猿島と三笠公園

東京湾で無人島アドベンチャー!


2021年12月






 
横須賀中央駅 東口
 横須賀中央駅 東口

 神奈川県の三浦半島北東部に位置する横須賀中央駅は、京浜急行電鉄(快特)で東京の品川駅からおよそ45分。そして今日のスケジュールは、ここ横須賀の街を港まで歩いたあと、船で無人島に渡って島内をひと回り、その後横須賀港へ戻って明治時代の戦艦を見物するという忙しい散歩スケジュールなのであります。とは言え、行動範囲はそれ程広くはないので、余裕を持ってのんびり歩いて行こうと思います。





Yデッキを左方向へ
 Yデッキを左方向へ

 改札を抜けて駅舎2階部分の東口に出ると、ペデストリアンデッキがあります。行く先が二股のY字に分かれているので、通称 Y(ワイ)デッキと呼ばれているこの分岐を、先ずは左方向へ進みます。





更に左側の階段を下る
 更に左側のB階段を下る

 更に、地上へと降りる下り階段が左右2箇所あるので、ここは左側の「B」と表記された階段を下りて行きましょう。

 そしてデッキを下りたら、その先へと延びる道、県道26号三崎街道沿いを直進。通りの両脇には商店街が続くけど、現在時刻は朝の9時ジャスト。まだ多くの店はシャッターを閉じたままです。





サックスを手に佇むミュージシャン
 サックスを手に佇むミュージシャン

 ところで米海軍基地のある横須賀は、アメリカの文化を身近に体感できる街でもあるんだけど、アメリカ発祥の音楽、ジャズミュージックもその一つ。人気のジャズ喫茶やジャズバー、ライブハウスなんかも幾つかあって、この通り沿いにもこんな風に、ブロンズのミュージシャンが佇んでいたりするんです。





本町一丁目交差点
 本町一丁目交差点

 三崎街道沿いをおよそ500mほど歩いて行くと、国道16号線と交差します。これは本町一丁目交差点





国道を渡って右へ
 国道を渡って右へ

 国道16号線を横断歩道で一旦向こう側に渡ったら右折。そのまま国道沿いに入ります。





交差点を左折してアーチゲートを抜ける
 交差点を左折してアーチゲートを抜ける

 そしてそのすぐ先の交差点、三笠公園入口交差点を左へ。目印は今日の散歩の目的地の一つ、「三笠公園」の名が記されたこの大きなアーチゲート。





正面は米海軍基地
 正面は米海軍基地

 アーチゲートを抜けて国道を外れると、その先で通りは二手に分かれます。直進すると正面は、アメリカ海軍横須賀基地。当然ここは右手の道へ。

 そういえば以前、このサイトの取材で同じこの米軍基地前へ来た時、ここでバチバチとデジカメ撮影していたら、近くに停車していたパトカーから警官二人がすっ飛んできて、職質されたのを思い出しました。15分か20分位けっこう色々調べられたんだけど、その時期が2001年の11月。ちょうどあの9.11 同時多発テロ事件の直後で、テロ警戒のためだったって事が後で分かったんですが、テロリストと思われた(・・・かどうかは知らないけど)自分の不用意さに汗顔の至りでありました。





公園通りと日本丸モニュメント
 公園通りと日本丸モニュメント

 通りを道なりに進んで行くと間もなくその先は、三笠公園へと続く公園通りと呼ばれる、海岸をモチーフとした散策路になります。ここには噴水やモニュメント、彫像などのアート作品が配置されているのですが、この日本丸(2世)のモニュメントもその一つ。

 日本丸は船乗りを目指す学生のための航海練習帆船で、昭和59年に住友重機械工業横須賀製造所の浦賀艦船工場で建造されたのですが、地元横須賀市で誕生したという事もあって、船の一部を1/3のサイズで再現、モニュメントとしてここに設置されているんです。因みにこの現役の日本丸は2代目でして、既に引退した初代日本丸は、横浜みなとみらいのメモリアルパークに保存・公開されていて、国の重要文化財に指定されています。





三笠公園に到着
 左手が三笠公園正門

 横須賀中央駅をあとにして歩く事1km余り、公園通りの正面に三笠公園の正門が見えて来ました。この公園は今日の目的地の一つなのではありますが、先ずはその前に、東京湾に浮かぶ無人島猿島へと渡るプランなので、(歌の文句じゃないけど)そのままどん突きの三笠公園へは今は入らずに、右手に延びる公園沿いの道を進みましょう。





三笠ターミナル
 三笠ターミナル

 50m程先にあるレンガ色のビルが三笠ターミナルで、この辺り一帯は横須賀港の新港地区と呼ばれています。そしてこの三笠ターミナル1階のカウンターで、猿島行きの乗船チケットを購入。





猿島行きの便に乗船
 猿島行きの便に乗船

 さぁ、いよいよ無人島猿島に向けて、9時30分発の朝イチの便で出港であります。猿島行きの船便は三笠ターミナル前の三笠桟橋から、1時間おきに毎日運行されていて、なんと乗船およそ10分で目的地に到着しちゃうんです。費用は往復運賃の1,400円と、横須賀市に徴収される入島料金の200円也。





これが猿島です
 これが猿島です

 猿島との距離は、渡船場からおよそ1.5km余り。東京湾に存在するたった一つの無人島なんです。その面積は東京ドームの約1.2倍、海岸線の距離で周囲約1.6kmと、それ程大きな島ではないので、所要時間1~2時間くらいでひと回りする事が出来ちゃいます。





猿島桟橋
 猿島桟橋

 猿島の玄関口、猿島桟橋に到着しました。本日の天気は快晴。画像では分かり難いけど、海を隔てた横須賀の街の向こう側には、富士山も姿を現しています。





無人島に上陸
 無人島に上陸

 それじゃぁいよいよ、無人島アドベンチャーのスタートです。桟橋を渡って島内に上陸。行く手には、果たしてどんな危険が待ち受けているか?

 いやいや、何にも危険なんて無いんです。

 島内では多くの歴史的な遺構がしっかり保存・管理されていると同時に、海水浴場あり、バーベキュー場あり、釣りなどのレジャーも楽しめたりするんです。





ボードデッキ
 ボードデッキ

 休憩スペースのボードデッキの奥に見えるのは、猿島ウエルカムセンター(管理棟)。レストランやトイレ、海水浴時のシャワー設備、管理事務所などがここにあります。





要塞の島 猿島
 要塞の島 猿島

 かつての猿島は要塞の島。その歴史は江戸時代の幕末、異国船に対する防備の目的で設置された砲台の「台場」が始まりです。その後の明治維新を経た日本の近代化に伴い、明治政府はフランスの支援を受けて、東京湾を守るべく西洋技術を導入した「猿島砲台」を明治14年ここに築いたのでした。そして太平洋戦争終戦の昭和20年まで64年の間、旧日本軍によって島内への民間人の立ち入りが禁止されていたんです。





兵舎
 兵舎

 このレンガ造りの建造物は兵舎です。フランス人顧問の指導の下で築かれた為か、レンガの積み方は石の長い面と短い面を交互に組み合わせた、フランス積みと呼ばれる組石法が利用されています。





フランス積みのレンガ
フランス積みのレンガ

 ところで島内の案内板によると、レンガによるフランス積みの建造物は元々数が少なかったため、国内に現存する物件はここも含めて4件のみなんだって。とっても希少なんです。





弾薬庫
 弾薬庫

 こちらは弾薬庫。部屋の中に掘られた縦穴は、弾薬庫の真上にある砲台に通じていて、これを使って弾薬を砲台に上げていたらしい。





レンガ造りのトンネル
 レンガ造りのトンネル

 島内のおおかたの場所は、切り通しと3つのトンネルで繋がっていて、まるで巨大迷路のよう。とは言え、所々に指導標や案内図が立っているし、乗船時に三笠ターミナルで案内パンフレットもゲットしてきたから、迷う事はありません。





トンネル内の地下施設
 トンネル内の地下施設

 トンネルの中で地下施設を発見。レンガ造り2階建てのこの施設は、島の頂上にあった指令所への連絡通路に使われていたんだって。





砲台跡
 砲台跡

 島の高台に上ると、砲台跡がありました。明治時代に、戦艦攻撃のカノン砲用に築かれた既述の猿島砲台は、実戦に使用されることはなく、その後昭和の時代に入って第二次世界大戦が始まると、この猿島には航空機攻撃の高射砲が替わって置かれるようになるのですが、この砲台跡はその当時のものです。尚この時のこの砲台は、太平洋戦争末期の米軍による本土空襲時に、
残念ながら・・・
実戦を経験したようです。





日蓮洞窟は立ち入り禁止
 日蓮洞窟は立ち入り禁止

 猿島には日蓮伝説というのがあります。13世紀鎌倉時代の中頃、布教の旅を続ける日蓮上人の乗った船が難破・漂流してこの猿島に打ち上げられ、その時現れた白い猿のお告げの後、日蓮が幾つかの奇跡を起こすというもので、この伝説が猿島という名前の基になったと言われているんです。そしてこの時、日蓮がこもって修行をしたと伝わる小さな洞窟が、この砲台下の磯にあるんですが、近年の台風の被害を受ける等して崩落の危険があるため、残念ながら取材時現在立入は禁止になっています。





 日蓮洞窟(平成13年11月撮影)
 日蓮洞窟(平成13年11月撮影)

 と言う訳で今日は現場には行けないので、かなり以前にはなりますが、この猿島を訪れた時に撮影した日蓮洞窟の画像をお見せしておきます。日蓮さんの伝説は兎も角として、そもそもこの洞窟は発掘調査の結果、土器や人骨等が発見されている事から、弥生時代の洞穴住居跡と見られているんです。





オイモノ鼻広場
 オイモノ鼻広場

 展望広場にやって来ました。オイモノ鼻広場と呼ばれています。この東京湾の180度を超えるパノラマは、遠くアクアラインや房総半島まで望めます。





オイモノ鼻
 オイモノ鼻

 展望広場に設けられた階段を下って行くと、直下の磯オイモノ鼻で魚釣りや磯遊びをする事も出来るんです。





人力で掘った切り通し
 人力で掘った切り通し

 猿島に上陸して1時間余り。無人島大冒険をたっぷり満喫出来ました。そろそろこの辺で猿島桟橋に戻って、島を離れる事にしましょう。切り通しの道を歩いて桟橋へ。

 ところでこの切り通し、明治の初期に人力のみで、岸壁を深く掘り下げて造られたものなんですが、これによって島内の軍事施設は隠されて、外部からは全く見えない構造になっているんです。





さよなら猿島
 さよなら猿島

 少し名残惜しいですが、猿島をあとにして三笠桟橋行きの船に乗船。船尾から眺める猿島が、徐々に小さくなって行きます。しかしあの島の中に、昔の日本の軍隊の施設があるなんて、ホントに全く分からないネ。





三笠公園 東郷平八郎像
 戦艦三笠と東郷平八郎像

 三笠桟橋に到着したら、隣接する三笠公園へ。公園名の由来は、日露戦争時(明治37年-38年)の旧日本海軍連合艦隊旗艦、戦艦三笠が公園内に復元保存されている事から。戦艦三笠の前に立つこの人物は、時の連合艦隊司令長官、東郷平八郎です。





戦艦三笠
 戦艦三笠

 全長122m、幅23m、明治35年竣工になるこの三笠。艦内に入って観覧する事が出来るので、さっそく中へ。観覧料金は一般600円。





主砲
 30cm主砲(艦尾側)

 先ずは上甲板へ。雨や直射日光をしのぐテントの屋根が張られた休憩スペースにどっしり構えているのは、直径30cm重量400kgの砲弾を使用して、最大射程距離約10kmに達する、艦尾側の主砲です。





甲板
 上甲板

 日露戦争時の日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊を撃滅して名を馳せた連合艦隊と旗艦三笠。その後現役を引退して、大正12年に一旦はスクラップが決定するのですが、一転記念艦として保存されることになり、大正15年この横須賀の地に固定・保存されたのでした。





8cm砲台
 8cm補助砲

 しかしその後の太平洋戦争の敗戦を経て、一時期船体が見る影もなく荒廃してしまいます。そして、戦後しばらく経って三笠復元の機運が高まり、昭和33年に設立された三笠保存会によって、昭和36年再び元の姿に復元され、同時にこの場所は三笠公園となって現在に至ります。





15cm砲による砲撃
 15cm副砲による砲撃

 副砲砲室内での攻撃の様子が再現されていました。展示のものは15cm副砲。破壊力はあっても小回りの利かない主砲を補って、副砲は実戦において重要な役割を担っていました。





寝泊りも出来ます
 寝泊りも出来ます

 砲室内では、平常時にはこの様にハンモックを吊って就寝したり、食事をしたりしていたんだって。





トイレ跡
 トイレ跡

 このタイル貼りの床はトイレのあった場所なんです。当時の日本海軍では、古い言葉で厠(かわや)と呼ばれていたらしい。





当時のトイレの様子です
 当時のトイレの様子です

 船内の中甲板に設けられた資料展示室で、こんな絵が掲出されていました。自分だったらこういう環境では、なかなか目的を達せそうにありません。戦時中、兵隊さんは落ち着いて用も足せなかったんですね。





資料展示室
 資料展示室

 と言う事で、上甲板から中甲板へと下りて来ました。この中甲板の大半のスペースは資料展示室になっていて、大量の貴重な資料を見学できるようになっています。





長官室
 長官室

 中甲板の艦尾側には長官室がありました。流石に寝室にはがっしりとした木製のベッドが設えられています。因みに中尉以下の戦艦乗組員およそ830名は、ハンモックで就寝していたのだとか。





長官浴室兼 厠
 長官浴室兼 厠

 こちらは長官室の浴室とトイレ。ところでこの床、どこかで見たような?

 そうそう、さっき上甲板で見て来たトイレの床タイルと全く同じものでした。名もない兵卒も司令長官の大将も、同じ床を眺めながら用を足してたんでしょうか。(微笑)





長官公室
 長官公室

 長官室とこの長官公室は隣り合わせで、ドアによって通じています。この部屋は作戦会議や晩さん会などに利用されていました。





士官室
 士官室

 この部屋は士官の中でも大尉以上中佐までの将校が、事務を執ったり会議や食事をするために使用していた士官室。この部屋を使用できる士官は士官室士官と呼ばれ、寝室は個室だったのに対して、既述のように中尉以下の階級はハンモック利用でした。





三笠艦首
 三笠艦首

 再び上甲板に上り、そこから更に最上艦橋と呼ばれる、戦艦三笠の一番高い場所に上って来ました。司令部の幹部達はこの場所に立って戦闘指揮を執っていたんですね。直下には艦首側の30cm主砲が見えています。

 ところでこの三笠、艦首の向いている方向をずーっと延長してゆくと、東京都千代田区にある皇居に達するんです。つまり、大正15年にこの場所に保存された時、艦首を皇居に向けて固定されたんだそうです。





猿島が見えます
 新港埠頭と猿島

 最上艦橋からの眺めは上々。西側の海に目を向けると横須賀港の新港埠頭と、その向こうの猿島が間近に確認できます。





音楽噴水池
 音楽噴水池

 明治の名艦をたっぷりと観覧出来たところで、今度は公園の方も歩いてみる事に。

 この噴水は音楽に合わせて水が踊る音楽噴水。90分おきに水のダンスが披露されるんだけど、パフォーマンスはちょっと前に終わってしまったようなので、今は噴水は静かです。





横須賀市非常用貯水槽
 横須賀市非常用貯水槽

 公園内の散策路を歩いていたら、こんな蒸気機関車を見つけました。実はこの機関車、大震災などの有事の際の飲料水を溜めておく貯水槽らしい。10万リットルの新鮮な飲料水が、この機関車の中で循環しているんです。





横須賀中央駅 東口前
 横須賀中央駅 東口前

 今日は朝から船で無人島に渡って大冒険したり、明治時代の戦艦の艦内を見て回ったりと、忙しい散歩スケジュールだったけど、あっと言う間に時間は過ぎてしまいました。帰路は朝来た道を戻って、横須賀中央駅へ。









★交通 京浜急行鉄道 横須賀中央駅下車
★歩行距離 約 5.0 km



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