「 熊が冬眠する前に考えた 」

人は弱いものだから、多くの過ちを犯す。これ当然。しかし、
命を奪う過ちでない限り、過ちは必ず取り返せるもの。
熊先生の学習は、自分が失くしたものを取り返すだけ。
でも、これは絶望的な作業に思えてしまう時がある。かつて自分もそうであった。
幼い時に「賢い」と言われた子供は、時として不幸になる。
幼い時の賢さは、多くの場合「ずるい」に繋がるからだ。
やりたい放題遊びまくって、テスト前に少しだけ勉強して、何とかその日をやり過ごす。
うっかり、失敗した時に、「うまい言い訳」を考え付いて、その場をしのぐ。などなど 他人を誤魔化せても、自分は騙せない。
「いつかやり直そう、いつかやり直そう」と思いながら、後回しにしてきた自分の記憶からは逃れられないから、…
大人になるために最後にやってくる本当の試験。
就職試験であったり、大学入試であったり、誤魔化すことができない「本物の試練」に直面し、立ちすくむ。
いつだって、誰だって、置き忘れたものは取り戻せばよいのに
「ずる」や「誤魔化し」で切り抜けてきた「賢さ」がまた邪魔をする。
「あんなにさぼったのだから、取り戻せるハズが無い」と、妙な確信に取りつかれる。
10%しか取れなかった受験知識を、わずか2ヶ月の真剣な努力で、95%の知識に育てた緑川君の実話を話しているのに
自分には出来ないと思い込んでいる。
その陰に「悪貨は良貨を駆逐する」の故事が目に浮かぶ。
「自分の人生を諦めるのは、自己責任だから其れも良いかも知れない。」しかし、一人で落ちて行くのは不安で寂しいから、後輩を道連れにするために、「どうせ…」とホラ話を自信満々でする輩がいることが困る。
夜の徘徊であったり、喫煙の勧め、飲酒の勧めと限りがない。

そんな先輩も、先生たちが寄ってたかって、道をつける…

「ほーら、大丈夫じゃないか」と「のど元過ぎれば…」の置き土産。これも「愚民化政策の成果」だろうか?


コンコンチュウチュウの似顔絵

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