なんでもない話・後編
「どこまで行くの?」
レンタカー屋の店員はちらちらとリノアを見ながら、幾分か馴れ馴れしい口調で話しかける。
「えーっと、ウィンヒルまで」
ミニスカートからすらりと伸びている脚をおもむろに組み替えながら、リノアはちょっと気怠げに答えた。
「女の子2人で大丈夫なの?」
店員はさらに車を選んでいるセルフィを不躾に眺めながら、質問を続ける。
「ちょっと心配かなぁ…。迷わずたどり着けるとお兄さんは思う?」
リノアは本当に不安そうに店員の顔を覗き込んだ。いかにもチーマー風のその店員が、心の中で「チャーンス!」と叫んだのは言うまでもない。
「う〜ん、女の子2人じゃちょっと危ないんじゃない?モンスターだってウヨウヨいるんだぜ?」
「えっ…?そんなぁ…」
リノアは泣きそうな顔になって、セルフィに
「セルフィ、やっぱり電車で行こうよ。モンスターがウヨウヨだって…」
「でも、乗り換えとかめんどくさそうだよ?」
セルフィも幾分か不安そうな顔で、リノアと顔を見合わせる。
そのやり取りを、店員はいちいち頷きながら聞き、
「分かる分かる。そっちの彼女の言う通り、ウィンヒルって言うところは、ガルバディア地方でも"辺境"に属する地域でね、電車を乗り継いで行こうと思ったら、気の遠くなるような時間を費やさなくちゃいけないんだ。その点で、君たちが車を利用しようとしたのはいい判断だよ」
店員はすかさず「でも…」と続け、
「か弱い女の子2人が、あーんなところを目指すなんて自殺行為だよ。君たち、見たところガルバディア軍将校のお嬢さんじゃないのか?」
リノアは人差し指を唇に立て、
「しーっ!パパには内緒なの!」
「パパに内緒でウィンヒルに行くのか?」
店員は大袈裟に驚きながら、声を潜める。
「あそこで作っている香水がね、今、学校ですごくはやってるの。前からパパに連れていってって言ってるのに、パパったら仕事が忙しいってちっとも…。取り寄せようにも、通販はやっていないみたいだし、直接行った方が早いでしょ?」
セルフィもリノアの言葉を肯定するように頷く。
ガルバディア軍将校の令嬢=金持ち、しかも申し分なく可愛い2人の女の子を目の前に、店員の心は踊り狂いまくった。
『ラッキー!2人とも上玉!しかも、純粋な世間知らずのお嬢様だぜ〜!!!』
心の中で鼻の下を1m程延ばし、それを表に出さず、親切めいた口調で店員は
「何だったら俺が君たちをウィンヒルまで送り届けてあげてもいいよ」
と、申し出る。
「え〜!?でも、お仕事中でしょ?」
「あたし達、電車で行くから…」
そう言いつつも、可憐な笑顔で店員を見つめる2人。
「いいって、いいって!女の子2人で迷ったりしたら大変だろ?さぁ、乗った、乗った!」
邪な笑顔を浮かべ、2人の女の子を車に押し込んだ時だった。
「コラッ!店の客に手を出すなと何度言えば分かるんだ!!!!」
バレットそっくりな、「怖いですね」と初対面の人にも言われてしまいそうな店長が、怒りに顔を赤くしながら目にも留まらぬ早さですっ飛んできて、店員をタコ殴りにした。
「…まったく!女の客が来るとすぐこれだ!今度こそクビだからなっ!!」
バレットそっくりな店長は店員を放り投げ、リノアとセルフィに振り返る。
「嫌な思いをさせて済まなかったね。燃料を余分に積んでおくから」
さらには次回からの割引クーポン券までつけてくれるサービスぶり。
「ナビもちゃんとついているから、迷わずたどり着けると思うよ」
「ありがとう、おじさん」
リノアとセルフィは先程よりも可愛い笑顔で店長に礼を述べ、颯爽と車をスタートさせた。

車は順調にウィンヒルを目指している。
爽やかな日差しの中、リノアとセルフィは先程の事を思い出し、大笑いをしていた。
「男って本当にばっかみたい!」
「ほーんと!ちょ〜と甘い顔すれば、すぐにつけあがってきて…」
「あんたと一緒に車に乗っている方が、危ないって言うのに!」
「あははははー!モンスターの方が、よーっぽどマシよね!」
「まぁ、燃料を余分に積んでもらったし、その点では彼に感謝しているけど…」
「あの店の店員、前から評判悪かったのよ。クビになって万々歳ね」
リノアはふっと視線を外に向け、
「女2人で得することは多いけど、やっぱり…」
「…」
ハンドルを握っているセルフィも、リノアの呟きに賛同した。
『女2人で得しているよりも、スコールと一緒にいたいな…。スコール、昨日はエルオーネの家に泊まったのかな?それとも、もうバラムに帰ったのかな?』
『セルフィと2人で楽しいけど…。アーヴァインと何日会ってないんだろう?彼の顔が見たい、彼の声が聞きたい…。いつもみたいに、『リノアが一番好きだよ』って笑って見せてよ…。わたしはそれだけで安心できるのに…』
急に静かになった車の中、セルフィは努めて明るく
「リノア、喉乾かない?どっかにお店ないかな?」
それを受けて、リノアも
「ちょっと待って、地図見るから。―――えーっと、こっから5q走った先にサービスエリアがあるみたい」
やはり努めて明るく返事をする。2人の想いが交差する中、車は順調にウィンヒルへと進んでいる。
セルフィとリノアがウィンヒルに到着した時、エルオーネは台所で忙しそうに動き回っていた。
「あら、いらっしゃい」
それでも、彼女達の到着にエルオーネはさして驚いた風でもなかった。
「こんにちは〜。なんかいい匂いがするけど…」
リノアは嬉しそうにオーブンの前にかがみ込む。
「うわぁー!スコーンが焼けてる〜!!!いいタイミング〜!」
「本当にいいタイミングよ。スコールが帰ってきたら、お茶にしようと思っていたの」
「―――スコール、どこに?」
ちょっと硬い表情で訊ねるセルフィに、エルオーネはにこやかに
「レインのお墓参り。後、ちょっとした用があるみたいよ」
「あの、スコールって昨日―――」
いつものセルフィらしくない、歯切れの悪い言い方だった。「なあに?」と聞き返したエルオーネの前にリノアが横から顔を出す。
「スコールが帰ってくる前に、エルオーネにお願いがあるの」
「えっ?」
リノアは暫くの間、恥ずかしそうに言うべき言葉を探していたのだが、やがて意を決して、
「あのね、わたしを5日前のアーヴァインに送ってもらいたいの。エルオーネも知ってるでしょ?わたしとアーヴァインのこと…」
その言葉に、いささかエルオーネはばつが悪そうに頷いた。
「わたし、アーヴァインがあの日誰に会っていたのかを知りたいの」
「でも…リノア…」
何かを言いかけるエルオーネを、リノアは手で制した。
「それを知ることでわたしはショックを受けるかも知れないし、後悔するかも知れない。でも、本当のことをこの目で確かめたいの!」
真っ直ぐに自分を見つめるリノアに圧倒されていたエルオーネだが、やがて深く頷き、
「分かったわ。それじゃ、ここに横になって」
と、リノアをソファーに横たわらせる。リノアはそれに従い、緊張した面もちで目を閉じた。
「それじゃ、いいわね?」
エルオーネの言葉に大きく頷き、リノアはもう一度固く目を閉じ、体から力を抜く。
「行くわよ…」
その言葉を合図に、リノアの意識は遙か遠くに飛ばされていった。


「ん?」
(…あれぇ?)
アーヴァインは軽いめまいを感じ、思わず立ち止まった。
『今…なんか頭の中がざわついたような…?』
「あのぉ〜」
「あ、ごめんごめん。…で、何だっけ?」
アーヴァインはにこやかに、目の前に立っている女の子に話しかける。
「わたしと、付き合って欲しいんです…」
女の子は見ているのが気の毒なぐらい緊張していて、今にも倒れそうである。
「悪いけど、僕にはリノアって大切な女の子がいるんだ…」
「でも…」
なぜかポーズを決めて、アーヴァインは気障に言い放つ。
「君には申し訳ないけど、僕とリノアは生まれた時から結ばれると決まっていたんだ。確かに、僕は色々な女の子のところで道草をしたし、『彼女こそ運命の女性!』と錯覚をした女の子もいた―――ちなみに、その子はセルフィって言うんだけどね。
しかし、僕らは運命の女神の定め通り、出会い、愛し合うようになってしまったんだ…。
彼女こそ僕の運命の恋人…。彼女以外、僕の隣に立つ女性は存在しない…」
芝居のセリフのようだが、アーヴァインの目は真剣だった。
女の子はセリフには大いに首を傾げていたのだが、アーヴァインの眼差しを見て納得がいったようで、泣きながら彼の前から走り去っていった。
「ふぅ、リノアがここにいなくて助かったよ。こんな所見られたら、また怒られる…」
やれやれと肩をすくめると、アーヴァインはスタスタとガーデンの外に向かって歩き出す。
一方、アーヴァインにジャンクションしたリノアは照れまくっていた。
(も――――――――――!アーヴァインたらっ!)
ガーデンから外に抜ける間も、アーヴァインは女の子には挨拶をし、ご丁寧にも1人ずつに褒め言葉を贈って、喜ばれていた(野郎にはもちろん、反感を買っている様子だ)。
やがてアーヴァインは先程のにこやかな顔とは一変して、厳しい顔つきでとある喫茶店へと入っていく。店内にはちらちらとバラムガーデンの生徒らしき人物達も見えるが、アーヴァインは彼らには目もくれずに奥の席へと進んでいく。
「すみません、お待たせしましたか」
「いいえ…」
俯いていた人物が顔を上げる。年の頃なら25〜27歳のなかなかの美人である。
(―――このひと…だれ…?)
リノアは愕然として、目の前の女性を見つめていた。行き着いた先は、案の定と言うべきか「怒り」である。
(この人誰なの!アーヴァイン!!!いつの間に年上の女と浮気してたのよっ!!!)
「???」
「…?どうか、なさいましたか?」
「いえ、なんか頭の中がざわついていて…」
アーヴァインは苦笑いをし、頭を横に振る。注文を取りに来たウェイトレスに「コーヒー」と注文をし、改めて女性に向き直り、
「あの…それで…」
目の前の女性は悲しげに俯き、バックからハンカチを取り出し、目頭に当てた。
「とても楽しみにしていたのですが、急に様態が悪化して―――!」
「そうですか…」
その言葉にアーヴァインは落胆し、深いため息を吐いた。
(―――この人…)
泣き出した女性を見ていたリノアは、ある事実に驚いていた。
(喪服着てる…。誰かのお葬式の帰りなのかな?)
「そんなにお悪かったのですか?」
「いえ…。でも、母も歳ですし、仕事を辞めてからめっきり老け込んでしまって…」
「それで…」
運ばれてきたコーヒーにてもつけず、アーヴァインは女性の話に聞き入っている。
「あなたが訪ねてきて下さった後、母はとても喜んでいて…。『久しぶりにお嬢様に会える。元気な姿を見せなければ』って…。私もこれで元気になってくれるって信じていたんです。それなのに…」
「せっかく、リノアを喜ばせてあげれると思ったのに…」
(???)
「母はお嬢さんが家出なさった時、とても心を痛めていたんです。ご主人から固く口止めされていたから、本当のことを言えなくって…。ですからあなたが訪ねて下さって、母にお嬢さんとお父さんが和解したと聞いた時には、長い間胸に支えていたものが取れたって、嬉しそうに…」
(―――このひと…まさか…)
「リノアには、何も言わずにおきます。僕の口から伝えるのも、辛いし…」
(―――お母さんが死んでから、ずっとわたしを育ててくれた…)
以前、アーヴァインに話したことがあった。母の亡き後、自分を一生懸命育ててくれたばあやにもう一度会いたいと。歳のため仕事を辞めてしまったが、どこかで元気に暮らしているはずだから、必ず訪ねていきたいと。
(―――ばあやが死んだ…?)
目の前にいる女性―――彼女はばあやの娘なのだ。彼女の喪服姿、それはばあやのお葬式の帰り―――
「いやぁああああああああああ!」
「リノア!」
飛び起きた時、目の前には心配そうに自分を覗き込んでいるセルフィの顔があった。
「だ、大丈夫?」
「え…?あ…」
「アービン、誰と会っていたの?」
まだ、はっきりとしない意識の中、リノアは答えていた。
「―――ばあやの…娘さん…」
「???」
「アーヴァイン、やっぱりわたしに隠し事してた…」
「うそっ!」
驚いているセルフィを後目に、リノアは静かに微笑んでいる。
「なんて…優しいひと…。黙っているのが、辛かった筈なのに…」
「リノア?」
新しい涙がこぼれた時、慌ただしい足音が響き、アーヴァイン本人が飛び込んできた。
咄嗟にリノアはソファーの陰に隠れ、セルフィもそれに付き合ってソファーの陰から様子を窺う。
「スコールはどこだ!」
いつものにこやかな顔からは思いつかない、険しい顔でアーヴァインはエルオーネに訊ねる。
「スコールなら…。あ、調度今、帰ってきたわ」
「ただいま…。―――アーヴァイン、思ったより早くついたな」
意味ありげな笑顔で、スコールはアーヴァインの前に立つ。
「どういうことだよ!あんたにはセルフィって言う、立派な彼女がいるだろうが!」
スコールの胸ぐらを掴み、詰め寄るアーヴァイン。スコールはその手を払いのけ、
「もちろん、セルフィは俺の彼女だけど、リノアもいい女だからな。両方俺の女にしておくのもいいんじゃないのか?」
「セルフィとリノアと二股かけるつもりか!?」
「まぁ、そう言うことになるかな。実は俺、リノアに未練があるんだ。彼女は本当にいい体をしていたから。手をつけずにいたのは、勿体なかったと―――」
「リノアを侮辱するな!!」
アーヴァインはスコールを殴り飛ばし、床にたたきつける。
「なんだよ、あんたも彼女の体目当てに付き合っていたんじゃないのか?」
口元の血を拭いながら、スコールは冷淡に言い放つ。
「うるさい!僕の大事なリノアを汚すことを言うな!」
そのままアーヴァインはスコールに馬乗りになり、滅茶苦茶に殴りつける。
「ちょっと!やめてよ!!」
いきなりセルフィに頭を殴られ、アーヴァインは呆然と振り返る。
「セフィ…?」
さらに、背後にリノアの姿を見、アーヴァインは愕然としている。
「リノア…どうしてここに?」
「―――もう一度…言って…」
自分の前に立ったリノアを複雑な顔で見つめたいたアーヴァインだったが、すぐに立ち上がり、
「―――エルオーネに送ってもらったの?」
その問いに素直にリノアは頷いた。その肯定の証を見た途端、アーヴァインの顔は青ざめたが、どことなく屈託していた。
「リノア、僕は君に隠していることがある。それを口にしたら、きっと僕は君に軽蔑されると思っていたから。でも、君を失うぐらいなら、軽蔑された方がずっとマシだ」
「いや!そんな言葉より、さっきの言葉をもう一度聞かせて!」
「え…」
思い掛けなく抱きつかれ、アーヴァインは体勢を崩して床に尻餅を着く。
「???」
「―――アーヴァイン、大好き…」
「???―――リノア、えーっと…」
「勝手にあなたの中に入ってゴメンね。でもね、わたし益々あなたのことが好きになった」
何かを言おうとしたアーヴァインをエルオーネは目で制した。そして彼女は、軽快に手を打ち、
「はいはい。一件落着したところで、お茶にしましょうか。セルフィ、スコールの手当をしてあげて。リノアは顔を洗ってきた方がいいわね。その後、お茶のセットを運んできてね。アーヴァインはテーブルを外に出すのを手伝ってちょうだい」
リノアは洗面所へ、セルフィとスコールが居間へと行き、台所にはエルオーネとアーヴァインの2人きりになった。
「せっかくのお天気だから、外でお茶を飲むのも悪くないでしょ?このテーブルを運んでね」
命ぜられるままにテーブルに手をかけたが、思い切って彼は訊ねる。
「あの…お姉ちゃんはリノアに何を見せたの…?」
「ごめんなさいね、勝手なことをして…」
手作りのジャムを戸棚から取り出しながら、エルオーネはアーヴァインに振り返った。
「私、昨日ミスをしてしまって…。でも、結果的にはそれでよかったんだろうけど…」
暫くの間、困ったように言葉を探していたエルオーネだったが、
「―――あなたはどうして彼女と…?」
「―――!」
その言葉にアーヴァインは激しく動揺し、後ずさった。
「そ、その事はリノアには―――」
「いいえ。それを知っているのは私とスコールだけ…」
アーヴァインはエルオーネの前に土下座し、
「お願いだ!その事だけはリノアには伝えないで!僕はスコールに呼び出された時から、彼女に真実を告げようと決めたけど、やっぱりできなかった!それを彼女が知れば、きっと―――!」
「止めなさい、アーヴァイン。顔を上げて」
それでもアーヴァインはそのままの体勢で続ける。
「僕が悪いんだ!僕がはっきりと断れなかったから、こんな事に…!彼女は何も悪くはないんだ!」
「…」
必死に床に頭をこすりつけるアーヴァインを、エルオーネは複雑な気持ちで見つめていることしかできなかった。

「これはちょっとしみるかも…」
「ん…。いて!いててててっ!」
「あっ、ごめーん。でも、しみるって言ったでしょ?」
セルフィは嬉しそうにスコールの手当をしていた。
「アーヴァインの奴、思いっきり殴るんだからな…」
顔中を絆創膏だらけにされながらも、スコールは大人しくされるがままにしている。
「なんてアービンを呼び出したの?」
「あの怒り方を見ればだいたい見当つくだろ?」
「まあね…」
「あれでリノアが来なかったら、俺は殴られ損だったんだけどな」
「ほんとーにそーよー!もしもあたし達が来なかったら、どうするつもりだったの?」
スコールが言った「リノアはいい体をしていた」を思い出し、ちょっと腹が立っていたセルフィは意地悪く訊ねる。
「セルフィが連れてきてくれるって信じてたから」
あっさりと言われたその言葉にセルフィの手が止まる。
「さぁーて、アーヴァインからいくらいただこうかな?セルフィ、何か欲しいものあるか?
SeeDである俺達を使っての"和解"だからな。協力してくれたエルオーネにもいくらか支払って、残りは俺達がいただくことに―――」
スコールの言葉を遮り、セルフィは唇を重ねる。腫れ上がっている彼の唇は熱く、微かに血の味がした。
「えへへへっ」
キスをし終えた後、セルフィは涙を拭いながら笑う。
「痛いじゃないか、まったく…」
苦情を言うスコールの懐にセルフィは飛び込む。
「スコール〜、だーいすきー!」
彼女の行動が"おねだり"と思い、スコールは苦笑いをした。
「あんまり高いものは買えないぞ。アーヴァイン、そんなに持っていなさそうだから…」
「え〜!?」
頬を膨らませながら、セルフィは喜びを噛み締めていた。
『あたしのこと、信じていてくれるんだね、スコール…。まだまだスコールの考えていることみんな分かる訳じゃないけど、頑張るから…』
昨夜まで、彼女の心の中にあった不安は一気に消え去ったようである。
―――こうして、"お騒がせカップル"の何度目かの危機はスコール委員長の迅速な処置のお陰で免れたのであった。


エルオーネはガーデンの生徒に案内され、相談室に通された。
「こちらでお待ち下さい」
「ありがとう」
生徒は丁寧に頭を下げ、その場を去って行った。エルオーネが窓を開けようと窓辺に近付くと、そこには数日前の雰囲気が嘘の様なリノアとアーヴァインがいちゃついていた。
「よかったわね…」
思わずそんな言葉が漏れた。エルオーネは窓から離れ、椅子に腰掛ける。
アーヴァインが絶対に知られたくない"秘密"は、自分とスコールとその当事者である女性しか知らない。ほんの少しの時間のずれが、リノアを不幸にせずに済んだ。
自分が能力の使い方によって、人を幸せにも不幸にもできると再認識したエルオーネは、ちょっとした怖さを感じていた。
『それにしても…』
エルオーネが理解できないのは、その当事者の女性である。彼女は何を考えてアーヴァインに近付き、あんな真似をしたのだろうか?
『アーヴァインが好きっていう風でもないし…。人の彼にちょっかいを出して楽しんでいるっていう風でもないみたいだし…』
そんな事を考えているとドアがノックされ、キスティスが入ってきた。
「いらっしゃい。前もって連絡をくれたら、休みをもらったのに」
「忙しいところをごめんなさい」
「そんなこと、いいのに。私、次は授業ないから」
キスティスはエルオーネの向かいの席に座り、
「それで、なあに?私に相談事って…」
「ええ…」
口ごもったエルオーネの背後から、底抜けに明るいリノアの笑い声が響いてきた。
「あらあら。お姫様のご機嫌は直ったみたいね」
「ええ、そうね…」
「大変だったのよ。生徒達の間で賭の対象になるわ、リノアのファンの男子生徒がアーヴァインに報復しようとしたり…。彼女、美人で気さくだから勘違いする男の子が結構いるのよ」
キスティスの言葉に、エルオーネは頷く。
「まぁ、元の鞘に収まってくれて一安心なんだけど、平和になったらなったで物足りなさを感じてしまうわね…。第三者の勝手な言い分だけど」
「―――だから、あなたはアーヴァインを誘惑したの?」
エルオーネの言葉に対してキスティスは驚いた様子はなく、微かに眉を動かした程度だった。
「誘惑しただなんて人聞きの悪いことを言わないで。ちょっとしたデートじゃない」
美しい唇が、不貞不貞しい口調で言葉を吐く。エルオーネは思わずキスティスから顔を逸らした。
「あなたはそう思っていても、アーヴァインは苦しんでいるのよ」
「だったら何もかも洗いざらい喋ってしまえばいいのよ。あっ、それともエルオーネがその時にリノアを送ってあげればいいじゃないの。アーヴァインがあの女の人と会った後、近付いていった女が私で、その後―――」
乾いた音が響き、キスティスの眼鏡が床に落ちる。
「そんな事、できるもんですか!」
「スコールは送ったんでしょ?」
ぶたれた頬を押さえ、キスティスは意地悪く微笑んだ。
「何もかもスコールに知られてしまった訳ね。どうしましょ?」
「私の知った事じゃないわ…」
「意地悪を言うのね、エルオーネは…。私を助けに来てくれたんじゃないの?」
眼鏡を拾い上げ、キスティスはそれを手の中でもてあそぶ。
「そうね、最初はそのつもりだった。あなたが本当にアーヴァインのことが好きでああ言った行動をとったなら、私も何とか力になろうと思ったわ。でも、あなたはただ―――」
「―――好きな男が他の女に夢中なんですもの、自棄を起こしたっておかしな話じゃないわ。簡単に気持ちを切り替えれる彼女を腹立たしいと思っても、仕方がないでしょ?」
「…」
「私はずっと彼のことが好き。一度は『勘違いの恋ってやつ?』って逃げたけど、逃げてみて初めて彼のことを"弟"って思っていないことに気がついた…。それでも、彼が幸せならそれで良いって忘れようとしていたのに…」
「それなら、リノアは関係ないでしょ?」
その言葉に、キスティスは激しい口調で言い返す。
「あの子が私から彼を奪ったんでしょ!?それなのに、たった数ヶ月ではい、さようならって新しい男を見つけたのよ!?許せるもんですか!彼を振ったのよ?彼に屈辱を与えたのよ?どうせ、アーヴァインだって飽きれば振られるのよ、それを教えてやって何が悪いって言うの!?」
キスティスの勢いに押され、エルオーネは言葉を失った。これほど、彼女が激しいものを持っていようなどと思いつきもしなかったのだ。
「私は許さないわ!絶対にリノアを許さない!幸せになんかさせない!」
「―――スコールに軽蔑されても?」
ぴくりとキスティスの肩が動く。しかし、彼女は前より険しい顔でエルオーネに詰め寄ってきた。
「スコールに特別扱いされているあなたに私の気持ちが分かるもんですか!!」
「え…」
「そんな優越感の籠もった顔で私を見ないで!何でもかんでもスコールの事を知っているって顔をしないで!」
「私は…そんな…」
激しく動揺したエルオーネに、キスティスはさらに追い打ちをかける。
「セルフィのこと、本当は気に入らないんでしょ?だから、何かにつけてはガーデンに来て、彼女の前でこれ見よがしにスコールの世話をやくんでしょ?スコールに近付く女はみんな許せないんでしょ?」
「私は…」
「エルオーネこそ、好きなら好きってスコールに言えばいいじゃない!それとも、影でうまいことやってるの?セルフィは騙されているのかしら?それなら早く本当の事を教えてあげたら?」
「やめて!」
たまらずにエルオーネは部屋を飛び出していた。彼女の姿を見送ったキスティスは、大きく息を吐き、椅子に腰掛け直す。
「―――エルオーネなら、私の気持ちが分かってもらえると思ったのに…」
知らず知らずのうちに涙が溢れてきていた。キスティスは流れる涙を拭おうとせず、独り静かに泣き続けていた。


エルオーネはぼんやりとバラムホテルの窓から見える海を眺めていた。
すっかり日が暮れてきて、部屋の中は薄暗い。しかし、こんな気分の時には暗い部屋が似合いに思えた。
フロントからの伝言で、スコールが7時頃ここに訪ねてくるという。律儀な彼は、時間通りやってくるだろう。
今はスコールに会いたくない…エルオーネは素直にそう思った。
ベッドの上には綺麗にラッピングされたセーターが置いてある。エルオーネが編んでいたもので、完成したのでスコールにプレゼントしようと持ってきたものだ。
エルオーネは緩慢な仕草でそれを手に取り、乱暴にラッピングを剥ぐ。
「こんなもの…!」
セーターを解いてしまおうと思った。こんなものをあげるから、あんな風に誤解をされ、嫌な気分を味合わなくてはならないのだ。
「…」
でも、手は動かなかった。エルオーネは諦めて、丁寧にセーターを畳み、脇に置いた。
ベッドに寝転がり、天上を見つめながら先程のキスティスの言葉を反芻する。
『スコールは私の大切な"弟"なんですもの…。"姉"が"弟"の世話をやいて、何がいけないって言うの…?』
何でもない話ではないか。確かに自分達に血の繋がりはないが、自分はレインのことを母だと思い、ラグナのことを父だと思っている。
『スコールは親の温もりを知らないまま大きくなってしまった…。そんな彼に、それを与えてあげたいって思って何が悪いの?』
自分はスコールの親代わりなのだ。レインが生きていれば、何日も同じ物を着続けているスコールを注意するだろうし、足りない物があればすぐに用意するだろう。
『だってセルフィったらそう言うことに疎そうだし…』
女の子である前に傭兵である彼女に、主婦の真似事ができるとは思えない。自分はそれを補っているに過ぎない―――セルフィは彼女、自分は母親、この関係は変わらない。そう、自ら変えようと思わない限り…。
『―――私、今何を考えたの?』
ひっそりと忍び寄ってくる恐怖にエルオーネは飛び起きた。
『違う違う!私はそんな風に思ってなんか…』
その時ドアがノックされた。エルオーネは弾かれたように立ち上がり、ドアを開ける。
「どうしたんだよ?こんな暗い部屋で…」
「ちょっと…考え事…」
明るい光が部屋に溢れる。
「食事に行こうか」
「えっ、ええ…。あっ、その前に…」
エルオーネはセーターを取り、スコールの前に差し出す。
「これ、編んでみたの…。サイズが合うといいんだけど…」
「いつもすまない」
スコールは着ていた上着を脱ぎ、エルオーネの編んだセーターを着る。
「よかったわ、調度いい。色もいいし…」
ホッとしたエルオーネの前に、小さな箱が差し出された。
「な〜に?」
「いつも色々面倒をかけているから…。これ、よかったら…」
照れた口調でスコールは箱を手渡す。
「気に入ってもらえるといいんだけど」
箱の中には白い石がぶら下がったペンダントが入っていた。
「これ…」
「そんなに高い物じゃないけど、エルオーネに似合うんじゃないかと思って…」
部屋の照明を浴びて、石は上品に輝いている。
エルオーネは唇を噛み締め、スコールにいうべき言葉を整理している。
―――もう、私には買わなくていいから、セルフィに買ってあげなさい。あなた、誕生日プレゼントも忘れていたんですって?セルフィ、悲しそうだったわよ。そうよ、これをセルフィにあげなさい―――
しかし、唇は違う言葉をはき出す。
「ありがとう…。とても綺麗だわ…」
「気に入った?」
「ええ、とっても。つけてみていいかしら?」
「もちろん」
白い石はエルオーネの首にぶら下がった。その様子をスコールは嬉しそうに眺めている。
「さ、食事に行こう」
「ええ」
知らないうちにエルオーネはスコールの腕を取っていた。そして、スコールもそのままエルオーネに歩調を合わせて歩き出す。
『―――だって私達は姉弟なんだから…』
姉弟だからプレゼントし合うこともあるし、腕だって組んで歩ける―――そう、これは何でもないこと…
どこから見ても"姉弟"に見えない2人は、そのままホテルの外へと出ていった。