千住と旧日光街道

2006年6月






 
南千住駅前
 南千住駅前

 江戸時代のいわゆる五街道のうち日光街道と奥州街道は、宇都宮宿までは同じ道のりでした。そして、お江戸日本橋を発って最初に到着する宿場町が千住。今日はこの千住を、ほぼ街道に沿って歩きます。先ずはJR南千住駅の西出口から出発。





高架沿いに進む
 高架沿いに進む

 駅前の鉄道高架沿いの道を、高架を左に見ながら三河島、日暮里方向へ歩いて行きます。





回向院
 回向院

 少しして通りを隔てた正面に見えてくる、紋を掲げた白い建物は小塚原回向院両国回向院の別院で、元々近くにあった小塚原刑場で処刑された人々を供養するため、1667年に創建された寺です。





吉展地蔵尊
 吉展地蔵尊

 昭和38年、当時4歳になる男の子が身代金目的で誘拐、殺害されました。男の子の名前をとって吉展ちゃん事件と呼ばれたこの誘拐事件、間もなく捕まった犯人の自供により、この回向院近くにある別の寺の墓地から被害者の遺体が発見されます。そしてその後、亡くなった男の子を供養するため、発見場所となった寺とここ回向院の2ヵ所にお地蔵様が建立されました。





ガードをくぐる
 ガードをくぐる

 このあとは、近くにある小塚原刑場跡へ向かいましょう。先ずは、回向院前の通りと交差するJR鉄道高架のガード下をくぐります。





陸橋の階段手前を右へ
 陸橋の階段手前を右へ

 正面に陸橋の階段が見えたら右へ折れると延命寺(小塚原刑場跡)です。





延命寺 首切地蔵
 延命寺 首切地蔵

 江戸時代、この場所は罪人を処刑するお仕置場と呼ばれた刑場で、江戸にはここの他、鈴ヶ森にもお仕置場がありました。そしてこの首切地蔵は、刑死者供養のために1741年に建立されたものです。因みにこの延命寺、昭和57年に回向院から独立したお寺です。





首切地蔵
 首切地蔵

 境内にある案内板によると、高さが4m近くあるこの首切地蔵、27個の花崗岩を組み合わせて作られたのだそうで、近くに寄ってよく眺めてみると、ひとつ一つのパーツを合わせてあるのがよく分かります。





日光街道へ
 日光街道へ

 回向院の前まで戻り、日光街道への標識に従って回向院前の通りを進みましょう。10分ほど歩くと国道4号線(日光街道)の広い大きな通りに出ます。





素盞雄神社
 素盞雄神社

 国道を隔てた向こう側に見える鳥居は素盞雄神社(すさのおじんじゃ)の大鳥居。ちょっと立ち寄ってみましょう。





素盞雄神社
 素盞雄神社

 祀られているのは神話のヤマタノオロチ退治でお馴染みのスサノオノミコトと、大黒様の息子コトシロヌシノミコトです。





千住大橋
 千住大橋

 素盞雄神社をあとにして国道を左方向へ進みます。すぐに見えてくる鉄橋は千住大橋。隅田川に架かる橋です。そして橋を渡った先には大橋公園があります。





大橋公園
大橋公園

 公園の階段を下って、橋の下まで下りてみましょう。1689年、松尾芭蕉は深川から船で川を上り、この辺りから陸路奥の細道へと旅立ちました。言ってみればここは歴史的な旅のスタート地点と言えます。





旧街道へ
 旧街道へ

 千住大橋を渡ると間もなく、国道の日光街道を左に分けて、右へと入って行く道があります。これが旧日光街道。ここからは、この旧道に沿って歩いて行きます。





東京都中央卸売市場 足立市場
 東京都中央卸売市場 足立市場

 江戸時代、旧道の両側は青果物の問屋が建ち並び、やっちゃ場と呼ばれて賑わいました。今でもやっちゃ場の名残のように、旧道へ入ったすぐ右手には足立市場があり、水産物の卸売りをしています。





松尾芭蕉像
 松尾芭蕉像

 昔この辺りは、日光道中の千住宿でした。既記の様に奥の細道のスタート地と言うことで、ご覧のように松尾芭蕉もにっこり笑顔で立っていました。





千住宿歴史プチテラス
 千住宿歴史プチテラス

 旧道を歩いて行くと間もなく左手にあるのが、使用料無料の蔵造りのギャラリー、千住宿歴史プチテラス。千住宿で紙問屋を営んでいた横山家が所有していた江戸時代末期に造られた蔵を、平成5年に解体移築したものです。





河原稲荷神社
 河原稲荷神社

 千住宿歴史プチテラスの少し先の路地を、左へ100m程入ったところにあるのは河原稲荷神社





狛犬 狛犬
 狛犬

 なんでも、ここの狛犬は足立区内最大の大きさだとか。確かにでかい





当時の商いを表す看板 当時の商いを表す看板
当時の商いを表す看板 当時の商いを表す看板
 当時の商いを表す看板

 巨大狛犬見物を終えたら、旧街道に戻りましょう。

 街道を歩いていると目につくのは、それぞれの家や建物に掲げられている古めかしい木製の看板。これには宿場町として賑わっていた頃の、それぞれの家の商売や屋号が表されています。





問屋場 貫目改所
 問屋場 貫目改所

 何やら石碑を見つけました。ここは、千住宿の問屋場(といやば)貫目改所(かんめあらためじょ)があった場所です。案内板によると、当時の宿場は幕府の許可を得た旅行者に対して、人足と馬の提供が義務づけられていました。問屋場と貫目改所はこれらの手配や、馬に積む荷物の重量を計って、規定の重量を超えていないかどうかを調べたところです。





東京芸術センター
 東京芸術センター

 現在、問屋場貫目改所の跡地は、劇場やレストラン、会議室などが入った東京芸術センターとなっていて、当時の面影は全くありません。





横山家
 横山家

 木造の重厚な商家造りの家がありました。江戸時代から紙問屋を営んでいた横山家の住宅です。江戸時代後期に造られたもので、元々ここにあった蔵は移築され、先ほど見てきた千住宿歴史プチテラスに使用されています。





絵馬屋 吉田家
 絵馬屋 吉田家

 横山家のちょうど真向かいにあるのは、江戸時代の中頃からずっと絵馬などを描いてきた旧家の吉田家。ご覧のように、現在も絵馬屋を営み続けています。





立派な木造建築の民家
 立派な木造建築の家

 千住には古い木造家屋が、今まだ多く残されています。横山家住宅の少し先でも、とても立派で古い木造家屋を見つけ、思わずパチリ。





名倉医院の長屋門
 名倉医院の長屋門

 更に先へと進むと右手にあるのが名倉医院。名倉医院は1770年創業の整形外科で、この長屋門は江戸時代から保存されている木造建築です。





突き当たりを右へ
 突き当たりを右へ

 名倉医院前を過ぎると間もなく突き当たりになるので、右へ。コンクリート壁の向こう側には荒川が流れます。





北千住駅前
 北千住駅前

 少し先の正面にJRの鉄道高架が見えて行き止まりになるので、右の道へ。道なりに進んで行くと北千住駅前に出て来ました。









★交通 JR常磐線、または東京メトロ南千住駅下車
★歩行距離 約 4.5 km



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