高輪から白金台へ
2010年5月
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地下鉄泉岳寺駅A2出口 |
都営地下鉄浅草線を泉岳寺駅で降りて、A2出口に出て来ました。まずは駅名にもなっている泉岳寺を目指しましょう。 |
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通りの正面には寺の門が |
目の前の通りを右手方向へ歩いて行くと、正面突き当りにはもう泉岳寺の門が見えています。 |
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中門 |
通りから見えていた門は泉岳寺の中門。1836年に建てられたケヤキ造りの門です。 |
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山門 |
中門を抜けると、次に控える二階建ての大きな門は山門。1832年の建立です。 |
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大石(内蔵助)良雄 像 |
泉岳寺には、あの赤穂四十七士の墓所があることが広く知られています。お馴染み忠臣蔵の討ち入り話は説明の余地もありませんが、そのリーダー大石内蔵助の銅像が山門脇に建てられていました。大正10年作製。 |
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本堂 |
この泉岳寺は、1612年に徳川家康によって創建された曹洞宗の寺院です。 |
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本堂の扁額 |
本堂に掲げられている、文政二年(1819年)と記された扁額の文字は「獅子吼」。これは「ししく」と読むそうで、釈迦の説法という意味だとか。 |
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主税の松 |
案内板によるとこの松は、四七士のなかの大石主税など10人が切腹した時、頭上にあった松だと伝えられているものです。 |
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四十七士墓所への路 |
四十七士の墓所へは御覧のような通路で導かれていて、奥に見えている門を抜けると墓所になります。 |
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血染の石 |
通路の途中にあったこの石は「血染の石」。浅野内匠頭が切腹した時に近くにあった石で、その血がかかったと言われます。 |
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首洗井戸 |
この金網が被されている井戸は、義士が介錯した吉良上野介の首を主君浅野内匠頭の墓前に供えるために、ここで清めたと伝えられている井戸です。
実は同じような井戸が吉良上野介の上屋敷跡にも残っているんですが、どっちがホンモノなんでしょうかネ?? それとも吉良氏はふたつの頭を持ってたんでしょうか・・・。まあ、ていねいに二度洗ったと見るのが素直な見方ですかねぇ。 |
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四十七士墓所の門 |
墓所入口となるこの門は、主君浅野家の江戸上屋敷にあった裏門を移築したものです。 |
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浅野(内匠頭)長矩の墓 |
墓所内で最も大きく堂々とした墓は、やはりお殿様である主君浅野内匠頭の墓でした。 |
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四十七士の墓 |
主君の墓の隣には、石造りの柵で囲まれた一画があります。中に入ってみると、沢山の墓石が整然と並んでいました。 |
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四十七士の墓 |
この一画が赤穂義士たちの眠っている場所です。彼らの遺体は切腹の後すぐに、この泉岳寺へ埋葬されたと言います。 |
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大石(内蔵助)良雄の墓 |
これが大石内蔵助の墓。さすがに筆頭家老の墓はデラックス、屋根付きでした。 |
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突き当りは国道15号線 |
泉岳寺を後にして、地下鉄泉岳寺駅出口のあたりまで戻って来ました。突き当りを右折して、国道15号線(第一京浜)の大通りへ入りましょう。 |
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高輪二丁目交差点 |
国道沿いに400mほど歩いてきました。前方に見えているのは高輪二丁目交差点。これを右折します。 |
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高輪海岸の石垣石 |
交差点のちょうど角の所に石が幾つか積まれているのを発見。傍らの案内板によると、これは江戸時代に築かれた高輪海岸の石垣に使われていたもので、平成7年に付近を発掘調査した時に出土したものだとか。と、言う事で昔この辺りは、間近に海岸が広がっていたのだと言う事が推し量れます。 |
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桂坂 |
高輪二丁目交差点を右に折れて国道から離れると、間もなく上り坂になります。この坂は桂坂。 |
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旧朝吹邸 |
坂の途中の左側、石垣に固められた高台の上でかすかに見え隠れする白い洋館は、大正末期の建築となる旧朝吹邸。大正から昭和にかけての実業家で、帝国生命保険(現・朝日生命保険)や三越、王子製紙といった大企業の社長や重役を歴任した朝吹常吉の本邸だった建物です。しかしながら現在この建物は東芝の所有施設になっていて、残念ですが一般公開はされていないので、施設外から望遠で撮影したこの様な写真でご勘弁を・・・・。 |
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高輪消防署二本榎出張所 |
桂坂を上り切って道なりに歩いて行くと間もなく右手に現れるのは、高輪消防署二本榎出張所のクラシックな建物です。昭和8年竣工。 |
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国道1号線を越えて |
高輪消防署二本榎出張所を過ぎるとすぐ、前方に国道1号線(桜田通り)が見えてきます。ここは直進、国道を越えて行きましょう。 |
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明治学院大学 記念館 |
国道を越えて高輪から白金台に入って来ました。右手一帯は明治学院大学の白金キャンパス。明治23年竣工で1階に礼拝堂を持つ、大学記念館の建物も見えています。 |
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桑原坂 |
明治学院大学のキャンパスを横目に道なり400mほど歩いて来ると、なだらかな上り坂になりました。この坂は桑原坂。 |
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八芳園 |
そして坂の途中、右側に現れた重厚で大きな門は、結婚式場・宴会場の八芳園の門。元々この地は大正から昭和の実業家で政治家だった久原房之介が所有していたもので、当時築かれた日本庭園は整備されながら、現在でも八芳園の利用者に公開されています。 |
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正面は目黒通り |
桑原坂を上り切った正面には、目黒通りが走ります。ここは左に折れて、目黒通りへと入りましょう。 |
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地下鉄白金台駅 |
まもなく右手に地下鉄の白金台駅が見えて来ました。ここへは都営地下鉄の三田線と、東京メトロの南北線が乗り入れています。 |
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東京大学医科学研究所 正門 |
白金台駅入口のすぐ隣にあるのは東京大学の医科学研究所。敷地内には附属病院もあります。 |
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東京都庭園美術館 正門 |
目黒通りを更に歩いて行くと、右手に東京都庭園美術館の正門が現れました。庭園拝観料金200円を入口で支払い、ちょっと中を覘いてみることにしましょう。 |
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旧朝香宮邸 (美術館本館) |
この施設は、戦前の皇族だった朝香宮鳩彦(やすひこ)王の邸宅跡地を後に東京都が買い取って、昭和58年に美術館として一般に公開したものです。 |
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芝生広場と旧朝香宮邸 |
美術館の本館となる旧朝香宮邸の建物は昭和8年竣工のアールデコ建築で、内装の主要部分には本場フランスの複数の芸術家が関わっています。 |
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「風」 |
美術館本館に隣接する芝生広場には、いくつかの彫刻が設置公開されていました。
この大きな作品は白大理石を素材として2000年に制作された、題して「風」。 |
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「INSIDE OUT CGB-2」 |
こちらは黒御影石を割って製作された作品で、1991年のものです。 |
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「住まい」 |
前の2作品は日本人彫刻家のものですが、こちらはロシア出身の彫刻家の手による、ブロンズ製1963年制作の作品。
どの作品も広場の地面にそのまま設置されていて自由に手に触れる事が出来るので、芸術作品であると同時に、庭園を訪れた子供たちにとっては遊戯道具の様になっていました。 |
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「Giraffe」 |
「Giraffe」は訳してキリン。アメリカ人アーチストの作品でブロンズ素材、制作年は1939年。筋骨隆々とした力強いキリンに見えます。 |
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「Panthere couchee」 |
ブロンズ製の「座る豹」。作者はスイス出身の彫刻家で、制作年は古く1930年。鋭い眼光は、今にも飛びかかって来るような気迫を感じます。 |
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日本庭園 |
1万坪あまりの敷地の中は芝生広場のほか、日本庭園や西洋庭園など三つのエリアに分れています。 |
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西洋庭園 |
園内ではカフェレストランも営業していてゆっくりお茶や食事をすることも出来ますが、西洋庭園に設置されたテーブルに弁当を広げて、旧宮家の瀟洒な庭園を眺めながらのんびりランチと言うのもなかなかGoodです。 |
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目黒通り沿いに進む |
庭園美術館を出たら右へ。目黒通り沿いの緑のなかの歩道を先へと歩いて行きましょう。 |
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目黒駅ビル |
目黒通りを500mほど歩いてきました。JRや東急電鉄、東京メトロ、都営地下鉄などが乗り入れる目黒駅の大きな駅ビルの前に到着です。 |
★交通 |
都営地下鉄浅草線 泉岳寺駅下車 |
★歩行距離 |
約4.0km |
周辺地図
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