「とりあえず、しばらく追って来る心配は無さそうだな」
「そうみたいね……濡れ鼠だけど」
そう言ってクリーオウは自分の格好を見下ろした。長い時間走り回っていたため完全にずぶ濡れになってしまった。ブラウスの先を引っ張って絞ってみると水がとめどなくあふれてくる。
謎の集団に襲撃され街を1時間ほど逃げ回った結果、なんとか追っ手を撒くことが出来た。予想以上に手ごわい相手だったため、いささか苦労はしたもののレキの魔術などでなんとか切り抜けたのだ。
そして、偶然見つけた廃屋に二人は身を潜めていた。雨に濡れ続けるのは体力を消耗するため好ましくなかったのだ。
どうやら元々は農家の納屋だったらしく、くわ、すきなどと一緒に家畜用のわらなども置いてある。無論そんな農具が役に立つは到底思えないものの、クリーオウは剣の代わりにと、くわの先っぽを外して使うことにしたらしい。
外は相変わらずの雨。草葺屋根やレンガどおりに落ちる音が廃屋のなかまで響いてくる。雨漏りを心配しながら、オーフェンは天井を眺めた。すると……
「ねえオーフェン。さっき、どうしてレキの魔術が使えなかったのかしら?」
いつの間にか隣にやって来たクリーオウがオーフェンの袖を引いていた。胸元にはレキを抱え、不思議そうな顔でいる。こんな事態になっても不安の色を見せない彼女にオーフェンは正直感心を覚えた。
「……使えなかったわけじゃないだろう。魔術士が魔術を使えなくなるのと一緒でドラゴン種族が魔術をつかなくなるなんてありえない。つまり、効かなかったんだ」
「効かなかった?」
「お前も見ただろ? 俺の魔術が発動してもドアすら吹き飛ばなかった。魔術を無効化するための魔術を使った形跡も無い。そして、あの女が持ってた……」
「盾?」
「そうだ。恐らくアレはさっきも言った通り天人の遺産だろう。恐らく魔術の効果を無効化、もしくは吸収する魔術文字の埋め込まれた盾だろうな。……そうなるとかなり厄介だ」
「じゃあ二人で格闘戦にしたらいいんじゃない? もしくは一人一人おびき出して……」
クリーオウの意見にオーフェンは頭を横に振った。
「却下だ。どう考えても多勢に無勢。俺が一人で相手できるのもたかが知れてる。それにやつらには暗殺技術を持った奴がいるのも確かだし、あの女もなにかしらの力は持ってやがるはずだ」
「俺一人じゃないでしょ。私もいるのよ?」
さも当たり前のように提案するクリーオウ、だが、オーフェンはそんな彼女を一瞥してから苦々しく言った。
「……お前はここで隠れてろ」
「どうしてよ!!」
オーフェンの一言にクリーオウは大声をあげた。予想してはいたもののはっきり言われるのには腹が立ったようで声が完全に苛立った物へと変わっている。だが、怒鳴られたオーフェンは先ほどと変わらない無表情で続けた。
「レキの魔術が通用しない。それじゃなくても相手が悪すぎる。暗殺者とやって勝てると思ってるのか?」
「やってみなきゃわからないじゃない! それに前に牙の塔で魔術士を……」
「あれは一対一だっただろ? 数人が相手で勝てるのか? 俺がお前を守りきれる確証だって無いんだ」
「……守るって何よ」
オーフェンの言葉にうつむきかけたクリーオウだったがすぐに顔を上げた。どうしても聞き逃せなかったのだ。
クリーオウの心の中にはある言葉だけが渦巻いていた。
『――お前を守りきれる――』
彼は守ると言った。彼は自分を守ると言ったのだ。
それがどういう意味かはわかる。守る者、守られる者。保護する者、保護される者。守る者のために闘う者、ただ守られるだけで何も出来ない者。足を引っ張られる者、引っ張る者。そんな関係になれということだ。
それこそ、クリーオウは我慢が出来なかった。
パートナーとは違う。相手の強さを認め、相手の弱さを支え、できることをし、できないことを助けあって実現する。常に対等の立場にあり、決して片方がもう片方へと依存しない関係。それがパートナーなのだ。
確かに自分と彼では戦いにおいての技術に差はある。それもはっきりとした途方も無い差だ。いくら自分が努力した所でその部分は追いつけないだろう。
だが、だからといって何もしないわけにはいかない。
彼とて完璧ではないのだ。危なっかしい部分だって必ずある。誰かに補ってもらわなければいけないところが存在しているのだ。
そこを埋めるのがパートナーの仕事だ。
そして、今敵対している相手と戦うこと、それを一人で行うことは間違いなく一人で出来ないことだ。
敵の力量、そしてあの女の遺産。全てがオーフェンにとって不利な材料になりえるはずだ。
一人では無理……二人でなら可能かもしれない。
少なくともクリーオウ自身はそう思っていた。二人で協力して……
だが、彼は守る言ったのだ。自分を。
自分を役に立たないと認識したのだ。例えそれが自分の身を案じてくれている末に出た結論なのかもしれないがそんな心配は要らない。必要ないのだ。
「私は……オーフェンのパートナーよ!」
「いい加減にしやがれ! お前だって何でもできるわけじゃねえだろ!! できることと、できないことの区別も付かないガキじゃないのにいつまでも聞き分けないこと言ってんじゃねえ!!!」
オーフェンが声を荒げる。だが、その声の奥に潜む本心をクリーオウはしっかりと感じていた。だからといって納得できるものでもない。
「それはオーフェンじゃない!! どうやってあの女を倒すって言うの!? あんなたくさんの暗殺者相手に一人で勝てるとでも思ってるの!!?」
「だからってお前まで一緒に闘う理由にはならない。だからお前はここにいろ!」
「嫌だって言ってるでしょ!?」
毅然と言い放ったクリーオウはオーフェンにずいっと一歩近寄った。
「オーフェン、最初に襲われた後で私にこう言ったわよね。『お前が狙われてるみたいだから宿を変える』って」
「……それは……」
「でも、さっきの女はレキを狙ってるって言ってたわ。しかもオーフェンはそのことを知ってたんでしょ!?」
「……ああ」
「私はあのとき、私を囮に使って暗殺者をおびき出すと思ってたの。それもちゃんとしたパートナーの仕事だと思ったから素直にオーフェンに従ったわ。でも、それは嘘だった……」
「……お前に本当の事言うと『レキのボディーガードは私がやるわ!』って言い出して聞かなかっただろ。だから俺がお前らを守ったほうが……」
「それがイヤだって言ってるんじゃない!!」
そう言ってクリーオウはオーフェンをにらみつけた。ゆっくりと深呼吸をして呼吸を整える。
「私は! オーフェンに守られたくなんて無いわ!!」
その拒絶の言葉を言い放ってからクリーオウはオーフェンから目をそらした。
彼がどんな表情をしているかはわからない。怒っているかもしれない、悲しんでいるかもしれない、もしくは呆れ返って冷たい目でこちらを見ているのかもしれない。だが、どうでもよかった。
これが彼女の本心なのだから。それを伝えることで彼がどう思おうと関係ない。
「クリーオウ……」
オーフェンの声にクリーオウは我に返った。そして、彼が自分の顔をビックリしたような目で見ていることに気が付いた。
慌てて頬をこすってみる。そこには雨とは違った液体が流れていたのだ。知らず間に流れたその雫は彼女のあごを伝い一面にしかれた枯草の上へと落ちる。
「……私は……オーフェンのパートナーよ。守ってもらうんじゃなくて、支えあうべきなの。お互いが出来ないことを二人で出来るようにする……それがパートナーの仕事よ」
そう言いきってからクリーオウはオーフェンに背を向けた。苛立ちのせいでもあるのだが、彼に頬の涙を見られるのが嫌だったのだ。
(なんで、泣いてるのかしら……これだと自分で弱いことを証明してるみたいじゃない)
クリーオウは涙を止まるまでそのままでいることにした。天井を向けば涙を抑えているように見れるだろう。それもしゃくだった。
しばらうオーフェンは無言だった。彼がなにを考えているのかはわからないが自分の言葉を聞いてくれたのは確かだろう。そして、それが彼にどういう考えをもたらしたかは彼女もわからなかった。
と、突然。クリーオウの頭に布のようなものが覆い被さった。
「へっ?」
いきなり視界を真っ暗にされたクリーオウは、わけもわからず声を上げた。そしてその布のようなものを手にとってから正体を確かめる。
それは人ひとりがすっぽり包まれるほどの毛布だった。そして、クリーオウはそれを投げてつけた来た人物の方を唖然として見やった。
「……とりあえず身体を温めとけ。いざというときに動けなかったら洒落にならねえからな」
「…………ありがと」
そう言ってクリーオウは素直に毛布に包まった。照れくさそうに頬をかくオーフェンに感謝の微笑を浮かべながら。
その毛布は温かかった。雨に濡れた身体だからそう感じたのかもしれないが、彼女にとってそれだけが全てではなかった。彼が、自分を認めてくれたような……そんな思いがぬくもりになっていたからだ。