【 グローバリズムとナショナリズム 】

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 グローバリズムとナショナリズム・・・、私はナショナリズム派です。
 幾つかの捉え方があるのでしょうが、ある辞書には、グローバリズムは「国家を超えて、地球全体を一つの共同体とみる考え方。汎地球主義」ナショナリズムは「国家や民族の統一・独立・繁栄を目ざす思想や運動」という解説がありました。そうい捉え方を前提にして、私はナショナリズムが良いと思います。

 理性的に考えればグローバリズムの方が素晴らしいようにも見えます。地球全体が一つの共同体になれば、(国がないんだから)国同士の戦争も無くなるでしょう。しかし、そう上手くいくのでしょうか?
 全ての人間が理性的な行動をとるのであれば、グローバリズムで全ての人が幸せを享受できるかもしれませんが、理性で設計された「共産・社会主義」が結局は絵に描いた餅で終わったように、人間の理性は疑わしいと思います。
 共産・社会主義は素晴らしい制度だと思います。ただし「構成員が理性的に行動すれば」です。そうできなかったから人々は手を抜き皆で貧しくなり、一方で全体主義の弊害である指導層の暴走が起こった。
  そもそも、全人類が理性的に行動するのであれば、今現在であろうが国家間の戦争だってないはずでしょう。

 言うまでもなく我々は理性的な面を持っている一方で、感情的な面も持ち合わせています。 また理性の及ばない領域もあって、例えば宗教がそうだと思います。信仰は理屈ではありません。
 唯一絶対神を信仰する宗教もあれば、多くの神々やさらに仏も信仰の対象にする宗教もあります。後者に馴染んだ日本人の感覚だと「お互いの宗教を尊重し合おうよ」ということになるし、理性的に考えても、異なった宗教の人々が共存しようと思ったらその方がお互い平和に暮らせるはずです。
  ところが一神教の立場からするとそれは絶対に許せない。自分たちの宗教に改宗させようとし、従わない者は征服・抹殺するという宗教戦争の歴史がありました。
 世界にはイスラム教・ユダヤ教・キリスト教など唯一の神を信仰する宗教が幾つかあって、その中の一部は自分たちの教義を守るために今でも民族紛争やテロを行っています。 国境を無くし世界が一丸となる場合、宗教問題はどうなるのでしょう?

 宗教だけでなく、それぞれの国・民族には独自の文化や習俗があり、それぞれの国民はほぼそれに沿って生活をしているわけですが、それはどうなるのでしょう?
  「汎地球主義的文化・習俗」が作られるのでしょうか?
  ユネスコが世界遺産をやっていますが、あれは文化的全体主義を強いるための前哨戦のようにさえ感じます。グローバル社会になった時には、国連などから「地球市民が共有する文化・習俗は次のとおりだ、全市民は従え」というような命令が出るのでしょうか・・・。

  いずれそうなるとして、国境を無くして地球市民になる過程で割を食うのは誰なのでしょうか?。

 世界の人々を次のように分けたとして・・・。

A:一神教が絶対であり自分たちの文化・習俗が正しいと考え、実際にそのように行動する人々
B:「郷に入っては郷に従え」と、他の宗教や文化・習俗も認めようという日本的なスタンスの人々
  割を食うのはAでしょうかBでしょうか?。
  この場合はBが自らの宗教や文化を捨ててAに服従・同化することになると思います。
  一方、Aの中にはAイ、Aユ、Aキ・・・のように自らの宗教こそ絶対だという様々なAがあるわけで、前にも書いたようにAの中でまとまることはできるのでしょうか?

C:金品を取られるほうが悪い 大災害時などの掠奪はむしろ常識
D:他人の金品を取ってはいけない 大災害時などでも掠奪はいけない
  両方の価値観があると思いますが、日本人の多くはDだと想像します。東日本大震災の時なども外国から「あのような状況でも掠奪が起こらない日本人は立派だ」と“褒められた”と思います。見方を変えれば褒めてくださった方々は掠奪が常識なのだと想像できます。 CとDが同じ社会で暮らすことになったら、割を食うのはどちらでしょうか?

 こんなことを考えると、(割を食う可能性が高い側から見れば特に)地球全体を一つの共同体にするのではなく、国家や民族の統一・独立を守りつつ、国家間で交流する方が良いと思います。
 宗教、文化、習俗などを異にする人々が一緒になって、「多文化共生」という美名の下でお互いに抑圧されるのは健康的ではないと思います。お互いに抑圧されるならまだ良い方で、「我が強い・声が大きい」人々の前で、「和を尊ぶ・声が小さい」人々は、「他文化強制」に晒され従わざるをえなくなると想像します。
 西部邁さんがネット番組で細胞膜の話をしたことがあります。
 「細胞膜は細胞をしっかりと守りつつ、選択的透過性によって細胞への物質の出入りを制御している。国家も細胞膜のような国境を作っておくほうが良い」といった趣旨だったと思いますが、全くその通りだと思います。

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