「 玉の汗 」
28歳で、埼玉県の教諭に成った。塾講師時代から、公務員教師何するものぞト言う勢いで就職したので、生徒の評価は、新米の癖に偉そうに、と言うものだった。
「どんな人間にも、生まれてきた理由があり、役割がある」
「人を侮り、馬鹿にするものは許せない」と言うのが、今も同じ心情だ。
学級委員の綾乃は、いつも穏やかな表情でクラスメイトを見つめ、まるで京言葉を操っているような女の子だ。勉強はいつもトップクラスで、掃除も仕事も一生懸命こなすのに、弱点が一つある。
小学生の頃に患った、腎臓関係の病気で、疲労が大敵なので、運動が出来ないのだ。
特に、東中での伝統行事、持久走は5kmに挑戦する。体育で練習する時は、いつも校門のそばで、寂しそうにしている。
ほとんどの生徒は、持久走の練習と言えば、文句たらたら、不平不満ばかりなのに、この生徒は、「校門から帰ってくる友人の顔が光り輝いている」と言うのだ。
汗まみれ、へとへとになって帰ってくる友人が「格好いい」と言う。
私自身、初めて持ったソフト部に一試合分の体力を付けさせるために、5km25分と言う課題を、なかなか解決できないと言うのに「みんなが嫌がる持久走を楽しそうだ」と言うのだ。これは、助けな、ければ成らない。「出来ないはずはない」と言うのが信条だ。
理由と方法を考えた。腎臓が悪いと言うなら、疲労物質を作らなければ良いのだ。運動理論を調べたら、適切なウォーミングアップを行えば、軽減できる事が判った。お母さんに確認したら、「随分前に健康を取り戻したが、不安なので」と言う事で、ドクターストップが掛かっていた訳では無い事が判った。
普段の生活では、人の嫌がる掃除も、人一倍出来るのだから、「限界を超えなければ出来るはずだ。」と決めた。ウォーミングアップの目的、肝臓から十分グリコーゲンが分泌され、血行が整うまでは、筋肉に負荷を掛けない。を目指して、1分間120の脈搏を作るようなジョギングを一緒に走りながら教えた。
それは、不随意筋である心筋を、肺と横隔膜を動かす事により、導引する方法だ。口から息を2回「ハッハー」と強く吐き、「フッフッ」と2回鼻から息を吸い込む方法で、5分ほどで脈搏が安定する。こうなれば多少無理をしても大丈夫。
一緒に走りながらこのリズムを教えた。
苦しくなったらリタイアしなさい。と命じて、倒れたら病院まで担いで行ってやるからと約束して走らせた。本当は胸はドキドキ・ハラハラで心配だらけだったが、不安が一番の大敵なので、笑顔で空笑いして本番に臨ませた。
校門から、ふらふらどころか、玉の汗を撒き散らしながら笑顔で飛び込んできた綾乃の姿を見て、自分が教師になった価値と意味をかみ締めた。
皆の士気が上がったのは言うまでもない。
塾の暴れん坊熊先生が中学教師になった一瞬である。
今年度の、指導要領の改正で、文科省は、前回のゆとり教育の意図が正しく伝わらず、わずかな失敗を恐れ、言うべきタイミングを失ったために、するべき指導が成されなかったので、「生きる力」と言う意味が誤解された。と言っている。現場を知らず、大学の教室で理論をこねくり回している、オ偉い先生方には、理解できない無謀さであろう。
我々、教師の役割は、僅かな怪我もさせないために、「してはいけないルール」を作るのではなく、冒険・成長にはリスクがつき物であるから、少しでもそのリスクを減らす、怪我をしたら連れて行ける病院を手配しておく。それが仕事ではないか。
この綾乃が3年生になって、私を助けてくれる事になる。