【 昭和47年2月20日、オクデ(我が家の屋号)の家族写真 】


子供たちの入学・卒業やちょっとしたことがあった時に、父親が写真を撮っておいてくれました。
これは48年前、昭和47年(1972年)2月20日の写真です。
当時は「地球温暖化」などという言葉はなかったと思いますが、この年も雪がありませんでした。

日曜日だったこともあり、父の「こんな年は珍しいから、みんなで写真を撮るぞ。」というような掛け声で、セルフタイマーを使って写したのだと思います。

「貧しかったけれどいい時代だった」という言い方がありますが、私もそう思っています。
若い人がそのような思いを持つわけは無いのであって、見方を変えると、より良い時代を生きることが出来ない(私のような)年配者の嫉妬・戯言と思われるかもしれませんね(笑)。

現代は当時とは比べようもないほど豊かになりました。
今後もその流れで、今より便利で豊かな時代になる可能性は十分だし、そうあって欲しいと思います。

でも、今の日本があるのは祖父母や父母の時代の人が当時の価値観で頑張ってくれたからだと思うのですが、今のような戦後体制に飲みこまれたままの思考で大丈夫なんだろうかと心配です。
「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」などという、活動家のプロパガンダに騙されると「庇を貸して母屋を取られる」ことになってしまいます。
人口減少が問題だから移民を受け入れようという主張がありますが、それによってどういうことが起きるのかを良く考えなければ危険だと思います。
参考:「西洋の自死 移民・アイデンティティ・イスラム」ダグラスマレー著<読書の備忘録>

生い先長くない身であり、そんなことまで気にする必要も無いのですが・・・^^;)




当時のオクデ(我が家の屋号)は6人家族でした。
父:阿部孝市42才、母:ナカ40才、祖父:秀吉68才、祖母:フジ65才、妹11才、私14才です。




令和2年2月20日、同じようなアングルで写してみました。
父母、祖父母の姿が見えるようです・・・。



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