草加松原遊歩道
2012年11月
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東武スカイツリーライン 新田駅 |
今日やって来たのは埼玉県の草加市。ここ東武スカイツリーライン(東武伊勢崎線)の新田駅をスタートし、松並木の遊歩道を経て、二駅東京寄りの草加駅まで歩きます。 |
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駅前商店街へ |
先ずは新田駅の東口に出て、駅前ロータリーの向こう側真正面に見えている商店街へと入って行きましょう。 |
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新田ふれあいロード商店街 |
商店街の入口ゲートに掲げられた横断幕には「新田ふれあいロード商店街」の文字が。今の時刻はまだ午前10時、どの店もオープン前とあって、人通りはまばらです。 |
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県道を右へ |
間もなく突き当りに見えて来る道は、埼玉県道49号足立越谷線。これを右へ。 |
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県道を進む |
県道49号線は日光街道です。そして前方で交差している高架は東京外環自動車道。 |
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草加松原遊歩道入口 |
東京外環自動車道との交差点を抜けるとすぐに、斜め左側へ分かれて行く道がありました。これが草加松原遊歩道の北側の入口になります。 |
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花崗岩のオブジェ |
遊歩道へ入るとすぐに、花崗岩で作られたドーナッツ型のオブジェが出現。傍らに建つプレートには「草加松原 ・ 北端」と記されています。 |
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綾瀬川と遊歩道 |
案内板によると、草加松原は江戸の昔は千本松原とも呼ばれ、日光街道の名所とされていました。 |
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草加松原遊歩道 |
そして、今歩いているこの遊歩道は嘗ての草加松原を整備して造られたもので、左右にそれぞれ綾瀬川と県道49号線を従えて南北 1.5kmに延びる、およそ600本の松が植えられた松並木の散歩道です。 |
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綾瀬川に架かる橋 |
左手に流れる綾瀬川で、いにしえの木橋をイメージさせるクラシックな橋を発見。欄干の親柱には「なかぞねはし」の文字が。ちょっと気になるので撮影。 |
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水原秋桜子の句 |
この石碑には俳人水原秋桜子の草加を詠んだ句が刻まれていました。
草紅葉 草加煎餅を 干しにけり
草紅葉っていう季語はちょうど今頃の事なんですかねぇ。なんかうまいタイミングでした。 |
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百代橋 |
この太鼓橋、実は歩道橋なんです。おそらく江戸時代の日光道中をイメージしたものなんだろうと思うんですが、橋の名前は百代橋と言って、草加のシンボルにもなっているんだそうです。 |
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百代橋を越えて |
月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり
松尾芭蕉「奥の細道」冒頭の一節ですが、百代橋の名はここから取られました。江戸深川を船で発った芭蕉は千住の宿で下船し、そこから「奥の細道」の旅が始まります。 |
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松尾芭蕉の石碑 (左) |
つまり150日間、およそ2,400kmに及んだ東北・北陸への前途多難な長旅のスタートは、この日光道から始まったのでした。そんな訳で百代橋を越えるとすぐに、松尾芭蕉の石碑も建てられていました。 |
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綾瀬川に架かるハープ橋 |
左手に流れる綾瀬川に、又また気になる橋を見つけました。ハープ橋です。 |
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ハープのブロンズ像 |
橋の欄干に、可愛らしいハープのブロンズ像がたくさん据え付けられています。 |
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矢立橋 |
さっきの百代橋とそっくりな太鼓橋が再び現れました。こちらは矢立橋。この様な橋を造る事で、前方の交差点も楽しく渡れるように趣向が凝らされているんですね。 |
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矢立橋最上部からの眺め |
矢立橋の最上部から行く手を眺めると、遊歩道と綾瀬川が大きく左へカーブするのが見えます。あのカーブしたところにある札場河岸公園が、草加松原遊歩道の南端という事になります。 |
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日本の道百選の碑 |
綾瀬川と一体となった草加松原遊歩道は旧建設省(現・国土交通省)が選定した「日本の道百選」のひとつで、それを記念したのがこの石碑。デザインは埼玉県の県土の形になっていて、右下に埋め込まれたシルバーのプレートが草加市の位置です。 |
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札場河岸公園 入口 |
札場河岸公園の入口前までやって来ました。全長1.5kmの草加松原遊歩道ともここでお別れ。 |
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松尾芭蕉 像 |
折角なので公園の中を見て行きましょうか。公園の入口脇に建っているのは、既記の様に日光道と縁の深い「奥の細道」の作者、松尾芭蕉の像。 |
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望楼 |
遠くを見渡すためのやぐらだった望楼が、公園内に再現されていました。この望楼、靴を脱いで中に入って最上部まで上って行けます。好奇心旺盛なワタクシは、早速上ってみる事に。 |
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最上部からの眺め |
この望楼、埼玉県産のスギやヒノキを使って造られていて、高さは11.1m。草加市を一望できるという最上部から公園内を見下ろすと、こんな感じであります。 |
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正岡子規の句碑 |
正岡子規の句碑がありました。
梅を見て 野を見て行きぬ 草加まで
明治27年3月、高浜虚子と共に上野の根岸から歩いてこの草加を訪れた時に詠んだ句です。 |
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札場河岸 |
河岸とは船着場のこと。公園の名前にも付けられたこの札場河岸は、江戸時代にこの地域の物流の要だった綾瀬川舟運の回船場所として賑わったといわれ、その河岸が公園内に再現されています。 |
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綾瀬川と矢立橋 |
案内板によると、綾瀬川の舟運は昭和30年代まで続いていたのだとか。川越しに見える矢立橋を眺めていると、活気に溢れていた頃の綾瀬川の面影が感じられるような気がします。 |
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県道49号線 |
札場河岸公園をあとにして、今度は草加松原遊歩道と並行して走っている県道49号線・日光街道を再び歩きましょう。 |
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右へ分かれる道は旧日光街道 |
県道を歩くこと100m足らず。ここ神明町の交差点で右へと分かれて行く道は、日光街道の旧道。横断歩道を渡って旧日光街道へ。 |
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草加煎餅発祥の地 |
草加と言えば煎餅の街。旧街道入口の右側に、大きな石碑を見つけました。「草加せんべい発祥の地」と刻まれています。その昔、江戸時代の草加松原におせん婆さんの営む茶屋があって、ここで売れ残った団子を天日で乾かし、焼き餅にして売ったところ大評判になった事が草加煎餅のルーツなんだとか。まぁ、事実というよりおせん婆さん伝説といった感じですかネ。 |
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河合曽良 像 |
次に旧街道の左側へ目をやると、笠を被った人物のブロンズ像が建っていました。この人は河合曽良。松尾芭蕉の「奥の細道」の旅に同行した弟子です。札場河岸公園に建つ、こちら側を振り返った松尾芭蕉像の方角を向いて、手を差し伸べています。ちょっと凝った演出でありました。 |
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旧街道を進む |
県道から旧街道へと入って来ると、車の交通量もグッと減って来ます。 |
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久野家住宅 |
間もなく街道が大きくカーブする辺りの右側に、木造切妻造りの建物が見えて来ます。これは久野家住宅。案内板によると、1855年の安政大地震にも耐えたとあるので、少なくとも150年以上前の建物と思われます。 |
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東福寺へ |
神明町の交差点から旧街道に入っておよそ300mほど歩いて来ると、両脇に2本の石柱が建った右方向へと分かれる狭い道があります。石柱には松寿山東福寺の文字が。 |
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東福寺参道 |
右折して旧街道を外れ、住宅地の中を延びるこの東福寺の参道を歩きましょう。正面突き当りには山門と本堂が見えています。 |
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東福寺山門 |
松寿山東福寺は1606年の創建になる、草加の古刹。 |
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東福寺鐘楼 |
境内に建つ鐘楼は1862年に造立された建築物で、草加市に残る貴重な文化財のひとつです。 |
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山門前の道を進む |
東福寺の山門に突き当ったら左折、山門前の道を進みます。 |
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すぐに右折 |
100m足らずでまた突き当りになるので、今度はこれを右折。 |
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正面は東武線の高架 |
その先正面には東武スカイツリーラインの高架が見えています。またしても突き当り。ここは左折して東武線沿いに進みましょう。 |
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駅前一番通り |
この通りは駅前一番通り。東武線草加駅の駅前商店街でした。という事は、草加駅ももう間近。 |
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草加市立歴史民俗資料館 |
通りの左側に、古めかしいコンクリート造りの建物を見つけました。これは1926年竣工の旧草加小学校西校舎。コンクリート造りの校舎としては、埼玉県内最古のものです。 |
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資料館内展示物 |
この建物は現在、草加市立歴史民俗資料館として利用されています。入館無料。 |
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巨大アンモナイトもあります |
館内には、郷土の貴重な民俗資料や歴史資料などが多数保管されています。 |
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古写真 |
館内展示品には地元で出土された土器や昔使われていた農具などから、古本、古写真や昔のおもちゃ、ゲーム、はたまた巨大アンモナイトまで、沢山の興味深い品物が所狭しに、これでもかと並べられていて、眺めていたら時間を忘れてしまいました。 |
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突き当りを右へ |
資料館を出たら、再び駅前一番通りを先へと進みます。 |
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草加駅前ロータリー |
そして突き当りを右折すると、東武スカイツリーライン草加駅の駅前ロータリーに到着です。 |
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おせんさん |
駅前ロータリーには、煎餅を焼く女性の像がありました。これは草加煎餅のシンボル、あのおせんさん。伝説のおせんさんはお婆ちゃんの筈なんですが、こっちはグッと若い! しかも現代人でした。 |
★交通 |
東武スカイツリーライン新田駅 下車 |
★歩行距離 |
約 4.0 km |
周辺地図
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