保護者からの手紙
〜ある時は応援歌,ある時は挑戦状〜
低学年担任が多かったせいか,多くの保護者から手紙をいただいてきました。少ない年で厚さ2cm,多い年で6cmくらいいただきました。近年は,子供と保護者と私の3者でやりとりする連絡帳が,年間一人5,6冊平均になっています。
保護者の方からの手紙は,力のない私への応援歌だったり,私の物言いや実践への批判だったり,その時々によって様々です。学級通信への投稿もたくさんありました。
特に,私は批判を多く求めてきました。独りよがりが,一番こわいからです。保護者にとって,担任の批判を文章にして本人に届けるというのはかなりの勇気を必要とすることだと思いますが,多くの保護者は,よくその要望に応えてくれました。私は,保護者によっていくらかでも育てていただいたと実感しています。「ご批判があっても,そのためにお子さんのことを『あのうるさい親の子だな』などとは,決して決して思いませんので,ぜひ私の足りないところを指摘してください。」と懇談会などでお願いすると,保護者の皆さんは笑いながら,それに応えてくれたのです。
時には,挑戦状と思われるものもありました。私の目指す教育への全面否定,宣戦布告と思われる手紙です。そうしたものに対しても,私は誠意を持って返事を書いてきました。思想的に,生活科反対(文部省反対)という保護者の方もいました。2年間,学校批判をくり返してきて,私が転勤する間際になってから「先生しか頼りになる人はいないんです」と涙の電話をくれた保護者もいました。
いただいた手紙の,約9割が応援歌,8分が授業や通信の文言への批判,残り2分が挑戦状といった感じです。
以下に,プライバシーに差し障りないものを選んで,ご紹介します。私への応援歌風のものは,ちょっと照れくさいのですが,「共に育つ」という本HPの趣旨から,保護者との関わりで育てられてきたことが伝われば幸いと思い,紹介します。また,正当な批判や挑戦状とそれに対する私の返事は,他の方にとっても参考になるのではないかと思います。
なお,文中の子供の名前等はすべて仮名です。また,☆が保護者からのお手紙,★が私の返事です。
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1.始めて持った1年生9月の授業参観の翌日(うれしい批判)
2.2年生懇談会の翌日(うれしい批判)
3.子供たちの詩に寄せて(若い私への応援歌〜学級通信への投稿)
4.お母さん,子供と共に育ちましょう(いじめに心を痛める母親へ)
5.生活科に疑問を感じる(挑戦状)
☆今日の授業は,いつもらしからぬ暗いものでしたね。何だか,先生疲れているね,と他のお母さんと話していました。教室が暑かったせいもあると思いますが,子供たちも疲れていたようです。
先生,いつもハードなお仕事ぶりは私たちにもひしひしと伝わってきます。「おいっちに」(註〜このときの学級通信です。)も,本当に楽しみにしていますが,お疲れなら無理せずお休みになってください。やっぱり,先生の大きな笑い声がない授業参観は,さびしいものです。
★1年生の授業というものが,まだよく分からないのです。さっきまでとても生き生きと集中していると思ったら,次の瞬間にはもうすっかり飽きている。つい,裏切られたというような気持ちになってしまいます。ま,体調も悪かったかなあ。ここしばらく寝不足気味なので。でも,一番の反省点はやはり教材研究不足です。
2.2年生懇談会の翌日(うれしい批判)
☆少なくとも,年齢だけは先輩ということで,一言。先生,一人の子供と生まれてからずっとつき合ってきた親だって,自分の子どものこと,よくわからないですよ。私もガミガミ母さんです。毎日大声で悠也のこと,怒鳴って自己嫌悪です。何を言いたいかというと,今日の懇談で先生が言った「子どものことは,100%責任を持つ」という言葉についてです。ちょっと傲慢だと,私は思うのですが。
★言葉が足りなくて,申し訳ありません。あの意味は,入学式で言った「教師も親も目の粗いザル。ザルを重ねましょう。」という私のメッセージに対応しています。「子供のことは,教師も自分が100%責任を持つつもり。そして親も100%持つつもり,それくらいで丁度よい。」という意味合いで言ったものです。他の方にも誤解があるようでしたら,「きらきら」(学級通信)で訂正しようと思います。
☆「つもり」でしたか! 納得しました。それにしても,大した心意気ですね。そんなに張りつめていて,大丈夫かと思うほどです。これからもよろしくお願いします。
3.子供たちの詩に寄せて(若い私への応援歌〜学級通信への投稿)
☆みんな詩の勉強をしているので,お母さんも詩をつくってみました。
先生のせいは小さいけれど
先生の目は四つもあるよ
みんなに幸せつかませようと
あっちにピカリ!
こっちにキラリ!
ほら,そこでギラッ,ギラッ,ギラ,ラ
先生のせいは小さいけれど
先生の心は大きいよ
パンパンパンにはりつめて
パンクしそうに大きいよ
先生のせいは小さいけれど
ギターひくのがうまいんだよ
みんながとびばことべたって
なみだキラリでひいてるよ
4.お母さん,子供と共に育ちましょう(いじめに心を痛める母親へ)
☆土曜日に持ち帰った「きらきら」(註〜このときの学級通信です。)を読んで,私はとても心が痛みました。私は常日頃子供に言っていることは「いじめられてもいじめることはするな」ということです。特に,女の子をいじめるのは最低だと。しかし,私は自分の子どもがその仲間にいたのだったとしたら,私はやはりとてもショックです。子どもが他の子をいじめるのには,きっと何か心に問題があると思うのです。これは,私が自分の子を育てていてはっきりと解ることです。ただ,単にわんぱくな子は,他人を傷つけたりはしませんね。先生,事実を教えてください。私は,もし私の子がいじめをやっているのだとしたら,本当に子育てを根本からやり直す必要があると思います。私も中学生のとき,ちょっとしたことでいじめられた経験がありますので,その子の悲しい気持ちがとてもよく解ります。そして,その子を思うお母さんの気持ちも。
★もし,健太君が○○君だったら,お母さんはどうなさるつもりなのでしょうか? 私は,子育てというものは「根本からやり直す必要」などないし,またできないものだと思います。健太君は,とてもかわいいお子さんです。そして良い子です。活発な子は,ときに人を傷つけることもあるかもしれませんが,そういう中でまた,優しさを学んでいくのです。それでいいのです。いじめられた子がいるということは,何とかしなければならない問題ですが,私は私の仕事を根本からやり直そうなどとは思いません。その子,その子との信頼のパイプと思いやりの心を育てていけば,いじめはいつかなくなるはずだと思っています。そう子供たちを信じています。
ps.健太君は,○○君ではありません。本当です。
☆御返答,ありがとうございました。私は,自分の子供がいじめの本人でなければそれで良いとは決して思っておりません。そして,又本人であったとしても健太をきびしくしかったり責めたりということもしなかったと思います。では,なぜ直接健太に聞いてみなかったのかと先生はおっしゃるかもしれませんね。私はあの時,健太と信頼のパイプがつながっていないのを実感していました。そんな時に健太に聞いても本当のことが聞けるのか,又私自身信じてやれるのか全く自信が有りませんでした。入学時に話して聞かせたことをわかってくれたと思っていただけに,そうでなかったと知った時のショックはきっと大きなものだと思いました。私は「自分の子に限って」とは思っておりません。でも,やはり子供は信じてあげなければいけないと思います。先生は,時に他人をキズつけて優しさを学んでゆくとおっしゃいましたね。他人のいたみを知るまでには,まだいろいろな事が起きそうです。どうか今後共よろしく御指導願います。私も,これからはもう少し自信を持って育ててゆきたいと思います。
ps.主人も「きらきら」を楽しみにしており,日曜日に一週間分まとめて読ませていただいております。年下の主人が生意気ですが,「先生は子供たちのことを良く観ているネ。(そして,お前のこともよく見ているネ。)天職なんだなあ。」と話しておりました。
★この間は,エラソーな返事をごめんなさい。私も,もし○○君が健太君だとしても,お母さんは健太君のことを責めたりはしないだろうと思っていました。私がおそれていたのは,お母さんが自分自身を責めてしまうのではないかということでした。自分自身を責める親は,一見とても良心的に見えますが,子供にとってはよい親ではないと思います。なぜなら,子どもも自分を責めることを学ぶからです。反省することと自分を責めることは違います。反省は,明るくすべきと思います。何度でも言いますが,健太君はとってもいい子です。私は健太君が大好きです。健太君の言うことに,よく笑わされます。いつでも元気いっぱいの健太君は,見ていてさわやかです。お母さん,う〜んと自信を持ってください。またまた,エラソーになってしまいました。ごめんなさい。お父さんの一言,うれしかったです。
☆陽子の父親です。巷間,伝え聞くところでは生活科という得体の知れない教科が現場に押しつけられることになったということで,厚別北でも取り組むことになったと聞きました。今,日本の子供たちの現状を省みるとき,学力の低下や科学的な考え方の低下が一番の問題というときに,どうして時代に逆行するようなことに飛びつくのか,理解に苦しみます。遊びは,幼稚園でも目一杯やってきているし,低学年なら下校後もほとんど外で遊んでいるのが実態,家庭の中でもできることをあえて学校がするというのは,疑問です。聞けば,生活科のカリキュラムは各学校にまかせられるとのこと,そうであれば科学的な思考をきちんと身につけるカリキュラムを開発していただきたい。今のままでは,週5日制ともかかわって子供達への負担が多すぎる。横藤先生は,生活科の担当者と聞いています。文部省の言いなりにならない,誠意ある回答を期待します。
★私が,生活科の担当者になり,指導計画の作成を進めているのは,別に文部省の指示に従ってやっているのではありません。私自身が生活科という新しい教科に魅力を感じ,開発に意欲を覚えるからです。また,学力の低下や科学的な思考力の低下を,子供たちの生活経験という視点からとらえたとき,生活科という新しい枠組みが必要と考えるからです。そういう意味で(「時代に逆行」とは思いませんが),「得体の知れない」(のかな)生活科に「飛びついて」(かな)いるのです。
ところで,佐伯さんの次のご指摘は,どのような事実に対応しているか教えていただければ幸いです。
・低学年ならほとんど外で遊んでいる〜私どもの本校を対象にした調査では,週に四日以上外遊びをしている子は7%です。
・家庭の中でできることをあえて学校で〜同じく2学年を対象にした調査では,家庭内の仕事をまったくしていない子が24%います。
また,以下の佐伯さんの考える内容をもう少し具体的に述べていただければと思います。
・幼稚園での遊びと同じことを小学生がすることには,全く意義はないのか。
・同じく,家庭生活の中でするようなことを,授業の中ですることは意義のないことなのか。
・科学的な思考をきちんと指導するとは,例えばどのようなことなのか。
・週5日制に移行することが子供たちの負担増になるというのは,具体的にどういうことか。
私も,子供たちがより豊かな力を付け,心も体も頭もぐんぐん成長することを心から願っています。そのためにも,生活科のような新しい枠組みの教科が誕生することを心から歓迎しています。別に私は文部省の言いなりになっているのではありません。一昨年の理科の授業記録を同封します。このときの実践は,まぎれもなく理科の枠組みのものですが,この中で目指しているものは,生活科で強調されているものと全く一致します。
佐伯さん,今後の議論を実りあるものにするため,以下の提案をしたいと思うのですが,どうでしょうか?
(1)同封の理科の授業記録及び私の分析をご検討ください。そして,私の授業の構築論のおかしいところを具体的にご指摘ください。なお,佐伯さんのおっしゃる「きちんとした科学的思考」か否かは別として,このとき市販テストで平均点は96点でした。
(2)来月の授業参観を,生活科(まだ移行段階ですが)といたします。お忙しいところとは思いますが,ぜひ参観においでください。できれば授業をビデオにでも収めていただき,授業の中の子供たち(陽子さん中心でかまいません)の姿から具体的にどこがどう問題なのかを,生活科という枠組みと対応させて検討させていただければ幸いです。私のこの上ない勉強になります。
(これに対しては,返答は来ませんでした。授業参観もありませんでした。しかし,学年末に次のような手紙がお母さんから届きました。)
☆この2年間は,親子してわくわくどきどきの連続でした。(中略)当初は,不安に感じた生活科でしたが,何よりも陽子が目を輝かせて,「今日は〜をした。」「今日は〜へ行った。」そして,「〜君はすごい。」と堰を切ったように話す姿に,親の方が考え方を見直さなくてはならないと思った次第です。先生の,プロとしてのますますのご活躍を心から祈念いたします。