1月24日(木)  18:55     高等部グラウンド

 

 

「レキ!!」

 自分にまとわりつく忌々しい光を打ち払おうと、レキが全身の毛を逆立てた瞬間、グラウンドにクリーオウの声が響き渡った。レキの動きがぴたりと止まる。

 周囲からは声なき感嘆が漏れる。あれほどまでに苦労して動きを押さえ込んでいたものが、たった一人の――しかも魔術士でも何でもない普通(俺からすればその表現が適合するかどうかは少々怪しいが)の――少女によっていとも容易く行われているのだから、当然と言えば当然であるが。

 巨大な黒い悪魔の目の前に小さな金の髪の少女。さらにそれをぐるりと取り囲むように、残った力を振り絞り申し訳程度の結界を張りつづける魔術士たち。さながら、悪魔を鎮める巫女と神官たち、といったところか。

 レキが動きを止めたのを見て、クリーオウの表情にちいさく安堵の色が浮かぶ。レキから決して目を逸らすことなく、クリーオウは言葉を発した。

「レキ……わたしのこと、わかる? クリーオウよ。ずっと一緒にいた……体育館裏で、一緒にいた」

 一度言葉を切って、小さく深呼吸をするとさらにクリーオウは続ける。

「レキ、ごめんね……こんなことになるまで気付かなくて。ずっと側にいたのに、気付かなくてごめんなさい。レキが苦しんでるのに、わたし何も気付かないで、何もできないでいて……」

 クリーオウの声のトーンが落ちていく。レキは未だ動きを見せようとしない。

「苦しかったよね……ううん、今だって苦しいよね、レキ」

 母親が子供をあやすかのように、クリーオウは優しく言った。

「わたしがいるから。もう、一人じゃないから。……苦しくても、わたしがいるから。苦しみから、レキを守るから。だから――」

 う゛う゛ん……

「?!」

 妙な音を耳に捕らえる。よく見ると、レキの周囲の光が、またわずかであるが振動を始めていた。

(クリーオウが呼びかけている『レキ』の意識が薄れてきたのか? ……まさか、現状を危惧した外部からの妨害……?)

「もうちょっとだってのに……くっ!」

 俺は舌打ちして結界の強化に全力を注ぐ。が、それも雀の涙ほどにしかならない。ぐんぐんとレキの力が増していくのがわかった。このままでは――完全に結界が打ち破られてしまう。

 さらに下手をすると、結界を打ち破った際の(レキが力を使った)衝撃と、外部が目覚めさせようとしている本能によって、『レキ』の意識がすっ飛んでしまうかもしれない。そうなったら、もう手の施し様がない。全てが終わる。

 と、そこでクリーオウもレキの異変に気付いたようだった。

「レキ……? レキ?!」

 俺は必死になって叫んだ。

「急げクリーオウ! 『レキ』の意識が消えかかってるんだ!! どうにかして呼び戻せ!!」

「レキの……?!」

 う゛う゛う゛う゛う゛、と大気までが震え出す。結界はもう崩壊寸前だった。

 すうっ、とクリーオウが大きく息を吸った。そして、あらん限りの大音声で叫ぶ。

「レキ!!!」

 レキは反応しない。大気の震えは止まることなくその振動を大きくしていく。それでも、クリーオウは叫んだ。

「レキ!! そんなのに負けたらダメ! 思い出して、レキ……自分を、思い出して!!」

 一瞬、大気の振動が弱まったように感じた。が、止まったわけではない。

 きっ、と視線を鋭くしてクリーオウが続ける。

「……何で、そんなことするのよ! レキが苦しむようなことを、何でするの?!」

 唐突に、クリーオウはそんなことを言い出した。気が狂ったのかとも思われる発言だが、本人は至って真面目だった。

「レキがこんな苦しんでるのがわからないの? 仲間なのに、わからないの?! 仲間なのに、レキを苦しめるの?!」

 誰に伝えているのだろうか、クリーオウはレキに向かって――その後ろの、何かに向かって叫び続ける。

「レキは、あなたたちの道具じゃない……レキはレキよ。レキは、レキが思う通りに、レキが生きたいように生きるべきだわ! けして、あなたたちが決め付けていいものじゃない!!」

 そこまで叫んで――、クリーオウは、笑みを浮かべた。優しい……極上の笑みを。

「レキ……帰っておいで。レキは、レキでしょ?」

 まなじりにわずかに涙を浮かべて――少女は前へ、両手を広げるようにして伸ばす。

 黒い悪魔が一瞬――たじろいだ……ように、見えた。見えただけかもしれない。けれど、何かしら変化が起こったのは誰の目にも明らかだった。

 が、咄嗟に俺は駆け出していた。いつもの本能――これまで培ってきた何かが、瞬間的に告げる。

 う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛……!!

 2,3歩大地を蹴った瞬間、レキが何かに抗うかのように身体を動かす。これまでにないくらい大きく、大気が振動し始めた。

 耳障りな音と共に、空気越しの振動が前へと駆け出す俺を阻む。振動で吹き上げられた砂や小石がびしびしと肌に当たり血が滲むが、もちろんそんなことは構っていられない。

 何もかもを投げ出すかのように、俺は虚空に手を伸ばすクリーオウの前へと滑り込み、ぎりぎりまで編みこんだ構成を全力で開放した。

「我は紡ぐ光輪の鎧!!!」

 

 そして、グラウンド全体が光に包まれた。