考案秘話

 当店は、初代 林銀作が明治44年に実兄の林義一の店(現在、名古屋西大須にある長寿園本店。こちらも厳選された材料ですばらしい和菓子を作り続けています)に入店し、昭和8年頃に伏見町(御園座の近く)に独立しました。
 昭和13年には、今の店舗の昭和区菊園町に移転し現在に至っています。

 昭和35年夏、私の父である長寿園二代目が「味噌松風」を、1棹150円で販売開始しました。

 特に、京都に昔から伝わる「味噌松風」を意識した訳ではなく、当時、名古屋の菓子屋で出まわっていた「松風」からヒントを得たようです。
(当時の松風は黒砂糖を使った生地と羊羹生地を合体させたものや、栗や大納言を入れた物もあったようです)

 それを参考にして店のおむかえの表千家吉田生風庵四代目、吉田紹清宗匠に稽古菓子として持参しました。父は宗匠にお茶を習っていました。

 そこで、吉田宗匠から「白味噌を使った生地を合わせた菓子を」とアドバイスがあり、それに応えるべく試行錯誤の上、現在の「味噌松風」になったわけです。

 分量と蒸し時間のバランスにより、2色の生地が合体せず苦労したそうです。
それを再び吉田宗匠へ持参したら、たいそう気に入られ、京都の味噌松風と同じ銘では紛らわしいからと言うことで、当店と宗匠の茶室がある、この地、菊園町にちなんで、「聴松風(きくまつかぜ)」と銘をくださいました。

 しかし、父は既に「味噌松風」として店で販売していたので今から銘を変更することをためらい、折角のご好意を辞退しました。
 宗匠も納得され、それならばと「表千家吉田紹清好」の添え書きを入れてくださいました
 また、吉田宗匠は数々のお茶会やお寺、神社での奉茶のお菓子としてこの「味噌松風」を愛用していただきました。

 昭和44年、菊園町の吉田宗匠のお茶室(生風庵)はロスアンゼルスに寄付されまが、ご子孫は名古屋市中区瓦町に居を移され、表千家吉田家は中部地区の茶道会の中心として継承されています。

宗匠は父のお茶の師匠でもありますが、長寿園にとっても味噌松風というロングセラー商品を育てていただいた大恩人ということです。

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