双重の病

 「そうちょうのあやまち」と読みます。「太極拳経」という古典にあります。これは,いろいろな解釈がされていますが,相手が力を入れているときにこちらも力を入れての,力同士の戦いになることを戒めたものだというのが,分かりやすいように思います。例えば,相手が押してきたとき,こちらも同じように力を入れて押し返すのでなく,少し引いて力点をわずかにずらしてから押し返すと,相手は魔法のように吹っ飛んでいきます。太極拳の技は,すべてが双重を避け,一つところに留まることなく動きながら,バランスを失うことなく相手より優位な状態を保つようにできています。子供や同僚,あるいは保護者と考えが食い違った場合,「おっと,双重に陥らないように!」などと自分を見直すゆとりを持ちたいと思います。空手は,「陽」の武術だと思います。突く一瞬に力を爆発させます。しかし,太極拳では打つときも,その前もゆるめることを常に考えます。「沈肩墜肘」(ちんけんついちゅう〜肩と肘をゆるめて下に沈める)とか,「虚領頂勁」(きょれいちょうけい〜首の力を抜いて,頭をまっすぐに支え,頭のてっぺんを伸びやかに押し上げる)など,ゆるめて動作することの大切さを練習の度に実感します。私と,私の先生である小寺先生(女性です)とでは,筋力はもちろん,体格も年齢も,私の方が有利なはずなのに,私は十分にゆるめることができないため,先生に軽く投げ飛ばされてしまいます。
 「勁(ちから)を出したければ,力を抜くこと」ということが少しずつ分かってきています。つい,いろいろなことについ肩に力を入れて取り組んでしまいがちな私ですが,太極拳の動きによってそういう強迫観念が癒されるように感じます。太極拳では,世界はすべて「陰」と「陽」の2つの要素からできており,それがバランスよく組み合わされているという前提に立っています。「陰」も「陽」もどちらも必要だと捉えているのです。また,「陰」の中にも「陽」があり,「陽」の中にも「陰」があるとも考えます。
 私たちはともすれば,「陽」のみを追い求めがちになるのではないでしょうか。
 例えば,教室では明るい子,活発な子。武術では,派手な決まり技,また,逆に目立たないこと,地味なことを何か粗末にしているようなことはないでしょうか。そんなことを考えさせられています。
それまで,私は夜も寝ないで仕事するのがよいと思っていました。睡眠時間が短いのがちょっぴり自慢でもありました。しかし,がんばりすぎてダウンすることも多かったのです。「陰」(眠ること)を粗末にし,「陽」(活躍すること)だけを追い求めようとしていたからではと思います。太極拳と出会い,価値観が変わってきました。

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