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お互いがうまくやっていこうというよりも「いい作品を作りたい」というそれだけなのに、想いが強すぎてお互い戦わせるばかりで、空回りしてしまっていた。
いいものを作りたいという熱い気持ちだけが、みんなの作品作りへの情熱を駆り立てていた。チームワークなんてモノは二の次だった。
「いい作品を作りたい」そんな片隅にある膿みのようなプライドで、切り裂いてきたものがある。
2007年01月12日(金)「まっさらな大地」
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伝えることは押し付けではなく、教える事でもなく,強要することでもない。
伝えるというのはさりげないもの。メッセージが強くてもわからない人には伝わらない。自分が得たプラスの気持ちをのせればいいだけである。
感動してもらわなくてもいい。心静かに祈るように。なんとなく気持ちがいいこと。それがあれば想いはみな明るくなる。
2006年03月11日(土)「祈るように伝えていけたら」
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あたりまえの事になってしまっているから、あえて言葉に出して伝えようとしない気持ち。
それは意外と人々の求めている事なのではないだろうか? 相手を「大切にしたい」と思っていても、それをはっきり言葉で伝えないと人はわからないものである。
でもそれを言ったとき、人は前述した僕の気持ちのように心は開かれてくるものである。
人と人の和はそこから始まるものなのではないだろうか? イタリアでは頻繁に「Grazie」というが、日本でも「ありがとう」は頻繁にいいすぎても悪い事ではない。
2004年12月03日(金)「ボナセーラ」
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日本にいたときでは考えられないくらい、細かいことにこだわらなくなった。ゼロとは言い切れないものの、単純に生きていたらいいように思える自分がいる。
いい人にはよくしたい。優しい人には優しくしたい。感動させられたら感動させてあげたい。そんないままでたくさん出会ってきた人々に恩返しのつもりで、
マルコを通して心の温まるプレゼントを届けたい。ただそれだけでいいんだと思う。それが「GLI ARTIGIANI」を創る理由だ。
2004年07月29日(木)「チンクエ・テッレ」
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僕は正直しばらく彼と会っていなかったことにものすごい不安を覚えていた。今年に入ってこの日初めて会った。いろいろと考えていた。
もう僕が映画を撮るのを断念したと思っていやしないか? 僕のことを忘れてはいないか? 彼の仕事の迷惑だとは思っていやしないだろうか?
そんな不安はただの僕の思い過ごしだった。マルコは一度しか説明していない僕の企画をちゃんと覚えていてくれた。
そして彼の弟子に僕がどういう人間かというのを伝えてくれていた。僕が撮ろうと決めた人に間違いはなかった。
言葉がつたないのはマイナスの要因だけれども、それに恐がらずに気持ちをぶつけること。マルコはとても温かく受け入れてくれている。
あまり伝わっていないかも、というよりも相手の心を想いやりたい。そう思えることがマルコにはわかってもらえているようだった。
2004年06月17日(木)「撮影開始」
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円盤の皿に乗っているのが魚。そこから鎖で釣ってあって、鉄の棒がつながっている。支点を軸に反対側のおもりを利用して、重さをはかっていた。
魚を取ってきて船をあげて、すぐさま売ってんだからすごい。僕はこんな光景はじめてみた。
汚い服にびちょびちょに汚れたズボン。腫れ上がった分厚い手に傷だらけの腕。頭には傘をつけて、
日をさえぎっているが、それがまるで恥じらっているかのように何かを物語っていた。魚が転げ落ちても、多少の事など気にせず仕事をすすめる。
ふと気が付いたのは、映画を始めたら、映画のことをやっているときが一番、自然に頑張れる自分がいた。僕の理想にしていた景色が目の前に広がっていたからだろう。
2003年07月22日(火)「漁師が現れた!」
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