太極拳は,単なる踊りであってはならない
平成12年度のスポレク石川大会に参加して,強く思ったことがありました。
それはどういうことかというと,「これを進めていったら,太極拳は第2の柔道,テコンドーになってしまうのではないか」という危惧です。
今回,多くの演武の中に武術的な見方で見ると疑問を感じるものがありました。つなぎの動作の中で,同じ位置で回転する動きを取り入れた人がいました。太極拳は,常に体軸を動かしながら進んだり退いたりします。実戦面で非常に優れた移動法です。実際に打ち合ってみると分かりますが,体軸をわずかにずらすだけで,相手の攻撃の効果を80%くらい減じてしまえるものです。しかし,今回の演武の中で,「あれでは,相手に簡単にクリーンヒットをもらうぞ」と思うような動きがたくさん見られました。
太極拳の演武中は,相手と自分の正中線の間には,常に左右どちらかの手が入るようになっています。これも,非常に優れた技術です。ところが,やはりつなぎの動作に,正中線がら空きの瞬間(いや数秒間)がある演武も多かったのです。
ドンジャオという蹴り技も,本来は相手の膝あたりを上から踏みつける技だったのが,今多くの競技会や演武では頭よりも高く上げると拍手が出るようになってきました。ま,これは柔軟性やバランスの鍛錬法としてはまったく意味のないことではないのですが,少なくとも技としては「高く上げる」ことが本質のねらいではないということが,忘れられているように思います。
もちろん,太極拳の楽しみ方はいろいろあって良いと思います。「健身法」「気分転換」「芸術」「ゆったりした動きによる幅広い年齢の方々との交流」という側面を否定するつもりはまったくありませんし,私自身も,そうした側面を楽しんでいます。しかし,そうしたものの基礎になっているのは,「太極拳は,武術である」ということです。スポーツ化を目指すと,本来の武術的な動きへのこだわりが減って,見栄えのする動き,ポイントをかせぐ動きを重視するようになるのは自然な流れなのでしょうが,長い時間をかけて創り上げられてきた武術=文化の精神,先達への敬意を,失わずに楽しんでいきたいものだと思います。
なお,付け加えるなら「踊り」を私は否定するものではありません。日舞などに,すぐれた身体意識の方がいらっしゃり,そのすばらしさは武術とはまた違って人間の可能性を実現するものであると思います。そういう方を私は尊敬しています。
(話は変わりますが,シドニーオリンピックで,柔道の選手が1本を取った瞬間に,礼も忘れてコーチに駆け寄りました。相手と一緒に転がると,上の選手も下の選手もサッと審判を見ます。悲しい光景でした。テコンドーでも同じでした。相手を倒すという気迫より,審判の目にどう映るかに意識が注がれており,そこに技や精神の美しさを感じることができなかったのは,私だけでしょうか。)