三鷹の天文台と調布の飛行場
2009年10月
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JR武蔵境駅南口ロータリー |
今日の散歩の主役は、国内の各地に設けられた国立天文台の本部・総本山とも言える三鷹の天文台です。三鷹と言っても、やって来た駅はJR中央(本)線の武蔵境駅。三鷹駅のひとつ隣の駅になります。 |
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小田急バスに乗車 |
まずは武蔵境駅の南口駅前ロータリーに出て来ました。ロータリー内バスターミナルにある小田急バス3番停留所から、狛江駅行き(または狛江営業所行き)のバスに乗り込みましょう。 |
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「天文台前」停留所 |
乗車およそ15分、天文台前停留所に到着。
バスを降りると道を隔てたすぐ目の前に、国立天文台の正門が見えています。この施設は山梨県の野辺山はじめ、国内各地にある国立の天体観測所の中でも特に中心となる本部施設です。 |
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国立天文台正門 |
元々は都心の麻布にあった天文台が関東大震災によって破壊されたため、大正13年に東京郊外のこの地へ移転したのが、ここ三鷹の天文台の始まりです。
と、言うことで・・・・そろそろ宇宙散歩のスタート! |
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正門を抜けて |
正門を抜けて天文台の施設内へと入って来ました。施設内には見学自由の場所が沢山あって、守衛室兼受け付けでガイド用のパンフレットも貰えます。以下のウンチクはこのパンフレットなどからの拝借です。見学は無料。 |
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第一赤道儀室 |
この建物は第一赤道儀室。建物自体は大正10年の建設になる施設内最古の建築物で、装飾が少ない機能重視の構造です。 |
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太陽観測用20cm屈折赤道儀 |
ドーム内にあるこの望遠鏡は昭和2年にドイツから購入したもので、平成11年まで永く太陽観測に使われていたものですが、現在ではCCDカメラを用いた自動観測に替わっています。 |
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太陽分光写真儀室 |
この建物は大正15年建設の、別名アインシュタイン塔。国の登録有形文化財になっています。名前の由来は、アインシュタインの一般相対性理論を太陽光の観測から検証する目的で建てられた施設だったからという、なんだかワタクシなんぞにはワケのわからん代物デス。 |
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施設内の歩道 |
施設の敷地内には御覧のように、緑や静寂の中に武蔵野の面影が残る素晴らしい散歩道が至る所にあって、頭や身体を気軽にリフレッシュするには絶好の場所です。 |
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大赤道儀室 |
こちらは大正15年建築の大赤道儀室。建築当時、この様なドーム型の屋根を作れる建築業者がいなかったため、造船技師の力を借り船底を作る技術を用いて作られました。国の登録有形文化財。 |
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国立天文台歴史館 |
高さ19.5m、ドーム直径15.0mというこの大きな大赤道儀室の中は国立天文台歴史館となっていて、御覧のように写真パネルや様々な機器の展示によって国立天文台の歴史が紹介されています。 |
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天文台展示室 |
展示施設としては、国立天文台歴史館の他にも天文台展示室があります。 |
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天文台展示室内 |
こちらは国立天文台で行われている研究プロジェクトなどの紹介を通して、現在の国立天文台の有り様が理解できる様になっています。 |
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旧図書庫 |
緑の中の小道を歩いて行くと、タイル張りの古めかしい建物が現れました。20世紀末まで図書庫として使用されていた建物で、昭和5年の建築になります。 |
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スクラッチタイル |
壁面に装飾されたタイルは、引っ掻き傷の様な多数の溝が特徴的なスクラッチタイルと呼ばれるもの。大正末から昭和の初期に流行した建材です。 |
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レプソルド子午儀室 |
大正15年の建築になるこのレプソルド子午儀室も、セセッションと呼ばれる大正期に流行した建築スタイルだとか。そして建物の四隅に構えた柱の上部に見られる縦縞模様は、その特徴のひとつです。 |
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ゴーチェ子午環 |
この建物の本体の屋根は半円形なのに、入口の屋根はなぜか台形。ひねくれているのではなく、建築デザインの美的効果を狙ったためだそうです。大正14年建築。 |
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ゴーチェ子午環 |
建物内部に収められているゴーチェ子午環という装置は明治36年にフランスから購入したもので、天体の精密位置を観測するために使用されていました。 |
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自動光電子午環 観測ドーム |
昭和57年にゴーチェ子午環はその役割を終え、新しく出来た自動光電子午環と選手交代しました。 |
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自動光電子午環 |
しかしながらこの自動光電子午環も、人工衛星での観測が始まったことで15年ほどの現役生活を送っただけで引退をさせられ、現在ではこの様に一般に向けて展示されているのみです。 |
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ナゾの布袋様 |
展示されたこの望遠鏡を眺めていたら、何やら笑顔のおじさん像を発見。たぶん七福神の布袋様ではないかと思われるのですが、何でこんなところに居るのか、謎です。 |
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天文台正門を抜けて |
天文台施設内の散策も結構楽しめました。名残惜しいですがこの辺りで次の目的地へ。天文台の正門を抜けたら、目の前の通りを右方向へと歩いて行きましょう。 |
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大沢橋 |
やがて小さな川に架かる橋が見えてきます。これは大沢橋。 |
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野川 |
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大沢コミュニティーセンター前交差点を右折 |
野川を渡るとすぐに交差点があるので、ここを右折。
そして5分ほど歩いて行くと、門柱と思しき古めかしい石柱が通りの両脇に構えているのを確認できます。 |
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東京調布飛行場門柱 |
嘗てこの一帯には東京調布飛行場があって、戦争中は主に旧日本陸軍が特攻隊の訓練施設などとして使用していました。そしてここは当時その正門があった場所で、現在では門柱だけがこの様に保存されています。 |
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調布飛行場管制塔 |
そのまま道なりに進んで行くと、通りの左側に小さな管制塔らしき建物が見えてきました。 |
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調布飛行場入口 |
旧東京調布飛行場は終戦後アメリカ軍に占領されていましたが、昭和48年に全面返還された後、敷地の一部が現調布飛行場となって現在に至っています。 |
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調布飛行場 |
現在飛行場を運営しているのは東京都、主な発着はご覧の様な小型機での伊豆諸島へのフライトが中心です。 |
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管制塔 |
空港に隣接した小さな公園にはベンチが並んでいるので、このあたりで飛行機の離着陸でも眺めながら小休止。
管制塔や空港ターミナルも小じんまりしたものです。 |
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空港ターミナル |
そう言えばもうウン十年も前私が高校生の頃に流行った歌で、荒井(松任谷)由美の中央フリーウエイという歌がありましたが、歌詞の中に出てくる「調布基地」とはこの飛行場の事でしたっけ。 |
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飛行場を左に見て進む |
小型飛行機が飛び立って行く姿を何も考えずにぼんやり眺めているというのも、結構癒されます。
というところで、ぼちぼち調布飛行場を後にする事にしましょう。 |
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水車通り |
飛行場を左手に置いて歩いて来た道を更に先へと進んで行くと、道幅がグッと狭くなってきました。「水車通り」との標識が建っています。 |
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突き当りを左折 |
飛行場を後にして6~700m程歩いてくると、「水車通り」はやがてT字路に突き当ります。ここは左へ。 |
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人見街道(前方)へ合流 |
左折するとすぐに、杉並区と府中市を結んでいる人見街道と合流します。そのまま直進して、人見街道へと入って行きましょう。 |
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近藤勇像 |
人見街道と合流してすぐ、街道の右側にある寺の門前に髷を結った人物の胸像を見つけました。この寺は曹洞宗の龍源寺、あの新撰組局長の近藤勇が眠る寺です。という訳で寺の門前に構えるこの人物は近藤勇でした。彼はここ調布の出身で、この龍源寺から目と鼻の先に生家がありました。 |
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龍源寺境内 |
因みに彼の遺体の埋葬については諸説あるので、近藤勇の墓と称されるものも各地に複数あってちょっとした謎です。 |
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近藤家の墓 |
写真は、境内にある近藤家の墓所です。向かって右から2番目の墓に、近藤勇の文字が刻まれていました。 |
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都立野川公園 |
龍源寺の先、人見街道沿いを200m程進んだ右側に都立野川公園が見えてきたので、ちょっと寄っていきましょう。 |
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都立野川公園 |
この公園は野川沿いに整備された、面積12万坪余りの緑豊かな自然公園です。園内の売店では焼きそばやおにぎりなどの軽食も食べられます。 |
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近藤神社 |
・・・と言う事で、公園内の売店でちょいと一服したあと再出発。
人見街道沿い、野川公園のすぐ隣にとても小さな社がありました。あの近藤勇を祀った近藤神社です。既述のように、この場所こそ嘗て近藤勇の生家があった場所です。 |
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近藤神社前に立つ幟 |
案内板に依ると近藤勇の生家は富農で、ここに敷地2千坪を超える屋敷を構え、母屋のほか蔵屋敷や文庫蔵、地下蔵もあったと言います。 |
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近藤勇の生家跡の井戸 |
その生家も昭和18年に取り壊されて、現在では社の傍らにあるこの古井戸だけがその面影を残すのみです。 |
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人見街道 |
さてさて、ゴールはもう間近。人見街道をこのまま先へと進んで行きましょう。 |
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西武線多磨駅 |
近藤神社からおよそ800m、西武多摩川線の多磨駅前にゴールイン。 |
★交通 |
JR中央線 武蔵境駅下車 |
★歩行距離 |
約 5.0 km |
周辺地図
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