一 開基人名年月
旧記開基足利高氏将軍也観応年間筑紫住居の節慶覚
法印の道徳霊利を尊敬祈僧とし陣中に召連将軍兜の
八幡座に納める薬師如来を延文三年(一三五八)三月給与あり則本尊を
薬師とし一宇を建立開祖を慶覚とし吠瑠璃山延養寺と
号す同僧至徳三寅年(一三八六)十月十六日卒又亨保四亥年中
嵯峨御所より更に宝寿院永院室兼務拝命有之依て
従前院家寺と称す
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延養寺に伝わる御朱印の写しは以下のとおり。
大猷院様(三代家光) 慶安二年(一六四九)八月二十四日
常憲院様(五代綱吉) 貞享二年(一六八七)六月十一日
有徳院様(八代吉宗) 享保三年(一七一八)七月十一日
惇信院様(九代家重) 延享四年(一七四七)八月十一日
浚明院様(十代家冶) 宝暦十二年(一七六二)八月十一日
文恭院様(十一代家斉) 天明八年(一七八八)九月十一日
順徳院様(十二代家慶) 天保十年(一八九九)九月十一日
温恭院様(十三代家定) 安政二年(一八五五)九月十一日
昭徳院様(十四代家茂) 満延元年(一八六〇)九月十一日
一例を挙げる
上野国群馬郡高崎延養寺領
同所之内拾弐石事並寺中竹木
諸役等免許当家先判之例
永不可有相違者也
天明八年九月十一日
御朱印
徳川将軍より発給された朱印状には、徳川氏からの所領寄進と歴代将軍の代替わりごとに発給される継目安堵の二種類があり、本資料は家斉への代替わりによって発給された継目安堵の朱印状とわかる。これにより、延養寺領のうち拾弐石の知行と「寺中竹木諸役之免許」が再確認された。
また、朱印状の文言は寺社の格や所領の規模により、大寺は「…状如件」。所領百石以上「…者也即如件」。百石以下「…者也」と区別されていた。
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