隅田公園と向島
2008年2月
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東京メトロ浅草駅出口 |
今日はひとまず東京メトロ銀座線浅草駅の4番出口に出て来ました。そしてここから、水上バスの浅草乗船場前へ向かいましょう。 |
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水上バス乗船場前 |
目の前の浅草通りを渡ると、吾妻橋のたもとにある水上バス乗船場はすぐそこです。吾妻橋の下を流れる川は隅田川、川向こうにはアサヒビールの本社ビルが見えています。 |
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隅田公園 |
乗船場に向かって左、川上の方向へと歩いて行きましょう。この辺りの隅田川沿いは隅田公園として整備されていて、この先も1km程続きます。今日はここでフリーマーケットが開かれる様で、皆が準備を始めています。 |
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言問橋 |
やがて前方に見えてくる、真っ直ぐにのびた力強い橋は言問橋です。第2次大戦末期の東京大空襲では、この辺りの地域も沢山の被災者を出しました。 |
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戦災被害者の碑 |
そのため、言問橋を過ぎた先には戦災被害者の慰霊碑が建っています。 |
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梅園の梅 |
隅田公園では来週から梅まつりが始まりますが(取材時)、今年の冬は厳しい寒さが続いているので、公園内の梅園の梅にはまだまだ蕾がいっぱいです。 |
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正岡子規の碑 |
明治の俳人、正岡子規の碑を見つけました。
「雪の日の隅田は青く都鳥」
ここに記されている都鳥(みやこどり)とはユリカモメのことで、冬になるとこの隅田川にも沢山のユリカモメが渡ってきます。因みにユリカモメは東京都が「都の鳥」として、都鳥(とちょう)に指定しています。
ややこしい・・・。 |
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唱歌 「花」 の碑 |
子規の碑と並んで建っているのは、春のうららの隅田川で始まるお馴染み滝廉太郎作曲の唱歌「花」の碑で、作詞をした武島羽衣自筆の文字が刻まれています。 |
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桜橋 |
川沿いの隅田公園を更に進んで行きましょう。やがて目前には黄色い橋が見えてきました。歩行者専用の橋、桜橋です。 |
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X字型をした桜橋 |
昭和60年3月に完成したこの桜橋、上から眺めるとこの様にX字型のユニークなデザインになっています。その為かどうか、ドラマ等のロケにもよく利用されています。 |
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桜橋を渡る |
北野(武)映画の人気作品「菊次郎の夏」でも、オープニングとエンディングの長いカットでこの橋が久石譲のテーマ曲と絡んで使われていて、最も印象的なシーンのひとつになっていました。
・・・と言う事でこの桜橋を渡って、隅田川の向こう岸へ移ることにしましょう。橋の途中では沢山の白い鳥を見掛けました。これが正岡子規の碑にもあった「都鳥」ことユリカモメです。 |
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桜橋のユリカモメ |
ところで、平安時代の前期頃に作られていた伊勢物語にはこんな件があります。
京の都に暮らすある男。男は自分の存在が都では無用であると思い込み、友人数人と都を後にして放浪の末ここ隅田川に辿り着きます。一同、都に残した恋人を想い郷愁に浸って川の渡し船に乗っていると、口ばしと脚が赤い、見知らぬ白い鳥を見つけました。 |
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桜橋のユリカモメ |
船頭に尋ねると都鳥だと教えてくれたので男は、「都鳥と言う名ならお前に尋ねるけれど、都に残した愛しい人は、今も無事に暮らしているのか教えておくれ。」と歌に詠みます。すると船に乗っていた人々は皆泣いてしまいました。(東下りより)
この事からも、今より1000年以上も前に、この辺りにはもう既にユリカモメが渡って来ていた事を推し量る事が出来ます。 |
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桜橋から言問橋を望む |
因みにこの近くには業平と言う街がありますが、この地名は男が詠んだ歌の実際の作者在原業平(ありわらのなりひら)から、また少し前に見てきた橋、言問橋の名もこの和歌に因んで名付けられました。 |
名にし負はば
いざ言問はむ都鳥
わが思ふ人はありやなしやと
在原業平 |
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墨田区へ |
桜橋を渡り切ると下り階段となり、頭上を首都高速道路が走ります。台東区浅草から墨田区向島に入って来ました。 |
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信号を左へ |
階段を下りた後は、少し先にある最初の信号を左に折れましょう。 |
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向島花街の料亭 |
大きな料亭がありました。この界隈は都内有数の花街としても有名です。 |
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弘福寺 |
100m程歩いた先の左側にある寺は弘福寺。隅田川七福神の布袋様の像が安置されています。 |
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翁婆尊 |
境内にあるこのお爺さんとお婆さんの像は翁婆尊と言って、案内板に依ると口の病気は左側のお爺さんを、咳がひどい時は右側のお婆さんを拝むと良くなるらしい。 |
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長命寺 |
弘福寺から更に50mほど先の並びには、隅田川七福神の弁天様を祀った長命寺があります。本堂の前には何かが沢山並んでいますが、いったい何でしょう? |
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園児の展覧会? |
境内に併設された幼稚園の園児が作った、工作の作品でした。 |
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交差点を左へ |
長命寺を後にして先へと進むとすぐそこには、向島五丁目の小さな交差点があるのでここは左へ。そしてすぐに墨堤通りという広い通りに合流します。 |
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首都高速の電光板の先を右へ |
墨堤通りを300m程歩くと、首都高速道向島入口の電光掲示板が見えます。この電光板ゲートをくぐったら、墨堤通りを外れてすぐに右へ入りましょう。 |
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変形五差路 |
目の前は形のくずれた変形の五差路になっています。写真では分り難いですが、手前から2本目の右側の路地へ入ります。 |
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鳩の街通り商店街 |
ここから先は鳩の街通り商店街という、商店と住宅が混在する狭い通りが続きます。嘗てこの界隈は国のお墨付きで合法的に売春営業が出来た、いわゆる赤線と呼ばれる地帯でしたが、今では往時の名残は全くありません。 |
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水戸街道 |
300m余りの鳩の街通り商店街を抜けると、国道6号線の水戸街道に突き当ります。ここは左へ。 |
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地蔵坂通り商店街 |
国道を更に300m程歩くと東向島3丁目の交差点があります。ここを左折して、鳩の街通り商店街と並行する様に延びる地蔵坂通り商店街へと入って行きましょう。 |
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再び墨堤通りへ |
約400m程の地蔵坂通り商店街を抜けると、墨堤通りに再び突き当ります。 |
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子育地蔵尊 |
そして墨堤通りへ入る手前の右側には子育地蔵尊があります。 |
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お堂に祀られた子育地蔵 |
案内板に依るとこの子育て地蔵は、19世紀初めの江戸時代末期頃、隅田川の堤防工事の折りに土の中から発見されたものだとか。 |
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白鬚神社 |
墨堤通りに入って更に進むとやがて右側に白鬚神社が見えてきました。ここには隅田川七福神のうちの長寿の神様、寿老人が祀られています。 |
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白鬚橋東詰交差点、目の前は明治通り。 |
白鬚神社のすぐ先の交差点は、白鬚橋東詰交差点。ここを右折して明治通りに入りましょう。 |
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向島百花園の白い塀 |
明治通りを5分程歩いた右側に、向島百花園の白い塀が見えてきます。ところで園内の梅まつりを告知する横断幕が見えますが、今年は平成20年なのに表記が1年違ってます!
重箱の隅をつついてしまった・・・ |
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塀沿いに裏手へ廻る |
塀に掲げられた案内地図に従い、塀沿いにぐるっと廻り込んで裏手に入りましょう。 |
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向島百花園入口 |
向島百花園の入口がありました。入園料金一般150円を払って中へ。 |
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向島百花園 |
園内の案内板などに依るとこの百花園は、1805年頃に江戸在住の骨董商が武家屋敷跡を買い取って、花園を造ったのが始まりなんだとか。 |
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明治41年に建てられた福禄寿の石碑 |
更に園主は元々ここに福禄寿を祀っていたため、それがそもそもの切っ掛けとなって隅田川七福神が出来上がったのでした。と言う訳でこの百花園も、隅田川七福神のひとつです。 |
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百花園入口前の道を真っすぐに進む |
百花園でひと休みしたらそろそろ出発。門を出て目の前の道を左へ。さっきここまで来る時に歩いて来た道です。この道を真っすぐに歩いて行きます。 |
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明治通りを渡ってそのまま進む |
曲がらずに歩いてくると、200m足らずで明治通りの百花園入口の交差点になります。ここは通りを渡って、更にそのまま真っすぐ進みましょう。 |
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突然電車が出現! |
すく先にある東武鉄道のガードを潜ると、突然左側から電車車両が現れました。 |
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東武博物館 |
ここは東武博物館。むかし実際に使用されていて、現在は現役から退いてしまった電車やバスなどの車両が展示されている他、運転シュミレーターでバーチャル操縦が出来たり、関東平野のパノラマ内で精密なミニュチア模型をデモ運転させたりしています。 |
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展示車両内部 |
さっき表を歩いていて突然現れた電車車両も、車両の中に入ることが出来ます。その他色々で、おとなでも結構楽しめました。入館料大人200円。 |
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東武博物館前。隣は東向島駅。 |
東武博物館のすぐ隣は東武伊勢崎線東向島駅。今日のゴールに到着です。 |
★交通 |
東京メトロ銀座線浅草駅下車
または、
東武伊勢崎線浅草駅下車など。 |
★歩行距離 |
約 5.5 km |
周辺地図
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