駒込染井・お墓ツアー

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都営染井霊園  いよいよ今日の目的地、都営染井霊園に到着。そしてここまで歩いて来た染井通りは、更に霊園内を貫きます。
染井霊園入口と染井通り


 ソメイヨシノザクラの故郷に作られたこの染井霊園には沢山の著名人が眠っているほか、桜の名所としても有名。敷地2万坪余りの霊園内は今、満開のソメイヨシノで埋め尽くされています。

 それではそろそろ本日のメインイベント、著名人のお墓ツアーを始めましょう。なお、霊園入口の案内板には著名人のお墓の場所が分かるように、一覧と地図が掲示されています。親切だぁ!
染井霊園花吹雪広場
染井霊園 花吹雪広場


二葉亭四迷(1864〜1909)  この長谷川辰之助さんは子供の頃よく父親から、こう怒られていました。「お前のような奴は早くくたばってしまえ!」「くたばってしめぇ」「ふたばていしめぇ」・・・。という事でこれがペンネームになった、小説家二葉亭四迷の墓でした。
二葉亭四迷 (1864〜1909)


 こちら「高村氏」と刻まれた墓には詩人高村光太郎と妻智恵子、父親で彫刻家の高村光雲が眠っています。 高村光太郎 (1883〜1956)
高村光太郎 (1883〜1956)


岡倉天心 (1863〜1913)  写真は美術家岡倉天心の墓。右側の墓石に刻まれた墓碑銘は「永久の平和」。
岡倉天心 (1863〜1913)


 巨大な墓石がありました。染井の地に下屋敷を構えていた津藩藤堂家第十二代最後の藩主、藤堂高潔の墓です。それにしても、さすがにお殿様の墓はでかいッ。 藤堂高潔 (1837〜1889)
藤堂高潔 (1837〜1889)


水戸徳川家墓所  こちらは御三家、水戸徳川家の墓所です。霊園内の見晴らしの良い一画を陣取って、たくさんのお墓が並んでいます。
水戸徳川家


 戦前に2度内閣総理大臣を務めた、若槻禮次郎の墓です。権力の頂点に立った人物の墓にしては意外に質素、素朴です。 若槻禮次郎 (1866〜1949)
若槻禮次郎 (1866〜1949)


幣原喜重郎 (1872〜1951)  若槻禮次郎の第2次内閣で外相を務め、戦後首相も務めた幣原喜重郎。左側の墓に眠る妻は、あの三菱財閥岩崎彌太郎の令嬢です。因みにこの写真背後に写っている石塀の向こうには、父親である岩崎彌太郎が眠っています。
幣原喜重郎 (1872〜1951)


 この石塀の向こう側に岩崎彌太郎の墓があるのですが、そこは染井霊園の敷地ではなく個人のプライベートな墓所のために、一般への公開はされていません。 岩崎家墓所との境界
岩崎家墓所との境界


岩崎家墓所の門  ちょっとワープして飛んできました。これが岩崎家墓所の正門です。が、しかし、ご覧のように門は常にかたく閉ざされています。実は、この写真は別の機会に撮影したもので、実際には染井霊園内からこちらの墓所正門側に廻るには、隣接しているとは言え少しだけ時間が掛ります。
岩崎家墓所の門


 再び染井霊園内に目を向けましょう。こちらの墓は岩崎彌太郎の養子となった岩崎豊彌夫妻の墓。という事で、岩崎家の分家の墓はこちらにありました。 岩崎家分家の墓
岩崎家分家の墓


霊園内の染井通り  ところで、今日ずっと歩いて来た染井通りは、霊園の中を貫いてまだ続いていました。
霊園内の染井通り


 そしてここが染井通りの終点となる、染井霊園の出口です。霊園を出てそのまま、正面突き当りに見える石門を抜けると慈眼寺になりますが、ここにも著名人が眠っているのでちょっと入ってみましょう。 慈眼寺
染井霊園出口と慈眼寺の門


芥川龍之介 (1892〜1927)  左側の座布団のような形をした墓は、小説家の芥川龍之介の墓。そして右側には俳優で演出家の長男芥川比呂志をはじめ、芥川家の人々が眠っています。
芥川龍之介 (1892〜1927)


 芥川龍之介の墓のすぐ近くには、活躍期間の長さの違いはあるものの同時代の小説家で、共に東京の中央区(現)で生まれ、それぞれ三中、一中という名門の旧制府立中学を経て、お互いに一高から帝大へと進んだ谷崎潤一郎の墓もあります。写真奥が谷崎家の墓、手前の墓が谷崎潤一郎自身の墓。因みに彼の墓は京都にもあります。 谷崎潤一郎 (1886〜1965)
谷崎潤一郎 (1886〜1965)


司馬江漢 (1747〜1818)  司馬江漢は、江戸時代でありながら既に西洋風の様式を作品に取り入れていた画家、そして蘭学者。墓石に刻まれた墓標によると、文化7年(1810年)に建立された事になっているので、どうも生前に建てられたものらしい。
司馬江漢 (1747〜1818)


 そろそろこの辺で慈眼寺を後にして、次の寺へと移りましょう。寺の石門のところへ戻り、正面に染井通りと染井霊園を置いて右へ。 慈眼寺の門を出たら右へ
慈眼寺の門を出たら右へ


墓地に挟まれた道を進む  右に慈眼寺の墓地、左に染井霊園を見ながら狭い道をそのまま進んで行きます。
墓地に挟まれた道を進む


 間もなく小さな十字路が現れるので、ここを右折。 十字路を右折
十字路を右折


本妙寺に入る  150m程先の右側に見えて来た寺は本妙寺です。1572年創建のこの寺、元は本郷丸山町にあったものが、明治43年にこの地へ移転されました。
本妙寺に入る


 1657年、死者10万人余りとも言われる明暦の大火いわゆる「振袖火事」が発生し、江戸中が焼き尽くされてしまうのですが、この未曽有の大惨事の火元が本郷丸山町のこの寺であったとされ、これがポピュラーな説となっています。 本妙寺本堂
本妙寺本堂


明暦の大火供養塔  今となっては確かな事は分りません。しかし大火の火元となった筈の寺がお取り潰しにならず現在まで残っている事自体非常に不自然であることは確かで、江戸幕府の当時の思惑からこの本妙寺に罪をかぶせたとの説もあって、とてもミステリアスです。
明暦の大火供養塔


 おう おう おうっ とぼけるのもたいがいにしろよぉ、この遠山桜を見忘れたたぁ言わせねーぜぇ。

 ご存じ名奉行、遠山の金さんの墓でした。
遠山左衛門尉景元 (1793〜1855)
遠山左衛門尉景元 (1793〜1855)


千葉周作 (1793〜1856)  遠山の金さんと同時代の江戸末期を生きた剣豪、北辰一刀流創始者の千葉周作もこの本妙寺に眠っています。
千葉周作 (1793〜1856)


 この界隈にはまだまだ沢山の著名人が眠っているのですが、もうキリがありません。残りはまた別の機会にという事で、今日のゴールへ。

 本妙寺を背にして真っすぐに歩いて来ると国道17号線の広い通りに突き当ります。ここは左折。
左折して国道17号へ
正面は国道17号線


国道沿いに歩く  そのまま国道沿いに進みましょう。国道を隔てた向こう側に見えている瓦屋根の建物は高岩寺、巣鴨のとげぬき地蔵です。
国道沿いに歩く


 国道沿いを歩くことおよそ600m。JR巣鴨駅が見えて来ました。 JR巣鴨駅
JR巣鴨駅








★交通 JR山手線駒込駅北口
★歩行距離 約3.5km


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