見沼代用水と通船堀

2009年5月






 
JR東浦和駅前
 JR武蔵野線 東浦和駅前

 今日の散歩は、江戸時代に現在の埼玉県内に作られた灌漑用水路や運河沿いを歩く、水辺の散策です。スタートはJR武蔵野線東浦和駅前。駅に1ヶ所だけしかない改札口を出て来ました。

 それでは出発!





駅前の県道を進む
 駅前の県道

 先ずは駅前の横断歩道で県道を渡って右折。そのまま県道沿いを進みましょう。





最初の交差点を左折
 東浦和駅前交差点を左折

 そして、最初の交差点となる東浦和駅前交差点を左へ折れると交通量は大幅に減って、辺りの景色が一変します。





正面の橋を渡る
 景色一変 正面の橋を渡る

 正面には用水路と、それに架かる小さな橋が見えています。この用水路が見沼代用水。徳川吉宗の命による新田開発に伴って、1728年に利根川から水をひいて開削された灌漑用水路です。用水路は東と西に並行して2本築かれていて、埼玉県内をそれぞれ北から南へ流れています。





見沼代用水西縁
 見沼代用水西縁

 そしてこの二つの用水路を東西につないでいる運河が見沼通船堀、更に2本の用水路間のちょうど真中には芝川が南北に流れています。 (マップ参照)  

 ここからは今日の散歩の終盤近くまで、この入り組んだ水の道をほぼ辿って歩いて行きます。指導標の設置なども少なめですが、コースの大半が水路沿いなので、その意味では迷う事はありません。





見沼通船堀公園入口
 見沼通船堀公園入口

 正面に見えている橋で、2本築かれたうちの西側の用水路になる見沼代用水西縁を渡ったらすぐ右折。用水路沿いに100m程歩くと、左側に見沼通船堀公園の入り口がありました。





見沼通船堀公園内
 見沼通船堀公園内

 公園の中へと入って行くと見事な竹林が現れます。この竹林の中に作られた木道を歩いて行くのは、とても趣があります。左手を流れるのは見沼通船堀





見沼通船堀
 見沼通船堀と遊歩道

 既述の通りこの運河は見沼代用水の西縁と東縁、そしてその中央に位置する芝川とを結んだもので、主に付近の村々の年貢米を船で江戸へ運ぶ目的のため、1731年に作られた運河です。





女体新橋
 女体新橋・突き当たりを左折

 運河沿いに進んでくると、間もなく突き当りになりました。左折して女体新橋と言う名の小さな橋を渡り、運河の対岸へ。今度は見沼通船掘を右手に置いて、アスファルトの道を進みましょう。





見沼通船堀
 見沼通船堀

 この運河の全長は東西に約1km余り。今日はこの1kmをほぼ運河沿いに歩きます。





通船堀公園橋
 通船堀公園橋

 少し歩いたところで、運河に架かる橋がまた見えて来ました。ここでちょっと廻り道。右折して、通船堀公園橋と言うこの橋を渡りましょう。





突き当たりは県道
 突き当たりは県道

 運河を外れてそのまま進むと、すぐに一般道(県道)に突き当ります。ここを左へ。





鈴木家住宅
 鈴木家住宅

 間もなく立派な古民家が県道の左手に確認できます。19世紀、江戸時代末の建築物と言われるこの建物は鈴木家住宅。この鈴木家は当時幕府から通船業務を許可されていました。





八丁橋
 八丁橋

 鈴木家住宅のすぐ先には、芝川に架かる橋八丁橋があります。これを渡ったら左折。





芝川
 芝川

 既記の様に芝川は、見沼代用水西縁と東縁のちょうど中間を並行して流れています。この芝川を左に眺めて、川沿いを少し歩きましょう。





見沼通船堀沿いを歩く
 再び見沼通船堀沿いを歩く

 50mほど歩くと右手へ分かれる道がありました。「緑のヘルシーロード」の道標が目印のこの道に入って、ここから再び見沼通船堀を右手に眺めながら進んで行きます。





見沼通船堀の閘門
 見沼通船堀の閘門

 やがて運河の前方には、閘門(こうもん)と呼ばれる木製の水門が見えて来ました。

 見沼通船堀は日本で最古の閘門式運河です。





見沼通船堀の閘門
 見沼通船堀の閘門

 当時年貢米やこの辺りで作られた農作物などを江戸まで運んだ船は、今度は江戸から海産物などを運んで帰って来ました。





見沼通船堀
 見沼通船堀

 そして江戸からの船は芝川を経て、3mも水位差のあるこの運河に入って来るのですが、この水位差を克服して船を通過させ易くするため、運河の4か所に関(閘門)を設けて適宜開閉させながら水位を調整していました。これが閘門式運河です。

 見沼通船堀沿いを歩いて来る事およそ1km、運河は見沼代用水東縁と交わります。





木曽呂の富士塚
 木曽呂の富士塚

 写真の突き当りが運河と用水路の交わる地点、その先に見えているこんもりとした林は木曽呂の富士塚です。運河を後にして、ここからは用水路沿いに歩いて行きます。突き当たりを左へ。





見沼新田橋
 見沼新田橋

 が、しかし、ここでちょっと寄り道。折角だから木曽呂の富士塚見物とゆきましょう。用水路を右手に見て100mほど進むと用水路に架かる橋、見沼新田橋があります。右折してこれを渡り、突き当たりを更に右折。





木曽呂の富士塚
 木曽呂の富士塚

 高さ5.4m、直径20mになるミニ富士山の麓までやって来ました。この富士塚は、江戸時代末の1800年に当時の富士講信者達に依って築造されたもので、国の有形民俗文化財に指定されています。

 無事に富士登山を終えたら先ほどの見沼新田橋まで戻り、用水路を右手に眺めて先へと進んで行きましょう。





見沼代用水沿いを進む
 見沼代用水東縁沿いを進む

 ここから暫くは見沼代用水東縁沿いの散策が続きます。この辺りは昔、徳川吉宗に依る新田開発のために広大な水田地帯が広がっていました。現在は田圃こそあまり見られませんが、当時が偲ばれる様な風景は各所に見受けられます。





川口自然公園入口
 川口自然公園入口

 木曽呂の富士塚をあとにして用水路沿いを歩くこと約30分、左手に大きな公園の入り口が見えて来ました。ここは川口自然公園。今日はゴールデンウィーク中の1日とあって、入口の前まで路上駐車の車でギッシリ。ちょっと中を覘いてみましょう。





川口自然公園
 川口自然公園

 湿地をうまく利用したこの公園、まるで尾瀬ヶ原のよう。





芝生広場で小休止
 芝生広場で小休止

 大きな公園では定番の芝生広場がありました。今日のコース中には食事が出来る様な店や施設はあまり多くないので、予めコンビニで弁当を仕入れて来ています。この辺でランチタイムと言うことに。





それにしてもこの路駐の数・・・
 それにしてもこの路駐の数・・・

 腹ごしらえを終えたら再スタートです。川口自然公園を出て、公園前に並んだ路上駐車の車の列を尻目に、再び用水路沿いの道を進んで行きましょう。





左の道に入る
 左の道に入ると・・・

 川口自然公園から10分くらい歩いた先、道の左側に見沼自然の家の道標が建っています。





見沼自然の家
 見沼自然の家

 ここは古民家を一般に開放して、自然観察をする時などに利用して貰おうというもので、川口市が管理しています。今日も何組かの家族連れやグループが、持参したお弁当を食べていました。





用水路沿いの散策
 用水路沿いの散策

 引き続き用水路を右手に眺ながら、のどかな散策を続けましょう。





公園橋
 公園橋

 見沼代用水東縁沿いを、延べ3.5kmほど歩いて来ました。右手に見えてきた橋の名前は公園橋。ここからは大崎公園に入って行く事が出来ます。





サイクルモノレール
 大崎公園内

 入園無料の大崎公園には、子供動物園やサイクルモノレールなどの遊具設備も揃っていて、子供連れには嬉しい施設です。





レッサーパンダ
 大崎公園のレッサーパンダ

 子供動物園とは言え人気のレッサーパンダなどもいて、充実した内容はおとなも案外楽しめます。





園芸植物園
 園芸植物園の洋ラン

 隣接した敷地には同じく公園施設として園芸植物園もありますが、こちらは大人向き。





用水路沿いの道を進む
 用水路沿いの道を進む

 大崎公園内をゆっくり1周した後、又また見沼代用水沿いの道まで戻って来ました。用水路沿いに先へと進みます。





浦和くらしの博物館への指導標
 浦和くらしの博物館への指導標

 200mほど歩くと、左方向に道が分かれています。指導標には「浦和くらしの博物館民家園」の文字が。指導標に従ってここは左折。





車両通行止めでも歩行者はOK
 車両通行止めでも歩行者はOK!

 道沿いに進むと車両通行止めの鉄柵が立ちはだかりますが、右端には歩行者用の通路入口があって、通り抜けが出来る様になっています。





歩行者通路の出入口と国道
 歩行者通路の出入口と国道

 そのまま、さいたま市のごみ処理施設である「クリーンセンター大崎」の敷地内を通り抜けて来ました。歩行者用通路が終わると突き当たりは国道463号線です。これを右折。





浦和くらしの博物館民家園
 浦和くらしの博物館民家園 入口

 間もなく国道の左側に、古民家が顔を覗かせているのを発見。さいたま市が運営する野外博物館、浦和くらしの博物館民家園の入口です。入園無料。





旧浦和市農協倉庫
 旧浦和市農協倉庫

 園内では、昔この周辺に建てられていた価値ある古い建築物が移築、公開されています。

 写真の旧浦和市農協倉庫は大正8年の建立です。





旧綿貫家住宅と旧高野家住宅
 旧綿貫家住宅と旧高野家住宅

 左側瓦屋根の建物は旧綿貫家の住宅、右側茅葺き屋根の建物は旧高野家の住宅です。





高野家住宅内部
 高野家住宅内部

 高野家は明治の初め頃から煎餅店を営んでいました。これがその店内。





綿貫家住宅内部
 綿貫家住宅内部

 綿貫家は肥料や雑貨を扱っていた商家で、この建物は江戸時代末から明治初め頃の建築と云われています





江戸時代の古民家が並ぶ
 江戸時代頃の古民家が並ぶ

 茅葺屋根の古民家が並ぶ風景は、まるで江戸時代の農村に迷い込んだよう。





念仏橋バス停
 念仏橋バス停

 民家園すぐ先の国道沿いには、今日のゴール念仏橋バス停がありました。ここからバスに乗車すれば、JR京浜東北線の浦和駅などに出られます。









★交通 JR武蔵野線 東浦和駅下車
★歩行距離 約 8.0 km



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