『日本と韓国の歴史関係』

以下は、私が知る歴史と、韓流ブームで見た、韓国時代劇から学んだ歴史を結びつけて「考察」したもので、「学術調査」の結果では無いので、それを踏まえたうえで、ご覧ください。
とは、言いながら、科学的推理検証の方法を用いているので、納得できる結果だと思います。

私は、先に挙げた純粋な好奇心から、自分で調べた情報で韓国を判断してきたのですが、ある韓国の歴史紹介本(転居の際紛失)に、韓国の歴史を知るのなら、中興の祖中祖(イ・サン)、太宗(龍の涙)、世宗(大王世宗=現在放送中)、高句麗初代(朱蒙)、高句麗中興の祖広開土大王(大王四神記)を見ると良いと書いてありました。文化的には日本では、漢方医学として知られる「東医宝鑑」を編纂した「ホ・ジュン」女子でありながら歴史に名を遺したチャングム(大長今)などを見て、日本の歴史、幼少期の実体験などを参考にして組み立てた推論です。

ネットで、韓国の歴史を調べると、「誹謗中傷の山」ですね。

特に現代の若者が、韓国で正しい歴史を教えられていないと言う事を、熱心に伝えています。義務教育で「世界史をおしえていない」など、具体的に驚くべき事ばかりです。しかし、教育が時の政権によってなされている事を考えると、見えない事実が見えてくるものです。 ごく卑近の韓国政権を見ていると、大統領制の国でありながら、5代に渡って、大統領は引退後、悪事がばれて死刑に成ったり自殺したりしています。歴史を見ても、王となったものが、民衆の信頼を得て安定を図るために、忠臣と思われるものを殺害し、常に転覆しようと言う勢力と抗争を続けています。愚かな国と思う前に、私は日本の教育の事を考えます。
内村鑑三の代表的日本人を読んだのは、上杉鷹山の事を知りたくて読んだのですが、二宮金次郎(尊徳)の事を、全く知らずに誤解していた事を知りました。全国の小学校に建てられて、道徳の強制と勘違いしていましたが、日本人があるべき本当の誘起を示した人でした。そう言う、日本人が誇るべき話を、第二次大戦で敗北し、占領下にあった日本では、正しい事を語らず、ひたすら隠し、各地で銅像が打ち壊され撤去されています。私の得意な数学においても、江戸時代に、身分差別の保護のために、読み書きを禁止された農民たちが、世界屈指の数学を体系化した、「和算」の『塵劫記』が、義務教育で教えられることは有りません。米国の顔色を伺う現政府の元、昔は社会科の教科書に載っていた、自然環境を守るために、全国の市町村ごと、特に農村で制定された「入会権」(公共の土地である山の資源を使う規則)の事など、全く教えないどころか、ネットで検索しても出てきません。
日本でもそうなのです、大戦後、朝鮮動乱が起こり南北に分離されて、今度は米国の顔色を見ながら暮らしてきた、韓国の状態は、馬鹿にして笑うよりも、大変気の毒な状態であると思います。
今では誰も使わなくなった、「馬鹿でもチョンでも」と言う言葉があるでしょう。特に第二次大戦後の日本では、敗戦国としての自分の悲惨な状況を忘れるために、朝鮮人に対して、必要以上の差別を行ってきた事実が有るのです。
韓国を批難する日本人は、自分たちが行った非道に目を背けてはいけないし、日本を批難する韓国人は、正しい歴史を、自らの目で調べなければいけないのです。
私は日本人ですから、きっと韓国人の人の立場は正確には判りません。紹介された一見正しそうな事実(何らかの意図が籠められた事実)を鵜呑みにせず、科学的な思考方法を当てはめると、時代劇の中に、一片の事実が想定できます、 私がくみ取った事実はこうです。

古代史の中で、韓国は中国(漢〜明)に支配されていました。と言っても、中国にとっての脅威は、隷従しない北方民族でしたから、朝貢を絶やさない韓国は、ほんの家来だったのです。それでも支配から抜け出したいと願うのは本能です。鋼鉄製造の秘密を見抜いた朱蒙が、漢の支配から独立しました。このころ漢が独立を許したのは、三国時代に入り、敵は西に居たからです。反三国志では、追いやられていく魏は、幽州と呼ばれる遼東半島に逃げて行きます。恨みながら隷従する韓国は、中国王朝にとっては、頼りになる存在だったのです。
今放映されている大王世宗を見ていると、国民の為に、暦法を自作しようとする王を、明の怒りを買うからと、本気で妨害する重臣たちがいるのです。
実は、韓国の問題は、この重臣である『両班(ヤンバン)』の存在でしょう。日本で言う貴族です。朱蒙の高句麗建国以来、功の有った両班に世襲の特権を与え、日本の士農工商と同様と言うより、もっとあからさまな「両班・中人。常人・賎民」と言う4つに分類されると言いますが、法律上は「良人(ヤンイン)と賎人(チョンイン)」の二つしかないのです。それどころか、この4つの身分の他に、戸籍や正規の職業に付けない「白丁(ペクチョン)」と言う人々が居たり、更にその下に、奴隷である「奴婢(ヌヒ)」が居たのです。これは、江戸時代に、日本で可笑しな身分制度を隠すために、更に下の身分「穢多(エタ)非人(ヒニン)」と言う身分を作って、最下層のはずの人間を誤魔化す常套手段ですが、世襲制であるために、現在韓国にも脈々と流れている事は想像できます。韓国社会を牛耳っている両班階級が居て、民主化したのにも関わらず、元々持っていた財力で、逆転する事がかなわない民衆が、上位者のミスに怒りをぶちまける。また、支配階級は自分への目をそらすために、別の憎しみ対象である「反日政策」を国是とする。これが現状だと思います。
根本的には、韓国の民衆が豊かに成り、力を付けて、自分自身の目で真実を見る力を付ける事が大切なのですが、かなり難しいでしょう。 と言うのも、経済的に豊かに成り、自分で考えられる力を付けたはずのわが国でも、あれほど嘘ばかりで金権主義の現政権を変える事が出来ないでいます。リーマンショックの時の3倍のGNPがありながら、富は全てどこかに隠れ、国民は不況にあえいでいます。日本にも見えない支配者がいるのは確かです。隣国を笑う事は出来ません。
こういう事を言うと「陰謀論」だと、最愛の息子に非難されるのが現実です。若者には批判力が無く、「今が良ければいいじゃないか」と成っているのが日本です。
そんな状況の日本人が、歴史に苦しめられもがいている韓国人を批難し笑うのは、弱者を傷つける態度だと私は思います。
さて、話が長くなりましたが、私の両国史観はこうです。
古代朝鮮の時代に、国を滅ぼされた韓国人は、夫余(扶余プヨ)と言う農耕国家として存続し、一部が海を渡って、日本に逃れ、縄文人と融合しながら、植樹狩猟を本文とする国家体制から、韓国並みの国家連合を形成し、大和朝廷の元となる弥生時代を形成した。農耕文化になじまなかった古代縄文人は北は北海道、東は長野、南は琉球に逃れ、それぞれの文化を形成した。やがて、鋼鉄製造の秘密を解き明かした朱蒙が高句麗を建国し、漢からの独立を果たしたが、中、国での三国体制が終焉し、「晋」が統一すると、争いを嫌って、融和政策として、晋に臣従する様になった。
この間、漢字を公用語としたので、現在でも語彙の60〜70%は、漢字熟語である。敢えて、中国とは異なる文法の韓国語にこだわったのは、臣従しても服従はしないと言う気持ちの表れである。自国の文化を色濃く継承した日本を擁護し、大切にしていたが、時とともに、歴史を忘れた日本では、鎌倉時代に天皇制から武士の世界に変貌し、当時中国もモンゴル民に征服されて「元」の時代になったが、その間に三韓統一がなされ李氏朝鮮が起こり、復活した中国王朝「明」に親従した。国家統一の理念を、日本では聖徳太子が仏教に置き、韓国では儒教で支配しようとしたが、民衆は理解しやすい仏教を手放そうとはしなかった。
やがて日本の戦国時代、日本にとって遥か遠い中国と異なり、唯一と言ってよい、侵略可能な朝鮮半島への侵略、「倭寇」が繰り返し行われた。特に西洋文明を意識した、豊臣秀吉の侵攻は大きく、韓国人に歴史上の恨みを残した。
やがて、日本は、明治維新を迎えた時、中国(清)の轍を踏まず、英仏を手玉に取り、独立し国力を得たので、やがて、日清日露戦争を経て、日韓併合と言う名の植民地化を果たした。第二次世界大戦で敗北するまでは、日本としての敵は、キリスト教国であるヨーロッパ諸国であったから、日本なりには英国がインドで行ったような植民地政策ではなく、占領地を富ませるようなインフラ整備を数多く行った。インドネシアあいかり、台湾しかり、ブルネイしかりである。韓国でも、現在の北朝鮮地域に、巨大ダムを造り、水力発電による工業化を実現した。
朝鮮動乱で、北緯38度線で国が分裂した時、その恩恵は大半が北朝鮮に在り、独立当初北朝鮮の方が国力が有った。韓国は農業中心で、占領軍の米国は対ロシア政策で手一杯で、インフラ整備は行われなかったので、長い間貧困が続いた。
その当時、敗戦国であった日本では、戦乱で行き場の無くなった韓国人を強制送還する訳にもいかず、かと言って日本人でさえ生きて行くのが大変だったので、江戸時代の非人のような扱いで差別を繰り返したので、当時の現状を知る年寄りたちは、日本人に対する恨みが深く、また、韓国では政権が変わるたびに、自政権の正統性をアピールするために、反日教育を一様に行い、国民発奮の原動力とした。
日本が、韓国の近代化のために貢献したのも事実だが、戦時の動乱に隠れて、酷い差別と苦しみを与えた事も事実だ。また、時の政府により反日教育が行われ、若い世代が正しい歴史を知らない事も事実らしい。

しかし、それらの事を「相手が悪い」と言い募っても何の解決も出来ないであろう。

人として、弱者に対する思いやりの心で何が出来るか考えて行けば、必ずいつか理解され、道は開ける。相手の批難からは何も生まれない。
谷村新司さんが、毎年韓国やアジアで行っているチャリティーコンサートの様に、音楽や芸術を通して、文化を伝えあう事が最も良い方法だと思っている。

これが私の考えている、日韓両国史観です。ご参考に成れば。

コンコンチュウチュウの似顔絵

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