大誤解  言語学の思考の続き

 

 大誤解・・・このページにピッタリのタイトルです。
 「時間と通信代を返せ!」という声が、聞こえてきます。
 賢いあなたは、これ以上、先に進んではいけませんよ。

 さて、ラジオについてでした。

 不思議なラジオ。
 またまた、わけのわからないラジオが登場しました。
 ラジオ──放送局から音楽・演劇・報道・講演などの音声番組を電波で送出して、一般公衆の聴取者がこれを直接受信する一方向性の無線通信方式(『広辞苑』第4版より)。
 ここで問題なのは、私が未だに『広辞苑』の第5版を持っていないということではありません。ラジオという物体について、よくもここまで難しく説明できるな、ということでもありません。

 この不思議なラジオのスイッチを入れました。このラジオは、意地悪ではないので、常に姿を現しています。非常に、人間のできたラジオです。
 音が聞こえてきました。ただ、ラジオ欄と違う番組を放送しているようです。チャンネルは合ってます。ラジオ欄の載った新聞も今日のものです。野球放送が延長したのかとも思いましたが、今年のプロ野球は阪神タイガースの日本一ですでに終了しています(現在1985年)。
 これはどうしたことでしょう。
 よく聞いてみると、不思議なところがいっぱいあります。まず、司会者もゲストも全く知らない人ばかりです。音楽も聴いたことがないものばかり。衝撃は、司会者の次のセリフです。
「この放送は、自動翻訳機により、全宇宙に放送されています」
 なんと、この放送はアンドロメダ星雲の、ある惑星から放送されていたのです。おそらく、2400万年以上前に放送されたものでしょう。司会者もゲストもスタッフも歌手も、みんな死んでいるでしょう。このラジオは、電波に乗せて、死者の声を私たちに届けているのです・・・。
「この放送は、自動翻訳機により、全宇宙に恐怖を振りまいています」
と、いうほうが正しいような気もします。
 『広辞苑』第4版のラジオの説明に、地球の放送局から、という記述はありませんでした(第5版で付け足されたかもしれせん)。でも、このラジオでは、地球の放送は聴けません。このラジオは、ラジオと言えるのでしょうか。少なくとも、地球上においては、ラジオとは呼べません。しかし、ラジオ欄に、アンドロメダの惑星から流される放送についての、放送時間が記載されればラジオと呼べます。
 そのためには、2400万年以上前のアンドロメダ星雲に行く必要があります。まず、タイムマシーンを完成させましょう。



 世の中には、いろんなラジオがあります。小さいのから大きいのまで、四角いのから丸いのまで、実にさまざまです。それなのに、なぜ私たちは「これはラジオです」と言えるのでしょうか。
 今、私たちの目の前にあるパソコンもそうです。デスクトップ型のもあれば、ノート型のもあり、ちょっと変わった形のアイマックを使っている人もいるでしょう。なぜ、これがパソコンだと言い切れるのですか?
 パソコンの機能を持ってるからですか? それなら、パソコンの機能を持った帽子や下駄箱があったら、それはパソコンなのでしょうか。
 馬なんかもそうです。馬には、実にいろいろな種類がいます。身体が大きい馬、足が速い馬、力が強い馬・・・みんな馬ですが、いろいろ違うのに、なぜ私たちは、彼らを「馬です」と断定できるのでしょうか。
 こんなことを考えた人がいます。
 人間は生まれる前、すべての物体の「型」のあった世界で生きていた。
 ラジオの型、パソコンの型、馬の型、それらがある世界。「型」を知っているから、多少姿形が変わっていても、ラジオやパソコンや馬が、ラジオやパソコンや馬だということがわかる、ということです。 
 ・・・分かったような、分からんような。
 ということは、人間はなんでも知っていることになります。ですから、ある物体の名称を知らない、ということはない。ただ忘れているだけだ、ということになるのでしょうか。

 分かりにくい説明になってしまいました。私自身、この考えをよく理解していませんから、当然と言えば当然です。ですから、ちょっと考えてみてください。そして、
「ああ、そういうことか」
と思えたとき、あなたの心にあるものは「びっくり」のはずです。

 これのどこが言語学だ、とお思いのあなた。もちろん、言語学なんかではありません。
 哲学者(哲学する人)を、哲学者以外の言葉で表現しろ、と言われたら「バカ者」以外の言葉、私には思いつきません。「他人から見たらバカだが、本人はそれ以上のバカ」というのが、私の哲学者の定義です。
 バカだから、おもしろいことを考えられるのです。
 ・・・何度も言いますが、このページは冗句ですよ。