デニム一行は、古都ライムで、騎士リューモスを長とするガルガスタン軍に遭遇した。そこで、ガルガスタン軍に襲われている女戦士システィーナとも出会うのであった。

騎士リューモス
「いい加減に観念したらどうだ。それともここで死にたいのか?」

システィ−ナ
「・・・く、殺したければ殺しなさいッ。命を絶てても思想までは奪えやしない」

騎士リューモス
「生意気な女だ。・・・殺れッ。・・・ん? 貴様たちは何者だッ?」

騎士レオナ−ル
「あの女は・・・、解放軍の者ではないな。他の組織の連中か?」

デニム
「いずれにせよ放ってはおけない」

 デニムたちは、システィーナの救出に成功する。 

システィーナ
「ありがとう、あなたたちのおかげで命拾いをしました。私はヴァレリア解放戦線の戦士です。この町に蓄えられた補給物資を奪うために偵察に来たのですが、あのザマです」

ヴァイス
「ヴァレリア解放戦線だって! あの過激派か・・・。こいつはやっかいだ」

カチュア
「やっかい・・・って、どういうことなの? 私たちと同じではないの?」

騎士レオナール
「彼女は亡きドルガルア王を信奉するバクラム極右組織のメンバーだ」

カチュア
「聞いたことがあるわ。バクラムにも現政権に反対する人達がいるって」

騎士レオナール
「そう言えば確かに聞こえはいいが、やっていることはただのテロだよ。無関係な住民を巻き込む、恐ろしい破壊工作ばかりを行っている・・・、それがヴァレリア解放戦線だ」

システィーナ
「誤解ですッ。それは司祭ブランタら現政権によるプロパガンダですッ! 私たちヴァレリア解放戦線は、以前のような・・・、人種や思想を問われず、平等だったあの頃を取り戻したいと・・・」

ヴァイス
「平等だってッ! ハッ、お笑い草だね。以前のどこが平等だって言うんだ。おまえらバクラム人にとってはそうだったかもしれないが、俺たちは虫ケラのように扱われていたんだッ!」

システィーナ
「そんなッ。・・・では、あなたたちは何のために戦っているのですか?」

デニム
「(ウォルスタの未来のため)OR(真の平和のため)」

 

思想までは奪えやしない

 デニムたちが古都ライムに到着する前に、システィーナとリューモスとの間でどのようなやりとりがあったかはわからない。おそらく、リューモスは、ガルガスタン人ではないシスティーナを「虫ケラ」扱いしたのだろう。それに「平等」な世界を目指すシスティーナが反発した・・・そんなところであろうか。
 システィーナは、自らの思想を命より重んじた。ドルガルア王存命時のような「人種や思想を問われず、平等だった」世界を築くという思想、理想を捨てるくらいなら、命を捨てるという選択をした。
 命の価値はどれくらいか。多くの人にとって、それは絶対的に高いものではある。しかし、高いことは高いのだが、その高さは相対的である。えてして、戦乱の時代では低めに見積もられ、平和な時代では高めに見積もられ、最高の価値を与えられることさえある。
 死は、人生における最後の一大事である。命を、簡単に「何か」と交換することはできまい。己の命よりも自らの思想に高い価値を置いたシスティーナ。彼女の行動には、賛成派反対派がいるだろうが、何者も彼女の選択を否定することはできない。

システィーナの理想、ヴァイスの理想

 システィーナが命より大切とした思想は、ヴァイスにとっては「お笑い草」でしかない。ヴァイスたちウォルスタ人は以前から、長年にわたって弾圧を受けていたという事実があるからだ。
 正義がしばしば独善的であるように、理想もまた然りである。ある人にとっての理想の社会が、別の人にとっても理想の社会であるとは限らない。戦争がなく平和で、「人種や思想を問われず、平等」で、誰もが自由で・・・このような社会なら誰もが理想と思うだろうが、現実に存在しうるだろうか。
 システィーナはヴァレリア解放戦線でゲリラ活動を行っているが、フィラーハ教の信者でもある。フィラーハ教について詳しくはわからないが、フィラーハを絶対神と崇める一神教であったようだ。これは推測だが、彼女は「神の下では皆平等」という思想をもっていたのであろう。彼女の理想が説得力を持たない理由の一因がここにあるのかもしれない。理想は、現実的でなければただの夢想にすぎないのだから。
 民族紛争の渦巻くヴァレリア島で、民族の問題を無視して平和を求めることはできない。

平等ということ

 誰もが平等である社会があったら、一部の人間は不平等だと感じるだろう。
 人は、能力も容姿も性格も、個人によって大きく異なる。誰もが平等ではない。だから「なんで俺とあいつが同じなんだ。不平等じゃないか!」という意見が出てくる。この意見は、はたして少数意見となるのだろうか。神聖ゼテギネア帝国への反乱戦争の時(『伝説のオウガバトル』)カノープスが言っていたことだが、人は少なからず、他人より幸福になりたい、裕福になりたい、良く生きたいと思っている。故に、階級という不平等は必要悪だ、と彼は言った。

 忘れてならないのは、「真の平等」(というものがあるならば)に欠かせない要素は、経済的平等であることだ。いくら政治的に平等であっても、経済的に不平等であれば、それは不平等な社会である。貨幣経済において、貨幣は大きな力となる。時に、生命をも左右する。だから、デニムたちは、自分たちが倒した敵軍の貨幣を奪っていく。そうしなければ補給もままならず、生きのびられないから。
 「真に平等な社会」は、システィーナの言うように「人種や思想を問われ」ないだけでは成立しない。経済的にも平等でなくてはならない。システィーナは、経済的にも平等な世界を目指していたのだろうか? それはわからない。ただ、システィーナに限らず、誰もが肯んじるであろう、最も基本的な「平等社会」とは、次のようなものだろう。
 自分が他者に虐げられていようとも、社会的弱者であろうとも、どんなに困窮の底にいても、「自分は、誰とでも平等なんだ。平等だと思っていいんだ」と思える、思って罪にならない社会。このような平等のある社会である。
 

プロパガンダ

 シビれる言葉だ。意味は「宣伝。吹聴」(広辞苑第四版より)
 私は『タクティクスオウガ』でこの言葉を覚えて以来、プロパガンダにやみつきである(別に吹聴が好き、という意味ではない)。英語嫌いの私ではあるが、このプロパガンダは英語の中で1、2位を争う好きな言葉である。この争いの中には「アジテーション」(扇動)が入っていたりする。これらの言葉に、どうしてこれほど愛着を感じるのか、自分でも不思議だ。

 このシスティーナの言葉は、『タクティクス』の数多い名ゼリフの中でも五本の指に入る、好きな言葉である。こんな心揺さぶられるセリフが物語の序盤に出てくるとは、『タクティクス』はなんて太っ腹なゲームなんだ。
 ・・・これは良い意味のプロパガンダ。