身体意識が変わるとき
2000年10月12日。早朝,目を覚ました私は,メールチェックを済ませ,その後居間で歩行練習をしていました。外はまだうす暗く,家族はまだ眠っていました。
いつもと同じように,弓歩(ゴンブ)で何度か居間の端から端まで往復していたとき,突然左の内肩から「すっ」と力が抜け,それと同時に上半身(胸)と左腕がはっきり別のものとして存在することが感じられました。腕を使って,いくつかの動作をしてみました。これまでと,はっきりと違う動きになっていました。自由で,軽いものになっていたのです。
このとき,かつての拳聖が言ったという「体は位牌のように」という意味が,初めて身体で理解できた気がしました。
これまで,「体は位牌のように」という言葉は,体をまっすぐに立てるということの比喩だと考えていました。しかし,この日肩や腕と胸が別ものとして意識できたとき,胸や背中が長方形の板のようなものである感覚を覚えました。「これが,位牌の意味だったのか」と,びっくりしました。
これまで,例えば推手で小寺先生(私の先生です)と手を合わせると,必ず私は内肩を押し戻され,直されました。相手に対して,どちらかの肩が前に出て,知らずに半身に構えてしまうのです。空手時代の名残だと思います。(ついでに言うと,前に進むときにやや猫背になることや蹴るときに反対側に体を倒してバランスをとろうとしてしまうことなど,空手の動きの名残が随所に残り,私の大きな課題になっているのです。)しかし,それがどうして悪いことなのかについては,さほど深くは考えませんでした。「空手は,短期間に強くなるために,主に筋力を使う武術だから,スェイバックしやすく,また正中線を隠す意味で半身にするのだろう」と考えていました。しかし,肩から力が抜け,胸や背中と肩や腕とが別のものと意識できてみると,その快適さから考えて,これまで(といってもはるか昔のことですが)空手でとってきた半身の構えも正しいものではなかったような気がします。
身体意識が,大きく変わったのは,記憶に残る限りでは2回目です。
1回目は,太極拳を始めて2年目のときに,股関節を引き込み,股関節で上体を回転させる感覚を得たときでした。それまで,腰(ベルトライン)で回転するという意識だったのが,股関節で回転すると,格段に気持ちよく,そして鋭く深く回転できるようになったのです。
講習をする際,よく私はこの股関節での回転を題材に扱います。参加者の股関節を,左右の指でゆっくりと交互に後ろに押してやると,股関節を使っての回転が比較的容易に得られます。すると,参加者の半数弱の方は,「あれ!」とびっくりなさいます。それまで体験したことのない感覚で自分の体が気持ちよく動くからです。しかし,そういう方も自分一人で動けるかというと,そうはいきません。また,すぐには股関節を使っての回転を得られない方も少なからずいます。
そういう方に,私は「いつか,『あっ,これだ!』と,感覚が向こうからやってくる日が来ます。それまで,意識をそこに向けて,ゆったりとした気持ちで練習してください。」と言ってきました。
今回は,正にこの「感覚が向こうからやってきた」のでした。
かつての拳聖たちは,偉大なる身体意識の持ち主です。
掌に雀(燕?)を載せて,柔らかく動かすことで巧みに雀の飛び立とうとする力を緩和し,逃さなかったなどは,信じられないようなエピソードですが,掌をいくつものセクションとしてとらえるような身体意識を開発できれば,そういうことも可能なのではないかと思います。
まだまだ,あちこちにこわばりのある私の身体ですが,これからも練習の中で意識を高めていきたいと思います。