*天と地上のあいだ*



 眼を覚ますと、いい風が吹いていた。
 開けっ放しになっていた窓からそよぐ風に混ざる潮の香りに、セルフィはベッドから半身を起こしてご機嫌になる。
 そそぐ陽射しも暖かく、実に過ごしやすそうな一日になりそうだ。
 久しぶりに任務のないオフの日がこんなふうに良い天気だと、自然気持ちも明るくなる。
「ん〜いい天気〜! 今日はどうしようかな〜!」
 せっかくの休日をいかにして満喫するか、セルフィはベッドの上でしばしうきうきと考えた。

***

 バラムは世界でも温暖な気候を持つ島国だ。
 北は極寒の地トラビアに幼少時身柄を移され、そこで十四年以上も過ごしたセルフィは、秋風吹く月となった現在も半袖一枚で十分なほど過ごしやすい。
「ね〜スコール」
 自分の前に立つ全身黒ずくめの青年を眺めて、セルフィは呆れたような声を上げた。
「暑くないの?」
 一体この青年は黒以外の服を持っているのかと首を傾げたくなるほど、とにかく毎日黒い服ばかり着ているスコールは、セルフィの視線を受けて無表情のまま片眉だけ器用に上げてみせた。
「……寒くないのか?」
 黒の半袖カットソーに赤と黒のチェックのミニスカート。どちらも薄手で、細い腕と脚が八割方露出している。傍目から見れば寒々しいことこの上ない。
 お互いに今さら答えるまでもない問いかけをし、それから二人ともしみじみと、これまでの互いの育った環境の違いというものを噛みしめて無言になる。
 しばし妙な沈黙が続き、先に口を開いたのはセルフィの方だった。
「え〜っと……おはようスコール」
 ドアを開けたら眼の前にスコールが立っていて、開口一番暑くないのかと訊ねてしまったセルフィは、とりあえず基本に立ち返って挨拶をする。
「あぁ……おはよう」
 ここでちゃんとおはようと返さないと、しつこく「おはよう」と繰り返されることを経験上熟知しているので、スコールも抑揚のない声で挨拶を返した。
 そのまま、会話が終了する。……いやこれはそもそも会話にすらなっていない。
「なんかあった〜?」
 この話しベタはどうにかならないかなぁと考えながら、セルフィは水を向けてみる。用がなければ、この青年が女子寮の、しかもセルフィの部屋の真ん前で立っているなんてことはあるはずがないのだ。
「あぁ……いや……」
 思慮深げといえば聞こえがいいが、要するに言葉を選ぶのに非常に時間のかかるスコールが、ゆっくりと口を開く。
 基本はセルフィがひとりで喋り、スコールが何かを話す時は黙って待つ、というのが二人の暗黙の了解なので、セルフィはスコールを見上げて根気よく言葉を待った。
「今日……誰と約束してる?」
 散々言葉に迷った末に、スコールは低い声でそう問いかけた。
 セルフィは、約束が好きだ。
 小さな頃スコールやハインとかわしたような真剣な約束から、次のオフにケーキ屋へ行こうなどといった他愛のない約束に至るまで、たくさんの友人とかわした様々な種類の約束は覚えきれないほどで、それらの約束を何より大切にするのがセルフィという少女だった。
「だって約束の数だけ、未来が楽しみになるんだもん」
 一度なぜそんなに約束にこだわるのかと訊ねたスコールに、返ってきた答えはこれだった。
「未来が楽しみになれば、今日一日がんばるぞ〜って気になるでしょ? だから、約束は明日へのガッツの素なのです〜!」
 そう言ってセルフィは無邪気に笑ったものだった。
 そんな約束好きのセルフィは、当然オフの日にどこかへ行こうといった類の約束も山ほどかわしている。
 数少ないオフの日は、約束の相手とスケジュールが合えば実行に移される訳で、大抵朝から晩までセルフィは大忙しということになる。
 なので、朝から声をかけたとしても、セルフィが誘いに応じられる可能性というのは実は低かったりするのだが。
「ん〜、今日の予定はまだ未定だよ〜? スコール、今日オフなの?」
 小首を傾げて訊ね返す少女に、スコールが小さく頷く。わぁ珍しいねとセルフィが顔を輝かせた。
 ガーデン内でも一、二を争う超多忙の二人が、揃ってオフなんて一年に何回あるかもわからない。
 スコールはちょっとためらうように視線を伏せながら、どうにか喉の奥から言葉を引きずり出した。
「……もし、セルフィが暇だったら……」
 慣れない言葉を紡ぐスコールを、セルフィが意外そうな顔で眺めている。
 察しのいい彼女のことだから、恐らく続く言葉も予測がついているだろうが、言うべきことは言わなくてはとスコールは懸命に言葉を続けた。
「連れて行きたいとこがあるんだが……」

***

 それは気のいい実父ラグナが、唐突に手紙を送りつけてきたことが発端だった。
 手紙自体はごく普通に元気でやってるかという内容だったのだが、ジャーナリスト志望のわりに微妙な言葉遣いのその手紙より、スコールに頭痛をもたらしたのは、同封されていたテーマパークの入園チケットだった。
 なんでも最近完全復興を遂げたエスタに新しく作られたテーマパークらしく、規模といい技術といい世界最大を誇る素晴らしいもので、全世界で今もっともスポットを浴びている観光地とのニュースは、さすがのスコールも何度となく耳にしていたのだが。しかし。
「……あいつは俺を小さいガキだとでも思ってるのか?」
 この歳で、よもや実父に遊園地に誘われることになるとは思わなかったと、当惑してスコールは義理の姉エルオーネに電話でこぼした。
 ちゃっかり二枚も入っているということは、二回おつきあいしろと言うことなのだろうか。それともエルオーネの分ということなのか、はたまたセルフィの分なのか。
 意見を求められたエルオーネは、受話器の向こうで弾けるような笑い声をしばしスコールに聞かせた。
『いやだ、もう、スコールったら……それは単に、あなたとセルフィにデートでもどうぞって気を利かせて入れただけよ』
「……は?」
 デートの言葉に、スコールの思考が一瞬凍結して固まってしまう。
 エルオーネは呆れたように笑い続けていた。
『この間ゼルに聞いたわよ。あなたたち、忙しくて全然一緒にいられないんですってね。それをラグナおじさんが聞いて、若い恋人同士がそんなことじゃいかんだろ〜! なんて言い出して突然あのチケットを買ってきたのよ。
 いくら忙しくたって、休みの日が重なることくらいあるんでしょう? 今度のお休みにでも、誘っておあげなさい。
 セルフィはリノアとは違うんだから、あなたから誘わなかったらデートなんて、絶対考えることもないと思うわよ』
 見事なまでに見透かされた発言に、スコールはぐうの音も出なかった。
 ……そう、前の恋人リノアの時は、特別スコールがどこにデートに行くかなどと考える必要はなかったのだ。デートしようと誘うのはリノア、どこに行きたいか、何をしたいかを決めるのも全部リノアで、スコールはその要求を満たしてやれればそれで万事上手くいっていたので。
 だが、対するセルフィの場合はそうも行かない。何しろセルフィは誰かとつき合ったことなど一度もなく、どこかに出かけると言えばそれは大人数でワイワイ賑やかにというのが常識の世界に生きているのだ。おまけに学園祭実行委員長なんて肩書きを持っている彼女は、プライベートの時間も削ってガーデン中を走り回っている。
 そんなこんなで、つき合いだして二ヶ月が経とうとしているというのに、一度もデートしたこともないという現実がそこにはあった。
『そこの遊園地ね、私もこの間ラグナおじさんと行ってきたのよ。ふふ、私服SPの人がたくさんついて来てくれたけど、ラグナおじさんたらあの調子でしょう? 誰も大統領が遊びに来てるなんて気づいてなかったのよ』
 もうラグナとエルオーネは行ってしまったので気にすることはないと朗らかに説明し、エルオーネはふと思い出したように付け足した。
『あぁ、そうだわスコール。もし良かったら――』

***

 セルフィというのは、基本的にどんなことでも楽しんでしまえる性格の少女だ。
 なのでたとえ行き先が海だろうと山だろうと、はたまたそこら辺の公園であろうと、絶対に全力で楽しんでくれるだろう確信があったのだが、遊園地に行くと告げた瞬間のセルフィの反応は、スコールの予想とは少々異なるものがあった。
「遊園地?」
 大きな翠の瞳をさらに大きく見開いて、はっと何かを思いだしたような、衝撃を帯びた顔をしてみせたのだ。
 その反応には、スコールの方が驚き、慌ててしまった。
「あ、いや……もし嫌なら別のところでも……」
 わずかに動揺をにじませた低い声に、セルフィが我に返ったように慌てて首を振る。にっこりと全開の笑顔がスコールを見上げた。
「ううん、全然オッケーだよ〜!! ね、早く行こう、すぐ行こ〜う!!」
 瞳の奥にほんのわずかな翳りは落ちていたけれど、その笑顔はちゃんといつもの心からのものだった。
 嘘偽りは口にしない。言えないことは、言わずにおく自由を持つ。それも二人の間にできたささやかな約束なので、スコールはあえて何も言わず、かすかに笑んで頷いた。


 エスタの技術の粋を尽くして作られたその遊園地は、子供から大人まで楽しめるという謳い文句に違わない、様々な種類のアトラクションを内包した大規模なものだった。
「うわ〜〜! すごいすごい〜〜!! カッコいい〜〜!!」
 めまぐるしく動いているアトラクションの数々と、弾けるような音楽達に、中に入るなりセルフィがぴょんぴょん飛び跳ねて歓声を上げている。
「あっスコールスコール、人形が歩いてるよ〜!! 変な顔〜!」
 ばたばたと両腕を泳がせてセルフィがスコールを振り返る。今日はツインテールにまとめてある明るい栗色の髪が、小柄な肢体が飛び跳ねるたびにぴょこんと揺れた。
「……子供か、あんたは」
 呆れ半分の笑みをにじませてスコールが声をかける。リノアともガルバディアにある小さな遊園地に行ったことがあったが、ここまで無邪気すぎる反応は見せていなかった。
「仕方ないでしょ〜! 遊園地、はじめて来るんだもん〜」
 スコールの声を耳にし、セルフィがぷうっと頬をふくらませた。
 可愛すぎるからやめろと言いたい気持ちを抑えながら、スコールはくすくす笑ってふくらんだ頬を指でつつき、空気を抜く。
「トラビアにはないのか?」
 こういう遊園地などはセルフィが一番好みそうな場所なだけに、一度も行ったことがないという言葉は意外だった。
 もしトラビアに遊園地があればこの少女が行かないはずはなく、行ったことがないなら遊園地自体がないのだろうと考えたスコールに、セルフィは大きく頷いた。
「ないよ〜! トラビア、あんま裕福な国じゃないし、普通の機械じゃ動かないもん」
 一年中雪に閉ざされた極寒の地では、確かに機械の整備も容易ではないだろう。
 納得したスコールに、セルフィは微笑んだままぐるりと遊園地を見渡した。
「それにあたし、転校するまで一度もトラビア出たことなかったんだよ〜。だから遊園地って、一度行ってみたかったんだ〜」
 言葉と共に、セルフィの視線がふっと遠くなった。
 楽しげな音楽響かせ動く遊園地ではなく、そこにはない何かを探すように、翠の瞳が彷徨っている。
 確かに眼の前にいて、明るく微笑んでいるのに、急にその存在が遠くなってしまったような気がして、スコールは思わず腕を伸ばしてセルフィの手首をつかみ寄せていた。
「ん?」
 驚き半分で少女が振り返る。すぐ間近に、明るい翠の瞳がまっすぐスコールを見つめた。
 どうかしたかと眼で問われ、スコールは一瞬の奇妙な感覚が何であったかわからないまま、ゆるゆると首を振った。
 オダインバングルをはめている細い腕をつかむ手をわずかにゆるめ、少し考えてその手をきちんと繋いでみる。ガーデン内ではないので他人の眼を気にする必要もさほどなく、セルフィはされるがままスコールの手を握り返す。
「……さて、何から乗るか?」
 きちんと手を繋いで落ち着いて、スコールはかすかに笑んで問いかける。
 セルフィはにっこりと笑顔を返し、大きく息を吸い込んで、弾けるように答えた。
「もちろん、端からぜ〜んぶっ!」

***

 端から全部、とセルフィは言ったが、アトラクションの多さから言って難しいだろうと思われた。
 しかも三つめに乗った絶叫マシンがセルフィはいたくお気に召したらしく、数回連続で乗ったりしたので、一日でこの遊園地をすべて回るのは事実上不可能になってしまった。
「あ〜スコールスコール、次あれ! あれ乗ろう!!」
 そして一度絶叫マシン系にハマってしまった少女は、もう子供向けの乗り物には眼もくれず、スコールを引きずり回す勢いでなるべく速そうで高そうで怖そうな乗り物を端から制覇していく。
 一般的にこの手の乗り物は男性より女性の方が好む傾向にあるというが、スコールは自分が絶叫系マシンに強い体質であったことを密かに感謝せずにいられなかった。――苦手だったら、とてもこの少女の相手は務まらない。
 そういえばこの少女は基本的に乗り物が好きだった、と今さらながら思い出しつつ、スコールはセルフィの髪を無造作にタオルで拭いていた。先ほど乗った船の形をした乗り物が、そのまま水の中に突っ込んだため、一番前に乗っていたスコール達が目一杯水をかぶる結果になったのだ。
 で、そこでさすがに疲れてきたスコールが休憩を提案し、時間もちょうど昼時だったので、近くのレストランに入り、そこで購入したタオルで水気を拭いているというわけである。
 当のセルフィは眼の前のスペシャルビッグハンバーグランチとやらを片づけながら、パンフレットを見つめて次はどこを制覇するかで頭がいっぱいになっている。自分の髪型がどういう状況になっているかもわかっていない。
 やれやれと思いながら、スコールは見よう見まねでセルフィの髪を元通りのツインテールに結び直してやることにした。
「う? あ〜ごめんね〜」
 さすがに髪を結んでもらう段になって現実に立ち返ったセルフィが、驚いたように眼をまるくした。
「痛かったら言えよ」
 濡れた髪は少し扱いづらい。女の髪をいじることなどこれまでの経験にないので、力の加減もよくわからない。
 だが自分でシルバーのアクセサリーを作ってしまうスコールは、さすがに指先も器用だった。
「すご〜い、スコール器用だね〜。なんかゼルみたい〜」
 感心してセルフィがきゃらきゃらと笑う。セルフィが自分でやるより、綺麗に結い上げられた感じだ。
 やってみれば案外簡単なものだと思いながら、スコールはふと、自分たちに注がれる視線の数が多いことに気づき、あたりを見回す。スコールと視線の合った数人が、慌てて窓の外などに顔を向けた。
 昔から、スコールはその端然とした容姿で注目を浴びることが多い。リノアとつき合っていた頃は、リノア自身美少女だったために男の視線をよく惹きつけていたので、注目されることには慣れている。
 だが、今受けた視線の種類は、今まで受けたものとは少し違っているようで。
「ふ〜ごちそうさま〜!」
 一体この細身の身体のどこにと、毎度思わずにいられない量の食事をきっちり終えたセルフィの声に視線を向けて、スコールは何となく注目されていた訳に気づく。
 元から童顔なセルフィは、ツインテールにするとますます幼く見えるのだ。
 対してスコールは、年齢より少し上に見られることが多い。結果として、今の自分たちは恋人同士というよりむしろ仲の良い兄妹と認識されている可能性が高く、それ故店内の人々も奇妙に温かい、微笑ましいものでも見るような視線を向けていたというわけだ。
「……行くぞ」
 なんとなく面白くないような複雑な気分で、スコールが立ち上がる。
 水を飲んでいたセルフィはびっくりして眼をまるくし、手を引かれて強引に立ち上げられながら、慌ててスコールの後を追って歩き出した。

***

 陽が落ちてきた。
「ん〜と、あと乗ってない速いやつないかな〜?」
 パンフレットを眺めながらセルフィがまだ絶叫系マシンを探している。
 まだ乗る気かと内心呆れながら、スコールはセルフィの三半規管の丈夫さに敬意を表さずにいられなかった。あれだけ飲み食いしてあんな乗り物に片っ端から乗って、気分が悪くならないのは驚嘆に値する。
 何となしに辺りを見回して、ふとスコールはエルオーネが電話で言っていたことを思い出した。
「……セルフィ」
「ん〜? なに〜?」
 パンフレットに没頭しているセルフィが上の空で返事をする。スコールはセルフィの手から、そのパンフレットを取り上げてひょいと顔をのぞきこんだ。
 間近くスコールの整いすぎた顔を直視してしまい、落ちていく夕陽に負けないくらいセルフィがカッと赤くなった。
「一台だけ、俺がリクエストしても構わないか?」
 動揺しているセルフィには少しも気づかず、スコールが訊ねる。え? と一拍遅れてセルフィが間の抜けた声をあげた。
「行くぞ」
 諾とも否とも答えないうちに、スコールはセルフィの手を引いて、まっすぐ歩き出した。
 遊園地の広大な敷地内の、一番の高台にある、大きな大きな観覧車へ。

***

 大観覧車の前に着くと、並んでいるのは若いカップルばかりで、子供の姿はほとんど見えなかった。
 もうすぐナイトカーニバルというパレードがはじまる時刻なので、家族連れは皆そちら目当てで場所取りをしているのだろう。
 腕時計に視線を落とし、スコールはタイミングは大丈夫そうだと考える。平日だったので、さほど並ぶこともなく乗れそうだ。
「おっきいねぇ〜」
 首が痛くなるほど大きく背を反らして、観覧車のてっぺんを眺めながらセルフィが呟く。
 順番が回って観覧車に乗り込む頃には、空の半分以上が濃紺に染まりつつあった。


 絶叫マシンのように速かったり落ちたりするわけではない観覧車だが、どんなものでも最大限に楽しむ少女は、好奇心でいっぱいの表情で窓から外を眺めていた。
「一番上になったら、遊園地全部見えるかな〜?」
 上の方に視線を向けながら、わくわくとセルフィが訊ねる。スコールはくすりと笑った。
「……ラグナロクよりは低いだろうが、遊園地は見渡せるんじゃないか?」
「うん」
 嬉しそうに笑ってセルフィは頷き、それから視線をスコールに向けた。
「スコール、これに乗りたかったの?」
 あんまりイメージじゃないな〜と感想をこぼすセルフィに、スコールはかすかに笑んだまま無言で窓の外を眺めた。
 ――あと三十秒。
「外、見てろよ」
 狭いゴンドラ内でおさまりの悪い長い脚を組みながら、スコールが促す。
 言われた通りにまた窓に視線を向けるセルフィの耳に、独白めいた声が響いた。
「もうすぐ、7時だ」


 その瞬間、セルフィは停電でも起きたのかと錯覚を起こした。


「えっ?」
 園内の照明がいっせいに落ち、次の瞬間色とりどりのライトがいっせいに点灯する。
 闇に染まりかけていた遊園地が、一瞬にして光の洪水と化した。
「うわ、うわぁ……!」
 まばゆい光の街を見下ろして、セルフィが子供のように感嘆の声を上げる。
 見る間に白い頬が紅潮し、翠の瞳がきらきらと輝きだした。
「すごい、すごいすご〜い! 綺麗だねスコール、すごい綺麗だよ〜!」
 ゴンドラがどんどん上昇していく。
 高度が上がるたび、広く続く光の街が眼下に広がっていく。
「すごいなぁ……」
 窓に額をぺたんとつけたまま、夢見るようにセルフィが小さく呟き、息をついた。
 スコールは眼下の光景より、そんなセルフィの横顔に見入っていたので、翠の瞳から突然こぼれ落ちた涙にもすぐに気がつき、心底驚いた。
「……どうした?」
 頬を滑り落ちる雫から眼を離せないまま、スコールはなるべく落ち着いた声で静かに訊ねる。
 まさか自分を見ていたとは思っていなかったセルフィは、びっくりしたように顔を上げた。
「あ――」
 慌てて笑顔になるが、涙はぼろぼろ溢れて止まらない。
 手の甲でそれを拭いながら、セルフィはえへへと小さく笑った。
「ちがうの、ごめんごめん……ちょ〜っと色々、思い出してしまっただけなのです〜」
 別に観覧車が嫌だったとかいうわけではないとフォローを入れ、セルフィは止まらない涙にこらえる努力を放棄して、揺れる瞳をふと外に向けた。
「約束してたんだ〜あたし。トラビアで、仲のよかった友達と」
 トラビアを離れてバラムに行く、あの別れの朝。


 ――――卒業するまでは、やっぱり会えへんかな〜?
 ――――そうやね。SeeDは忙しいて聞くし、無理かもしれへんね。
 ――――そやけど……また会えるよね?
 ――――当たり前やん、卒業したらどこにでも行けるんやもん。いつでも会えるで。
 ――――そやね……いつでも会えるんやもんね……。
 ――――卒業したら、色んなとこ行こうよ。セルフィは、どこ行きたい?
 ――――そやなぁ……遊園地!
 ――――遊園地? もう、子供みたいなこと言うんやから、セルフィは……。
 ――――せやかて、いっぺんも行かへん内に大人になってしまうんよ! もったいないやん!
 ――――はいはい。……ほな、卒業したら、みんなで行こか。
 ――――うん! ほな、約束!
 ――――うん、約束や。


 無邪気にかわされた、少女達の約束。
 ただ生きるだけのことがとても難しい世界に育った彼女が、未来を夢見るためにかわした他愛のない約束をどれほど大切に思っているか、スコールは良く知っていた。
 約束をかわすことの好きな少女は、そうやって生きる希望を未来に見いだしているのだから。
「一度も行ったことがなかったんだよ」
 セルフィが吐息のような声で囁いている。
「だけどもう、約束は守れないって、思ってたんだ……」
 少女達の可愛らしい約束は、トラビアガーデンがミサイルの直撃を受けたあの日、瓦礫の下深くに埋もれてしまったはずだった。
 セルフィが涙に濡れた瞳をスコールに向ける。にこりと、花が咲きほころぶように微笑んだ。
「ありがとスコール。連れてきてくれて……」
 それは明るくて、決して無理のある笑顔ではなかったけれど。
 スコールはゴンドラが揺れるのもかまわず腰を上げ、セルフィの隣に座ると、強引に小さな頭を自分の胸の中に抱え込んだ。
「……また来ような」
 密着した身体に直接響く、艶やかな声に、セルフィはかすかに双眸を震わせる。
 声を出したらしゃくり上げてしまいそうで、無言のままこくこくと何度も頷いた。
 涙の止まらない瞳に、潤んでにじんだ光の洪水が窓から見える。
 綺麗な綺麗なその景色を瞳に焼き付けて、それからセルフィは濃紺の空をゆっくりと見上げた。


 ――――ねえ……見とる……?


 どん、と身体の芯まで届くような音と共に、セルフィの視線の先にある濃紺の空に、大輪の花が咲いた。
 それは空に一番近い位置にいるセルフィ達より、もっとずっと高くに咲いて、流れ星に姿を転じて消えていく。
 地上から響く賑やかな音楽に、パレードの始まりを察したが、スコールは何も言わなかった。
 視線を落とせば、スコールの胸に頬を埋めたまま、セルフィが次々に空に咲く幻の花に見入っている。
 ゴンドラはすでに頂点を過ぎ、ゆるやかに地上に向けて下降をはじめていた。
 ――――もう少し……
 この世界で、自分の傍でしか泣くことのできない不器用な少女を抱いたまま、スコールは誰にともなく願っていた。
 まだ着かないでくれ。せめて、この涙が乾くまで。
 天と地上のこの狭間でだけ、せめて。


 夜空は地上の光と花火に染め上げられ、星すら見えないほど明るく輝いていた。
 遠くなる空を食い入るように見つめながら、セルフィはきっと死ぬまでこの空を忘れないだろうとぼんやり思った。
 この空を、この温もりを。
 生きている限り絶対に、忘れたくないと願った。


 涙はいつの間にか止まっていた。
 けれど温かなその腕は、地上に着くまでずっと離れなかった。



END