増上寺と愛宕山

2011年4月






 
 JR浜松町駅北口前
 JR浜松町駅北口前

 山手線と京浜東北線が乗り入れるJR浜松町駅。北口の改札を抜けて左方向へと進み、駅前に出て来ました。





 芝・増上寺参道
 芝・増上寺参道

 駅前を走るこの大通りが、芝の増上寺へと到る参道です。たくさんの車が行き交う通りの正面には、かすかに増上寺本堂の瓦屋根が顔を覗かせています。





 世界貿易センタービル
 世界貿易センタービル

 駅前に立ちはだかる40階建ての超高層ビルは、世界貿易センタービル。昭和45年竣工のこの建物、オープン当時は日本一の高さを誇った事もある、国内における超高層ビルの草分け的存在です。





正面には東京タワーが 
 正面には東京タワーが

 それでは、増上寺を目指して参道を歩いて行く事にしましょう。進行方向には東京タワーも見えています。





 増上寺大門
 増上寺大門

 浜松町駅前からおよそ400m、増上寺の大門前までやって来ました。参道に建てられたこの門は、昭和に入って再建された比較的新しい建物です。





三解脱門 
 三解脱門 (重文・国)

 大門を抜けるとその先正面にあるのが、国の重要文化財に指定されている三解脱門(三門)。ここから先が増上寺の境内となります。1622年再建。





黒門 
 黒門

 三解脱門の左手脇で対照的にっそりと控えるのは、17世紀の造立と言われる黒門。名前の由来は、元々全体が黒漆塗だった為。





大殿 
 大殿

 境内の中央で、東京タワーとツーショットでカメラに収まる大殿。寺の本堂です。

 ここ増上寺は1393年の創建になる浄土宗の大本山で、上野の寛永寺と共に徳川将軍家の菩提寺として知られ、歴代将軍15人のうちの6人が埋葬されています。





大梵鐘 
 大梵鐘

 高さ約3メートル、重さ約15トンもの大梵鐘は1673年の鋳造。写真では伝わり難いのですが、いやぁー かなりの迫力モノです。案内板によると、東日本で最大級の大きさなんだとか。





 経蔵
 経蔵

 土蔵造りの白い経蔵がありました。江戸幕府の助成によって、1605年に建立されたものです。





 将軍墓所入口
 将軍墓所入口

 ここは将軍墓所への入口。この門の向こう側では6人の将軍と共に徳川将軍家の人々が眠っているのですが、残念ながら特別公開日を除き通常は非公開。因みにこの門は、6代将軍家宣の旧霊廟の中門として、1712年に鋳造された青銅製の門を移築したものです。





将軍墓所内 
 将軍墓所内

 これは別の機会に撮影した、特別公開日の将軍墓所内の様子。戦前まで増上寺の敷地内には荘厳で広大な徳川将軍家の霊廟が存在したのですが、昭和20年の空襲でほとんどを焼失してしまったため、辛くも焼け残った宝塔などと共に遺骨をこの場所へ移し、改葬したのでした。





 14代家茂(右)と和宮(左)の宝塔
 14代家茂(右)と和宮(左)の宝塔

 14代将軍家茂と正室和宮が眠る宝塔です。右側の将軍のものは石塔で、左側の奥方のものは青銅製。夫婦仲が良かったとされる二人、お墓も仲良く並んでいます。 ところで、和宮の宝塔をよく見ると・・・ ややっ! 葵の御紋ではなくて菊の御紋を発見。





 和宮の宝塔をよく見ると・・・
 和宮の宝塔をよく見ると・・・

 皇室から嫁いで来たからなんですが、増上寺の案内パンフレットによると、亡くなったら家茂の傍に葬ってほしいとの和宮本人の遺言から、没後遺体を京都へ戻す旨の政府からの指示を増上寺側が拒否して、この墓所に祀られたのだとか。





 2代秀忠・江 夫妻の宝塔
 2代秀忠・江 夫妻の宝塔

 こちらは2代将軍秀忠と、正室お江の方が眠る墓。家茂夫妻の墓とは違い、この二人は何故ひとつの宝塔に祀られているのでしょうか?

 本来の秀忠の宝塔は木製だったので、残念ながら昭和20年の空襲で焼けてしまい、石塔のために戦災を免れたお江の方の宝塔へ、一緒に祀られたのでした。





 四菩薩像
 四菩薩像

 と、言う事で墓所内をちょっと覗いてみましたが、既記のようにこれは別の機会に撮影したもの。今日のところは墓所の近くに並んだ1258年建立の四菩薩像を横目で眺めながら、固く閉ざされた墓所入口前を素通りです。





 三解脱門を抜けて右へ
 三解脱門を抜けて右へ

 境内をゆっくりひと回りして、三解脱門まで戻って来ました。この辺で増上寺をあとにしましょう。三門を抜けて右へ





日比谷通りを進む 
 日比谷通りを進む

 増上寺前を走る通りは日比谷通り。増上寺を右に見て、通りをそのまま進んで行きます。





 旧台徳院霊廟惣門 (重文・国)
 旧台徳院霊廟惣門 (重文・国)

 間もなく右手に現れたこの門は、増上寺旧境内の2代将軍秀忠の霊廟にあった門で、旧台徳院霊廟惣門。これも、増上寺の戦災を免れた貴重な文化財の内のひとつです。1632年建立。





 惣門の仁王像 (阿形像)
 惣門の仁王像 (阿形像)

 惣門内に安置されている仁王像は、18世紀前半に制作された物と言われています。この仁王像、そもそもここにあったものではなく、現在の埼玉県のとあるお寺に安置されていたものが、昭和に入り東京の浅草寺を経てここへ移されたのだとか。





都立芝公園 
 都立芝公園

 旧台徳院惣門を過ぎると、増上寺の敷地を取り囲むようにして点在する都立公園、芝公園があります。





 芝東照宮
 芝東照宮の鳥居

 更にその先の右側に見えている大きな鳥居は、徳川家康を祀った芝東照宮の鳥居。





 芝東照宮
 芝東照宮

 元々はこの辺り一帯も増上寺の境内でした。当時の寺の広大さが窺えます。





丸山古墳 
 丸山古墳

 芝東照宮の隣に、こんもりとした小さな丘陵を発見。高さ大きさは丘でも名前は丸山。頂上には古墳が造られていて、斜面では貝塚が発見されています。





 増上寺方向へ戻る
 日比谷通りを引き返す

 丸山古墳まで来たところで、日比谷通りを増上寺方向へ引き返す事にしましょう。三門前まではおよそ400m。





 東京プリンスホテル
 東京プリンスホテル

 三門まで戻って、更に先へ。左手に見えているのは東京プリンスホテル。昭和39年、増上寺の境内跡地に建てられたホテルです。





有章院霊廟二天門 (重文・国) 
 有章院霊廟二天門 (重文・国)

 そしてそのすぐ先、日比谷通り沿いの左側で見つけたこの二天門。わずか4歳で将軍となり6歳で夭折した、7代将軍家継の霊廟にあった有章院霊廟二天門です。





 芝郵便局の角を左折
 芝郵便局の角を左折

 日比谷通りを、更に400m余り歩いて来ました。左手に芝郵便局が見えたら、その角を左へ折れましょう。





 愛宕隧道
 愛宕山と隧道

 300m程先の正面に立ちはだかっているのは、愛宕山愛宕隧道。愛宕山は標高26m、東京23区内では最高峰の山です!

 同じく23区内には新宿区に標高45mの箱根山がありますが、こちらは人造の山。愛宕山は自然にできたホンモノの山です。





 エレベーター乗り場
 エレベーター乗り場

 愛宕隧道脇には、「山頂」へと至る階段とエレベーターが設置されています。オジサンは少々疲れ気味なので、今日のところはエレベーターで「山頂」へ。

  トホホ・・・





 NHK放送博物館
 NHK放送博物館

 山頂にあるのはNHK放送博物館。大正14年7月、この愛宕山にあった放送局からラジオの本放送が始まり、以来愛宕山は「放送のふるさと」と呼ばれるようになりました。





 体験スタジオ
 体験スタジオ

 この事もあって、昭和31年この地にNHKが博物館を作ったのでした。館内では様々な展示物や利用自由のライブラリーなどから、放送の歴史を詳しく知る事が出来ます。入館無料。





愛宕神社社殿 
 愛宕神社 社殿

 愛宕山の山頂で、NHK放送博物館と隣同士に並んでいるのは愛宕神社。防火、防災に霊験あらたかだとか。





出世の石段 
 出世の石段

 愛宕山の頂上から麓まで一気に86段で下るのが、別名出世の石段と呼ばれる愛宕神社のこの石段。あまりに急で、上から覗くとジョーダン抜きに足がすくみます。ところで何故出世の石段なのかと言うと・・・





 下から見上げると怖くないゾ
 下から見上げると怖くないゾ

 昔むかし、四国は讃岐の武士で曲垣平九郎と言う馬術の名人が、将軍徳川家光の目の前で馬に乗ってこの石段を一気に駆け上り、その為に大出世をしたという、講談でも語られるお話に因んでいるからでした。





 石段を下って鳥居の先を右折
 石段を下って鳥居の先を右折

 「じゃぁ、出世の階段を下ると出世の逆さまになっちまうじゃぁないか・・・ まー今さら出世なんかどーでもいいか・・・」

 などと、つまらん事を考えながら石段を下りて来ました。鳥居を抜けて通りを右へ。





 西新橋三目交差点を左折
 西新橋三目交差点を左折

 愛宕神社をあとにして、およそ300m。歩道橋がある西新橋三丁目交差点を左折。





 地下鉄御成門駅入口
 地下鉄御成門駅入口

 間もなく前方に、都営地下鉄三田線の御成門駅入口が見えて来ました。









★交通 JR山手線・京浜東北線 浜松町駅下車
★歩行距離 約 4.0 km



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