生活科の授業づくりを共に考える
〜H先生とのメールによる授業研究〜
このホームページを開設して,たくさんの方から感想のメールをいただきました。その中に,生活科の授業づくりの悩みを寄せてくださるH先生がいらっしゃいました。H先生と私の間に,メールでのやりとりが始まりました。
やりとりのなかで,H先生の悩みはきっと多くの方の悩みでもあることと思いました。そこで,メールの一部をこのホームページに転載して,多くの方に読んでいただきたいと思ったのです。H先生からは快諾をいただきました。
皆さんの参考になれば,幸いです。
H先生からの第1信(砂遊びで何が育ったの?)
HP拝見しましたが、充実した内容で、もうびっくり!これじゃ、眠る時間などないのではと想像してしまいました。
感想ならびに質問など
わたしも、1年生の担任で1学期に砂遊びをしたのです。ほんと、いきいきと楽しそうにやっていましたね。はじめほんの数人の単位で始めた穴掘りがどんどんとなりとくっつき、さらに発展して大都市つくりになったり、遊園地造りになったりして、満足して終わったわけですが、そこからの感じ方がわたしやT小の仲間は、うーん、ペシミスティックといいましょうか、これで何になったんだろう?ということなのですよ。どう思われます?
H先生への返信(遊びが発展したということは,変化があったはず)
さっそくのアクセス,ありがとうございます。
HPは,公開しても見ていただかなくては何にもなりません。このように感想をいただけるととてもうれしいです。
おかげさまで,まだ検索エンジンに載っていないにもかかわらず,アクセス数が110を越えました。アドレスを教えた方が40名くらいですから,何度も繰り返して訪れてくれる方がいるということですね。昨日,阪神大震災に遭った教え子の手紙を増やしましたので,よろしかったら見てください。
さて,
「そこからの感じ方がわたしやT小の仲間は、うーん、
ペシミスティックといいましょうか、これで何になったんだろう?ということなのですよ。どう思われます?」についてです。
これは,一言でいうのはとても難しい問題です。「発展」の中に一人ひとり別々の「変化」があるので,そこが見えないと「発展」の価値は分からないでしょう。
例えば,時間で切って観察すると「変化」ははっきりと見えてきます。
例えば,一人の子をずっと追いかけると「変化」ははっきりと見えてきます。(論文の中にもそうした例をいくつかご紹介してありますが)
1度,同じ授業を見ながら具体的に話し合ってみたいですね。今,Y小学校の授業協力に行っています。今日(30日)も全校研に招かれているのですが,Y小の生活科部会は,生活科の趣旨がまだよく分からずに授業づくりに苦戦しています。まず「見える」ようになれば,と思っているところです。
H先生からの第2信(老人ホームとの交流,これでいいのでしょうか)
わたしも生活科についてなど、うちの学校でやったことを少々記してみたいと思います。
きのう、昔の遊び交流というのをやりました。
近所の老人ホームのお年寄りに来てもらって、折り紙・けんだま・パッチ・あやとり・竹割り・こま回し・お手玉・輪投げなどを教えてもらうつどいです。1・2年対象、体育館でコーナーを設け、校長のあいさつ・お年寄りの自己紹介のあと、自由にコーナーをめぐって遊んだあと、学級1名の子のインタビューでしめくくりました。わたしにとっては、初めての体験でしたが、輪投げをする子の交通整理をしているうちに時が過ぎてしまい、子供たちがどんな動きをしているのかよくわからないうちに終わってしまいました。なんだか取り止めがなく、なにが収穫だったのか(そう言えば計画案にねらいの記述がなかったわ)、よくわからない催しでした。子供たちは、多少は、今まで経験したことのない遊びを楽しんだとはいえますが、おとしよりと交流が深まったとも言えないし・・・
これでいいんだろうか?と疑問に思っています。そのうち、ご意見を聞かせてください。
いいかげんな報告でごめんなさいね。
H先生への返信(子供ウォッチングを)
実践報告をありがとうございます。いくつか,感じたことを書いてみますね。
・まず,Hさんもお書きになっていますが,この活動の「ねらい」がはっきりしていないことが,残念です。私は,生活科の指導案には「目標」など書かない方がよいと思っています。大体において,指導案に書かれた「目標」は生き生きとしておらず,何だか「書くことになっているから書いた」というものがほとんどです。
ですが,「ねらい」ははっきりくっきりと持った方がよいと思います。「願い」と言った方がよいかもしれません。「この子,今のところお年寄りとふれ合ったことがほとんどないから,あのおばあちゃんとお手玉でもしてくれるといいなあ。」とか,です。
「ねらい・願い」がはっきりすると,活動のメニューの数,時間設定,事前の投げかけ,活動中の声かけなども生き生きとしてきますし,それによる子供の変化もはっきりくっきり見えてきます。こうなると,生活科に,はまっていくのです。
・教師の位置が「交通整理」では,きっと子供の内面に生じているドラマは,見えないのではないかと思います。活動が開始されたら,教師は子供ウォッチングです。
子供が動き始めたら,教師はまず全体を見渡し,すぐに活動に入る子,躊躇している子,友達に従っている子,活動から離れがちな子,マナーに問題のある子,かかわりの中で意気消沈している子,…などと全体の景色を見取り,そこからまず一人の子に寄り添ってその胸のうちを推察していくことが必要だと思います。
私の実践の中では,なかなかお年寄りに近寄れなかった子が,あやとりでおばあちゃんの手にそっと触れ,活動の最後には手をつないで体育館から玄関までうれしそうな表情で送っていきました。そして,長いこと手を振って別れを惜しんでいました。そのきっかけとなったのは,その子のあやとりをする手をおばあちゃんの手が包み込んだことでした。触れられること自体が,その子にとっては大事件であり,そして内面の変化を引き起こしたのでしょう。
・お年寄りとの交流は,それ自体大きな価値を持った活動ですが,その原動力となるのは,子供一人ひとりが持っている「ぼくは,お年寄りに〜をしてあげたい」「私は〜を教えてもらいたい」という思いや願いです。生活科においては,活動は花ですが,根はこの思いや願いなのであり,授業は,むしろここに働きかけるべきなのです。だから,私などは子供たちの思いや願いを掘り起こしたら,あとはむしろ活動にブレーキをかけるようなかかわりをすることも多いです。思いや願いがいっそう強くなるからです。さほど強い思いや願いがなく,すべてを子供にゆだねて活動させると,子供も教師も何をやっているのかわからなくなってしまいます。
・活動の前後,何か子供たちに書かせていますか?生活科では,活動が重視されるために,言語活動が軽視されているように思います。書くことで,子供は自分の思いや願い,気付きをはっきりとさせますし,教師は子供の内面を見取りやすくなります。焦点の定まらない,一般的な文章を書かせるのではなく,生き生きとした豊かな表現を引き出すかかわりをしたいと思います。
ざっぱくですが,思いつくままに。
H先生からの第3信(仕切り直します)
返信ありがとうございました。願いや思いを掘り起こす・・・・そうです、事前にそうしようと思っていたのに、これが欠落してしまいました。それから、事後に記録を書く・・・これも、土曜日の最終時間という時間だったせいもあって、やらなかった。反省点が多々ありますが、次の単元に向かって、仕切り直すことにします。そのうち、また教えてください。
次回の単元は「秋の公園で遊ぼう」です。公園が少し遠いところにあるし、これから寒くなるシーズンなので果たして、そこで活動できるものか不安です。となりに神社があるのですが、神社は常時学校の子供たちに開放してはくれないらしいです。まあ、子供たちは、学校の畑や花壇くらいでも、季節を感じとれる感覚を持っていると思いますが。活動の場所というのもいろいろ制約があるものですね。でも、その制約の中で学校独自の工夫をしていくのが、これからの学校の「生きる道」でもありましょうか?
H先生への返信(秋の単元のひと工夫)
HP転載を快くご承認いただき,ありがとうございます。きっとHPを見る方の参考になると思います。
HPのアクセス数が思ったよりも速いペースで伸びてきており,びっくりしています。日本中のあちこちから,返信メールも届いていますので,それらを紹介しながら,より中身のあるものにしていきたいと思っています。明日,あさってくらいで更新をしたいと思っているのですが,昔の教え子の結婚式が連続して入っており,時間がとれるかどうか。
さて,秋の単元は,やり方によって,とても楽しい活動になります。
しかし,ただ公園や神社に連れていっても,遊ぶ子はいつも通り遊ぶ,自然に関係のないおしゃべりも多くなる,といったようになりがちです。教師の目には,秋という季節の美しさや豊かさは見えるのですが,子供たちはほとんど「あれども見えず」です。
そこで,まず子供たちに秋が「見える,見える」という活動をさせるように仕組まなくてはなりません。
例えば,「先生ね,昨日学校の帰り道に公園のそばを通りかかったら,景色がきれいだなって思って寄ってみたの。そしたら,ほらこんなきれいなもの見つけちゃった。こんなきれいなものがいっぱいいっぱいあって公園がきれいになっているんだよねえ。」などと言いながら,もみじの1枚でも見せると,子供たちは「もっとあるよ,きれいなもの!」と反応するでしょう。「行こうよ,今!」と叫ぶ子が出るかも
しれません。
私は,ここで「秋のお弁当」づくりをしました。(HPの中に実践報告あります。「フレームを絞って広げて楽しい表現活動」です。)「ファッションショー」をする手もあります。でも,ファッションショーは時間がかかる割りになかなか難しい活動ではありますが。
また,教師がガキ大将になって,ドングリの笛を鳴らしてみせて,「みんなにはできないだろう。」と挑発したり,ドングリのやじろべえを提示して遊ばせ,「作ってみたい?」と投げかけるなども,子供が燃えます。
なお,神社にはせめて2週間くらいは放課後や休日,子供たちが友達同士,あるいは家族で訪れることを許可してもらう方向で交渉してみてはどうでしょうか。
生活科は,地域とうまくつながることも教材研究の一つです。学校の教育に対する熱意を具体的にわかってもらうチャンスでもあります。許可をいただいた後は,学年便りなどで,その旨伝えればお賽銭も増えて,神社も喜ぶのでは。
(以上,9月24日までのやりとりを紹介しました。今後も,続くことと思います。)