カタルシアと対峙して、オーフェンの心にざわめきが走った。
純粋に……強さというものを表すとしたらどんなものなのだろう?
圧倒的な威圧感、絶対的な恐怖、そんなものを感じさせる。そして、それこそが強さを表す感触なのだ。
それは今までのオーフェンの人生の中で幾度も感じてきた感触。クラスメイトに、師に、自分など足元にも及ばない魔術士に……そして、今目の前に居る女に。
心を這い回るようなざらついた感触と、嫌な予感、本能的な恐れがこみあげてくる。
オーフェンはそれを必死に無視して、隣にいるクリーオウに声をかけた。
「……クリーオウ、気を抜くなよ」
「わかってるわ」
珍しくも少し緊張した声で答えるクリーオウ。どうやら彼女も感じ取ったらしい。自分も同じく感じている、カタルシアと言う女の強さを。
そして、オーフェンの視線は彼女の左手につけられた盾へと移る。今、一番自分にとって厄介な代物。一番に破壊しなければ勝機はない。
全ての魔術の効果を無効にし、ディープドラゴンの沈黙魔術ですら防ぐ盾。それが天人の遺産であることは間違いなかった。
「天人の遺産を破壊する方法……一つ、遺産に刻み込まれた文字を破壊する。二つ、持ち主を破壊する。三つ……の遺産の限界以上の力を加える……ってとこだな」
「どうするの? オーフェン」
「……一番目の方法は文字が見えない以上どうしようもない。二つ目の方法はあの遺産を無視しなきゃ出来ない。つまり、魔術無しであの女と闘わにゃならんわけだ……そして、三つ目は……」
「おしゃべりはそこまでよ!!」
声と同時に殺気が二人を襲った。もちろん、二人も決して気を抜いていたわけではないため、同時にその場を飛びのく。
「クリーオウ!」
「ええ! レキ!!」
2人の先ほどまでいた場所に飛び込んでくるカタルシア。その踏み込みの速さと、斬撃に移る瞬間のキレにぞっとしながらもオーフェンは叫んだ。そして、それに応えるようにクリーオウの指示が飛び、レキがその緑の双方を輝かせる。
緑の光はカタルシアの居る空間を飲み込み、間違いなく彼女は巨大な力の渦に飲み込まれるはずだった。
しかし、またしても爆発は起こらず、カタルシアの身体が少し押し戻された程度で緑の光は全て消え去ってしまった。
「無駄だって言うのがわからないのかしらね、お嬢ちゃん!!」
次の瞬間、彼女はクリーオウに踊りかかった。描き出される銀の軌跡、そんなものがスローモーションな動きでオーフェンの目に飛び込んでくる。そして
「我は流す天使の息吹!」
オーフェンの放った魔術の突風が彼女に押し寄せる。どうやら直接的な危害を加える魔術でなければ吸収できないようで、彼女の身体が難なく宙を舞った。
「クリーオウ!?」
「大丈夫! それより前!!」
クリーオウの声にオーフェンは即座に前を向き直る。彼の目に映ったのは人並みはずれたスピードでこちらに走りこんでくるカタルシアと、彼女が振りかぶった剣の輝く刀身だった。
即座の判断で身体を横に流す。そこを刃が通り抜け、風が起きた。
「余所見は死への第一歩よ!?」
そう叫び、カタルシアは剣を横に薙いだ。オーフェンの胴を両断すべく、殺気をまとった剣が迫ってくるのを見ながら、オーフェンは呪文を叫んだ
「我が指先に琥珀の盾!!」
それと同時に鋭い金属音があたりに響く。オーフェンの作り出した圧縮空気の盾とカタルシアの刀がぶつかる音。その音こそ、この戦いが生死を分けるものであることを物語っていた。
「どうして?」
力押しをするかのような姿勢のままカタルシアが口を開いた。
「どうして、人間の魔術士がディープドラゴンの味方をするのかしら? あなた達にとってもディープドラゴンは疎ましい存在じゃなくって?」
「……関係ない。俺はただ、理不尽に人の物を奪おうとするのが許せねえだけだ」
「理不尽? 理不尽に物を奪う? ……よく言えるわね!」
そう言ってカタルシアが一歩飛び退く。そして反動をつけ、再び襲い掛かってきた。先ほどと同じ、いや、それ以上の殺意を伴った刃とともに。
「我は紡ぐ! 光輪の鎧!!」
オーフェンの目の前に出来た障壁が斬撃を受け止める。だが、カタルシアは自分の刀を止められたことなど気にかけもせずに、そのまま叫び声をあげた。
「理不尽に破壊するのは誰!? 理不尽に人の命を奪ったのは何!? 人間!? 動物!? ……違うわよね!?」
大きく刀を振りかぶり、振り下ろす。そして、障壁に阻まれ、また振り上げる。そんな動作を繰り返すカタルシアを見ながらオーフェンは戦慄を覚えた。
「森の番人!? 聖域の守り神!? 私達にとっては死神でしかないのよ!! ディープドラゴン・フェンリルは!!!」
「我は放つ光の白刃!」
いつの間にオーフェンは呪文を唱えていた。それは無意識のうちの咆哮、恐怖への抵抗でしかなかったのだ。本能が訴えかけるものと共にオーフェンは叫び声と共に力を解き放つ。
収束された白い光は真っ直ぐカタルシアの盾に突き刺さり……言うまでも無く消滅した。
(! しまった……!!)
そして、新たな魔術を放ったことで消滅した障壁を乗り越え、カタルシアがオーフェンに向けて刀を振り下ろす。真っ直ぐに描かれた軌跡は、そのままオーフェンの脳天へと向かっていた。と……
「あああぁぁぁ!」
気合の声と共に何かが彼女にぶつかった。突然のことで反応できなかったカタルシアは、そのままの姿勢で雨の降り注ぐ地面へと転倒した。そして……
「オーフェン! 大丈夫!?」
自分を呼ぶ声にオーフェンはふと我に返る。目の前に現われた金髪の少女を見ながらオーフェンはつぶやいた。まだ、背中に流れる冷たい汗と、心に残る凍りつくようなものを拭えずにいるため、うまく言葉が出ないが。
「クリーオウ……」
「早く、立って! 来るわよ!?」
その声に反応するかのように、地面を蹴る音がした。そして、猛烈な殺気が二人へと押し寄せてくる。が、そのときには既にオーフェンの新たな魔術の構成は完成していた。
「我は踊る天の楼閣!」
クリーオウを抱え、そのまま数メートルほど転移する。もちろん、カタルシアの向かってくる方向とは正反対の方向へ。
視界がぶれ、転移が終わったのと同時に、カタルシアの剣は空を切った。
「どうしてあなた達は私の邪魔をするのかしら? どうして私から全てを奪ったディープドラゴンの手助けをするのかしら? そんな死神の……」
「死神じゃないわ! レキは私達の仲間よ!!」
はっきりと言い切るクリーオウ。彼女の横顔を一瞥し、オーフェンはゆっくりとカタルシアに向かって一歩踏み出した。
「どうしてだ? どうしてそこまでディープドラゴンを憎むんだ? この街を彼らが滅ぼしたのも昔の話、それにディープドラゴンが無意味に人を殺すなんて……」
「わかってるわ。殺された人たちは聖域を侵したのよね。人間と、ドラゴン種族の契約を破って……」
「なら、どうして……」
「私はね。自由になりたいの。全てを終わらせて」
さきほどとうってかわり、彼女の口調は穏やかなものへと変っていた。だが、その奥に潜む静かな殺意は未だに衰えておらず、一瞬でも隙を見せると襲い掛かってくる獣のように存在していた。
「……一部の天人はね、ディープドラゴンを危険視したいたの。大陸を滅ぼす力を持ち、自らの意志をもたないディープドラゴンを……。そして作られたのがこの盾。使用者に対する全ての魔術による危険を打ち消す、最強の防具よ。それを見つけたのは……父だった」
消え入るような声。今までの彼女が嘘のように、彼女の表情は消え入るようなものへと変った。
「そして、父は私のこの盾を渡したわ。たった一言を言ってね『お前はこれを使って奴らを滅ぼせ』ってね」
「だから……殺すのか?」
「何考えてるのよ!! いくら父親に命令されたからって、何も知らないこの子を殺すの!?」
「……まさか。私もバカじゃないわ。でもね……それが運命になったのよ」
そう言って彼女は刀を構えなおした。まるで、闘うことを求めるかのように、それが彼女に決められた運命かのように……
「私はもう一人のために生きてはいけない。多くの人間のディープドラゴンへの憎しみ、天人ののろいのような意思、この盾が全てを伝えてくるのよ。私は……この盾に縛られてしまったのかもしれないわ」
刀はゆっくりと運動をはじめ、雨を弾く。まるで、天から注がれた彼女の涙が、流れ落ちたかのように……雨は次第に激しくなっていく。そして……
「だから私は自由になる! ディープドラゴンを殺して、私はこの呪縛から逃れる!! だから……あなたたちを殺す!!!」
「本当にそうなのか!? お前の望んでるのは!!」
オーフェンには……彼女の叫びが……彼女の泣き声に聞こえた。
そして……彼女の剣はまた、悲しい舞を舞い始めた。