【 「市中引き回し」は復活した方が良い 】


ホーム > Aべが考えていること > 現在のページ
「誰でも良かった。むしゃくしゃしていたから、人を殺したいと思った。」
しかも、以前の事件を参考にして「自分もあのようにして世間の注目を浴びたいと思った。」などと・・・。
考えられないような無差別殺人事件が頻発している。

道徳心や倫理観が急速に薄れている現代において、そのような犯罪を防ぐにはどうしたらよいのだろう?。
その者が育った環境を問題にして「ナントカ症候群」などという名前をつけて、カウンセラーを増やせば良いのだろうか?。
それとも、改心することを期待して教育をし直せばいいのだろうか?。

現代ではそういった選択肢にウエイトがあるように見受けられるが、そんなことでは「(一層)欲深き(多くの現代)人」への犯罪抑止効果は薄いと考える。

言うまでも無く私も含めてのことだが、道徳心や倫理観が希薄になってしまった人々を律するのは刑罰しかないだろう。そうすると刑罰は重くした方が良いし、犯罪を犯したくなくなるような刑罰にした方が良い。

例えば日本における死刑は、残忍な方法は避けていて、絞首刑らしい。
しかし昔はいろいろな方法があったそうだし、「さらす」なんてこともしたらしい。

時代劇を見ていると「市中引き回しの上打ち首獄門を申し渡す。」なんて場面を見ることがある。
単に死罪にするだけでは許し難いほど、憎むべき犯罪にはそういった仕打ちをしたわけだ。

「市中引き回し(しちゅうひきまわし)」は、江戸時代の刑罰で、罪人を馬に乗せ、罪状を書いた捨札等と共に刑場まで公開で連行していくものだそうである。
「打ち首獄門」は、斬首してその首をさらすことだ。

「打ち首獄門」はどうかと思うが、「市中引き回し」は復活しても良いと思う。
「あの事件をまねると、自分もこんな恥ずかしい思いをするのか。」と思えれば、「あの事件をまねて世間をアッと言わせたかった。」などというバカ者を少しでも減少できるだろう。



捨札:処刑される罪人の氏名・年齢・出生地・罪状などを記して公示した高札。

ホーム > Aべが考えていること > 現在のページ

PAGE TOP