Prologue1


そもそも私とプラモデルの付き合いは長く、幼少の頃へと遡る。 幼稚園のらくがきノートには、戦艦や、戦闘機の絵ばかり描いていた。 あるとき、おもちゃ屋でプラモデルの箱絵を発見したときは、そのままフリーズしてしまった。 (プラモデルの存在を知らなかった。) 後に初めてプラモデルらしきものを作ったのは、確か叔父に買って貰ったのが最初だと思う。何のプラモデルだったかは思い出さないが、叔父がバリをナイフで削るのは危ないと、サンドペーパーを手渡された記憶だけが残っている。

昔のプラモデルには必ず小さな接着剤が1個入っていて、チューブの先に裁縫針で穴を開け押し出しながら使った。しばらく時間が経つと穴が固まりフタになって力まかせに押し出すと、一気に飛び出してしまうのだ。そんな具合だから出来上がりは今思い返すとひどいもので、それこそ番号順に組み立てただけの代物だった。が、完成の喜びと満足感を覚えてのめり込んだ。

親にお小遣いを貰うと全てプラモデルを買ってしまうので、両親に購入を禁止されたが、目を盗んでは買ってきて完成の喜び、満足感、それにプラス、いけない事をしているようなスリルまで覚えてしまった。

しっかり組み立てられるようになると、必然的にペイントに凝ったりして行くわけですが、今で言うスケールモデルという物は少なかったと思います。あの頃のプラモデルは作った後、それで遊べるものが多かったと記憶してます。戦闘機であればカウルの中に小さなモーターを入れてプロペラを廻せたり、メーカーオリジナルの空想、宇宙ものなんかがあって、ミサイルらしきものがスプリングで飛ぶようになってたり、あと戦車はリモコンをよく作ったりしました。ラジコンじゃなくて、車体の後ろからコード引っぱってるやつです。(今もあるんでしょうが)それで友人とぶつけ合って、動けなくなった方が負け、なんて事をして遊んだ。今の子供達はそうゆうことをテレビゲームの中で疑似体験してしまう、負けてもリプレイすれば元に戻れるでしょ、自分の作った戦車の砲塔がぶっとんで壊れれば直さなくちゃならない、そんなところからまた、新しい発見があったりするんですけど、、、 


Prologue2


しかし小学校も高学年になると、より本物らしく作るようになっていったんですが、どうも私の性分ゆえ、質より量をこなしてしまう。これは現在もそのまま来てまして、一つの趣味にこだわらず、浅く広くをモットーとし、「趣味を集めるのが趣味」になってます。カミさんには「もうこれ以上手を出さないで」と言われてますが(^^)。とまあ、小学生のころ沢山作っていたということでその後はたまに気に入った物があるとぽつり、ぽつりと作っては飾る程度。しばらく飾って置くと部品のあれが無くなり、これが無くなり、そのうち本体が無くなって空間になってる。(早い話が捨てられちゃうわけです)「もうだいぶ飾ったからいいよね」って、そうゆう問題じゃないでしょおぅ、おひな様じゃないんだから。子供のころはおふくろにやられ、結婚してからはカミさんにやられ、一生安楽の地はないのかと思いつつもしばらくプラモデルから遠境っていました。そこへ強力な助っ人が現われた。息子がゼロ戦のプラモデルが欲しいと言い出した。

「今日、お母さんと買いに行ってくるんだ。」
 「へぇー、じゃぁお父さんにもイントルーダー買ってきてくれ」
「イントルーダーって何?」
 「そうゆう名前のジェット機だ」
「うん、わかった。」
という訳で息子を我軍へ招き入れ戦闘、いや制作が開始されたのでした。


イントルーダーを作りだし昔取った杵柄だい、とばかりにすぐ出来上がった。しかし、ちょっと待てよ零戦とジェット機じゃつりあいが悪い、対抗して何か作ろうという気持ちになった。ようし、零戦を苦しめたヘルキャットにしよう。息子の零戦が完成しないうちにヘルキャットを買って来た。私はプラモデルメーカーにこだわりがあって、車、戦車はタミヤ、戦艦はニチモ、飛行機はハセガワ、etc,なんて決めつけて買ってたものだから、模型屋へ探しにいったら韓国製のアカデミーのものしかなくて迷った。でも箱の中を見たら値段の割に良さそうなので買ってしまった。それとペイントは筆塗が一番と思っていた私だが、限界を感じていたので安いエアブラシ(ボンベ仕様)も購入する。

ヘルキャットが完成した。かなり凸凹を強調したモールドのキットだが、まっ、その辺は許せる範囲内かな。あらためて零戦と比べてみるとヘルキャットってデカい、スケール違うんじゃないのってくらい。再認識しました。これは面白そうなので第2次世界大戦の飛行機に限り作ってみようかなと。まずは日本機と米機からはじめますか、、、

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