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1
突然のことだった。
それまで冷たかった空気の温度が一瞬にして上昇し、視界いっぱいに鮮烈な炎の色が広がる。
何が起こったのか、その時の私にはまるでわからなかった。
愕然と眼を見開いて──あまりの恐ろしさに、瞼を閉じることもできず、ただただ座りこむだけの私の耳に、燃え崩れた家の扉が地面に落ちる音が届いた。
反射的に、音の方に顔を向ける。
顔なじみの……小さい頃からよく知る、私を可愛がってくれた、よろず屋のおじさんが……全身火だるまになって、まるで踊るような足どりで、燃えさかる家の中からふらふらと出てきて、そのままばたりと倒れた。
誰かがその身体を叩いて、火を消している。
その様子をつぶさに眺めながら、私は、私の中の恐怖を感じる部分が、しだいに麻痺していくのをひどく冷静に観察していた。
これは、いったいなんの悪夢だろう。
私は今、どこにいるんだろう。
誰か、誰でもいいから早く、早く私を目覚めさせて。
こんな悪夢は、見たくないの……!!
「ティファ!」
耳になじんだその声に、はっとして見下ろせば、足元にパパがいた。
「そんなところにいたのか! 怪我はないか!?」
火傷だらけの……すすだらけの顔の中、私を見上げる瞳が怖いくらい真剣に輝いていた。
私は思わず涙ぐみ、がくがくと今さらのように震えだしながら頷いた。
「ずっと……ここにいたから。……平気」
「そうか。ならずっとそこにいなさい。決してそこを動いてはいけないよ。
水のあるところに、火はこないから。
……服を水で濡らして、鼻と口を覆うんだ。できるね?」
優しい声に私は素直に頷きかけ──それからはっと気づいて言った。
「パパはどうするの?」
「私はセフィロスを追う」
全身の血がいっきに凍りつくような気がした。
「だっ……!」
だめだよ、そんなこと──!
叫ぼうとした時には、もう遅かった。
炎の向こうに、身をひるがえすようにして走り去るパパの背が見えた。
「パパっ!! 行っちゃだめ!!」
悲鳴をあげ、私は無我夢中で立ち上がり、その場から飛び降りた。
そう──私の、私たちの思い出の給水塔。
ここから星を眺めるのが日課だった。だから今日もここにいた。
そしてそのことが、私を炎獄から身を救ったのだった。
地面に降り立つと、ものすごい熱さが身体中を包み、頬に吹きつける熱風に、私は思わず顔をしかめた。
あたりを見回しても、完全に火の海で、夜の闇はすっかり押しのけられ、まるで昼間のように明るかった。
聞こえるのは、ごうごうと燃えさかる炎の音と、その奥から時折あがる、悲鳴と泣き声だけ。
どうして……どうしてこんなことに!?
ぎゅっと眼をつぶり、足元に転がる人の身体を極力見ないようにして、パパの走って行ったニブル山をめざして駆け出しながら、心の中は怒りとも哀しみともつかない感情が吹き荒れていた。
どうしてこんなことになったの、どうしてこんな目に会わなくちゃならないの!?
眼の前がまっ赤になって、胸が肺がつまって燃えだしそうに熱かったけれど、私は夢中でその炎の中を走り抜け、しんとした山の中へと入り込んだ。
いつもは冷え冷えとしたニブル山の空気も、村と同じくらい熱くなっていた。
私は滝のように流れ落ちる汗を何度も手の甲で拭いながら、魔晄炉めざして懸命に走った。
ニブル山の構造なら、私が一番よく知っている。
誰も知らない抜け道も。
だから私より先に行ったパパや、セフィロス──そう、こんなことを引き起こせる存在は彼しかいない──に、追いつくことはそう難しいことではなかった。
空気温度の上昇などの異変に敏感なモンスターたちは、一匹も姿を見せず、私の歩みをさまたげるものは何もなかった。
いくつもの坂を登り、走って、走って……でも、息苦しさはもう感じなかった。
時々足がもつれて転び、膝のあちこちを打ったけれど、痛みもすでに感じなかった。
そうして私は昼間、侵入を拒まれた魔晄炉の重い扉を押し開き、中へ飛び込んだのだった。
むき出しのパイプ管の上で、どうやって下に降りようかとあたりを見回し──そして。
「……あ……」
心臓が跳ねた。
あの、小さな入り口の前にいるのは。
倒れているのは……。
「…………パパ?」
恐ろしくて、認めてしまいたくなくて、立ちすくんで呼びかけた声に、応える声はなかった。
ぎくしゃくと、私は手足を動かし、手近にぶらさがっていた鉄鎖につかまり、それを伝って下に降りる。
それまですべての感覚が麻痺していたはずなのに、今は鉛のように重い身体を、引きずるようにして、倒れているその人の傍に寄る。
ぴくりとも動かないその身体を中心に、真紅の水たまりが広がっている。
その人の身体に、無残にも突き立てられた、私の身長ほどもある長い刀を、私は震える手で引き抜き、地面に放り出した。
この刀の銘を……知っている。
この刀の使い手も……私は知っていた。
「パパ……」
呼びかける。
私の、たったひとりの……大好きな、パパ。
誰よりも私を愛してくれた。大切に大切にしてくれた。
「セフィロスね……」
許さない。許せない。
「セフィロスが、やったのね!」
許さない……!!
「セフィロス……ソルジャー……魔晄炉……神羅……ぜんぶ!」
うめくように、ひとつひとつ数えあげる。
もうすでに慣性となってしまった涙が、血溜まりの中にいくつもこぼれて落ちた。
許さない、許さない、許さない!!
「ぜんぶ大キライ!!」
ぜんぶ……ぜんぶキライ。大キライ。
こんなふうに、私からすべてを奪った神羅とセフィロスも。
そして、こんなことになってもまだ、助けに現れない幼なじみも。
みんなキライ。大キライ……。
2
ぼんやりと眼を開いた。
白い天井がまっ先に視界に飛び込んでくる。
そのまま視線を動かして、自分が、まっ白いベッドに寝かされていることに気づいた。
「……まあ、眼が覚めたの!?」
不意に頭上で声がして、たくさんの人の顔が私をのぞきこむ。
「どこか苦しいところはないかい? 痛むところは?」
私を見下ろす人たちが、そんなふうに話しかけてきたけれど……その言葉は、うつろに私の身体の中に響くだけで、意味を成す前にふわりと消えてしまった。
「名前は? 歳はいくつかい? 何しろ君を連れてきた人は、治療費だけを置いてすぐ去ってしまって……」
私は無感動に、話し続ける彼らを眺めていた。
私の中は、おもしろいくらい、まっ白だった。
私の傷はとても深くて、一ヶ月以上も生死の境をさまよっていたのだと、白い服を着たその人は──つまり、お医者様は教えてくれた。
名前すら告げない私に、それでもそこの病院の人たちは優しく接してくれた。
私は、ただ漠然と眠り、目覚め、促されるまま食物を口にし、そうして月日は過ぎていった。
眠るたび、空白の過去は悪夢となって訪れたけれど、目覚めればやっぱり私はからっぽで、まっ白なままだった。
やがて身体の傷は完治し、私は、退院することになった。
今まで暮らしていた白い病院から外に出て、ぼんやりとあたりを見回した私は、はじめて驚きという感情を覚えた。
……その街には、空がなかった。
どこをどう歩いたのか、よく覚えていない。
ただ、空のある場所に行きたかった。
「お嬢ちゃん、可愛いねえ」
突然、横から声をかけられた。
けれど、その声に興味をおぼえなかった私は、ただひたすら前を向いて足を進めた。
「おい、シカトこいてんじゃねえよ。耳が悪いってんでもないだろう」
右腕を、強い力でつかまれた。
私は、立ち止まった。
それきりなんの反応もしない私の腕を握ったその人は、強引に引きずるようにして自分に向かい合わせる。
大柄な男が、視界に入ってきた。
アルコールの臭いが強く、粗野な感じがした。
「へえ、こりゃ、思った以上に上玉だ。嬢ちゃん、これも何かの縁だ。つきあってくれるだろ?」
嬉しそうに、楽しそうに、くつくつと喉をならして笑う、その男の眼。
……そこに宿る狂気の色に、ふと記憶を刺激される。
人を傷つけようとする、残酷な光を、私は確かに見たことが、あった……。
「いやっ!」
気がつくと悲鳴をあげて男の手を払っていた。
まさか私が反抗するとは夢にも思っていなかったらしく、男はやすやすと払いのけられた手に仰天した眼差しを向けてくる。
私は夢中で男に背を向け、走り出した。
背後で舌打ちが響いたのは一瞬後。
「なめやがって、この小娘が!」
怒号のような声と共に、荒々しい足音が続き、あっという間に気配が近づいてくる。
長い入院生活は、思った以上に運動能力を低下させていた。
殺気にも似た気配をすぐ傍に感じ、振り返った瞬間肩をつかまれ、力いっぱい地面に叩きつけられた。
胸を中心に鈍い痛みが全身に走り、息がつまった。
「いい気分で酔ってたのが台無しだ。……せいぜいあんたに楽しませてもらわなけりゃワリに合わねえ。そうだろう?」
勝手なことを言いながら、男はむんずと私の足首をつかみあげる。
強引に引きずり寄せられながら、私はぼんやりと天を見上げた。
無機質な闇に覆われた、星のない空。
「……やっぱり……来ないんだ……」
ぽつりと、唇から声がこぼれた。
「あん? なんだって?」
不審そうな男の声は、しかし今の私の心には届かない。
やっぱり……やっぱり、来ないのね。
どんなピンチが訪れても……あなたは、来てくれない。
来てくれない!
瞬間、耳に、布の裂ける音が聞こえた。
びくっと震えて意識を現実に戻せば、恥知らずな男の手が、裂けた服の中へとのびるところだった。
カッと頭の中で何かがはじけた。
こんなふうに、こんな男に、おもちゃのように好きにされたくない。
「私、に……」
この、空のない街に来てはじめて、私は明確な意志を持って唇を開いていた。
「私にさわらないでっ!!」
「……すげえもんだな、おまえ。あの大男を、一発でのしちまった」
呆然と座り込んでいた私の耳に、別の声が聞こえたのは、その直後──。
びくりと震えて声のした方向を見る。
先程の男よりさらに大柄な男が、感心したような眼差しを私に向けていた。
「こいつは軍人くずれのならず者だ。七番街にもこんなクズ野郎が紛れこんでいたとはな」
言って、彼は私の足元にあおむけにのびている男を、軽々と片手で抱え上げた。
「騒ぎに気づくのに遅くなっちまって、すまねえな。怪我はしてねえか?」
その時になって、私は彼が右腕の手首から先を失っていることに気づいた。
手の代わりに鉄の……銃? がはめこまれている。
彼はそんな私の前で、背後の方に顔だけ向けて大声でどなった。
「ジェシー! 悪いが、このねえちゃんを頼む! オレはこの野郎を街の外に捨ててくるからよ!」
「オッケ、まかせて」
明るい声と共に、快活そうな女性が彼の背後から現れ、私の傍に走り寄ってくる。
「災難だったわね、大丈夫? あんな大男ぶっとばすなんてなかなかやるじゃない!
私はジェシー。で、こっちがバレット。あなたの名前は?」
……たずねられて。
私はぼんやりと彼女を見上げ、それから私の答えを待つ彼へと視線を移す。
その眼は鋭かったけれど、とても温かかった。
少なくとも、私を害そうとする眼ではなかった。
けれど……この人は……この人たちも…………。
「あっ、ねえ!? どうしたの!?」
この人たちも、私を知らない。
視界がふっと暗転する。
もう、私を知ってる人は誰もいないの。
いるのは私に、私が誰かを聞く人だけ。
そして私の中に、その問いに対する答えは、やっぱりどこにもないのだった。
3
星を救うための活動をしているのだと、彼らは言った。
神羅からこの星を奪い返すのだと。
その言葉を私は何の感慨もなくぼんやりと聞き流していた。
今さら、この星が、神羅がどうなってどこへ行きつこうと、私に何の関係があるだろう。
世界が狂ってる? ──たしかに、そうかもしれない。
この世界はどこかが少しずつ、少しずつ歪んで、狂って、壊れつつあるのかもしれない。
だから何だというのだろう。
この星が壊れようが、誰が死のうが、私の命が終わろうが、もうどうでもいい。
だって私はひとりだもの。
私が死んで悲しむ人なんてもういない。
私がその死を悲しむ人も、もういない。
だから、どうだってよかった。
すべてが明日消え去ってしまっても、どうでもよかった。
「参っちゃうわ」
大きな音を立ててドアが開き、両手に何かを抱えて女性が入ってきた。
私は今、この人の部屋で暮らしている。
名を名乗らず、口もきかない私を、彼女は快く部屋に招き入れ、あれこれと世話を焼いてくれていた。
「ホント、悲しいほど人手不足だわ。張り紙くらいじゃ同志なんて来ないものよね」
大声でひとりごちて、彼女はベッドに座っている私の脇まで歩み寄ると、前触れなく私の膝の上に、抱えていた荷物を置いた。
視界に飛び込んできたのは、まだ3つにもならない、小さな赤ちゃんだった。
彼女はいつも、出かける時は必ずこの小さな子を私に預けていくのが習慣だった。
「えっと、いつも通り必要な物は全部入ってるから。ごめんね、よろしくね」
テキパキと私の膝に赤ちゃん──マリンを置いて、彼女は慌しく出て行ってしまう。
私はぼんやりしたまま、閉まったドアを眺めていた。
マリンと二人で過ごすようになって、まっ白なだけだったはずの私の心に、封じたはずの色彩が戻ることが多くなった。
無邪気にマリンが笑えば笑うほど、もうはるか昔、自分も同じように無邪気に、美しく幸せな光で染め上げられた世界の中ではしゃいで笑っていたことを思い出して、今、私を取り巻く世界と、彼女の瞳に映る世界の大きな違いに、打ちのめされずにいられなかった。
父の、母の、友人の……たくさんで様々な愛情に彩られた記憶は、鮮やかに甦るたびに悪夢へと転化し、上手に記憶から消去できていたはずの悪夢は、いつのまにか目覚めている間も根深く私の記憶に腰をおろしていて、何気ない瞬間にフラッシュバックしては炎の夜を再現する。
────地面に投げ出されていた炭化した腕。空を染め変えた紅蓮の炎。その中に立つ鬼神の姿。暗赤色の血の海に横たわる父……────。
「────!」
反射的に首を激しく振り、私は両手に顔を埋めて、声にならない悲鳴を噛み殺した。
いつもの拒否反応による自家中毒でこみあげてくる吐き気を必死で抑え、肩で大きく息をくり返す。
がたがたと身体は震えていたけれど、涙は出なかった。
どうして私はここにいるの?
なぜ私だけが生きているの?
私だけが残されてしまうなんて、そんなこと少しも望んでいなかった。
セフィロス……なんで私を殺してくれなかったの?
ザックス……なんであの悲劇を止めてくれなかったの?
そして……そして、
「クラウド……どうして来てくれないの……」
あの時から今もずっと待ってるのに。クラウドを待っているのに。
どうしてあなたはここにいないの?
この星のどこかで生きてるクラウド。
ニブルヘイムが滅んでしまったこと、知ってるんでしょう?
クラウド、私を探してはくれないの?
私の命、あきらめちゃったの? 私との約束、忘れちゃったの?
クラウド、私もうこれ以上生きてくの、疲れちゃったよ。
もう誰もいない、帰る場所すらないこの世界で……私が死んだって誰が死んだって何の変化もなく未来へ流れていくこの星で……がんばって生きてくの、疲れちゃった。
ねえ、クラウド。もう……もう、いいよね?
私はもう十分がんばって生きたよね?
もう十分だ、だからもういいよって、あなたが言ってくれたら私は今すぐ楽になれるのに。
ねえ……クラウド。
何か恐ろしく嫌な予感がして、私は反射的に顔を上げていた。
顔は上げてみたものの、しばらくは思考が混乱していて、何が起きたのかわからなかった。
「………………マリン?」
ひどくかすれた自分の声が、急激に感覚を現実に呼び戻す。
はっきりと我に返り、私は大きく眼を見開いて立ち上がった。
「マリン!?」
ほとんど悲鳴のような声で私は叫んでいた。
小さなその部屋に、マリンの姿はどこにもなかった。
全身の血がいっきに下がり、そしてその直後その血が逆流するような奇妙な感覚。
愕然とした私の視界に、開かれたままのドアが頼りなく風に揺れている。
まさか……まさかあのドアがちゃんと閉まってなくて……マリンが自分であれを押し開けて、外へ……!?
「マリン!!」
ようやく硬直していた足がはじかれたように動き出し、私は夢中で外へと飛び出した。
「マリン! マリンっ!!」
ずっと歩くことさえせずにいた足は機能が衰えて、一歩進むごとに踵から激痛が響いたけれど、心の痛みの方がもっと大きかった。
「マリン! 返事して! マリンっ!」
気が狂ったように叫びながら、私は必死でマリンを捜す。
どうして自分がこんなにも必死なのか、その時私にはわからなかったけれど、どうしてもあの無邪気な女の子を、失ってしまうわけにはいかなかった。
焦りのあまりわめき出したい気持ちを抑え、幼児の足ならすぐに追いつけるはずだと自分に言い聞かせて、懸命にあたりを見回し──ふと、少し離れたところに、とても大きな柱が天高くそびえているのを見つけた。
いかにも子供の好きそうな、不思議な感じのする大きな機械の柱。
次の瞬間、私の足はそちらに向かっていた。
「マリン!」
果たして──その柱の近くに、求める姿はあった。
地面に座りこんで……楽しそうに笑う、その視線の先に。
「あ……」
心臓が音を立てて跳ね上がった。
マリンのすぐ近くまで迫る、異形の──モンスター。
「マ、マリ……」
逃げて、と言おうとして、私は我に返った。
マリンはまだよちよち歩きがやっとの幼児で……そんなマリンが、どうやったらモンスターから逃げられると思ってるの?
でも……でも、じゃあ、どうしたら!
パニックする私の耳に、モンスターの猛る声が貫くように響いた。
地面を蹴って、モンスターがマリンへと飛びかかって───…………
「だめぇぇ──────────────!!」
気がついたら、私は夢中でマリンにかけ寄り、両腕に抱きしめてかばっていた。
同時に、脇腹に灼熱の痛みが走る。
ぐらりとバランスを崩しながら、私はぐいっと顔を上げ、渾身の力をこめてモンスターの顔面に裏拳を叩き込んだ。
カウンターをくらったモンスターは、地面に勢いよく叩きつけられて、奇声を上げてのたうちまわりだす。
「……っ」
一方の私も、起き上がってモンスターにとどめを刺す余力もなく、どさりと地面に横倒しになった。
「あーう……」
腕に抱えたマリンがもぞもぞと動いた。
「たいの? たいの?」
痛みをこらえて眼を開くと、ようやく私の腕から抜け出したマリンが、私の傍らに座りこみ、顔をのぞき込んでいた。
「ねーちゃ、たいの?」
────お姉ちゃん、痛いの?
舌たらずな彼女の声に、私は知らず微笑んでいた。
あの夜からはじめて、私はひどく自然に、笑顔になっていた。
「────ティファ、よ」
痛みで声が震えないように注意しながら、私はマリンにそっと囁いた。
血が……止まらない。
このまま死ぬのかな、と、ぼんやり私は考えた。
こんなふうに人間て死んでいくものなのかな。
だとしたら、死ぬのって案外簡単なものだったのかもしれない。
「私の、名前。……ティファって、いうのよ。ティファ」
くるんと黒い瞳をまるくして、マリンは私を見ていた。
「て──……ふぁ?」
そして、小さな唇が私の名前を紡いだ時。
私の両眼から涙があふれた。
「てーふぁ? ……たいの?」
マリンの小さなてのひらが、頬の涙を拭ってくれる。
それはとても温かくて……とても優しくて。
生きている人間の、温かさだった。
私はマリンを見上げ、自分のてのひらにべとりとついた血を眺め、どうして自分が今まで、死のうと思えばできるのにそうしなかったのかを悟っていた。
会いたかったんだ、私。
この世界のどこかにいる、彼に。
彼が私を忘れてしまっても、何度約束を破られても、それでも、どうしても、私は彼に会いたかったのだ。
心を閉ざさなければ、あまりに辛くて生きられなくて、それでも、そうしてでも、彼に会うまでは生きていたかった。
「……ラ、ド……」
私の、大切な人。
どんなに詰ってみても、それでも彼は私にとって心の支えだった。
「クラ、……ウド……」
呼んだって、彼が来てくれるわけではなかったけれど、私は呼ばずにいられなかった。
クラウド、私もう死んじゃうのかな。
ずっとずっとあなたを待っていた。ずっとあなたに会いたかった。
あなたといろんなこと話したかった。
たくさんのことを伝えたかった。聞いてほしかった。
クラウド、今どこでどうしてる?
幸せでいてくれるといいな。
でも、そうでなくても、心配しなくていいよ。
私の心は、死んでもあなたを忘れないから。
だから、どんな時だって、クラウドはひとりにはならないのよ。
あなたが私を忘れても、私はあなたを忘れない。
だって、私は、私はきっと、あなたのことをずっと、
「………………大好き、だった、から………………………………」
4
眼を開くと、天井が見えた。
ぼんやりと首を横向けると、目尻に溜まっていたらしい涙の雫がぽろりとこぼれ、枕に落ちた。
ぱちぱちと長いまばたきを繰り返しながら、私は自分のすぐ隣で眠る彼の横顔を見つめる。
久しぶりにあの夢を見たのだと、その頃になってようやく私は思い当たり、ほっと安堵の吐息をついた。
あの日、捨てたはずの命は運よく助かり、私は数年後ついに会いたくてたまらなかった彼との再会を果たした。
その再会は、私に幸福と一緒に、同じだけの痛みと、哀しみと、寂しさとをもたらした。
それらを乗り越え、最愛の親友の命という大きすぎる代償を払って、この星の命を救った私は、今、彼と共に暮らしている。
寝ている彼を起こさないように、そろそろと半身を起こして、私はもう一度、ちいさく息をついた。
むき出しの肩に、夜の空気はひやりと寒かったけれど、今はそれさえも心地よかった。
今は閉ざされた彼の、不思議な輝きを持つ青い瞳を思い浮かべながら、私は小さく微笑んだ。
こうして、眠っている彼を静かに見下ろせるようになるまで、どれほどかかっただろう。
夜中に夢を見て目覚めるたびに、どうしても隣にいる彼を起こさずにはいられなかった。
そして決して寝起きがいいとはいえない彼も、その時だけは一度として、不機嫌な顔をしたりはしなかった。
……きっと私は、怖かったのだ。このまま永遠に彼が目覚めなくなってしまうような気がして。
つくづく私は幸せでいることに不慣れな人間だった。
「…………」
ふと、前触れなく、青い瞳がぱちりと開いて私を見た。
「……あれ……ティファ……?」
突然名を呼ばれ、私は驚いて彼を見る。
「ごめん、起こしちゃった?」
反射的に出た言葉に、けれど彼は優しく笑って首を横に振った。
「いや、大丈夫。ティファこそどうしたんだよ」
そうしてゆっくりと伸ばされた手が、私の頬にそっと触れる。
それだけでいつも、私は泣きたくなってしまうのだった。
「そんな顔、するなよ。また抱きたくなっちゃうだろ」
苦笑する青い瞳に、だから私も笑顔で答える。
「今からそんなことしてたら、明日辛くなるのクラウドだよ?」
それもそうだとクラウドは笑い、私の腕をつかんでベッドに引き戻すと、自分の胸の中に抱きしめて言った。
「俺が寝られなくなるから、ティファもちゃんと寝てくれよ」
強引な理屈だなぁと私はぼやいて、クラウドの胸に頬を押し当てる。
素肌を通して伝わる鼓動の音が、私をこの上なく幸せにしてくれた。
この星の命が救われたあと、世界に残ったのは混乱だった。
何しろ、世界最大の総合企業、この世界の『政府』としての機能すら備えていた神羅が倒れたのだ。
人々は神羅の支配から解放された。
そして、世界には失業者がいっせいに溢れ、神羅と共に、この星は『秩序』をも失ってしまったのだった。
たとえどんな形であれ、秩序というものは人にとって必要不可欠なもの。
それを失い、職もなく、そして快適な──快適すぎた生活を支えるエネルギー──魔晄を強制的に奪われて、人々の間には不満が急激に高まっていった。
星が救われた、その安堵感が冷めていくにしたがって、世界には不穏な空気が広がりはじめた。
それに歯止めをかけたのが、リーブだった。
彼はまず、相続者を失った神羅の巨額の財産に眼をつけた。
神羅の幹部の唯一の生存者である彼は、その肩書きをフルに活用し、信頼できる元神羅社員を何名か集め、神羅の資金を元手に、一大プロジェクトを発足させた。
当面の拠点をカームに据え、まず職を失った人々を雇い、ミッドガルからの移住者のために街を広げ、家を建てた。
そしてさらに多くの失業者を呼び寄せ、魔晄炉解体工事に着手したのだった。
以前リーブ自身が言っていたように、安易に魔晄炉のバルブを閉めてしまえば、地中で大爆発が起きてしまう。
爆発を阻止しつつ魔晄炉を止めるには、地上に向けて作られた魔晄のくみ出しパイプを、地中に向けて新たに作り直す必要があり、私にはよくわからないけど、つまりとっても大変な上、人手がすごーく要るらしい。
けれど、そのおかげで世界に溢れる失業者は職を得られ、また当面の生活を支えるための最低限の魔晄エネルギー供給の再開により、世界はようやく少しずつ、落ち着きを取り戻した。
そんなある日、超多忙のリーブが、コスタ・デル・ソルの別荘に暮らしはじめていた私とクラウドとをたずねてきた。
リーブのプロジェクトは第一段階を終え、第二段階へとさしかかっていた。
そう……魔晄に代わる新エネルギーの発見、及びその実用化。
彼はクラウドに、新エネルギー開発プロジェクトに参加してほしいと依頼してきたのだった。
クラウドは、はじめ、断った。
きっと、私をミッドガルに関わらせまいとしてくれたのだと思う。
あそこは私にとって、楽しい記憶以上に、辛くて哀しい思い出のいっぱいつまった場所だから。
だけど私はかまわないと言った。
クラウドの好きなようにするべきだって主張した。
だって私は、私たちは、感傷だけで生きていくことなんてできないんだもの。
そんなものより私には、エアリスと、クラウドと、そしてみんなと一緒に、命をかけて守ったこの星を、本当の意味で救うことの方がずっと大事だし、重要なことだった。
そして私たちはカームに移り住み、クラウドはリーブのプロジェクトチームに参加して、日々忙しい生活を送っている。
さすがに新エネルギーなんてものはそうそう簡単には見つからず、今だに試行錯誤は続いているのだけれど。
やがて私を抱いたクラウドが眠りに落ち、私はその寝息を聞きながら、遠い未来に思いをはせる。
いつかきっと、みんなの努力は実を結ぶよね。
人がこの星と助け合いながら共存していくことは、難しくても不可能なことじゃないよね。
そんな未来が来た時、私って人間はもういないかもしれないけど……この星の一部になって、私もこの星と、この星に住む人々の生きる力に、きっとなれるよね?
こうやって未来を信じる私の想いも、この星のエネルギーになっていくんだよね?
そして空のあるこの星で、私たちは今日も生きている。
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