めぽっく21    
1993-1995 平塚・三十代・専業主婦がまちづくりを考えた
めぽっく とは、
() +エポック
女性から発信する
まちづくり情報
              
                               めぽっく トップへ  めぽっく21 ホームへ
 めぽっく (1993-1995) とは
 管理人びぃが三十代後半に、出身地の神奈川県平塚市で同い年の友人4人と編集発行していたミニコミ誌です。

 びぃは三十過ぎるまで、「社会のことなんて私には全然関係ないもん」と生きてきました。それが、1990年代の初め、平塚市内の自宅から実家までベビーカーを押しながら「世の中、子育て中のお母さんに優しくない!」と突然怒りがこみあげて来て、

       でもこれって一人で考えることじゃないな、

すぐにそう思えたところから、まちの中に出始めました。こんな風に思えたのは、まだ独身だった二十代後半、友人たちが「今の世の中とんでもないから、自分の子だけは良くしたい」と口々に唱え、それぞれの子育てに向かう姿に、自分の子だけよく育つって、ありうるのかなぁ・・・、他人事ながら漠然と感じていた記憶がどこかに残っていたからでしょう。

 自分と同じ立場の、平塚・三十代・専業主婦たちに、「子育てしながら、子どもが育つまちのことも考えようよ」と呼びかけるのに、人見知りのびぃにも可能なこと、それは会合の設定ではなく、ミニコミ誌づくりでした。
    1992年には、困ったらいつでも相談できる、実に頼もしい平塚の
     先輩ママたちと知り合えました。
      「あなたは若いんだから自由におやりなさい」
      「私はミニコミをつくりたいんです」
       ほら吹きびぃは先輩ママたちにそう宣言しました。

 でも、一人でできるかしら・・・ そんな不安を抱えた翌'93年、総合公園にベビーカーを押して遊びに行くと、向こうから高校時代の友人がやはりベビーカーで。それほど親しかったわけではないけれど、お互いの近況報告のあと、「実は今、こんなこと考えていて・・・」と切り出すと、拍子抜けするほどあっさり、「いいよ、手伝うよ」

      一人が二人になった。これならできそう

 タイトルは、前の年から考えあぐねて半年、「めぽっくってどう?」当時3才だった娘にたずねると「かわいいとおもうよ」 よし、決まり。

 ←左のロゴは美術専攻の友人に作ってもらい(もちろんタダで)、もう二人編集に誘って、さらに友人・知人にタダ原稿を依頼しまくりました。

 さて、「一緒にまちづくりを考えよう」と呼びかけるにしても、びぃ自身がそれまでまちのことを考えたことがないので、具体的に訴えたいことがない。何からどう取り掛かったらよいものか・・・ ま、とにかくまちの今を知らなくちゃ。ふと思い浮かんだのが「いったい平塚に専業主婦はどのくらいいるのかな?」という疑問。

        娘を連れて出かけた平塚市役所で、
      職員から思いがけなく親切に説明を受けた。

                    そうか、
  私の知りたいことを
調べて回って、
それをそのまま
読者にお知らせして、
一緒に考えていけばいいんだ。
   
       一号出せば、あとは読者が次のテーマを決めてくれる・・・

 印刷については、「私たちも苦労したから」と、先輩ママたちが推し出した女性市議(現平塚市長、2期目)の事務所で、原紙代だけ(印刷用紙は持ち込み)で印刷機を貸してもらいました。

 刷り上がった二つ折りの紙の山を、実家の八畳間で2ページずつ20いくつかの小山に分けて並べて、編集仲間や子どもたちとコの字に回りながら一枚ずつ取り、重ね合わせて、台付きホッチキスのアームに体重を載せて一度にガッ・チャン。めぽっく一部出来あがり。

        1993年12月に創刊号を発行しました。→
                          
        翌1994年の春、びぃは隣りまちの茅ヶ崎市に引っ越し、平日は娘を幼稚園に通わせ、週末は独り暮らしの父の世話(掃除や一週間分のおかず作り)に娘を連れて実家へ通う生活になりました。めぽっく2号からは、資料集めや取材を平日の昼間、平塚に行って進め、娘の春・夏・冬休みに集中して編集しました。

 平塚市内のお母さんからお母さんへと手渡ししてもらって、その輪が少しずつ広がって、医院数ヶ所にまとめて置かせていただいた分も合わせると、一番多いときで280部を配布しました。

              
                   

 創刊する前、実家近くの若いママにお願いして、平塚市内の小学校のクラスで学級崩壊の真っ最中というお母さんたち7、8人と会う機会を作ってもらいました。一時間以上話し込んでいると、 
   一人が出しぬけに、  でも、私たち、世の中って
こんなものだと思ってるんです
     30代前半のお母さんたちが一斉に頷きました。
 
      あなたはガッツがありそうだから、
         がんばってくださいね
           
 そう言われたびぃはそのとき36才でしたが、この発言とお母さんたちの同意に、一瞬固まってしまい、それから、この人たちは人生のどこで自分をあきらめてしまったのだろうと少し寂しい気持ちになりました。
 
 びぃがミニコミ誌づくりをもちかけたとき、同い年の友人たちは即座に賛同してくれました。彼女たちに<専業主婦>を三十代に限定する必要があるかしらと訊ねると、すぐ「絶対ある」しかも「同じ三十代といっても、すぐ上の人たちともすぐ下の人たちとも、私たち何か違うのよね」

 1957,8年生まれのびぃたちが中学3年のときは、当時の文部省の学習指導要領が10年ぶりの改訂期でしたが、実施の前年度だったため、まだ新しい教科書ができておらず、一つ上の学年までの教科書を使いながら、ここはやらなくてよくなったからと一部省かれ、替わって集合や確率などが薄い冊子で補われました。

 高校に入ると上級生からは「君たちはむずかしいことやってないから」と言われ、大学では、三つ下の学年から、今の「大学入試センター試験」の前身である「大学共通一次試験」が始まりました。「新人類」と呼ばれたのは、この1960年から65年くらいの生まれの人たちでしょう。中学が最初に荒れた頃の人たちも今は四十代に入っていますね。

 めぽっくを作っていた頃、同い年の編集仲間で漠然と感じていた<同年代でも大きい年の差>は、教育の恐るべき<成果>だったのかもしれません。
                 

 びぃは近所のママに頼んで、世の中ってこんなもんだのお母さんたちにもめぽっくを毎号渡してもらいました。するとあるとき、ママから、「これ、あの人たちから少ないけど渡してって」とカンパを差し出され、「今度は保険の特集してくださいって」


          
 各 号 の 特 集 内 容
            
創刊号
1993・12
 平塚・三十代・専業主婦
 家族の健康管理

2 号
1994・4
 1994年は国際家族年
 平塚の空襲
3 号
1994・8
 平塚の空襲
4 号
1995・1
 日本の福祉は申請主義
号 外
1995・3
 市政に関心のある市民11人が語る
  (平塚市議選女性立候補者8人・県議選女性
   立候補者1人・市長選男性立候補者2人に
   アンケート)
5 号
1995・12
 平和特集  憲法第9条を読み直す@
  (戦後50年、教科書に見る「平和主義」の記
   述 の移り変わり)

 一見しておわかりのように、内容がどんどんかたくなってきて、実際、「もっとマンガを多くして」という同年代の読者の声が少なくありませんでした。
 
   でも、編集仲間5人は「この路線でいこう」

   対照的だったのは、先輩ママたち。
     「余白がもったいないわねえ」

          「でも、これ以上字を多くしたら、
           もっと読んでもらえないんですゥ」

     
 <子育て><福祉><まちづくり>を繰り返しテーマにしていくつもりでしたが、先の見通しなく思いつくまま創刊号に盛り込んで、B5版40ページと大部にしてしまったのと、1996年春に県外に引っ越したのとで、結局、めぽっくは5号と1号外だけで終わってしまいました。

 上のお母さんたちからリクエストされた「保険特集」もできず、5号の平和特集も「その@」で途切れました。その頃のびぃは、いずれまた仕事をしたいと思っていたので、<専業主婦から働く主婦へ>なんて特集も考えていましたが、これも果たせませんでした。

 振り返れば、あの頃、毎週娘を連れて自宅と実家を行ったり来たりする生活の中で、ホントによくやっていたなぁと半ばあきれます。三十代というのは、あまり迷いもなくいろいろこなせる、気持ちで突っ走れる、まだまだそういう年代なのでしょう。

 めぽっくの編集発行は、ものごころついてからずぅーっと一人遊びで通してきたびぃの、生まれて初めての<人への積極的な働きかけ>でした。

 そんなにマメな人間ではありませんから、すっかりご無沙汰の友人・知人に、突然何とも失礼なタダ原稿の依頼をしたわけです。
              それでも、 
ただ一人を除いて
みなさん快く引き受けてくださいました。

 取材はいつもおそるおそるで緊張しまくりましたが、新鮮でもあり、何よりみなさんがご自分たちの活動を熱く語ってくださったので、そこでまた原稿をお願いしたり、当初期待していた以上に考えることなく、テーマは次から次へと広がっていきました。

 そして、ミニコミという地域限定のおもしろさ。びぃが情報を求めて(時に子連れで)歩くこと自体が平塚市の地域ガイド。道で出会った人に手渡しできるし、反響も「どうだった?」とすぐ訊ける。
 1995年号外では、市議・県議選立候補を予定している女性全員にアンケートをお願いしようと企画して、念のため平塚市選挙管理委員会を訪ねたら、「あなたがたは市民活動のつもりかもしれませんが、これはもう立派な政治活動、下手すると事前運動(選挙違反)になりますよ」と指摘され、全員が
  

 けれど、選管職員は無知な私たちを門前払いするどころか、「でも、こういう表現を使ったら、成り立つかもしれません」と公職選挙法に触れないタイトル表現、配布方法などを細かに指南してくれました。
 1995年第5号の平和特集では、戦後に平塚市立中学校で使われた社会科の教科書から、「平和主義」についての記述を10年ごと(昭和26、36、46年度文部省検定済みのもの)に抜粋して掲載しましたが、これも平塚に地域を限っていたので、教科書会社をすんなり特定できました。
 一つ一つの作業はしんどいこともありましたが、時に、ミニコミってたまんない、とにんまり。

 また、 もともと読書よりお絵かきの方が好きなので、自分で文章を書くのは苦行でしたが(めぽっく21も原稿がまとめられなくて、ついつい
びぃの部屋に逃げてます)、紙面のレイアウトや、寄せられた原稿を読んでいると自然に挿絵が浮かんできて、実際に描いてみる楽しみもありました。
 
  

 思い切って声を上げ、<めぽっく紙面>という場を開いたら、身近な人たちに、「自分のことだけでなく、周りの人のこともまちのことも考えなくては」という思いを、編集作業や寄稿、資料提供、取材協力、手配り、カンパ、批判、リクエストなどなど、その人なりのふるまいで示してもらえて、分かち合うことができました。
 そして、振り向けば、先輩ママたちがいつもあたたかく見守っていてくれて。
 短期間でしたが、めぽっくを通して知った一人では味わえない共同作業の心地良さが、びぃのその後の活動のベースとなっています。
  
                    HP<めぽっく21> は、

 今年(2007年)2月、4年前から住んでいる埼玉県志木市の NPO法人志木子育てネットワークひろがる輪 の若いお母さんと話していて、「そういえば、私はあなたたちの年の頃、ミニコミ誌をやっていたんだっけ、今度読んでね」と自分でも思いがけなく口をついて出て、でも考えたら手元にはもう一部ずつしかない・・・、そうだ、ホームページを立ち上げたら、気軽に読んでもらえるじゃないと思いつき、二ヶ月間HP作成マニュアルと格闘して何とか立ち上げました。
            
           
             余談ですが・・・

 十数年前、会合の設定なんて「絶対ムリ!ありえない!」とミニコミ誌を作り始めたびぃですが、2005年の暮れ、自分から言い出したのがきっかけで、なんと志木のまちで『財政問題を行政に聞く会』(→志民まちづくり塾という会合を開くハメになっちゃいました。

            お若いみなさん、

    どうやらこの世に、<ぜったい>ということはないようです。

         思いがけないことも降ってくるし、
         自分から動くこともどんどんしてみて、
         お互い、人生を楽しみましょうね。

     あなたのまちの、<めぽっくさがし>も おすすめ
です
        

このページのトップへ   めぽっくバックナンバー トップへ

 めぽっく21 ホームへ