へと走っていく。

 本来、かってな森の出入りは禁じられているが、面倒くさいので無視した。

 井戸にあと少しというところで、学生は足を止めた。

「幽霊‥‥‥」

 学生はささやきながら、気を失った。

 学生の言葉通りに白い人影が井戸の近くで忙しそうに動いていた。

 

 

 トリ−ル王国の王都サルデス。

 王城ア−スのもとに広がるその街の一角には、白く荘厳なことで知られるトリ−ル王国国教会の本神

 殿がそびえたっていた。 

「あ〜あ、面倒な事ですね」

 辺境から人事異動によって、本神殿に呼び戻されたばかりであるトリ−ル王国国教会修道士ミハイル侍

 祭は、人事担当の神官より告げられた新たな任務の為に荷仕度をしながら、ぼやいた。

 その外見的特徴をいうならば、やや長めの銀髪と常にぼうっとした表情ながらも端正といえる容貌が

 人目を魅く程度で、それ以外は中肉中背の青年にしか見えない。 

 だが、それだけでは、この青年修道士の力量を判断することはできなかった。

 何十人ものベテランの審問官が探し出せなかった先代の法皇を殺害した者を見つけだした名審問官

 であり、ある村を襲った数十人の野盗を倒した英雄なのである。

 それゆえに『探偵神官』の異名で名を知られ、現法皇アレス・トリアより宝剣を賜わり、審問官以上

 の権限を持つ特別審問官に任じられていた。     

 だが、様々な功績をたてた為に国教会の審問官や王国騎士警察に恨み妬まれ、その者達の国教会の人

 事部への圧力により、ミハイルは辺境任務にばかり従事させられている。

 そういう状況下のミハイル侍祭にとって、この日は幸福とは言えなかった。

「まさか、表向きとはいえ本神殿図書館付属学院で歴史論の教官をやれとはな」

 荷仕度を手伝う赤毛の修道士がミハイルに話しかける。 

 名はサイアス。位階はミハイルと同じ侍祭で、神官見習い時代のミハイルの先輩である。

 本神殿で審問官の役職に就いており、今回の事件に関してミハイルを補佐するよう命じられていた。

「全くですよ。歴史論なんて、ほとんど勉強しなかったんですからね」

 その言葉に、サイアスは笑った。

 有能ながらも、手を抜きたがるミハイルの性格を知るのは一部の人だけであり、朝夕の祈りをすっぽ

 かしていることを恨み妬む者達が知ろうものなら、喜びながら審問官に報告して、破門を迫ることで

 あろう。

「しかし、学院に幽霊が出るとは面白い話だな」 

「人事の人は莫大な寄進を受けている神学生の親の頼みだから、調査するようにと言ってましたが、大

 方、ぼくにできもしない歴史論の授業をさせて、困らせたいからじゃないですか」

 ミハイルはサイアスの言葉に応え、整えた荷物を背負った。

「まあ、本格的な事件だったら俺も本気ででるから連絡してくれ」

「分かりました」

 答えながら、ミハイルは部屋を出ると、目的地に向かうことにした。

「何もなく終わったら、一杯おごってやるよ」

 サイアスも言葉を返すと、本神殿内の自室へと戻っていった。 

 

 

 トリ−ル王国国教会本神殿図書館付属学院は、都の郊外にある本神殿図書館の近くにあり、学院は全寮

 制で建物の回りは高い壁に囲まれている。 

 神学ばかりではなく、天文、地理、歴史、算術、薬学と王立学院同様に多岐に渡る為に、学生の数は

 男女二百人程で、地方貴族の子弟も少なくはない。

 その学院に着いたミハイルはとりあえずは学院長を務めるポ−ツ司教に会うことにした。

 ポ−ツはミハイルが学院の幽霊事件の捜査に為に来たことを知る人物で、樽のような体型の中年で、

 妙に腰が低く神経質そうな人物で腰の低そうな人物であった。

「学院生の殆どは良家の子女ばかりですから、くれぐれも授業の際には武器を持ち歩かぬように願いま

 すよ」

 ミハイルの腰に下げた長剣に目をやりながら、ポ−ツは注意する。

「はぁ、分かりました」

「それでは教官用の部屋を用意しましたから、そこを使ってください。用件は以上ですから、明日から

 の授業を頑張ってください」

 ミハイルののんびりした口調と表情にあきれたか、それだけを言うと、ポ−ツは部屋から出るように

 促した。

 ミハイルは軽く一礼すると泰然として、学院長室から退室する。   

 後に残ったポ−ツは、大きなため息をついた。   

 

 学院長室から追い出されたようなミハイルは、幽霊事件のあった森を見ておこうかと思い、そっちに

 寄ることにした。

 昔、ミハイルはここで様々な学問を学んだので、場所は知っている。   

 学生用の男子寮から近い森の小路を歩いていくと、幽霊が出たといわれる古井戸があるはずだった。 

 ミハイルが学生の頃には使うことを禁じられていなかったので、学院長がポ−ツ司教になってからか

 なと考えながら、古井戸に近づいた。 

「特に手がかりはなしですか‥‥‥、おやっ?」

 しばらくの間、ミハイルは水を汲んで飲んだりして調べていたが、やがて、白っぽい粉が古井戸の側

 に散らばっているのを発見し、一掴みすると、その匂いをかいでみた。 

「かすかだけど、甘い香りがしますね」  

 ミハイルは独語すると、その粉を法衣の内ポケットにしまった。

 その時。森の中から男女の声が響いてきた。 

 ミハイルは調査を中断し、立ち上がると、そちらの方へと歩きはじめた。

 

 

「俺とつきあえよ?」

 学生にしては、鋭い目つきの男は傍らに立つ娘に声をかけていた。

 艷やかな茶色の髪に同色の瞳、整った眉目に薄い紅がかかった唇、すらりとして均整がとれた肢体は、

 娘が美少女と称するに十分な資格を持っているようである。 

「お断りします」

 少女はにべなく断ると、学舎へと戻ろうとした。

「待てよ、断ればいいってもんじゃないだろ」

 因縁をつけながら、男は娘の左手をつかもうとし、娘はそれに対して、反対の手で平手打ちをみまっ

 た。  

 小気味よい音が森に響く。

「やったな!」

 平手打ちに怒りを覚えたのか、男は娘をひきずり倒すと、キスしようとした。

「やめなさいよ!」

 強い調子で叫びながら、娘は激しく抵抗した。

 男は気にせず、娘の唇を奪おうと力を入れる。

「やめなさい!」

 その時、第三者の声が響いた。

 男が声に気をとられた隙に娘は立ち上がると、現われた人物の背後に逃げ込む。

 現われた人物はミハイルであった。

「何だ、お前は?」

 男は見かけない顔だったので、腰の長剣に注意しながら、当然の質問を投げかける。

「明日から歴史論を教える者です」

「じゃあ、今日は教官じゃないんだな。なら、邪魔はするな」

「そうもいきませんので」

 ミハイルは平然として、いつも通りの表情と口調で答えた。

「じゃあ、力づくでもやってやらあ」

 言い放って、ミハイルに向かって、一歩足を踏み出した瞬間、男は背筋が凍りつくのを実感した。

「な、何者だよ‥‥‥」

 ミハイルから発散される気に恐怖したことを男は如実に感じながら、ミハイルにかすれ声で尋ねた。

「通りがかりの修道士ですよ」

 ミハイルが答えた瞬間、男を恐怖させた気が消える。

「何をしておるか!」

 新たな声がかかり、四人目が姿を現わした。

 大柄な体格をした鬼教官ビドゥルスである。

 元は聖堂騎士であったが、ある戦いで片目を失った為に、地理論の教官になった者で、学生達の生活

 を厳しく監視し、罰則を与える為に蛇蝎のごとく嫌われていた。

「学生は研修や授業でない限り立入禁止だぞ、ところでそちらは見ない顔だが?」 

「明日から歴史論を教えるミハイルという者です」

「まさか『探偵神官』の?」

 ビドゥルスの声には驚嘆の響きが混じっていた。

「ええ、そうです。この二人には聞きたいことがあったので、つきあってもらっただけですから、罰し 

 ないでください」

「ふむ、そういうことなら仕方ありませぬが、もしかして幽霊の噂ですか?」

「まあ、そんなとこです」

 ミハイルはにこやかな笑みを浮かべ、曖昧に答えた。

「戯言を聞くのも程々にしておいた方が良いですぞ。それでは」

 言い終えると、ビドゥルスは学舎の方へと去っていく。

「ミハイルさんよ、俺は借りはつくったままにしない主義だから、後で幽霊に関しての情報でも教える

 ぜ。俺はカスパと呼んでくれ」

 言い繕ってもらったことに感謝したのか、意外とさっぱりとしたところを見せると、男は娘への執着

 を見せずに寮へと戻っていった。

「女子寮まで送りますよ。え〜と」

「ソフィアです」

「では、ソフィアさん戻りましょうか」

「はい」

 答えたソフィアはミハイルの腕に自分の腕を絡めた。 ミハイルは少し赤面しながら、歩き始めた。

 

 

 翌朝、ミハイルは朝会で、ポ−ツより教官と学院生に紹介された。

 昨日の出来事が伝わっているのか、男の学生からは畏敬の目で、女の学生からは好意の眼差しで見ら

 れてるのをミハイルは感じた。 

 朝会はすぐに終わり、ミハイルは歴史論の授業を始めることになった。

 受け持つ生徒達の中に、ソフィアもいた。

 学生達の興味津々の視線は耐えかね、授業はあまり上手くいかなかったが、学生達はその態度にミハ

 イルは面白い教官と認識したらしかった。 

 やがて、授業が終え、廊下に出たミハイルにソフィアが近づいてきた。

「ミハイル教官、質問したいことがあるのですが?」 

「はい、どうぞ」

「教官に恋人はいますか?」

 この問いにミハイルは一瞬、硬直した。

「いるんですか?」 

 ソフィアが追い討ちをかける。 

「いませんよ、ところで‥‥‥」

 平静を保ちながら、ミハイルは話題を転換しようと努力する。 

「私の婚約者になってくれませんか?」 

 この言葉でミハイルの視界は暗転した。

「す、少し‥‥‥考えさせてくれませんか」

 かすれるような声でミハイルは何とか答えた。

「分かりました。後で、お訊きします」

 元気よく、答えるとソフィアは教室へ戻っていった。 

 幽霊の噂に関して訊こうかと思っていたが、驚いて声もでなかったので他の者に訊こうと思いながら、

 ミハイルは廊下を歩いていった。

 

 他の教室で授業をこなしながら、ミハイルは他の学生に幽霊の噂を訊いてみたが、これといった話は

 聞けなかった。

「後は自分で調べてみるしかないですね」

「ミハイル教官」

 呟きながら、寮に帰ろうとしたミハイルはカスパに呼び止められる。

「約束通り、幽霊の噂について話すぜ」

 開口一番、カスパは話を切り出した。

「助かりますよ。誰も話してくれませんでして」

「見た奴の話だと、朝時課の頃で、幽霊は白い人影が四つか、五つばかし古井戸のまわりで動いていた

 らしい」

「調べようとした人はいなかったのですか?」

「ああ、不審に思って近づいた奴もいたらしいけど、甘い香りがしたかと思うと、たちまち、気を失っ

 ちまったらしいぜ。‥‥‥どうしたんだい、そんな顔して?」

 ミハイルの顔はカスパの言葉通りに、ぼうっとした表情から何かを考えこむ表情になっていた。

「いや、何でもないです。情報をどうも」

「ビドゥルスに咎められたら、一日中、学院牢に閉じこめられるからな、その礼さ。だけど、あんたに

 ソフィアは譲るつもりはないからな」

「あの、何を誤解‥‥‥」

 ミハイルは弁解しようとしたが、カスパはすでにその場から走り去っている。

「疲れますね」

 呟きながら、ミハイルは図書館に待たしてあるサイアスに会いにいくことにした。

 

 

「ミハイル教官、授業はよくできたか?」

「ちゃかさないでくださいよ」

 ミハイルはサイアスの向かいの席に座りながら、からかいに応えた。 

「悪い、ところで幽霊の噂はどうだった」

「残念ながら先輩に一杯おごってもらえないようです」

 ミハイルは井戸の側にあった白っぽい粉が入れた内ポケットを法衣から破りとると、サイアスへと渡 

 す。

「薬‥‥‥いや、麻薬の一種か」

 内ポケットの中の白っぽい粉の匂いをかぎながら、サイアスは推測した。

「確か、そうだったと思ったんですけど、調べてもらえませんか」

「分かった。かわりに一杯おごれよ」

「後輩にたかるんですか?」

「何なら二杯でもいいぞ」

「分かりました」

 降参といった感じでミハイル肩をすくめた。

「分かったら知らせてやるよ」

 立ち上がるとサイアスは図書館から出ていった。

 ミハイルは、図書館の閲覧室でしばらくの間、ぼうっとしていたが、急に肩を叩いた者がいた。

 振り返ると、そこには美少女ソフィアが立っている。

「教官、いえ、ミハイル様、お願いを承知していただけますか?」

「あ、あのですね、昨日、知りあったばかりで婚約とかそういうのは‥‥‥」  

 唐突に切り出したソフィアの言葉にたじろぎながらも、ミハイルは何とか言葉を紡ぎ出した。 

「私は昨日、ミハイル様に助けられた時、ミハイル様は我の伴侶となるべき方だと感じました。どうか、

 願いを聞き届けてください」

 ミハイルはソフィアの真摯な宣告を聞いて、思わずのけぞり、転倒してしまった。

 椅子が倒れ、大きな音をたてる。 

「大丈夫ですか?」

「なんとか」

 そう答え、立ち上がろうとしたミハイルは、閲覧室にいた者達の視線が集まっているのに気づいたの

 で、平静を取り繕いながら、立ち上がり、椅子を元に戻し、ゆっくりと深呼吸をして気持ちを落ち着

 けて、返事する態勢をとった。

「その件について返事は‥‥‥」 

 ソフィアの茶色の瞳がミハイルの黒瞳を写しだす。

 閲覧室にいた者達も思わず聞き耳をたてた。  

「神学論書第三章六節を見てください」

 ソフィアはミハイルの答えに使った第三章を思い起こした後、その意味を訊こうとした。  

 神学論書の第三章には五節までしかないのだ。

 しかし、どこに行ったのか、ミハイルの姿はすでに図書館からは消えていた。

 

 

「もてますな」

「はぁ‥‥‥」 

 教官室で隣の席のビドゥルスの言葉に、ミハイルは乾いたあいそ笑いで答えた。

「しかも、ソフィアといえば、北のラスラ−ド公爵家の令嬢だ。婚約して結婚すれば将来は公爵になれ

 るんじゃないかな‥‥‥」

「まさか‥‥‥後継者は公爵家当主の息子でしょう」

「おや、ごぞんじないのか?公爵家の当主の子に息子はいないんですよ」

「そうなんですか?」

 世事にうといミハイルは尋ねた。

「公爵家の当主アレイス卿の子は二人の令嬢のみで、しかも長女カテリ−ヌ様は現在の王妃陛下、とな

 れば次の当主はソフィアの婿殿でしょうな」

 述べてから、ビドゥルスはミハイルを見つめた。

 ソフィアの申し出を受ければいいのに、とその目は語っている。

「まさか、公爵家の当主もソフィア嬢の恋愛感情をいれるほど甘くはないでしょう」

「それも、そうですな」 

 貴族の結婚は政略がらみであるからと思ったのか、ビドゥルスは話を打ち切った。

 話が終わったので、ミハイルは井戸の幽霊について考えることにした。

「幽霊と甘い香り‥‥‥」

 ささやくように語を発し、ミハイルは入った情報を整理することにした。

 現われる幽霊とは、四つ、五つの白い人影。

 井戸の回りで拾った白っぽい粉は甘い香りがした。

 確定的な情報はこれぐらい‥‥‥。

「待てよ、井戸が封鎖されたのは‥‥‥?」

 ミハイルはあることに思い当たり、勢いよく椅子から立ち上がると、教官用の寮の自室へと向かった。

 

 

 寮の自室に着いたミハイルは、腰に剣帯を巻き、部屋の隅に置いておいた長剣をそれに吊るした。

 用心の為に学院に持ってきた革の胸鎧も法衣の下に着込む。

「幽霊が出る頃まで、まだ一課程はありますね。先輩に残っててもらえば暇を潰せたのに‥‥‥」

 その時、扉がノックされた。

「誰でしょう?」

 不審に思いながらも、ミハイルは鍵を外し、扉を開く。

 そこには、学院生用の制服ではなく、下着が透けるほど薄い絹の夜着を着たソフィアの姿があった。 

「な、何か、ご用ですか?」

 ミハイルは狼狽しながら、ソフィアに声をかける。

「ミハイル様‥‥‥」

 か細い声でソフィアが呟く。

「いったい‥‥‥」

 内心、まさか誘惑しにきたという訳じゃないでしょうね、と思いながら、それだけを口にし、ミハイ

 ルは動きを止める。 

 ソフィアの背後にいる二人の人影に気づき、二人とも白い覆面をして、その内の一人がソフィアに剣

 を突きつけているのを知ったからだった。

「声をたてるな、それから、腰の剣を外せ」

 脅迫文句が手が空いている男から発せられた。 

 ミハイルは要求通りに剣帯を外すと、長剣は剣帯ごと床へと落ちる。

「少し、眠っててもらおうか」

 手が空いている男はそう告げると、体の後ろから棍棒を取り出し、ミハイルにそれを振り下ろした。

 鈍い音が響き、ミハイルは床へと崩れ落ちる。

 その姿を見たソフィア低く呻き、気を失った。

「よし、行くぞ」

 ソフィアを部屋の中へと押し込むと、二人はその場を離れようとする。

「待て」

 その時であった。

 二人は、背筋が凍りつくかのような感覚に捕えられながら、振り返った。

 そこには倒れ伏しているはずの修道士がいた。

 棍棒に叩かれたことなど無かったように。

 ミハイルの黒瞳は青く爛々と輝き、いつものぼうっとした表情はそこになく、代わりに強さを伴う獣

 のような精悍な表情があった。

「来い」

 冷淡な眼差しが二人を見つめ、低く、氷のように冷たい声が二人の耳に響く。

「うわああっ!」

 恐れを抱いた二人は絶叫しながら、ミハイルにと襲いかかる。

 その形相は恐怖に満ち、刃を向けた後悔があった。

 骨が折れる鈍い音、そして激痛を感じながら、二人は気を失っていた。

「さて‥‥‥」

 倒れおちた二人に応急処置を施した後、を手近にあった帯で縛り上げ、ソフィアをベッドに運んでか

 ら、ミハイルは長剣を腰に下げ直すと、森の古井戸へと向かった。

 古井戸に辿り着いたミハイルは、白い覆面を着け、白い服を着た三つの人影が大きな袋を井戸から運

 び出しているのを目にした。

「何をしているんですか?」

 いつも調子でミハイルは人影達に声をかける。

 人影達がその声にで作業を中断し、ミハイルの方へと振り向いた。 

「ま、まさか‥‥‥二人とも‥‥‥やられたのか?」 

 樽のような体型の人影が呻くように言葉を紡ぐ。

 その声と態度から驚愕しているのは明らかだった。

「しばらく、眠ってもらいましたよ。幽霊さん」

 律儀にミハイルは白い人影の問いに答えた。

「それは、何の薬、いや、何の麻薬ですか? 確か、どっかで‥‥‥」

「くたばれぇ!」

 ミハイルの言葉を遮り、大柄な人影が小剣を手にミハイルへ攻撃した。

 かろうじて、ミハイルはその攻撃を抜き放った長剣で受け止める。

 甲高い金属音が森の静寂を裂く。

「殺れ、殺るんだ!」

 さきほど、驚愕の声を出した樽のような体型の人影が戦いを見つめていた小柄な人影に指示した。

 その声に我に返ったのか、指示された小柄な人影は指を組み合わせると、高らかに何かの呪文を唱え

 た。

 ミハイルの注意がほんの一瞬それる。

 その瞬間、小剣はミハイルの左手を薙いでいた。

「ぐっ」

 呻き、ミハイルは大柄な人影から離れた。

 その瞬間、小柄な人影から青白い光りが放たれ、ミハイルの体を打つ。

「ぐうっ!」

 激痛にあえぎ、ミハイルは体勢を崩す。

「うりゃあ!」

 とどめとばかりに、大柄な人影は小剣をミハイルに突き立てようとした。

 刹那、ミハイルは長剣を手放すことによってバランスを何とか取り戻すと、その攻撃をかいくぐり、

 大きな人影の胸元を掴んだ。

「‥‥‥?」

 大柄な人影が戸惑う。

 ミハイルは次の瞬間、大柄な人影を地面に叩きつけるように投げ飛ばした。

 それはきれいに決まり、大柄な人影は再び起き上がる気配を見せない。

「けっこう、痛みますね」

 微笑を浮かべながら、ミハイルは長剣を拾うと、ゆっくりと残る人影に近づいていく。

「死ねぇ!死ねよぉぉぉぉ!ぐわぁ!」 

 狂ったように叫びながら、小柄な人影は迫ってくるミハイルに対して再び呪文を唱えようとしていた

 たが、絶叫とともに中断させられた。

「痛てえ、痛てえょ」

 呻く人影の腕には深々と矢が刺さっている。

「無事か、ミハイル?」

 尋ねる声は、サイアスだった。

 手には弓矢を持っている。

「無事とはいいかねますが、助かりました」 

 答えてから、苦痛に耐えつつ、ミハイルは樽のような体型の人影に近づき、長剣を一閃させた。

 覆面がパラリと落ち、顔が露になる。

「やはり、あなたでしたか」

 現われた顔は学院長のポ−ツ司教であった。

 ポ−ツは膝を折って、地面へと手をつく。

 やがて、助っ人に来た審問官ややじ馬の教官や学生やその場を埋めたのは少したってからであった。

 

 

「あの薬はロマ−ノ、魔力を活性化させるかわりに、廃人にする麻薬だった」

 王立の施療院で療養するミハイルの見舞いに訪れたサイアスは、事件の真相を話していた。

「麻薬を古井戸に隠して、立入禁止と幽霊の噂で古井戸に近づけないようにし、都の若い魔道士にさば

 いてたらしい。俺が弓で射た奴がガイア−ナ組合の麻薬密売人であらかた吐いた。そいつも半分、麻

 薬のせいでおかしくなっていたが‥‥‥」

「犯人はあれだけですか?」

「ポ−ツとビドゥルスと他に教官が二人、あとはガイア−ナ組合の奴で五人だそうだ」

「そうですか‥‥‥」

 怪我をさすりながら、ミハイルは呟いた。

「しかし、ガイア−ナ・ユニオンが関わってたからな。これからは、気をつけたほうがいいかもな」

 サイアスはしみじみと言った。

 かつて時の豪商ガイア−ナが築きあげた非合法商人達の闇組織があった。

 そして、その組織はガイアーナの死後も健在であり、いつしかその組織は創始者の名をとって、ガイ

 ア−ナ・ユニオンと呼ばれるようになる。

 その勢力は闇の世界でも屈指であり、闇の組織で最大とされるサルデスの暗殺者ギルドや王国の西方

 の盗賊達全てを束ねてるとされるセ−ランディアの盗賊団に劣らぬといわれ、闇の売買で得た莫大な

 富により軍隊や暗殺者達をも擁す闇の巨魁なのだ。

「とはいえ考えても改善されるわけでじゃないしな、じゃあな、次が待ってるみたいだから俺は神殿に

 戻るよ」

「次って?」

 不思議そうにミハイルは訊いた。

「茶色い髪のかわいい娘だよ。学生に手を出すとはやるなあ」

 からかうサイアスの声に、ミハイルは不吉なものを感じた。

「えっ、ちょっと待ってください。それ、ソフィアさんじゃあ‥‥‥」

「ソフィアというのか、良かったな」

「先輩、お願いですから追い返してください」 

 ミハイルは顔をひきつらせながら哀願した。

「照れなくてもいいぞ」

「いえいえ、先輩に譲りますよ。がんばって、口説き落としてください」

「いや、遠慮しとく。貴族の娘は好きじゃないんでね」

 そう言うと、サイアスは扉を開けて、部屋から出ていった。

「先輩〜!」

「呼びましたか、ミハイル様」 

 叫びは空しく、入ってきたのはソフィアであった。

 手にした籠には、果物や様々な酒が入っているようだった。

「私の婚約者様、早く元気になってくださいね」

ミハイルはその声を聞いて、サイアスを恨もうと決意した。

 

END

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