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FILM MAKER TAKESHI IKEDA
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GLI ARTIGIANI

 クレモナのヴァイオリン製作職人マルコ・ノッリと、映画製作職人である池田 剛との交流をメインに描いた、 イタリア各都市にいる職人たちを取り上げる、ロードムービー形式のドキュメンタリー。

『GLI ARTIGIANI (リ・アルティジャーニ)』とは、イタリア語で「職人たち」という意味です。 クレモナのバイオリン職人を始め、パルマの生ハム職人、ジェノバの漁師など、北イタリアで生活する職人たちの生き様を探って行きます。 創り手の私自身、映画制作職人として彼らのこだわりに触れ、自らの生き方に影響を与えて行くつもりであたっています。 制作していく中で出会う人々から伝わってくる温度を拾い集めていきます。


 イタリアに限らずヨーロッパの建築物を見て回ればわかることですが、日本やアメリカなどとは作りが違うことが一目でわかります。 基本的な街のスタイルも異なっています。近代的な作りのものに出会うことはごく稀なことです。 島国と違い大陸であるゆえ、長期に渡って保存されていく。簡単に取り壊すという考えではなく、修復して同じものを使い続けようとする。 それは建物に限ったことではない。サイレント期のフィルムの修復にしてもそう。 普段の生活の中でも日本でなら使い捨て買い替えればいいという考えがはびこっているが、 ここイタリアでは例えば鏡が割れたときでも、鏡の修復屋が登場する。

 家具の修復、絵画修復、自転車製作、モザイク画、パン、料理等々、数え上げたらきりがない。 簡単便利・大量消費・軽薄短小と相対する形で、ここには執念とでも呼べそうなくらい、一つのものに取り憑かれるものがあるようだ。 時間をかけ人と関わり、心を込めて出来上がる作品たちには、それらを手がけた彼らの魂が宿っていくのかもしれない。 彼らと向き合って出来上がった作品を手にしたら何もいわずとも伝わるものがあるだろう。

 実は創り手側だけではない。使う側の人もそれを使い込んでいくことで、作品にさらに輝きを与える。 創り手と使い手のコラボレーションの中に見られるもの。その先にあるものはなんなのか? 職人を育む土壌を作り出す環境。 そんなイタリアに宿っているものは何なのか? 僕にはこれを探っていく必要があるようだ。


 マルコ・ノッリ
 一人のバイオリン職人、マエストロとして素晴らしいだけでなく,同じ空間を共有した人ならわかるはず。その温かい人柄と、明るくて優しい性格が、作品にも投影され,演奏者にまで伝わり,ひいては観客にまで伝わっていく。後年まで名を残し伝えられていくであろうこの人物と同じ時と空間、時代を共有できることに感謝せずにはいられません。


 お互いがうまくやっていこうというよりも「いい作品を作りたい」というそれだけなのに、想いが強すぎてお互い戦わせるばかりで、空回りしてしまっていた。 いいものを作りたいという熱い気持ちだけが、みんなの作品作りへの情熱を駆り立てていた。チームワークなんてモノは二の次だった。
「いい作品を作りたい」そんな片隅にある膿みのようなプライドで、切り裂いてきたものがある。
2007年01月12日(金)「まっさらな大地」
 伝えることは押し付けではなく、教える事でもなく,強要することでもない。 伝えるというのはさりげないもの。メッセージが強くてもわからない人には伝わらない。自分が得たプラスの気持ちをのせればいいだけである。
感動してもらわなくてもいい。心静かに祈るように。なんとなく気持ちがいいこと。それがあれば想いはみな明るくなる。
2006年03月11日(土)「祈るように伝えていけたら」
 あたりまえの事になってしまっているから、あえて言葉に出して伝えようとしない気持ち。 それは意外と人々の求めている事なのではないだろうか? 相手を「大切にしたい」と思っていても、それをはっきり言葉で伝えないと人はわからないものである。 でもそれを言ったとき、人は前述した僕の気持ちのように心は開かれてくるものである。 人と人の和はそこから始まるものなのではないだろうか? イタリアでは頻繁に「Grazie」というが、日本でも「ありがとう」は頻繁にいいすぎても悪い事ではない。
2004年12月03日(金)「ボナセーラ」
 日本にいたときでは考えられないくらい、細かいことにこだわらなくなった。ゼロとは言い切れないものの、単純に生きていたらいいように思える自分がいる。 いい人にはよくしたい。優しい人には優しくしたい。感動させられたら感動させてあげたい。そんないままでたくさん出会ってきた人々に恩返しのつもりで、 マルコを通して心の温まるプレゼントを届けたい。ただそれだけでいいんだと思う。それが「GLI ARTIGIANI」を創る理由だ。
2004年07月29日(木)「チンクエ・テッレ」
 僕は正直しばらく彼と会っていなかったことにものすごい不安を覚えていた。今年に入ってこの日初めて会った。いろいろと考えていた。
もう僕が映画を撮るのを断念したと思っていやしないか? 僕のことを忘れてはいないか? 彼の仕事の迷惑だとは思っていやしないだろうか?
そんな不安はただの僕の思い過ごしだった。マルコは一度しか説明していない僕の企画をちゃんと覚えていてくれた。 そして彼の弟子に僕がどういう人間かというのを伝えてくれていた。僕が撮ろうと決めた人に間違いはなかった。
言葉がつたないのはマイナスの要因だけれども、それに恐がらずに気持ちをぶつけること。マルコはとても温かく受け入れてくれている。 あまり伝わっていないかも、というよりも相手の心を想いやりたい。そう思えることがマルコにはわかってもらえているようだった。
2004年06月17日(木)「撮影開始」
 円盤の皿に乗っているのが魚。そこから鎖で釣ってあって、鉄の棒がつながっている。支点を軸に反対側のおもりを利用して、重さをはかっていた。 魚を取ってきて船をあげて、すぐさま売ってんだからすごい。僕はこんな光景はじめてみた。
汚い服にびちょびちょに汚れたズボン。腫れ上がった分厚い手に傷だらけの腕。頭には傘をつけて、 日をさえぎっているが、それがまるで恥じらっているかのように何かを物語っていた。魚が転げ落ちても、多少の事など気にせず仕事をすすめる。
ふと気が付いたのは、映画を始めたら、映画のことをやっているときが一番、自然に頑張れる自分がいた。僕の理想にしていた景色が目の前に広がっていたからだろう。
2003年07月22日(火)「漁師が現れた!」








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