日もどっぷり沈んだ夜……マジクが目を覚ましたのはそんな時間だった。
「あれ? ここは……」
「やっと起きたか」
 そう言ってオーフェンはゆっくりと椅子から腰を上げた。手にあった読みかけの本を備え付けのサイドテーブルに置くと呆れたような口調で続ける。
「ったく、『レキ』って言葉を聞いただけで気絶しやがって……運ぶ俺の身にもなってみろ」
「すいません。でもお師様だって分かるでしょ? あの黒い悪魔の暗黒魔……」
「おっと、それを口にするな」
 マジクの言葉をさえぎるオーフェン。目をぱちくりさすマジクを尻目に彼は言葉を続けた。
「クリーオウにはさっき説明したんだが、この町は一度、ドラゴン種族に滅ぼされたんだ。何の種族かは忘れちまったが……ドラゴン種族の仕業であることは間違いない。だから……」
「レキがディープドラゴンであることをばれてはまずい……ってことですか?」
「そういうことだ。あと魔術もできるだけ使わん方がいいな。『ドラゴン種族=人間の魔術士』って考えの奴もいる」
 オーフェンの言葉に顔を青くするマジク。そんな彼にオーフェンは苦笑を浮かべた。
「まあ、お前が心配してるほどのことでもないさ。滅ばされたのもはるか昔だ。今じゃドラゴン種族を恨んでる奴なんて基本的にはいねえよ」
「基本的には、ですか?」
「なかには狂った奴もいてな。力の差も知ってるくせにドラゴン種族に突っかかっていく奴もいるかも知れねえってことだ。特に、力の無い……と言っても人間にとっちゃ脅威なんだが……赤ん坊だとか人間の魔術士にな」
「そうなんですか……」
 一瞬納得しかけたマジクだったが、すぐに言葉の意味に気付いてか血相を変えた。
「じゃあ、どっちみち安全じゃないってことじゃないですか!!」
「……路地裏やらには行かないことだな」
 不安そうな弟子に意地悪な笑みを浮かべてから、オーフェンはゆっくりと自分のベッドに向かった。もう時間も遅い。そろそろ寝ないと明日に響いてしまう。
 後ろからぶつぶつ文句を言っているマジクを無視して、そのままベッドへもぐりこうもした……そのとき
「きゃぁぁぁぁぁ!!!」
『クリーオウ!?』
 オーフェンとマジクの声が重なった。二人同時に相手の顔を見て、軽く頷いてから慌てて部屋を飛び出した。



 クリーオウの部屋は2人の部屋から少し離れたところにあった。真っ暗な廊下を走る。よほど繁盛していないのか悲鳴を聞いて飛び出してくる人間はいなかった。店主すら出てこないのは問題かもしれないが……
 そして、オーフェンはクリーオウの部屋の前にたどり着くと同時に部屋のドアを蹴り飛ばした。
 派手な音を立てて吹き飛ぶドアを一瞥してからオーフェンは室内へと踏み込んだ。マジクはまだ来ていない。
「クリーオウ!」
 声と同時にオーフェンは部屋の中央に明かりを放った。浮かび上がった光球が部屋の全貌を明らかにする。そこに表れたものはクリーオウだけではなかった。
 部屋の窓は割られ、ガラスが室内に散らばっている。クリーオウが投げたのか花瓶が壁に当たって砕け、壁には大きな傷が残っていた。そして、目を引くのがベッド。鋭い刃物が突き刺さったようにシーツが大きく裂けていたのだ。
 そして……部屋の中央に位置する影が……クリーオウ。そして、彼女が対峙するものが……黒尽くめの衣装を身にまとった人物――体格から言えば男だろう――だった。まるで暗殺者のような格好をしたその男の手には、きらめく刃を持った短剣が握られている。
 その男の双方がオーフェンを捕らえた瞬間、彼は無言で床を蹴った。と、同時にその暗殺者も動きを見せる。オーフェンが彼に接近するより前に男は窓の方に飛び、軽やかな身のこなしで窓枠を乗り越えていった。
 急いで窓の外を覗くオーフェンだったが、そこには果てしなく広がる夜の闇しかなかった。
「くそっ……」
 口惜しげに呟いて窓枠を叩くオーフェン。そして、ゆっくりと振り返る。
「大丈夫か? クリーオウ」
「……ええ」
 真っ青な顔で――暗殺者に襲われたのだから仕方が無い――答えるクリーオウ。とりあえず彼女が無事なことに安堵のため息を漏らすオーフェン。
 部屋を見渡してからオーフェンは独り言のようにうめいた。
「なんであいつはクリーオウを襲ったんだ?」
「さあ? あまりに可愛かったから思わず襲っちゃったんじゃないの?」
 もうショックは抜けたらしい。そんな彼女を半眼でにらむオーフェン。
「なわけねえだろ……だとすると考えられるのは……」
 そう言ってオーフェンはクリーオウの足元にいるレキに視線を移した。
 事態が分かっていないのかのんきにあくびなどをしている――もちろん音などは出ないが――ドラゴンを見てオーフェンは小さくため息をつく。
 原因がわかった。おそらく昼間の騒ぎを誰かが目撃していたのだろう。もちろんオーフェン自身が言った狂信者達の仲間が。宿がわかっていると言うことはここに入っていくのを見られたはずだ。
「クリーオウ!? 大丈夫?」
 やっと追いついてきたのかマジクが部屋に入りながらクリーオウに声をかける。顔に足形がついているのだが気にしない。それが前を走るマジクを自分が、蹴り倒し、踏みつけた跡とは気付かなかったことにしておく。
(ここにいてもまた襲撃を受けるだけ……宿を変える必要がある)
 そう考えてからオーフェンは今日何度目かのため息をついた。金が無い状態で宿を変えるのは手痛い。かと言って、このままここに留まり続けるとクリーオウの身に危険が及ぶ可能性が高い。無論、オーフェンがそのことを許せるわけも無かった。
「……また厄介事だな、ったく……」
 そう言ってから、想像してしまったこれからの苦労を振り払うかのようにオーフェンはかぶりを振ったのだった。