* 星 月 夜*



 ばさりと大量のプリントアウトを広いデスクの上に放り出して、スコールはひとつ伸びをした。
 あまり長時間パソコンと向かい合っていたので、さすがに眼の奥に痛みを覚えた。
 当人の知らぬ間にひっそりとガーデン内に結成されつつある『レオンハート指揮官FC』の少女達が見れば、悩ましい溜息の十や二十は誘うだろう愁いを帯びた表情で――単純に疲れているだけなのだが――スコールは長い息をついた。
 何気なく腕時計に眼をやって、スコールはふと片眉を上げ、ごくかすかに意外そうな顔になる。
 賑やかさでは右に出る者のない、天然無邪気少女の帰還予定時刻を大幅に過ぎていた。
「…………」
 しばらく石像のようにその体勢で固まっていたスコールは、あれこれそのまま思いを巡らせた後、唐突に顔を上げて立ち上がる。
 そういえば夕食を取り忘れていた。
 そんなことが瞬間脳裏をかすめ、数回目の溜息が唇からこぼれた。

***

 セルフィがSeeDに復帰して三度目の任務が完了したという連絡を受けたのは、スコールの記憶に間違いがないなら正午過ぎのことだったはずだ。
 復帰初の任務は、ブランクがあったこともあってスコールと一緒だったが、そこでそれなりの戦績を残した彼女は次からはすでに班長に任命され、スコールとは別々に忙しい任務生活に本格投入されることになった。
 確か世界情勢が変化してSeeD稼業は暇になったと聞いたはずだったのだが、さすがに『伝説のSeeD』の一員となるとそうもいかないらしい。おまけにスコールは名ばかりの『初代ガーデン指揮官』なんて肩書きを押しつけられていたのをいいことに、今ではすっかり学園長シドの秘書――またの名を雑用係ともいう――扱い、ひどいときには学園長代行の職務までこなす羽目になっていた。
 自分の能力がデスクワークに向かないとは言わない。だが好きか嫌いかと問われれば好きではないとはっきりスコールは言いきれる。それこそ荒野でモンスター相手にガンブレードを振るっている方が性に合っている。
 今はまだSeeDの任務が忙しく舞い込み、押しつけられるデスクワークはさほどの量ではないにしろ、この調子で行くと卒業後もガーデンに留まって学園長になってくれと言われるのは決定的で、スコールとしてはまさに洒落にならない状況なのだった。

 セルフィの部屋を訪れチャイムを鳴らしてみたが、主からの返事はまったくなかった。
 彼女が留守にしているのか、あるいは中で眠っていてチャイムに気づかないのかどうかまでは、スコールにはわからない。部屋のロックはセルフィ自身のIDカードか、個人で設定したパスコードを入力することで外れるが、機会がなかったせいもありお互いまだパスコードは交換し合っていなかった。とはいえスコールのIDは指揮官権限でどのドアのロックも外せるし、セルフィもその気になれば某CC団のキングよろしく、スコールの部屋に入り込むくらいは造作もないだろうが、何となく許可なしにドアを開ける気分にはなれないし、セルフィの方もそういうタイプではないだろうとスコールは思う。
「…………」
 ふいに自分の姿が妙に間の抜けたものに思えたスコールは、ちょっと息をつくと、気晴らしに外へ出ることにした。ゲートの外に出ることはできないが、中庭くらいなら出ることができる。以前のように、教官が眼を光らせているような光景はあまり見られなくなっていた。
 中庭に出て、空を見上げる。漆黒の夜空一面に無数の星が輝いていた。綺麗な星月夜だった。
 月が綺麗だったので、木立の中に足を進めることにする。記憶を辿りながら抜け道を通ると、校舎の裏手に出る。ほんの少し高台に位置し、海と星と月をバランス良く眺めることのできるその場所は、以前キスティスに連れられた『秘密の場所』よりも実は景色の良い穴場だったりする。
 だが、その日は意外なことに先客がいた。
「…………」
 足を止め、スコールは驚くべきか呆れるべきか、反応に困ってしばし立ちつくしてしまった。
 やわらかな草の絨毯の上で、月の光を浴びながら実に気持ちよさそうに眠っている小柄な少女。
(何やってんだよ……)
 どっと疲労感が押し寄せてきて、スコールはそっと額に片手を当てた。
 濃紺に七分袖の、相変わらず裾の短いワンピース。首にかけられ地面にこぼれた銀鎖のペンダント。肘から下の露出した細い左腕に巻かれた白い包帯。左手首に輝く幅広のオダインバングル。ファッション性より実用性重視の、底の厚いブーツ。投げ出された右手のすぐ傍でスリープしている、愛用のノートPC。蓋の部分に謎のキャラクターシールがべたべた貼られている辺りが彼女らしい。
 部屋のチャイムを鳴らしても出ないはずだった。
「……おい、セルフィ」
 いつまでも寝顔を鑑賞していても仕方がないので、スコールは地面に膝をつくと、あまり大きくない声で呼びかけながらあどけなさの残る頬を手の甲でちょっと触れた。
「おい、風邪引くぞ」
 比較的年間温暖な気候のバラムにも、四季はある。秋も深まろうというこの時期、月光浴して眠るには少々風は冷たかった。
 思いがけず深く熟睡していたらしいセルフィが、それでも小さく「あにゃ?」などと呟いてぼんやり眼を開いた。寝起きの者特有のぽやぽやした表情で、緩慢に眼をこすりながら自分を見下ろしているスコールを見た。
 無言でじいっと見上げられ、スコールも思わず無言のまま視線を受け止める。
 妙に長い時間そうして見つめ合って、やがてセルフィがようやくまともに覚醒した表情になった。
「………………あれぇ?」
「あれ、じゃないだろ」
 突然素っ頓狂な声を上げたセルフィに、氷点下零度の声でスコールが素早く突っ込みを入れた。

***

「なんだ〜寝ちゃったのか〜。報告書上げなくちゃいけなかったのにな〜」
 スリープしていたPCを再起動させながら、セルフィがえへへと小さく笑った。
 任務帰りにしてはこざっぱりとした様子から見るに、一度部屋に戻って、PCを抱えてここまで来たらしい。
「でもなんでスコール、あたしがここにいるってわかったの〜? あっもしかしてもしかして、愛の力とか〜!?」
 眼をきらきらさせて顔をのぞきこんでくるセルフィの額を、スコールは呆れ顔になって指でこづいた。
「偶然に決まってるだろ。大体あんたこそなんで、この場所知ってるんだ?」
 あまり他人と打ち解けない青春時代を過ごしてきたスコールだが、この場所で時間を潰している間誰かに見つかったことは一度もなかった。少しわかりづらい所だし、良く知られている場所というわけではないはずだ。
「そりゃも〜、セフィちゃんは抜け道王ですから!」
 えへん、と薄い胸を反らしてセルフィが誇らしげに答える。
 そういえば石の家の孤児院時代も抜け道王だったし、トラビアガーデンの子供達も確かそんなことを言っていたと、スコールは記憶を探り当てた。
「あ〜でもスコールが先に見つけてたなんて、意外だな〜。スコールも何気に抜け道王なの?」
「……どうかな」
 スコールは軽く肩をすくめる。SeeDになる以前は個室が与えられていなかったので、ひとりになりたければ誰も来ない場所を探すしかなく、場所を求めて見つけたのがここだったというだけなのだ。別に好奇心で冒険した結果見つけた抜け道という訳ではない。
 言葉に出して言ったわけではなかったが、スコールの表情から大体察したセルフィは、座り直した膝の上にPCをきちんと乗せながらくすくすと笑う。
「ごめんね〜、もしかして、ここスコールの取っておきだったりした〜?」
 ひとりになって、のんびりするための。
 セルフィはバラムガーデンに生活の拠点を移してから、あちこち巡っていくつかの抜け道を見つけていたが、その中でもこの場所が一番景色が良いことを知っていた。いい具合に校舎が陰になって、校庭や内部の喧噪とも無縁の、昼寝するにはお誂え向きな静かな場所だったのだ。
 大事な不可侵領域を侵すことになったかと問いかけるセルフィに、スコールは小さく首を横に振った。
「別に……あんたならいいさ」
 呟くような声に、セルフィは一瞬意外そうに眼をまたたいたが、ふわりと小さく微笑しただけで何も言わなかった。
 ぱちぱちとキーボードを叩く音が、静かな闇の中響き始める。月明かりとディスプレイの光だけしかないので、眼を悪くしそうだとスコールは何となく思ったが、口には出さなかった。
 かわりに、細い左腕に巻かれた包帯に眼を止める。
 左上腕の複雑骨折と、多発肋骨骨折。確か後頭部に裂傷もあったはずだ。なけなしの指揮官権限を駆使して先に得たセルフィの任務情報である。
 それらの怪我が、すでに回復魔法で治療済みであることも知っている。骨折した時はたとえケアルで治した後であってもカドワキの診断を受けなくてはならない決まりになっているから、セルフィの左腕に包帯を巻いたのはあの保健医に違いない。後遺症などの心配はないが、一応念のため今日一日は安静に――大方そんなことを言われたのだろう。骨を折るたび、同じ言葉を聞いたことはスコールの記憶に残っている。
 なぜそんな大怪我をセルフィが負ったのかも、大体スコールは事情を察していた。スコールは今それについてきちんとセルフィを叱っておく必要があった。――だが、果たしてどこから切り出してよいものか、見当がつかない。
「ね、他にどこ知ってる〜?」
 あれこれ考え意を決して口を開きかけた途端、出鼻をくじくようにセルフィが訊ねた。
 開きかけた口を閉じることも忘れ、言われた言葉の意味を取り込むこともできずにいるスコールに、セルフィはもう一度繰り返して訊ねる。
「あたし他にもいろいろ抜け道見つけたよ〜。スコールはいくつ見つけてる〜?」
 ごくんと言葉を飲み込むついでに口を閉じ、表情を改めてセルフィを見ると、セルフィも同時に視線を空からスコールへと移してにっこりと笑った。
「南の水飲み場の〜、横のフェンス、知ってる?」
「あぁ、破れてるんだろ。だがあそこは風がよく通るかわりに、モンスターもよく通るんだ」
 うっかり昼寝などしようものなら、一大事。一時間後には地獄の底で眼を覚ますことになる。
 くすくすとセルフィは笑って頷いた。
「な〜んだ、スコールも経験済みか〜。じゃあね〜、ノーグの銅像跡地!」
 次にセルフィが挙げたそこは、長くバラムガーデンで『謎の銅像』として親しまれてきたノーグの銅像のあった場所だ。マスター交替に伴い撤去されたわけだが、思えば誰も正体を知らないマスターの銅像が、ずっと説明なしに置かれていたというのも変な話である。説明を『あえて』しなかったのだとすると、シドの複雑な胸中が忍ばれる。
「そこはけっこう有名だぞ。ひとりになれる場所とは言えないな」
「え〜そうなの〜? な〜んだ、日当たり良さそうだったのにな〜。えっとそしたら〜」
 指折り数えながら楽しげに自分がこれまで見つけた、お昼寝ポイントを上げ連ねるセルフィに、スコールも仕方なしにつき合ってやる。ちなみに仕方なくと思っているのは当人だけで、傍から見れば無闇に幸せそうな顔をしていたりするのだが、幸いこの場にそれを突っ込める人間は誰もいなかった。
「なんだ、それだけか?」
 さすがに10年以上バラムガーデンに住んでいるだけあって、セルフィがこれまで見つけた抜け道・お昼寝ポイントはすべてスコールの既知の場所だった。喉奥で小さく笑いながらさらに他にもあるとほのめかすと、セルフィが悔しげに頬をふくらませる。
「も〜、だってまだ全然探検する時間ないんだから、しょ〜がないでしょ〜」
「……顔が崩れるぞ」
 指で突いてぷしゅんと空気を抜きながらスコールが苦笑した。
「教えてやろうか?」
 誰にも教えたことなどないが、セルフィになら特別に教授してやらないこともない。
 かすかに白群青の瞳をいたずらっぽく輝かせて提案したスコールに、しかしセルフィはぶんぶんと首を横に振った。
「あ〜いいのいいの! こ〜いうのは〜、自分で探すから楽しいんだよ〜!」
 単純に昼寝ポイントを探し求めていただけのスコールと違い、抜け道を探す過程こそが目的であるセルフィはきっぱりと笑顔で固辞する。
「それにほら、自分で見つけた秘密の場所ってさ〜、誰かとかくれんぼしてるみたいで、ちょっとドキドキしない〜?」
 誰にも見つからないところにこっそり隠れて。そんな人はいないとわかっていても、隠れた自分を誰かが探しにくるような、ちょっとしたスリル。
「あいにく俺はまだ、一度も見つかったことはないけどな」
 軽く笑って答えると、セルフィはくるんと眼をまるくした。
「そうなの〜? サイファーとかキスティとか、見つけにきたりしなかったの〜?」
「サイファーは抜け道を見つけるような細かい性格じゃない」
 きっぱりとスコールは首を振る。たしかにサイファーのあの性格では、周辺を細かく観察なんて真似はしそうにない。
「それにキスティスは、ちょっと頭が固い」
 聡明であることは間違いないが、常識的で突飛な発想に恵まれないキスティスでは、意外な場所に点在している抜け道なんてそもそも興味自体がない。
 なんだかんだ言ってよく相手を見ているんだなぁとセルフィは考えながら、膝上のノートPCを地面に置いてから、身体全体でスコールに向き直った。
「よ〜しじゃあ〜、宣戦布告!」
 びしりと人差し指を突きつけられ、眼をまたたいているスコールに、にこにこと全開の笑顔でセルフィは続けた。
「どの場所に隠れてても〜、ぜったいぜったいぜ〜ったい、セフィちゃんがスコールをいっちば〜ん最初に見つけるからね! 他の人に見つかったら、しょーちしないんだからね!」
「承知しないって、他の奴の動向なんて俺が知るかよ」
 呆れたような低い声に、セルフィはまたぷんと頬をふくらませた。
「だって、スコールはあたしを最初に見つけた張本人なのに、その逆はまだなんて絶対ずるいもん!」
 とっておきの秘密の場所で泣いていたセルフィを見つけた、最初の人。
 スコールは一瞬眼をまたたいて、それからふっと苦笑しながらまたセルフィの頬の空気を指で突いて抜いた。
「ずるいとか言う問題なのか?」
「ずるいもんはずるいの〜! だからこれからは〜、あたしの知らない場所でお昼寝すること!」
 知っている場所では探しがいがない。わがままな命令を下す小さな姫君に、スコールは笑いを噛み殺そうとして殺しきれず、ついに肩を揺すって笑い出した。
「……昼寝する時間があるならな」
 お互い多忙なことではガーデン中でも一、二を争う二人である。
 冷静に現実を突きつけられ、む〜とセルフィは唸る。
「なくてもつくるの〜!」
「ああもう、わかった、わかったから……!」
 ずいずいと身を乗り出してくるセルフィに、ついにスコールは降参した。
 泣く子とセルフィには勝てないと昔から決まっている。
「わかればよろし〜い!」
 これでオフの日の楽しみが増えたと満足げに笑うセルフィを、スコールは二の腕を掴んで押し戻す。密着しかけた華奢な身体からふわりと漂ってきた香気に、その時になってようやく気がついた。
 爽やかな、柑橘系の香り。香水ほど強くはないが、シャンプーの残り香にしては主張が強い。
「……なんかつけてるか?」
 思わず訊ねると、腰を地面に落ち着けかけたセルフィが、ぱっと顔を輝かせてまたずいと身を乗り出してきた。
「あっ、わかるわかる〜? えへへ〜いい匂いでしょ〜!」
「あぁ……よく合ってる」
 香りの量としてはきつすぎず、種類としても嫌いな香りではなかったのでスコールが頷くと、セルフィはえへへへ〜とご機嫌いっぱいに笑み崩れた。
「あのね〜、コロンもらったの〜! ほら、任務とか行くと汗とかいっぱいかくのにお風呂きちんと入れなかったりするでしょ〜? で〜、香水ほどキツくないし持続力薄いけど、コロンとかつけると紛れるよ〜って、トラビアの友達が贈ってくれたの〜」
 十年以上過ごしたセルフィの故郷、トラビアガーデンの生徒はさすがにセルフィを良く知りつくしている。これ以上セルフィのイメージに合う香りはないのではないかと思うほど、その香りはセルフィらしいものだった。
「あたしコロンつけるの初めてだし〜、スコールこういうの嫌いかな〜って心配してたんだ〜。えへへ、よかった〜」
 ちょっと白い頬を上気させて照れ笑いをするセルフィは、SeeDだなんて思えないほどあどけなく見える。
 そして一片の邪気もないその笑顔は、無口無表情無愛想と三拍子揃った美貌の指揮官を、骨から脱力させる恐ろしい威力を持っているのだった。
「うひゃ?」
 いきなり前のめりにスコールが倒れてきたので、セルフィが表記不能に近い変な声を上げた。
 薄い肩にごつんと額をぶつけてそのまま動きを止めたスコールの頭が、柑橘系コロンの香りでいっぱいになる。
 色々言うべきことがあったはずなのだが、物の見事に思考が停止していた。
「…………腹が減った」
 自分でも呆れるような一言が、自動的に唇からこぼれた。
 ぺたんと地面に直接尻をつけて座ったまま、スコールの重い頭を受け止めていたセルフィが、それを聞いて呆れた顔を見せたが、もちろんスコールにはわからなかった。
「なあに〜? ま〜たご飯忘れたの〜?」
 鈴を転がすような笑い声と共にセルフィが図星を指す。基本的に生真面目で、集中力の鬼であるスコールは、デスクワークなどをやらせると時間感覚をなくして時々食事を飛ばしてしまう。任務中であれば体調管理も義務の内とばかりに、栄養補給を怠ることはないのだが。
「う〜ん、そうだな〜、あ、チョコレート食べる?」
 甘い物大好きなセルフィの服のポケットには、大抵飴だのチョコレートだのが常備されている。
 大して甘い物に興味はないスコールだが、嫌いではないので小さく頷いた。
 顔を上げようとしたとたん、セルフィの手がひょいと動いて、スコールの肩をつかむと軽い動きで身体をひっくり返した。見た目とは裏腹な怪力のなせる技である。
「…………」
 セルフィの膝上に頭を落ち着けてしまい、なんとも微妙な顔でスコールがセルフィを見上げる。うふふふ、と不吉に笑いながら、セルフィがスコールを見下ろして、おもむろにポケットからチョコレートを取り出しながら言った。
「はい、あ〜ん」
「…………」
 あまりといえばあまりの仕打ちに、スコールは絶句して全身を硬直させた。
 うきうきと翠の瞳を輝かせているセルフィは、親指と人差し指で一口大のチョコレートをつまんで待ちかまえている。
 セルフィがこの手のタイプと想定していなかったスコールは、完全に混乱した。次の行動の予測がつかず、どう行動するのがベストなのかもよくわからない。
「…………どこで覚えてきたんだ、そういうの」
 辛うじて喉から絞り出た問いかけに、セルフィはにこにことしながら小首を傾げて答えた。
「リノアが送ってくれた恋愛ドラマのビデオ。色々参考にしてね〜って」
 余計なことを教えるな、余計なことを!!
 一瞬脳が沸騰するような勢いで遠いガルバディアの空にそんな念を飛ばしてしまったスコールを、責められる人間は恐らくいないだろう。
「もお、いらないの〜?」
 恋人同士とはかくあるべきという、間違いまくった認識を刷り込まれた少女が、あくまでも逃げを許さずスコールを追いつめる。
 果たしてこのチョコレートを食べさせて(!)もらうべきなのか、セルフィの不興を買ってでもこの膝から頭を上げるべきなのか、情けないことにスコールには判断がつかなかった。――そう、泣く子とセルフィには、たとえこの最強SeeDと謳われた指揮官でも勝てないのである。
 三十秒間たっぷりと、スコールはチョコレートと全開の笑顔とを見比べた。
 それから五秒間で、自暴自棄に近い精神状態になった。
 眼を閉じて、それでもやっぱり七秒くらいはプライドをねじ伏せるのに時間を要した。
「えへへ〜、はい、ど〜ぞ」
 語尾にハートマークでもついているかのような声でそう言って、セルフィはやけくそなスコールの口の中にチョコレートを投下した。

***

 後から思い返す気にもなれない心情で、チョコレートを1ダース食べ終えたスコールは、やけくそついでにしばらくの間、セルフィの膝を確保しておくことに決めた。どうせ誰も来るはずもない場所だし、細いだけに思われがちなセルフィの脚は、実は良質な筋肉に恵まれていてなかなか居心地が良かったりする。
 それからようやく、セルフィが帰還してきたら叱らなくてはと決めていたことを思い出した。
「……腕」
 ぼそりと切り出す。今さら何を取り繕う気にもなれなかったので、今度は比較的すらりと言葉が出た。
「と、肋骨だったか? 骨折箇所は」
 不意打ちを食らって、セルフィはびっくり顔でスコールを見下ろした。
「鎖骨にヒビも入ったよ〜」
 隠すことでもないので、大まじめに訂正する。
 スコールは大きく溜息をついた。
「普通、大の男が落ちてきて、受け止めようなんて無茶なことを考えるか?」
 そう。
 セルフィが盛大な大怪我を負った真相は、そもそも彼女達と共にモンスターの巣窟に飛び込んだ某国兵士が吹っ飛ばされ、それを無謀にも受け止めようとして衝撃をまともに食らい、地面に叩きつけられたからなのだ。
「生身じゃないもん。魔法もG.F.も使ったもん」
 言い返すセルフィの言葉に嘘はない。プロテスをかけ、パンデモニウムを召喚し、衝撃を最小限に食い止めるだけの努力はした。でなければセルフィは今頃、この世にいない。
「それに、無茶なのはあたしなの?」
 ぷんと頬をふくらませたセルフィに、スコールは小さく吐息をついた。

***

 セントラ大陸にモンスターが異常発生しているというニュースを聞いたのは、つい最近だ。
 人的な操作が及んだ上のことなのか、自然に異常現象が起きただけなのか、判然としなかった。
 だからガーデンに依頼が飛んだ。数名のSeeDと、依頼主から貸し出された一個小隊とで危険なモンスターを巣ごと全滅させ、何体かを捕獲しサンプルとして持ち帰るのが任務内容だった。
 依頼主が誰かは明かされなかったが、現地で合流した部隊を見てエスタだろう、とセルフィは気づいた。
 エスタの誰が依頼を出したのかは知らない。ラグナでないことだけは確信できた。
 エスタの、上層部の人間。セルフィが<第三次エスタ危機>、通称サードパニックと呼ばれる一連の事件で手に入れた『ハインの遺産』のことを知り、卒業後のセルフィの身柄に関し現在ガーデンと折衝を続けている、誰か。
 そしてその人物が、セルフィに対し何を望んでいるのかはわかっていた。
 セルフィ個人の――『ハインの遺産継承者』としてではない、一介のSeeDとしての、武勲と名声だ。いつかセルフィをエスタが手に入れた後に役立てるための。
 だからこそ、セントラなんて遠い場所のモンスター討伐にも首を突っ込んできたのだ。
 セルフィに与えられた任務には、それを裏付けるひとつの指示があった。
 ――――貸し出される一個小隊の兵士の前での、スロット魔法の使用は厳禁とする。
 それがすべての答えを指し示していた。

 合流したエスタ軍の一個小隊を率いてきた中尉は、セルフィの顔を見てあからさまに胡乱げな顔をした。見た目で侮られることには幸い慣れていたので、セルフィは何も思わなかった。
 サードパニック以来、急速にエスタ国内で軍事力の強化が叫ばれていることはセルフィも知っていた。功を焦る可能性が最も高いのが、エスタの軍人であろうということも。
 足を引っ張ったりしなければいいな、と心の片隅で思った。そしてその危惧は現実になった。
 功を焦り部隊が無謀な行動に移った、その時点でセルフィの手の内には、まだプラスチック爆弾があった。もう少し巣の中心部に入り込んで仕掛けなければ、モンスターを全滅させることなど不可能だ。けれど、陽動の意味を完全に理解できていない彼らの動きでは、とてもそこまで時間は持たないようにも思えた。
 そして、セルフィ達SeeDの最優先事項は任務完遂であり、エスタ軍の兵士達の生命保護ではなかった。
 それでも、セルフィは可能な限りの努力をし、結果を出せたと自分では思っている。
 人とモンスターの死体の山と化したその巣穴で、セルフィは最後まで残って、運良く生き延びた彼らの撤退に尽力した。仕掛けた爆弾が爆発する寸前で、副班長だったSeeDが無理矢理セルフィを巣穴から引きずり出してくれた。少し爆風でよろめきながら振り返った視界内に、飛ばされてくるエスタ兵が見えた。とっさにパンデモニウムをセルフィは召喚し、同時に副班長がプロテスを唱えた。落下地点を予測し走りながら、頭の中で計算していた。プロテスによる物理的衝撃の緩和度と物体の落下速度と固い地面にぶつかった場合の衝撃度。空を飛ぶ兵士が手足をばたばたさせているのがわかった。自分の口が何かを叫んだ。思い切り両腕を広げた。もう一度叫んだ。今度はプロテスと唱えた自分の声が聞こえた。
 プロテスとプロテスの魔法がぶつかった。
 激しい衝撃に、セルフィは兵士を弾き飛ばし、そして自分も飛ばされた。空白化した思考は、幸運にも一切の痛みをセルフィに伝えなかった。だが地面に落ち、数秒で意識を回復したセルフィは、思い切りよく飛び起きてそのまま地面に逆戻りした。死にそうな痛みに耐えて顔だけ上げると、逃げまどう入口付近のモンスターが地面を揺らす勢いで駆け回り、SeeD達が苦戦していた。エスタの兵士たちは使い物になりそうもないのもわかった。戦闘不能の者ばかりで、誰も地面に転がっているセルフィのことなんて見ていなかった。
 スロット魔法の使用は禁じられている。けれどもう、セルフィはためらわなかった。どうせ見ている兵士なんていやしないし、見たところで意識が混濁しているだろうから夢と思うに違いない。大体ここまでスロット魔法なしで成果を上げたのだから、そのくらいは許されてしかるべきだろう。
 フルケアを唱えるより先に、ジエンドと唱えたセルフィの行為を、当然誰も咎めなかった。

***

「兵士さんは全身打撲と骨折数カ所に脳挫傷で即入院だって。ま〜死んではいないと思うけど。……中尉さんがど〜したのかはわかんないや〜」
「……命令違反で軍法会議にかけられるのがオチだろう」
 その一言で、あの中尉が無様に生き残ったことがわかった。
 嫌な記憶をいっきに言葉にしてしまったことで、ちょっとセルフィの気分が落ち着いた。言わせようとしてくれたのか、単に話の流れでこうなっただけなのかはわからなかったが、黙って聞いてくれたことが嬉しかった。
「骨なんて折ったのはじめてだよ〜」
 ふう、と息をついてセルフィが笑う。スコールがくすりと笑みを返した。
「それは運が良かったな」
「スコールは折ったことあったんだ〜?」
「覚えていないくらいには」
 あっさりと答えたスコールに、どひゃーとセルフィが頓狂な声を上げた。ちなみに骨を折りまくったのは無茶をしがちだった十代前半の頃で、SeeDになってからは数回しか骨を折った記憶はない。――ちなみに一番骨折箇所が多かったのは、何を隠そう例のサードパニックの最中、高所から落ちたあの時である。
「……それにしても、露骨だな」
 意味のない骨折自慢を早々に切り上げ、スコールは視線を月に移しながらぽつりと呟いた。
 スコールをガーデンに、セルフィをエスタに。水面下ではほぼ決定事項となりつつある、未来予想図。
 恐らく、エスタ兵を任務に『貸し出し』などしたのも、セルフィが卒業後エスタに引き渡されることがほぼ決定済みであるからこそだろうとスコールは踏んでいる。わざとセルフィとエスタの軍人たちを、面通しさせているのだ。
 事実、セルフィが関わった前作戦もエスタ絡みのものだったし、今作戦も含めてセルフィと関わった兵士の間に、急速にセルフィに対する信仰にも似た感情が広がっていることをスコールは知っていた。
 小柄で華奢で。けれど可憐の二文字が似合わないくらい覇気があって。人当たりが良くて天然で、なのに戦場に一歩踏み入れば自ら率先して舞うほども鮮やかに敵を血祭りに上げ、撤退時は誰より最後まで残って部下の逃走経路を確保するような十代の少女。
 出来すぎなくらいに象徴的ではないか。
 とどめは特殊能力の使用禁止命令だ。まさに魔女に対する嫌悪感の強いエスタ軍の性格を知りつくした指示であると、スコールはある意味感嘆せざるを得なかった。
「おかげでスコール、い〜っぱい書類抱えてごはんも抜きだもんねぇ〜」
 ほのぼのとした口調でセルフィが応じる。
 シドの行動もなかなかどうして、相当に露骨であからさまに隠居する気満々である。
 この調子で行けば、間違いなくスコールが三十路になる頃には、ガーデン学園長を名乗っていることだろう。
「……勘弁してくれ」
 うんざりとスコールは答え、少し身体を横倒しにした。頬に当たる子供体温なセルフィの温もりが心地よい。
 まったく、この膝を恒久的に確保するのには、ずいぶんと高いハードルを山ほど越える羽目になりそうだった。
「難しいよねぇ〜」
 呟いて、セルフィはちょっと前屈みになると苦笑した。
「戦うことば〜っかしか、知らなかったもんね〜」
 小さな小さな頃から。
 なぜと問うなかれと教え込まれ骨の髄まで叩き込まれて殺す技術だけを詰め込まれて。
 今さらそんな自分たちに、権謀術数をめぐらす官僚やら何やらと相対しろという方が、どだい無茶な話なのだ。
「でも、まあ……時間はまだあるよ。ど〜いう経緯かはともかく、得たものはあたしたちのもの、なんだしね〜」
 エスタの官僚がセルフィに身につけさせた名声の数々は、使い方次第でセルフィ自身の武器にだってなるはずだ。
「……そうだな」
 SeeDは何故と問うなかれ。
 身体で覚え込んだ鉄則。ガーデンで生きていくために必要だったもの。
 だが。何故と問うことは許されなくても、何故と考えることまで制限されている訳ではない。
 何故と問いかけることができないなら、自分の眼で見て耳で聞いて、自分の頭で答えを導き出せばいいのだ。
 あの一年以上も前の魔女戦争で、そしてエスタで起きたサードパニックと現在に続く一連の流れで、スコールとセルフィが得た真実だった。
「のんびりしてる時間までは、ないだろうけどな」
 居心地の良い膝の上から身を起こし、スコールは伸びをしながら付け加える。
 知らなければならないことも、考えなければならないことも、やらなくてはならないことも、たくさんある。
 セルフィはにっこりと笑って頷くと、軽い動作で立ち上がるスコールを見上げた。
「でもだいじょ〜ぶ! ひとりじゃないもんね〜!」
 月を背にしてスコールが静かな眼差しをセルフィに向ける。スコールには月が似合うな、とセルフィはちょっと思った。
「味方はいっぱいいるもん。ここにはゼルとかキスティとかサイファーとかがいるし〜、ガルバディアにはリノアとアービンがいて、エスタにはラグナ様とおねえちゃんがいる。セントラにはママ先生だっているよ。それに……」
 サイファーは果たして純粋に味方なのか? 一瞬浮かんだ疑問を黙殺しながらスコールは先を促した。
「それに?」
「あたしにはスコールがいて、スコールにはセフィちゃんがついてます〜! ほ〜ら、心強いでしょ?」
 びしっと人差し指を立てて、セルフィがきっぱりと笑顔で断言した。
 約七秒ほど沈黙して、スコールがくっと笑い出した。
「……そういう台詞もドラマで覚えたのか?」
 くっくっと喉の奥で笑いながらそう問われ、セルフィはむ〜っと盛大にむくれた。
「違います〜! も〜、なんでそ〜やってかわすかな〜!」
 せっかく大真面目に言ったのにさ〜とセルフィは拗ねまくり、スコールはますます肩を揺すってくすくす笑う。
 あんまり笑っているとセルフィが本気でへそを曲げるので、どうにか笑いをおさめながらスコールは頷いた。
「あぁ、悪かった」
 声に多少の笑いの余韻が残るのは仕方のないところだろう。
 まだむくれた顔をしているセルフィを、スコールは上体を折りかがめてのぞきこむ。
 顔が近づくと、どうも条件反射的に唇を寄せたくなるのは考えものだ。そんなことを思いながら口を開いた。
「……いい殺し文句だったが、あんまり簡単に口にしない方がいい」
「なにが?」
 言葉の意味を捉えかねて、セルフィが訊ねた。スコールの眼が一瞬、いたずらっぽく輝いた。
 みにゅあ! とやっぱり表記不能の声が上がったのは次の瞬間だった。
「攫って逃げたくなるからだ」
 ものすごく強引にセルフィを抱え上げて、にやりとスコールが笑った。
 軽々と片腕にセルフィをおさめているスコールは、外見からは予測もつかない腕力を持っている。両腕でお姫様抱っこをされるよりは、こっちの方が恥ずかしくはないのだが、何にせよセルフィは驚いてぽかんとしていた。
「……ああ、でも、それはそれで悪くないかもな」
 ふと思いつきを口にして、確かに悪くはないなとスコールは考える。
 セルフィは片腕で抱き上げられてしまうほど軽くて小さいし、その気になれば武器を片手にどこにだって逃げられるのではないだろうか。――考えてみたことも、なかったけれど。
「なんなら今から逃避行でもかまわないが」
 ぶんぶんぶん、とセルフィが首を横に振った。
「だめ! それはだめ〜!! だってまだ学園祭やってないもん!!」
 その言葉に、スコールは全身を駆け抜けた爆笑の衝動を抑えるのに数秒を要した。
 抱いたままのセルフィの肩に顔を埋めてくくくくく、と笑っているスコールに、セルフィは何とも言えない顔になる。
 セルフィと話していると、どうも笑ってばかりだなとスコールは頭の片隅でふと考えた。
「学園祭終了後ならいいわけだ……」
 セルフィの白い頬が、その一言でみるまに紅潮した。大きな翠の瞳が空を泳ぎ、ふいとそむけられる。
「…………最終手段ならね〜」
 辛うじてそれだけ言った。
 でもちょっとだけ、本当にちょっとだけ、今すぐ攫われてしまうのもいいかも、なんて考えも脳裏をかすめていた。
 逃げたりするのはセルフィの流儀に反することだけれど、スコールが本気なら全然まったくかまわなかったのだ。
 ……もちろん、スコールには内緒だけれど。
「あ〜あとほら! 抜け道! あれも譲れないんだからね〜!」
 はたと先ほどの会話を思い出し、セルフィは付け加える。
「見つかる前に逃げようなんてナシだからね〜!」
 わかったわかったと苦笑して頷き、スコールは背筋を伸ばしたまま膝を曲げ、セルフィを抱えていない左手で落ちていたノートPCを拾い上げた。
 そのまま寮に戻るべく歩き出したスコールに、抱えられたままのセルフィがきょとんと眼をまたたく。
「……明日早いんだ」
 セルフィは今日の怪我で明日一日くらいは休みを命じられるだろうが、スコールはそうも行かない。
「しばらくまた、お月見できないね〜」
 くすりと笑って、セルフィが頭上に輝く月を見る。大量のモンスターの産地なのはわかっているが、それでもこの星から見える月は綺麗でセルフィは好きだった。――行けと言われたら絶対に嫌だったけれど。
「月見、か」
 同じ事をスコールも思ったのだろう、かすかに苦笑するのがセルフィにも伝わった。
 きっと次にセルフィが考えたことも、スコールと同じだと確信した。
 言葉にしておくべきか考えて、セルフィは結局やめた。
 かわりに、首筋と肩の間あたりに額を埋めた。ファーが少しくすぐったくて、セルフィは眼を閉じる。
 次の『お月見』の日も、綺麗な星月夜だといいなぁ――そんなことをぼんやり考えた。

***

 寮の入口に着いた時、やけに静かだと思っていたセルフィがすっかり眠ってしまっていたことにスコールはようやく気づき、十秒ほど困ってその場に立ちつくした。
 見事なまでの熟睡ぶりに、今日の――正確にはすでに昨日だが――過酷な任務と少女が受けた身体的負荷を思い返し、起こすことはどうしてもできなかった。
 かといって、セルフィの部屋のパスコードを知らないスコールが連れて行ける場所といったら、当然自分の部屋しか思いつかなかった。
(今夜は寝袋だな……)
 ちょっとだけ、理性に自信のないスコールは、そうひとりごちた。