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1992年8月
走行距離 3,337km

参加者
ゲンゲン

出発〜小樽
小樽〜桂沢湖
桂沢湖〜富良野
富良野〜金山湖
金山湖〜池田
池田〜釧路
釧路〜厚岸
厚岸〜羅臼
羅臼〜網走
網走〜礼文
 礼文 
礼文〜札幌
札幌〜青森



 8月7日(金)〜8日(土) 晴れ
出発〜小樽
 バイクに興味を持ってから、いつかは北海道に行かなくては、と思っていた。250ccのバイクを手に入れて2年目の夏、僕は念願の北海道ツーリングを実行した。 今でも夏の北海道はライダーに人気があるけれど、当時は「みつばち族」という言葉があり、ライダーがすれ違うときの「ピースサイン」も頻繁に行われていて、 「北海道ツーリング」はライダー憧れの特別な雰囲気があったような気がする。
 僕は学生だったので金をあまり持っていなかった。でも、当時は寺崎勉の「さすらいの野宿ライダー」の影響かツーリングに金をかけるのは邪道、 貧乏野宿ツーリングこそが正道であるというようなイメージがあり、オフロードバイクでの貧乏野宿一人旅というのは、まさに正統派スタイルだったのだ。

↑戸倉林道の途中で 
 当然、北海道までの道のりもなるべく安いルートで。太平洋側より、新潟−小樽の新日本海フェリーの方が安いので決定。 フェリーは夜出港なので、朝出発すれば新潟まで一般道で行っても充分間に合う。
 早朝、行田を出発してR17を一路北へ。多少寄り道しても問題無いと考えた僕は、沼田からR120を片品村方面に向かい、戸倉から戸倉林道を通って水上へ抜けた。 戸倉林道は全面舗装路だけど、交通量も少なく、きれいな景色を楽しむことができた。藤原湖を通って水上に出たら、 谷川岳で行き止まりになっているR291を月夜野までいったん戻ってから、再びR17で三国峠越えだ。
 三国峠を越えて新潟県に入ってからはただひたすらR17を北上。しばらくは快調に走ったけれど、午後になり、長岡あたりから道が混み始めてきた。 群馬で回り道をして遊んだおかげであまり時間の余裕が無いので、ひたすらすり抜けをして新潟へ向かう。
 今日は特別暑いと言うわけではなく、8月の上越路としては普通の日差しだったけれど、炎天下、車の多い道をツーリングの荷物を積んですり抜けをしたので結構疲れてしまった。 僕はその時、Tシャツの上に薄いナイロン地のウインドブレーカーという格好だったけれど、新潟までは暑くてTシャツで走っていた。今はこんなに暑いけど、 北海道は涼しいからウインドブレーカーが必要だろう、なんて考えて持ってきたんだけど、そんな薄っぺらの上着じゃ全然役に立たないことを思い知ったのは北海道に着いてからだった・・・。
 暗くなる頃にはなんとかフェリーターミナルへ到着、乗船手続きを済ませて一安心。長距離フェリーに乗るのは初めてなのでなんだか嬉しい。

本日の走行距離 330km

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 8月9日(日) 晴れ→曇り
小樽〜桂沢湖
 さて今日から北海道を本格的に走り始める。天気は快晴。僕はわくわくしながら宿を後にした。
 宿?そう、北海道上陸初日の昨日から、さっそく「正統派野宿旅」の掟を破り、民宿に泊まったのだった。理由は簡単、雨が降っていたから。 こういうことを言っていると、「野宿コダワリ派」の人から軟弱モノと怒られそうだが、夕方、小樽の町に上陸して薄暗い街を寝る場所探してうろうろしていたら、雨が降ってきたのだ。 僕は山登りをやるのでテント生活には慣れているが、初日から雨に濡れるということは結構不愉快なことだ。 それに、だんだん暗くなってきて寝る場所探しもメンド臭くなったので、困ったときのイエローページ、公衆電話の電話帳で ささっと空いてる民宿をとったのだった。野宿はあくまでも旅の手段であって目的では無いのであ〜る。

 さて、快晴の朝の道を快調に札幌へ向かう。小樽−札幌間の道は広くて高速道路のよう。さすが北海道、と感心したのもつかのま、 札幌市街に近くなってくるととたんに車が渋滞しはじめた。考えてみれば当たり前で、北海道の中心札幌は大都会なのだ。平日の朝のラッシュ時間である。 何車線もある都会の道は、うかうかしていると右折レーンに入り損ねたり、立体交差だったりと思うように行けないこともある。しかも各方面からの道が集中しているので 道を知らないよそ者は戸惑うばかり。なんとか札幌中心地を抜け、江別に抜けてR12に乗ることができた。R12は札幌と旭川をつなぐ基幹道路だから空いてはいないものの 一本道で上り下りしかないから、自分の居場所を理解しやすくなった。
 岩見沢で給油すると、ちいさな三角形の旗をくれた。はじめは変わったおまけだな?と思ってもらったけれど、これが北海道での「みつばち族」の証、GS旗コレクションだということを知ったのはもう少し走ってから、多くのライダーとすれ違ってからだ。この小旗はいわゆるキャンペーングッズで、20cmほどのプラスチックパイプにビニールのペナントがついている。 各ガソリン販売系列店ごとにデザインが違い、それぞれ「風・北海道91」とかなんとか、それらしい販促コピーが書いてあって、同じ系列でも地域別で色が違うとか、コレクター心をくすぐるようになっている。 他県ナンバーのバイクに乗っていると必ずくれるので、ガソリンはほぼ毎日給油するから、一週間も道内を走っていると、何本もこの旗をもらうことになる。実際たくさん旗をなびかせて走っているライダーを多く見かけた。 この小旗は、リヤシートの荷物を縛っているゴムひもの間に竿をはさんで、風になびかせながら走るといかにも「みつばち族」って感じになるのだ。

 岩見沢でR12を外れ、県道38号線を夕張へ向かう。国道を外れるとすぐに周囲には北海道らしい広い畑、サイロなどのある風景が広がる。
 道はだんだん細く登り坂になり、丁美風峠を越えると夕張の町に入る。石炭の歴史村という施設があり、夕張炭坑跡を見学できる。映画「幸福の黄色いハンカチ」が大好きな僕はしばらく夕張の街中をうろうろした。とても静かな町だった。
 夕張の町を抜けると、R452を桂沢湖方面に北上した。午前中快晴だった空は雲が多くなり、だんだんと薄暗くなってきた。この道は夕張川に沿って山間を走る道で、人造湖シュウパロ湖から上流は、原生林の中を蛇行する川を見ながら人気のない道となる。道路とガードレール以外は人工の物が見えない。ところどころ未舗装区間も残っていて、今にもクマが出てきそうなワイルドな道だ。対向車も少なく、日が傾いてくると心細さすら感じる。
 今日は桂沢湖畔でキャンプすることに決めた。

本日の走行距離 165km

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 8月10日(月) 雨
桂沢湖〜富良野
 朝から本格的な雨が降っていた。テントの中の物が濡れている。高校生のころから使っているテントだが、そろそろ防水性が落ちてきたようだ。フライシートと本体の間の隙間が狭いつくりでフライが濡れるとテントの中まで水がしみてしまう。こんな朝は気がめいる。テントを撤収し、R452を芦別に向かう。雨足は強く、気温も低いので走っているのがつらい。とりあえず、富良野の町を目指す。
 全身ずぶ濡れになって富良野に到着。まだ昼前だが、もうすっかり走る気力はなくなり、早々に駅前の民宿に宿を取った。風呂に入って乾いた服に着替え、濡れた衣類はコインランドリーで洗濯し、なんとか心身ともにリフレッシュできた。
 富良野の町を散策してみた。駅前スピーカーからはさだまさしの例の歌が常に流れていた。夕食をとろうと、駅の近くの飲み屋に入って一杯やっていると、地元の人が色々と話し掛けてきてくれて、旅の話や富良野の話で盛り上がり、退屈せずに楽しく過ごせた。

本日の走行距離 65km

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 8月11日(火)晴れ
富良野〜金山湖
 空はまだ雲っているが、雨はやんでくれたようだ。今日は富良野周辺の観光スポット、美瑛方面に行くことに決めていた。R237を北上、国道沿いは緩やかな丘が続いている。美瑛駅付近で国道を外れ、白金温泉へ向かう。意外ににぎやかな温泉街を抜けると、道は山道になり急勾配になってくる。望岳台に立ったが、あいにく霧がかかって十勝岳山頂は見えなかった。
 牧場の中の道を通って山を下ると、上富良野の町に出た。駅前のラーメン屋で昼食をとりながら、どこへ行こうか考える。地図を見ると、富良野周辺の観光スポットとして「麓郷の森」が紹介されている。とりあえずそこへ向かうことに決めた。

↑十勝岳は霧の中 
 白状すると、僕はその当時「北の国から」というテレビドラマを見たことがなかった。だから正直言ってそんなに麓郷に行きたかったわけではなかった。ただ、駅前ではいつも歌が流れているし、富良野を紹介する情報にはかならず「北の国から」のロケ地であることが強調されていたので、どんな所か見たくなったのだ。
 麓郷までは案内標識も整備されていて、同じ方向へ走るバスも数台見かけ、いかにも観光地に向かっているという雰囲気だったので正直あまり期待していなかった。でも、実際に麓郷をみたら、観光地「麓郷の森」以外の、麓郷の集落そのものがいかにも開拓地といった風情があり、「日本にもこんな雰囲気の場所があるんだなぁ」と、僕はとても好きになった。これまでに見ていた「スケールの大きな自然」だけでなく、その自然と戦ってきた開拓者の歴史のようなものが感じられる場所だった。

 麓郷から、道道253を通って南下した。この道は畑の中の細い農道のような道で、観光バスも通らずのんびりした雰囲気だ。ときどき大きな農耕車と出会う。関東で見るトラクターよりかなりデカイ。東山というところでR38に合流、 樹海峠を越える。目的地はかなやま湖畔キャンプ場。峠を越えてすぐ右折して金山湖畔をキャンプ場へ。このキャンプ場は、かなり整備されたファミリーキャンプ向けのキャンプ場で、敷地内に釣り場や遊び場も整備されている。関東でこういったキャンプ場は例外なく高額なキャンプ料を取られるので警戒したが、安くて拍子抜け。キャンパーの数も多かったけれど、敷地も広いので特に混んでいる印象はなく、水場やトイレもきれいで、乾いた芝生の上で快適に眠ることができた。

本日の走行距離 162km

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 8月12日(水)曇→晴れ
金山湖〜池田
 金山湖キャンプ場を後にして西へ少し走ればR237にぶつかる。まず襟裳岬を目指して南へ。金山峠、日高峠を越え、平取町で国道を外れた。義経峠を越えて道道を新冠方面へ向かう。新冠川沿いにはサラブレッドの牧場が多かった。曇っていた空からも青空が見えはじめ、牧場の緑がきれいだ。
 静内の二十間道路を通って海岸へ向かい、R336に合流。海岸沿いの道を一路えりも岬を目指した。えりも岬が近付くと、海岸線は緑の松に覆われ、青い空と海とのコントラストがいい。「なにもない」と歌われている襟裳岬だが、歌とはうらはらにとても美しい岬だった。後から知ったことだが、この歌が流行した当時は本当に何もなかった砂漠の海岸線に、入植者が長年植林してこれだけの防風林を作ったということだ。これも開拓者のパワーを感じる話だ。襟裳岬の食堂で昼食を取る。天気の良い日だったので岬の散策コースは観光客がたくさんいた。スピーカーからは当然のごとく森進一の歌が流れていた。

↑静内の牧場で 

↑黄金道路 
 襟裳岬から、R336通称「黄金道路」を北上する。道路を建設するのに莫大な金額がかかったことからそう呼ばれているらしい。たしかに、海岸沿いに走る道路は断崖を削って作られたようで、トンネルも多い。天気はすっかり晴れて青空、左に断崖絶壁、右手に海を見ながら走る。わりと交通量が多く、所々工事中で片側通行になっているため待たされたが、眺めが良く走っていれば快適な道だ。
 広尾町に入ると海岸は平らな浜になって国道は十勝平野の内陸寄りになる。街中でR236と別れ、多くの車はそっちへ行くが、僕はそのまま交通量の少ないR336を北上する。ここから先は通称ナウマン国道と呼ばれている。道沿いには街もなく、牧場や畑、原生林の中に時折小さな集落があるのみの静かな道だ。
 僕は広尾の町でガソリンを補給し忘れ、途中で残量が少ないことに気づいたのだけれど、広尾から先40kmくらいガソリンスタンドが無くて少々あせってしまった。
 十勝川にぶつかった所でナウマン国道に別れを告げ、堤防上の砂利道を上流へ進む。まっすぐのびる堤防からは人家がまったく見えず、十勝平野の広さを実感することができた。
 豊頃の町でやっとガソリンスタンドを発見してひと安心。次に目指すは池田町の町営キャンプ場だ。このキャンプ場のすぐそばにワイン城という施設があり、ワイン工場見学、試飲ができるらしい。キャンプ場にテントを設営した後、ワイン城見学、ワインの試飲を楽しんだ。

↑十勝川の堤防 

本日の走行距離 374km

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 8月13日(木)晴れ
池田〜釧路
 今日は久しぶりに朝から快晴。R242を北上、足寄でR241を阿寒湖方面に走る。幅の広い整備された道で、観光バスも多いけれど快適だ。阿寒湖では天然記念物のまりもを見学。今日は道東の湖見物だ。次は屈斜路湖、いったんR240を北上し、津別の町で国道を外れ、津別峠を目指す。
 峠の頂上には屈斜路湖を見下ろせる展望台があったが、展望台までの数百メートルはXLRでもちょっとてこずる深い砂利の急坂だった。ふらつきながらも頂上につくと、展望台のてっぺんにはGSX750が停まっていて驚いた。あんな重いバイクでどうやってあの砂利道を上がってきたんだろうか。
 屈斜路湖畔に下りて、湖を見物。駐車場でたまたま隣に停めたVFRの兄ちゃんが話しかけてきた。彼も一人旅で退屈していたらしい。昼飯の後、一緒に摩周湖まで走ることになった。

↑摩周湖の展望台から硫黄岳を望む 
 屈斜路湖から摩周湖までの道は観光客で渋滞していた。硫黄岳という山の側を抜けて、R391を渡って摩周湖へ。急坂のつづら折れを登ると、そこが第三展望台だった。「霧の摩周湖」として有名で、「なかなか見ることができない」などとガイドブックには書いてあったが、あっけなく見ることができた。確かに美しい湖水だが、展望台には観光客がわんさかいるので、あまりロマンチックな雰囲気はない。ここでVFR君とは別れ、また一人旅に戻る。
 弟子屈の街から飛行場の側を通って、道道53号を南下する。これまでの混雑した道から一変、丘陵地帯を走る交通量の少ない道だ。鶴居の集落を抜けると、人家もほとんど見当たらなくなり、釧路湿原が見えるようになってくる。湿原を見ながら快調に飛ばすと、釧路の街に到着だ。
 今夜の宿は釧路にしようと思っていたが、思ったより早く到着してしまった。しばらく釧路の街をうろうろした後、もう少し走って塘路湖という湖のほとりのキャンプ場を寝場所に決めた。

本日の走行距離 302km

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 8月14日(金)雨
釧路〜厚岸
 塘路湖畔で目を覚ますと、朝から冷たい霧雨が降っていた。テントを撤収して東へ向かって走り出す。今日の目的地は根室だ。
 ところが、走り始めて30分もたたないうちに、猛烈に寒いことに気づいた。上着の上にカッパを重ねて着ているのだが、その上着は上の写真にも写っているぺらぺらの薄いもの。雨の中を走っているとどんどん体温を奪われ、歯ががたがた震えてくる。僕は北海道の寒さを思い知らされた。コンビニで暖かい飲み物を補給しながら走ったが、霧雨で視界も悪く、寒さも増すばかりだ。
 昼前に厚岸の町に入った。海が見えるはずだが、霧雨でよくわからない。もう走っているのつらくなったので、今日はここまで。駅で民宿を探し、部屋をとった。その民宿では他にもライダーが何人か避難していた。その夜は暖かい風呂に入ることができた。

本日の走行距離 58km

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 8月15日(土)曇
厚岸〜羅臼
 朝、民宿の窓から外を見ると雨は降っていなかった。親切な宿のおばさんに別れを告げ、東の果てを目指して出発だ。
 しかし雨こそ降っていないものの空は曇で気温も低い。薄手のジャケットしか持っていない僕は、着れるものを全部着て、雨も降っていないのにカッパも着て走るはめになった。北海道は夏でも防寒対策が必要だと言うことが身にしみてわかった。
 厚岸から根室まで、右に太平洋を見ながら海岸線を走ったのだが、海は霧で真っ白。何も見えなかった。途中に見えるはずのムツゴロウ王国の有る嶮暮帰島も見えなかった。霧多布岬も、右の写真のとおり。ただひたすら、白い景色を見ながら東へ走った。

↑何も見えない霧多布岬 

↑納沙布岬も同様 
 道はいったん根室の街に入り、根室半島をさらに東へ進む。半島は草原に覆われていて外国の景色みたいだ。このころには少し雲が薄くなり、空も明るくなってきたが、右手に見える水平線はまだ霧の中だ。
北海道の東端、納沙布岬にたどり着いても、見える景色は同じだった。とりあえず標識の前で記念撮影して、土産物屋を冷やかす。北方領土に関する掲示物も多い。
 岬を後にして、また根室の街へ戻ってきた。ここで少し早い昼食をとる。根室からR44、R243と風蓮湖を迂回して海沿いのR244へ。海岸線を北上して今日の目的地、羅臼に向かう。
 途中、野付という半島がある。地図で見ると知床半島と根室半島の二本のツノのちょうど真中辺にちょろっと出ている、変わった地形の半島だ。半島はとても細く、標高はほとんど無い。どんな仕組みでこんな地形ができるのかよくわからないが、先端まで10kmほど道があるので行って見た。海に侵食された砂浜に枯れたトド松が広がり、曇った空の下で陰鬱な雰囲気をかもし出していた。一人で見ていると寂しくなってくる景色なので早々に立ち去る。  
 知床半島の根元に着くころには、空も晴れてきて右手の海にはうっすらと国後島が見えてきた。羅臼の町からさらに海岸線を北上して相泊という所に行く。ここで道は行き止まりになってしまうのだが、ここには相泊温泉という海岸の露天風呂がある。岩場に、簡単なテントを張っただけのシンプルな露天風呂だ。
 海を見ながら温泉につかった後、羅臼の街までもどり、知床峠方面に少し登った所にある熊の湯キャンプ場が今日のねぐらだ。その名のとおり、ここにも熊の湯という温泉がある。ここは男女別で脱衣所も有る立派な露天風呂だ。夕方はキャンパー以外の観光客も多くて混雑していた。

本日の走行距離 350km

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 8月16日(日)晴れ
羅臼〜網走
 朝イチで空いている時間に熊の湯でひと風呂浴びて目を覚ます。昨夜はテントが湿っていて不快だったが、今朝は青空だ。 気持ち良く知床峠のワインディングを越えてウトロに下りる。ウトロからいったん国道を外れ、知床半島を北上、目的はカムイワッカ湯の滝だ。道は途中からダートになるが、道幅は広く走りやすい。今日は日曜日ということもあり、たくさんの人が訪れているようで家族連れの車が多い。「カムイワッカ湯の滝」はその名の通り沢の上流に温泉が沸いていて、小さな滝の多い沢が一本全部お湯が流れているのだ。どこか良い滝つぼがあれば湯につかろうと思って上流まで登って行ったが、観光客が多くて良さそうな所はどこも人が入ってるし、登り下りする人も多い。とてもゆっくり露天風呂を楽しむ雰囲気ではなかった。
 足だけ湯につかって湯の滝を見物した後、来た道をウトロまでもどり、さらにR334を西へ走る。斜里町でホームセンターを見つけてテントの雨漏り対策のためにビニールシートと防水スプレーを購入。今日は天気が良いのでどこか乾いた地面にテントを張って乾かしたい。
 R244を西へ向かい、途中で小清水原生花園を見物した後、網走市内へ。網走では監獄博物館を見物した。北海道開拓の労働力として囚人が使われた歴史などがわかり、なかなか勉強になった。
 市内で食料を調達して、網走の北にある能取岬へ向かう。岬の先端近くに美岬キャンプ場がある。森に囲まれたしずかなキャンプ場だ。日の高いうちに到着したので、昨日までの雨でじっとり濡れたテントを乾かす。街で買ってきた食料で夕食を作っているうちにテントも寝袋もすっかり乾き、アウトドアの夕食を楽しむ。一人旅では自炊してもつまらないし効率が悪いので今回の旅行では外食ばかり、テントはただのねぐらだったが、たまにはこんな「キャンプ」もいいもんだ。
 その夜、同じキャンプ場に来ていた釧路のグループに誘われて、焚き火を囲んで一緒に飲み、バイク談義に花が咲いた。明るい人たちだった。

本日の走行距離 158km

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 8月17日(月)晴れ→曇
網走〜礼文
 キャンプ場から能取湖を迂回してR238に出て、さらにサロマ湖畔を走る。能取湖もサロマ湖も海とちょこっとだけつながっている湖だ。網走周辺には似たような海とつながっている湖が多い。どんな地形作用によるものなのかわからないが不思議だ。
 サロマ湖を過ぎると、R238通称「宗谷国道」はオホーツク海沿いを走る。紋別、興部、雄武と街を通り過ぎて、ひたすら北に向かって走る。北海道の幹線道路は市街地以外はとてもアベレージスピードが速くて、荷物を積んだオフ車ではうかうかしているとトラックにあおられてしまう。でも市街地に近付き「まもなく市街地」という看板がいくつか出てくると、ハイスピードで飛ばしていた車もみんなきちんと減速する。これが北海道流の合理的なルールのようだ。長距離走行もメリハリがついて面白い。流れに乗ってどんどん距離計がまわる。XLRの小さいタンクでは、あっという間にリザーブになってしまうので給油ポイントに気をつけなければならない。

↑最北端のお約束写真 
 調子よく距離を稼いで、昼には北海道の最北端、宗谷岬に到着してしまった。ここも有名観光ポイントだから駐車場の周りにはお土産屋が軒を連ね、スピーカーからは「宗谷の岬」の歌が流れている。お約束の記念撮影も順番待ちして済ませ、土産物を冷やかす。とりあえず友人と家族に最北端のスタンプ付き北海道地図型絵葉書を送った。
 宗谷岬から稚内まではすぐだった。今日は稚内市内でねぐらを探そうと思っていたが、まだ昼過ぎだ。フェリー乗り場から礼文島行きの船に乗る。フェリーの中でドカティの兄さんと一緒になったが彼の話によると礼文島には名物のユースホステルがあるらしい。面白い宿らしいので島に着くと礼文YHに電話して予約を入れた。
 後で知ったことだが、ドカティの彼の言った名物YHはもうひとつの桃岩YHという所だったらしい。島を出るときにフェリー乗り場にへんな踊りを踊っているグループがいたが、それが桃岩YHの人達のようだ。でも、僕が泊った礼文YHのほうも夕食後にみんなで歌を歌ったり、かなり「濃い」YHだった。僕はYHそのものを利用したのが初めてだったので「YHってこういうのか」と思っていたけど、あとでYHに詳しい友人の話を聞いてみると、やはり礼文島のYHは「濃い」ので有名らしく、毎年それを求めて同好の士が集まってくるらしい。たしかに、お客の半分くらいはリピーターのようだった。
 僕も最初は少し圧倒されはしたものの、そのアットホームな雰囲気は気に入り、翌日に無人島ツアーを企画していると聞いて申し込んでしまった。

本日の走行距離 350km

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 8月18日(火)晴れ
礼文
 今日は礼文YHにステイして、この宿のイベント海驢(トド)島ツアーに参加することにした。海驢島は礼文島の北端スコトン岬の沖1.5kmにある無人島だ。スコトン岬から漁船に乗っていき、バーベキューをして帰ってくるだけのシンプルなイベントだが総勢10名ほどが参加して楽しいバーベキューとなった。島からの帰り道、スコトン岬では礼文島名物「最北端の牛乳アイス」を食べた。美味であった。
 宿に帰ってからもまだ陽が高かったので礼文林道を走りに行った。荷物を宿に置いて久しぶりに空荷で走る林道は楽しかった。 礼文林道は高山植物の咲く山の中を走る、全長7kmのとても気持ち良い道だ。島の南端、桃岩の展望台からは利尻富士が良く見えた。
 その夜も、ギターを抱えるオーナーを囲んで、礼文YHの濃い夜は更けていった。

↑YHのオーナー(左)と常連さん(手前) 

本日の走行距離 48km

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 8月19日(水)晴れ
礼文〜札幌
 朝一番のフェリーで島を立ち、稚内へ戻った。稚内から道道106号通称オロロンラインを南下する。オロロンラインは荒涼としたサロベツ原野の中をまっすぐに伸びる道で、しばらく同じような景色が続く。途中で自転車旅行者とすれちがったが、自転車のスピードでは1日かかるのではないだろうか。北海道らしいスケールの大きな道だ。
 天塩からR232に乗って日本海沿いをひたすら南へ。だんだん車が増えてきて、留萌に入ると街も賑やかになり、海水浴場があるせいか渋滞も発生していた。留萌から道はR231に変わり、増毛町あたりから海岸は断崖になってトンネルが多くなる。素掘りのトンネルも多いスリルがある道だ。
 石狩平野に出ると道は海岸から離れ、札幌の中心地に向かう。急に大都会に入り交通量の多さに戸惑う。道も複雑だ。町外れの公園にテントを張り、午後は札幌の町を観光した。久しぶりに人ごみの中を歩くのは楽しかったが、疲れてしまった。

本日の走行距離 328km

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 8月21日(木)曇
札幌〜青森
 夏休みのタイムリミットも近付いてきた。まだまだ走り足りない気分だが、小樽から出発して北海道を一周できたし、そろそろ本州への帰るため、北海道の南端函館を目指して走り始めた。
 札幌市内からR230で定山渓へ向かう。道はすぐに山道に入り、快適なワインディングが続く。札幌から近いので車もかなり多いが、景色も良いのでゆっくり走ってもストレスはたまらない。留寿都で国道を外れ、西へ向かう。きれいな三角形をした羊蹄山のふもとを通り、蘭越でR5に乗って南下した。
 R5は長万部で海岸線に出る。内浦湾だ。ずらりとカニ直売店が建ち並ぶ道は、観光バスの交通量が多く前方視界がよろしくない。森町から海を離れて再び山道になったが、相変わらずバスも多く、観光地の看板もたくさん立っていて関東の道みたいだ。
 函館の街に入ると、まずフェリー乗り場へ。午後の青森行きのチケットを確保した。その後出航時間まで時間があるので函館市内を観光した。市内で昼食を食べて店を出ると、向こうから荷物を積んだ自転車旅行の青年が近付いてきた。どこかで見たことのある顔だな?と思っていると、彼もこっちに気づいたようで、僕の顔を見ながら近付いて来た。なんと彼は同じ大学の、同じクラブの先輩だった。まったくの偶然で、これから北海道入りする先輩と、今日で北海道を去る僕が函館の街中でばったり出会ってしまった。お互いに「日本は狭いもんだ」と感心して別れた。
 夕方、定刻通り青森行きのフェリーに乗りこみ、楽しかった北海道を後にした。

本日の走行距離 252km

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 8月22日(金)晴れ
青森〜帰宅
 早朝、青森駅前のカプセルホテルを出発して南へ向かった。青森市内から八甲田山を越えるルートを選んだ。新田次郎「八甲田山」の舞台だ。山道の途中には殉難者の慰霊碑が立っている。この山で大量遭難があった話を思い出すと、早朝の山道をひとりで走っているのがなんとなく心細くなってくる。奥入瀬渓流が近くなると観光客の車が増え始めて賑やかになってくる。十和田湖畔にバイクを停め、しばし湖を眺めて休憩した。
 山を下りると東北自動車道に乗り、ひたすら埼玉を目指して走った。僕のXLRはフロントフェンダーをオンロード用のダウンタイプに変えてある。高速走行中のバタつきがないのでノーマルのフェンダーより少し楽だ。前輪の接地感が増したような気がする。それでも、荷物を積んだオフ車では一番左の車線を80〜90km/hでのんびり流すのが快適だ。たまに追い越しで100km/h以上出すと、風圧が強くて辛い。
 青森〜岩手〜宮城と南下するにつれ、気温がどんどん上がって来た。北海道ではあれだけ寒かったのに、もう薄いジャケットですら暑苦しく感じる。こまめに休憩を取りながらも、順調に南下を続けた。
 暑い午後も延々と走りつづけ、日が沈んで涼しくなってきた頃、やっと利根川を渡って埼玉県に入った。加須インターで高速を下りれば、我が家はもうすぐだ。
 暗くなってから家に着いてホッとするのもつかの間、荷物を下ろそうとするとなんか焦げ臭い匂いがする。??!  不思議に思いながらバイク後部の振分けバッグを外そうとしたら、ベリベリっと音がした。 プラスチック製のサイドカバーが溶けて大穴が空いていて、合成皮革のバッグも焦げて穴が空いている。 バッグの中に入れていたロードマップに至ってはなんと真っ黒の炭になっていた。
 原因は、サイドカバーの裏に隠れているマフラーだ。振分けバッグの重みでサイドカバーがマフラーに密着し、 マフラーの熱がカバーを溶かしてバッグを焦がしたようだ。でも、旅の間中何度もバッグを着け外ししたが熱で 熱くなっていることは無かった。最終日、お土産でバッグが少し重かったのと、長い高速走行でマフラーもかなり 熱くなったのだろう。一日で青森から埼玉まで走ってしまったのだから。

↑旅の相棒、XLR-BAJA 

本日の走行距離 685km

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