第四階  言語学の問題と思考

 

 言語学(げんごがく)、なんて格好いいものではありません。
 ここは親しみを持って「ことばがく」とでも読みましょう。

 

 歌っている人や曲名は知らないのですが、以前、私は「こわれかけのれいでぃお」という歌詞を聴いた記憶があります。私の記憶違いで、こんな歌詞の歌が存在しなかったら、誰かこういう歌詞の歌を作って、歌って、有名にしてください。
 存在すると仮定して、話を続けます。
 私はこの歌詞の意味を「子(に)我(のことを)書け(と言う親)のレイディオ(さん。人名。47歳)」だと四半世紀以上思っていました。しかし、最近閃いたのですが、実は、レイディオは人の名前ではなくラジオの英語読みではないか、ということを考えました。とすると、この歌詞の意味は「壊れかけのラジオ」となり意味も通ります。
 だとすると、疑問が一つ浮かび上がります。なぜ、このラジオは壊れかけているのか、どれくらい壊れかけているのか、という問題です。おそらく、この歌を全て聴けばこの問題は氷解するでしょうから、ここではあえて取り上げません。私は知らないので、知っている人がいたら、是非教えていただきたいものです。

 この歌詞を聴いて私が考えたことは、このラジオは壊れてしまうのだろうか、ということです。壊れかけているのだから、壊れていないラジオに比べれば、早く壊れてしまうと思われますが、はたして、壊れてしまったラジオは、ラジオと呼べるのでしょうか。

 ラジオの定義とはなんでしょうか。ラジオが、ラジオであるための条件とはなんでしょうか。
 なんといっても、真っ先に挙げるべきは「音が出る」ということです。音が出なければ、ラジオとは呼べません。ですが「壊れたラジオ」は音がでません。叩けば音が出る、なんてヘリクツを言う人はいませんね。
 音が出ないのに、はたしてラジオといえるのでしょうか。つまり「壊れたラジオ」というものは、この世に存在しうるのでしょうか。
 他にも、ラジオといえるのかいえないのか微妙だ、というものがありそうです。ちょっと考えてみましょう。

 お菓子でできたラジオ。
 これはどうでしょうか。
 音は、ちゃんと出ます。ニッポン放送や文化放送が入ります。問題なくラジオと言えそうです。ですが、これは見る人によっては「(必要もない)ラジオの機能が付属したお菓子」と見るかもしれません。こういう人にとって、これはラジオといえるでしょうか。という疑問は残りますが、とにかく音がでるわけですから、これはラジオですね。もしかしたら「壊れかけのラジオ」という歌詞は、実は「食われかけのラジオ」で、私の聞き間違いだったかもしれません。
 しかし「食われたラジオ」というものは存在するのでしょうか。「壊れたラジオ」は、一応残骸がありますが、食われたラジオは形を残さないのですから。
 一つの問題の解決が、新たな問題を生んでしまいました。

 意地悪なラジオ。
 これだけでは、意味がわかりません。つまり、こういうことです。
 私が目をふさいでいるときだけ姿を現し、私が耳をふさいでいるときだけ音を鳴らす、というラジオです。しかもこのラジオ、照れ屋なのか私以外の人間の前では、決して姿を現すことも音を鳴らすこともありません。
 音を感知するセンサーが内蔵されている(らしい)ので「電源オン」と言えば電源が入ります(多分)。当然「音量アップ」と言えば、音量が上がります(おそらく)。「ニッポン放送」と言えば、チャンネルはニッポン放送に合います(きっと)。
 完全にラジオです。しかも最新鋭のラジオです。間違いありません。けれども、どこか釈然としないものがあるのはなぜでしょうか。

 ここで挙げた歌は、本当に覚えてないのですが徳永英明さん(字、違うかも)が歌っていたのでは、と思います。ファンの方がいたら、怒らないでくださいね。飽くまで、冗句です。私は、某アニメのエンディングテーマだった「夢を信じて」という歌詞の入った歌が好きです。
 ・・・これくらいなら、音楽の著作権、大丈夫ですよね。