横須賀と軍港クルーズ
2008年11月
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京急汐入駅前 |
京浜急行の汐入駅には、改札口は1か所だけしかありません。これを抜けて右方向へ進むと、駅前ロータリーがありました。 |
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駅前歩道橋 |
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国道を越える |
歩道橋の下を走るのは国道16号線。歩道橋で国道を越えて、海の方向に向かって歩いて行きましょう。 |
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YOKOSUKA軍港めぐり 桟橋 |
間もなく横須賀本港に到着。そして今日のお目当てのひとつ、横須賀軍港めぐりの発着所もすぐに見つかりました。この企画を運営しているのは、近くに浮かぶ島猿島行きの船も運航させている(株)トライアングルで、取材日現在、11時から14時まで1時間おきに計4回毎日運航されています。 |
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軍港クルーズ券売所 |
ホットドッグでも売っているのかと思ったら、軍港めぐりの券売所でした。1周約45分間、運賃おとな1,200円は破格です!
今日は平日。3連休明けと言う事もあってか客数もそれほど多くなく、すぐに乗船する事が出来ました。しかし混み合いそうな時は、オフィシャルサイトで前日までにネット予約をしてから出掛けるのが良さそうです。 |
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11時ジャスト、さあ出航! |
午前11時ジャスト、海の散歩へ出発の時間です。乗船したら迷わず見晴らしの良い屋上のデッキへ。
クルージング中、軍港内に停泊する船舶などの解説は乗船スタッフが艦内放送でしてくれます。私はこちらの分野にはあまり明るくないので、以降はこの艦内での解説を交えて記してゆく事にします。 |
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海上自衛隊の潜水艦 |
横須賀軍港めぐりとはその名の通り、横須賀港周辺に存在する海上自衛隊やアメリカ海軍の軍事施設の中をクルージングするもので、この9月(平成20年)からは定期便として既述の通り毎日運航されるようになりました。通常では入って行くことの出来ない区域なので、その意味ではとても貴重な体験と言えます。
出航するとすぐ、潜水艦が2隻並んで見えて来ました。ここは海上自衛隊の潜水艦基地。ふつう艦船にはナンバーが記されていますが、これら潜水艦には何も表記されていません。「海の忍者」潜水艦は実体を分り難くさせるため、船体にナンバーが記されていないのです。 |
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支援船APL40 |
次に見えてきたのは米海軍の支援船APL40。これは宿泊船で、米軍艦船の乗組員等が宿泊できる船です。 ・・・・と言うことは、この辺りは米軍施設? そう、アメリカ海軍第7艦隊の横須賀基地です。基地内には2万人を遥かに超えるアメリカ人が暮らし、ドルが通貨として流通し、いわゆる日米地位協定によってここでの米軍は米国の法で守られるという、まさに「リトルアメリカ」です。 |
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イージス艦 |
米海軍のイージス艦が停泊しています。イージス艦とは、対空戦闘能力やその他に優れたイージスシステムを搭載した艦船。 |
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イージスレーダー |
イージス艦の見分け方は、船体に確認できるこの八角形の模様。フェーズド・アレイレーダーと呼ばれる、首を振らずに索敵できる高性能のレーダーです。 |
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原子力潜水艦発見 |
半身を水面下に隠した黒い大きなクジラの様な物体が、不気味に上半身を覗かせています。これは米海軍の原子力潜水艦。船体は今さっき見てきた自衛隊の通常型潜水艦よりも、ふた回りくらい大きめの感じです。 |
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12号バース |
こちらは米海軍空母専用の埠頭、12号バース。第7艦隊の原子力空母、全長333mのジョージワシントンもここに停泊しますが、今日は姿がありません。 |
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磁気測定所 |
横須賀本港を離れると、やがて海面にコンクリートの塊りがいくつも並んでいるのに気付きます。いったい何でしょうか? 答えは海上自衛隊の磁気測定所です。艦船は航行しているうちに、地磁気の影響で自然に帯磁してしまいます。すると相手の潜水艦に見つかりやすくなったり、磁気に反応して爆発する磁気機雷の餌食になってしてしまう恐れがあります。それらを回避するために艦船は磁気抜きをする必要があって、そのための施設がこのコンクリートの集団である磁気測定所です。 |
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日産自動車追浜工場を望む (夏島) |
横須賀本港を出てしばらく航行していると、やがて夏島の日産自動車追浜工場が見えて来ます。ここ夏島はそのむかし伊藤博文の別荘があったところで、明治18年に初代の内閣総理大臣になった伊藤は2年後の明治20年夏、側近たちと共に無人島だったこの夏島で大日本帝国憲法の草案を練り上げました。しかしこの夏島、現在は埋め立てられて陸続きになっています。 |
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自動車船 SALVIA ACE |
ここにも船舶が停泊していました。こちらは民間のもので、この工場で作られた日産の自動車を海外へ輸出するための自動車船です。 |
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掃海母艦うらが |
船は長浦港に入ってきました。ここには海上自衛隊の基地があるので、米軍の艦船に替わり今度は自衛隊の艦船がたくさん見えてきます。
この船は掃海母艦うらが。掃海母艦とは、機雷除去を主な任務とする掃海艦(艇)をサポートする艦船です。このうらが、平成17年の秋に当時のテロ特措法に基づいて、国連難民高等弁務官事務所の要請を受け、アフガン難民のための救援物資をパキスタンに運んだ事で知られています。 |
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木製の掃海艦つしま |
掃海母艦のサポートの下に機雷除去作業を行う艦船である、掃海艦のつしまも停泊しています。掃海艦は磁気機雷に感知されない様に、帯磁しにくい木製などで造られています。 |
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標的艦たちかぜ |
奥に見えるあのシマシマの船は一体何でしょうか? 既に引退した艦船、元護衛艦のたちかぜです。当然、元々はこんな模様ではなかったのですが、引退後に標的艦として射撃の実艦標的となる運命にあるため、この様な模様を付けられてしまいました。 |
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護衛艦はつゆき・さわゆき |
以前は概ね艦船の大きさによって巡洋艦、駆逐艦、フリゲート艦などと呼ばれていた主戦力となる艦船が、現在はまとめて護衛艦と呼ばれています。因みにこのはつゆきやさわゆきには通常はヘリコプターが搭載されていて、この写真からも2階部分に大きく開いたヘリコプターの格納庫と、その手前のヘリポートを確認する事が出来ます。 |
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ハープーン艦対艦ミサイル |
両艦とも対潜、対空、対艦と、オールマイティーの戦闘能力を備えています。ヘリコプターは対潜用に搭載され、そして対艦用にはこのハープーン艦対艦ミサイルが搭載されています。 |
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自衛艦隊司令部 |
停泊している船と船の合い間から、自衛艦隊司令部の建物が見え隠れしています。ここは海上自衛隊の作戦を司る中枢です。 |
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吾妻島 (左側) |
前方に狭い水路が見えて来ました。新井掘割水路と呼ばれるこの水路の左側は吾妻島という島で、現在はアメリカ海軍の燃料倉庫になっています。その昔は右側の陸地部分と地続きになっていて、船舶でここを越すには大きく迂回しなければならなかったので、利便を図るため、明治の時代に旧日本海軍が掘り崩して水路を作ったのでした。 |
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特務艇はしだて |
ところで、これから3枚の船の写真をご覧にいれるので、船の側面をよく観察して覚えておいてください。
まず1枚目はこの船。VIP接待時に迎賓艇としてレセプションなどに使われる、特務艇はしだてです。船内では自衛隊版のディナークルーズが出来る様になっています。 |
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しらせ と にちなん |
2枚目はこれ。左は南極観測の砕氷船しらせ、右は海洋観測船のにちなん。しらせはもう既に引退して、解体を待つ身です。 |
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左から、護衛艦たかなみ、おおなみ、はたかぜ。 |
3枚目、最後は護衛艦3隻。護衛艦については既述しました。
・・・と言う事で、何が言いたかったかと言うと、側面に記された艦番号の桁数のことでした。写真1枚目は番号2ケタ、2枚目は4ケタ、そしてこの写真は3ケタになっています。これはそれぞれの任務の違いを表わすもので、2ケタは特殊な役割を担う船、4ケタは調査・研究など後方の任務に就く船、そして3桁は主力の戦闘艦と言う事になります |
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護衛艦しらねと補給艦ときわ |
右側の艦番号423番の船は補給艦ときわ。平成19年11月に失効した旧テロ特措法に基づいてインド洋に派遣されていた船。わが国権の最高機関でもいろいろと論議を呼んだ、米海軍などの艦船にあの給油活動を行っていた船です。 |
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ヴェルニー公園 |
船は横須賀本港へと戻ってきました。約45分間の海の散歩もあっという間におしまいです。横須賀軍港めぐりの桟橋とそれに隣接するヴェルニー公園が、目の前にゆっくりと迫って来ています。船を降りたら今度はいつもの様に陸の散歩。先ずはあそこに見えるヴェルニー公園を歩きましょう。 |
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ヴェルニー公園 海から陸へ |
軍港クルーズ発着所のすぐ隣はヴェルニー公園。横須賀本港を見晴らす事が出来る、海沿いの公園です。 |
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ヴェルニー公園より横須賀本港を望む |
公園の名前の由来は、レオンス・ヴェルニー。幕末、徳川幕府に協力してこの横須賀で造船所(横須賀製鉄所)の建設を監督するなど、日本の近代化に貢献したフランス人の造船技師です。 |
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記念石碑の行列 |
なにやら石碑が五つも並んでいます。左からそれぞれ軍艦山城之碑、國威顕彰碑、軍艦長門碑、軍艦沖島の碑、正岡子規の文学碑となっていますが、これだけ集まっているとありがたみも薄れると言うか・・・・・。 |
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海軍の碑 |
更にダメ押しで、そのすぐ近くに海軍の碑と言うのもありました。 |
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フランソワ・レオンス・ヴェルニー |
レオンス・ベルニー (1837~1908) の像を見つけました。案内板によるとヴェルニーは、灯台の建設やレンガ製造、技術学校の設立で日本人技師を養成するなど、造船以外にも日本に多くの貢献をした人物です。 |
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小栗上野介忠順 |
ヴェルニー像の隣に並んでいるのは小栗上野介忠順 (おぐりこうずけのすけただまさ 1827~1868) の像。幕府に於いては外国奉行、勘定奉行、遣米使節など重要な役割を担った人物で、横須賀製鉄所の建設を推進して、ヴェルニーをその監督に任命しました。 |
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記念石 |
小栗は幕府内では官軍に対してあくまで抗戦を唱える主戦派だったため、その後官軍に捕らえられて斬首されてしまいます。小栗像の傍らにあるこの記念石は、彼が斬首された上野国権田村(現 群馬県)を流れる烏川の河原にあった石だとか。 |
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逸見波止場衛門跡 |
この建物は、旧横須賀軍港逸見門の衛兵詰所です。明治末から大正初期の建築物と推定されています。 |
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ヴェルニー記念館 |
こちらは入館無料のヴェルニー記念館。国の重文に指定されている国内最古のスチームハンマーなどが展示されていますが、今日は休館日だったために残念ながら未見。 |
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薔薇と潜水艦! |
園内のバラ園にはまだ秋バラが咲いていました。と言う訳で思わずカメラを向けたところ、背後に写り込んだナゾの黒い物体・・・・。 |
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横須賀港とヴェルニー公園 |
公園内をゆっくりとひと回りして戻って来ました。この辺でヴェルニー公園と横須賀の港をあとにして、先へと進んで行きましょう。 |
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歩道橋まで戻る |
公園を出て、国道16号線を右手に眺めながら歩道を歩いて行くと間もなく、来る時にも渡った歩道橋のところへ戻って来ます。 |
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歩道橋を渡る |
歩道橋で国道16号線の広い車道を越えて、道の向こう側へ。こんどは国道を左手に眺めながら歩道を進みましょう。 |
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ひとつ目の角を右へ |
歩道橋のすぐ先にひとつ目の信号機が見えたら、国道から右へ分かれる道に入って行きます。 |
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突き当りを左へ |
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どぶ板通り |
すると目の前に商店街が現れました。・・・が、しかし、普通の商店街とは少し感じが違います。何だろう? 米人らしき外国人をたくさん見かけ、横文字もやたらと目につきます。 |
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ミリタリーショップの店先で |
ここは通称どぶ板通り。米軍基地の近くと言う事もあって外人バーや、写真の様な軍用品の専門店なども多数軒を連ねる、アメリカンとジャパニーズがミックスされた商店街です。 |
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アメリカンパブ |
むかしこの辺りには大きなドブ川が流れていて、人々が生活をしてゆく上でとても不便でした。そのため、その上を厚い鉄板で塞いでいた事が、このどぶ板通りと言う名前の由来になりました。 |
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延命地蔵尊 |
そんなどぶ板通り沿いで、純和風の建築物を発見。これは延命地蔵尊のお堂です。堂内にはたくさんの地蔵尊が祀られています。 |
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延命地蔵尊堂内 |
案内板によれば、江戸時代の1841年に刊行された書物にも、既にこの地蔵尊の説明が記されているとか。 |
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横須賀名物スカジャン |
横須賀と言えばこれ、ヨコスカジャンパー。略してスカジャン。そしてやっぱりありました、スカジャン専門店。スカジャンとは、サテンなどの光沢のある生地に、東洋風で派手なデザインの刺繍が施されたジャンパーの事で、ここ横須賀が発祥の地です。 |
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手形レリーフ (阿木燿子) |
どぶ板通りの所々には、横須賀に縁の深い著名人の手形レリーフが埋め込まれています。探して歩くのも結構楽しい。 |
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突き当りを右へ |
全長300m程になるどぶ板通りのメインストリートを、ウインドウショッピングを楽しみながらブラブラと歩いてくるとT字路に突き当たりました。ここは右へ。この先も道の両脇の歩道には店舗が続きますが、こちらの方は大滝商店街という普通の日本の商店街です。 |
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三笠ビル商店街 |
やがて商店街は、長さ180m程ある大きなビルの中へ入って行きます。この屋内商店街は三笠ビル商店街。名前の由来は、この近くにある三笠公園に保存されている戦艦三笠です。ビルの長さも戦艦三笠とほぼ同じくらい。 |
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三笠ビル内 |
この建物自体は昭和34年に建てられたものですが商店街としてはそれ以前からあって、命名したのは明治~昭和期の旧日本海軍の軍人で、軍令トップの軍令部長なども務めた加藤寛治。 |
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豊川稲荷参道 |
三笠ビル内を中ほどまで歩いてくると右手に靴屋さんがありますが、ここの床には「参道」の文字が・・・! どうも店舗奥の正面に見える透き通った扉を開くと、いったん表に出られるようです。ちょっと興味をそそられるので、そのまま進んで行く事に。 |
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石段を登る |
扉を開けるとすぐ、目前には大勝利山と呼ばれている小高い山(丘)の頂へと至る、急な石段がありました。 |
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豊川山徳寿院 |
200段近くありそうな石段を上って行くと、寺院が現れます。ここは豊川山徳寿院。愛知県にある豊川稲荷の横須賀別院です。 |
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徳寿院境内からの眺め |
境内からは、横須賀の市街や横須賀港を見渡す事が出来ます。ちょっと疲れたのでこの辺でしばし、モモエちゃんの歌でも口ずさみながら小休止する事にしましょう。
♪ これっきりこれっきり もぅおー
これっきりぃーですかぁー ・・・♪
(ーー;) |
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三笠ビルに戻る |
徳寿院をあとにして急傾斜の石段を下りて来ると、さっきの靴屋さんの透き通った扉の所に戻ってきました。この先は再び三笠ビル内を歩いて行きます。しかしこうして見ると、さすがに昭和34年建築のビル。時代が感じられます。 |
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三笠ビルを抜けて |
三笠ビルを抜けても、商店街は途切れずに続いています。通り沿いをそのまま進みましょう。 |
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通り沿いのベンチで |
歩道に設けられたベンチには、こんな人が動きもせずにじっと座っていました。きっとこれからも座り続けているんでしょう。 |
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横須賀中央駅前 |
三笠ビルを抜けて間もなく、京浜急行の横須賀中央駅前に到着です。 |
周辺地図
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