1996年8月 CB−1とカッ飛び北海道



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1996年7月30日(火)〜8月8日(木)
走行距離 2931km

参加者
ゲンゲン

 行田〜苫小牧
 苫小牧〜利尻
 利尻〜稚内
 稚内〜旭川
 旭川〜富良野
 富良野〜羊蹄山
 羊蹄山〜青森
 青森〜行田



7月30日(火)〜31日(水)晴れ
出発
 はじめにお断りしておきますが、このレポートには写真が一枚もありません。カメラを持っていかなかったからです。机の引出しを探しても、当時の愛車CB−1の写真がほとんど無いのに気づきました。これはCB−1に愛着が無かったからというわけではなく、むしろその逆で、僕はCB−1で走るのが楽しくてしょうがなかったのです。きれいな景色はあくまでも背景として目の端っこに流しながら、快適なワインディングロードを走る楽しみをバイクと共に満喫していました。走っているのが楽しくて、景色の良い所でバイクを停めて写真を撮ることがなんだか「もったいない」と感じていたのです。今思えばとても幸せなことです。
 ただ、今はもう手放してしまったCB−1との旅を思い返してみると、意外にも記憶が色あせてしまっているのに気づかされます。 あんなに面白かった峠道も、地図をみても実際どこを走ったのかよく思い出せないのです。こんなことなら、もうちょっと写真を撮っておけばよかったと思いつつ、このレポートを書いています。

 夏に長めの休暇を得た僕は、4年ぶりに北海道へ行こうと決めました。4年前はまだ学生のころ、オフロードバイクXLR250でしたが、今回は4気筒400ccのロードバイクです。当然目的はワインディングロード。快適な峠を探しに出発です。特に事前に予定は立てず、気の向くままに良さそうな道を探して走ることに決めました。思い立ったが吉日、大洗発苫小牧行きのブルーハイウェイラインに予約を入れると、昼間のうちに旅の準備を済ませ、夜中発のフェリーに遅れないように大洗に向かいます。

本日の走行距離 127km

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8月1日(木)雨→曇り
苫小牧〜利尻
 フェリーは夜遅くに苫小牧に到着するので、フェリーの中から電話して苫小牧のビジネスホテルに宿をとりました。宿で目を覚ますと、苫小牧は雨でした。う〜ん、参ったな、ツーリング初日から雨とは・・・。宿のテレビで天気予報を見ると、道北の方は降っていないようです。よし、北に行こう。少しでも早く雨から逃れるために、すぐに高速道路に乗って北を目指しました。
 雨の道央自動車道をひたすら北に向かいます。雨が強くなると、先行車のまき上げる飛沫が細かな水滴となってシールドに付き、視界がほとんど無くなってしまいました。手で拭ってもすぐに水滴が付いてしまい、かといって高速道路でシールドを開けて走るわけにもいかず、ほとほと困りました。少し横を向くと走行風で水滴が飛ぶことがわかりましたが、それもほんの数分しか持ちません。横を向いたり上を向いたりしながら、だましだまし走るしかありませんでした。
 深川ICで高速道路を降りると雨も小降りになりました。シールドの水滴がなんとかならないかと、街のホームセンターに立ち寄って自動車用のガラコの類を探しましたが、注意書きに「ガラス専用、プラスチックには使用禁止」とあります。シールドを痛めてしまっては元も子もないのであきらめました。深川からR233を走り留萌に出る頃には雨も止んでいました。
 留萌から海沿いのR232をひたすら北へ。左手に海を見ながら快適に走っていると、だんだん車が混んできました。なんでだろう?と思いつつ、慎重に車をパスしていくと、原因がわかりました。自衛隊の車両が10台くらい走っているのです。軍用車両はあまりスピードは出ないようですから、対向車に気を使いつつ数台づつ追い抜いていきます。やっと一群の軍用車両を追い抜き、ほっとして走っていると、また前方にカーキ色の車両が見えてきました。「まだいるのか」と思い、見とおしの良い場所でふと前方を見ると、見渡す限り延々と自衛隊の車両が続いています。その数ざっと100台以上。うへっ。大隊というのか連隊というのかよくわかりませんが、これはかなりの規模の大移動ですね。
 そこからしばらく、対向車線をチェックして一気に加速、対向車が見えたら減速して自衛隊車両の間に入る、ということの繰り返しが続きましたが、追越もいいかげんに疲れてきた頃、天塩の町のラーメン屋で昼食。ここから先、国道は海岸を離れて内陸に向かい、僕は海岸沿いの道、通称オロロンラインを北上します。自衛隊はどうやら国道へ行くようでひと安心。
 ラーメン屋の壁に稚内港のフェリー時刻表がありました。今から走れば利尻島行きの最終フェリーに間に合いそうです。前から利尻富士に登ってみたいと思っていたので、今日の目的地を利尻島に決めました。
 サロベツ原野の中を行くオロロンラインは、曇り空の下では少し寂しい雰囲気です。交通量も少なく、稚内まで一気に走ります。稚内港からフェリーに乗りました。天気は曇りでしたが、フェリーからはきれいな三角形の利尻富士がはっきりと見えました。島に着くと、港で明日の山登り用の食料を買いこみ、登山口の北麓キャンプ場へ。今夜はここに泊まります。気がつけば、今日一日で苫小牧から利尻まで一気に走ってしまいました。

本日の走行距離 375km

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8月2日(金)曇り
利尻〜稚内
 今日は山登りです。登山ガイドブックによれば、登山口から利尻富士山頂までは片道4時間、晴れれば山頂からの眺めは格別とのこと。今朝の天気はうす曇、ラジオで天気予報を聞くと今日一日は持ちそう。足元が登山靴ではなくスニーカーなので、雨が降ってぬかるんで来たらやばいです。スニーカーだけではなく、荷物は肩掛けバッグ、上着は重い皮ジャン、ズボンはジーンズと、正統派山岳部のヒトが見たら目を吊り上げて怒りそうなスタイルですが、まぁ行けるところまで行ってみよう、雨が降ったら引き返そう、とりあえず食料と水は充分持って登り始めました。
 登山口からすぐの所に甘露泉という涌き水があります。「北海道で生水はタブー」と言われていますが、利尻にはキタキツネがいないのか、飲用OKと書いてあります。飲んでみるととても美味しいので、水筒の中身の水道水を捨てて入れ替えていきました。しばらく樹林帯の中の道を歩きます。森林限界を抜けると突然見晴らしが良くなって、後ろを振り返れば歩いてきた森、港、海の向こうに本土も見えます。しかし、前を見ると利尻富士の山頂は無情にもガスの中です。ガスが晴れてくれることを祈りつつ登りつづけます。8号目小屋で大休止。登山者はわりと多くて、小屋の前であんぱんを食べていると、たくさんの人が登っていきます。中には場違いな格好をしている僕を見て「なんだコイツ?」という感じでにらんでいく人もいました。
 山頂直下は足首まで埋もれてしまいそうなザクザクした火山レキの道で、スニーカーではちょっとてこずりましたが、無事山頂に立つことができました。しかし、残念ながら眺望は全く無し。しばらく待ってみましたが山頂にかかったガスは一向に晴れてくれません。山頂からの眺めはあきらめて来た道を下ります。山頂から少し下るとガスの下に出て、島の周りに広がる海を見ながら、さくさくっとキャンプ場まで戻りました。
 テントを撤収して鴛泊港で稚内行きフェリーの時間を確かめ、まだ時間があるから島を一周してこようかと考えていた矢先、隣にいたカタナの兄さんが、「タイヤの空気抜けとるでぇ」と関西弁で教えてくれました。見ると、完全にパンクはしていないものの、確かにリヤタイヤがつぶれています。割と尖った石が多いキャンプ場だったからな・・、と考えつつ、まだ少しは走れそうなので、島一周はあきらめて稚内に戻ることにしました。
 稚内に着くと、すぐにガソリンスタンドを探し、空気圧のチェックをしてもらいます。タイヤの表面をくまなく見ても原因らしい異物も穴も見つかりません。GSの店員も石鹸水をかけてチェックしてくれましたが、エア漏れの原因はわからずじまいでした。とりあえず規定値までエアを入れてもらい、さてこれからどこへ行こうかと、持っていたヘルメットを何気なく右のミラーに引っ掛けたとき、ぼとっと、ミラーとヘルメットが地面に落ちました。ありゃりゃ?ミラーの根元の台座がぱっかりと割れています。何故・・・?そういえば、ツーリングに出かける一週間ほど前、自宅で軽い立ちゴケをやった記憶があります。あの時の後遺症か・・・?

 まだ陽は高かったのですが、エア漏れにミラー折れとトラブルが続き、こりゃいかんとすっかり走る気をなくした僕は、電話帳で見つけたライダーハウス「みどり湯」さんに宿を決め、とりあえず落ち着いて体勢を立て直すことにしました。みどり湯はその名の通り銭湯が本業です。後で知ったのですが上田うさの介氏もこのライダーハウスを絶賛しています。オーナーのおかみさんは親切で、近所のホームセンターの場所も丁寧に教えてくれました。いわゆる「常連」風の連泊客もいましたが、気の好い親切な人でした。
 早速、近所のホームセンターで材料を買い、ミラーの修理です。幸い鋳物のパーツはきれいに割れているので、瞬間接着剤でくっつけると割れ目も見えないくらいピタリとくっつきました。そのままでは強度が不安なのでまわりをワイヤーでぐるぐる巻き、さらにエポキシ系のパテで覆います。ミラーの根元がぽっこりと一回り大きくなり見た目は不恰好ですが、これでパテが硬化すればかなり頑丈になるはずです。(実際、埼玉に帰るまで高速道路走行にも耐えてくれました。新品に交換する際、外すのにひと苦労したくらいです)
 タイヤは、目に見える穴も無いので市販のパンク修理材を注入しておきました。(しかしこちらは完全には直りませんでした。この後もGSに寄るたびに空気圧チェックをするはめになります)
 とりえずバイクの応急修理も終わり、銭湯につかって山登りの疲れもとれ、コインランドリーで洗濯もしてリフレッシュ完了です。 その夜はみどり湯恒例の焼酎パーティで稚内の夜は盛り上がりました。

本日の走行距離 6km

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8月3日(土)雨/曇
稚内〜旭川
 朝から小雨模様の天気でした。ライダーハウスで知り合った、大阪から宗谷岬を目指して歩いてきたという青年は目前のゴールに向かって雨の中を出発していきました。「がんばれよ」と見送りつつ、さて僕はどこへ行こうか。 天気予報では全道的にぐずついていて、北のほうが雨の確率が低いようです。あまり南下しないように走ることに決めました。

 稚内市街からR238を宗谷岬方面に少し走り、幕別川の橋を渡ったところ、空港の手前を右に折れ、豊富温泉方面に南下しました。牧場地帯の中をのんびりと走ります。雨はあがりましたが、今にも降りそうな曇り空は変わりありません。
 豊富温泉近くで左折して、浜頓別へ向かう道道を東へ走ります。この道は所々工事中でしたが、原生林の中を走るアップダウンの少ない道で、時折小雨がぱらつきはじめましたが、それも神秘的な森を演出しているような感じでなかなか良かったです。  オホーツク海沿いの浜頓別に着くと、天気は完全に雨になりました。R238を南下しましたが、霧雨のような細かい雨で、視界もあまりよくありません。 景色も見えず、国道は交通量も多いので走っていても面白くありません。枝幸のコンビニで休憩しながら地図を眺めます。
 どうやら海沿いはこんな天気らしいので、内陸部に戻ることにしました。枝幸から音威子府に通じる道道があるので、針路を西に向けて内陸部を目指します。道道は歌登の集落を過ぎるとR275に合流、天北峠を越えれば音威子府です。この天北峠、どんな峠だったのか思い出せません。地図で見ると標高190mと高くない峠ですから、あまり気にも留めず通りすぎてしまったのかも。
 音威子府からR40を南下します。予想どおり雨は降っていませんが、交通量が多い幹線道路なのでつまらない。もう一度作戦を立て直そうと思い、「道の駅びふか」で大休止。道の駅には他にもたくさんのライダーがいました。食事を取りながら落ち着いて地図を読みます。
 地図を見ていると、この先美深からR275が分かれた先に朱鞠内湖という湖があります。「朱鞠内」ってなんて読むんだろ?地図を良く見ると近くに駅があって、駅名は「しゅまりない」と書かれています。そうか、シュマリナイって読むんだ、と感心しつつ、そういえば、手塚治虫の「シュマリ」は面白かったな。あの漫画も北海道が舞台だったなぁ、シュマリってアイヌ語でどーゆー意味だろ?などと興味が湧いてきたので、朱鞠内湖を目指すことに決定しました。
 美深の町でR275に右折すると、とたんに交通量が少なくなり、道はしだいに登り坂になりました。朱鞠内湖の手前に美深峠という峠があるのですが、道幅広く路面も良好、Rのきつくない高速コーナーの連続で とても楽しい道でした。 僕はワインディングが好きですが、レプリカ少年が集まって膝を擦っているようなRがきつい道はあまり好きではありません。上手く走れないからです。僕のようなヘタでもスポーツ走行っぽく走れるような、道幅の広い、適度なRの道は関東にはあまり無いんですね。北海道は広いからそんな道も多いのではないかと期待してきたのですが、この道はまさにそんな道でした。峠の先の朱鞠内湖畔の道も同様に走りやすく、楽しくて笑みがとまりません。
 途中、湖を見渡せる駐車場もありましたが、走るのが楽しくてアクセルを戻せない状態。もうシュマリがどんな意味だろうと知ったこっちゃ無い、という感じです。湖はあっという間に通りすぎて、R239がクロスすると幌加内の集落に入ります。ここからはまわりに蕎麦畑が広がるのんびりした農村の道でした。
 幌加内町の中心で国道を外れ、和寒峠を目指します。朱鞠内湖の道に気をよくして、すっかり峠ハンターになったつもりで「峠」とみればおかまいなしに狙ってみましたが、和寒峠は道幅狭く、しかも工事中でとても快適とは言えませんでした。鷹栖峠を通って旭川に着くまで断続的に工事中だったので、この道は印象がよくありません。
 旭川の市街地に「ライダーハウスをやっているバイク屋」があるという話を稚内で聞いていたので、その店を探しました。今夜の寝場所の確保と、リヤタイヤを見てもらおうと考えていたのです。エア漏れはわずかづつですが続いていて、GSに入るたびに空気圧をチェックしていました。
 探し当てたバイク屋さんは残念ながら定休日でシャッターが下りていました。しょーがない、まあ、タイヤも走れない状態ではないし、とあきらめて今度は町外れにあるキャンプ場を目指します。ところが、地図でキャンプ場があるという場所に行ってもそれらしいものが見当たりません。地元の人に道を聞いてもはっきりせず、うろうろ探しているうちに、結構強い雨が降ってきました。とりあえず近くの商店の軒先に避難して様子を見ますが、一向に止む気配無し。それどころかますます雨は強くなってきます。
 ライダーハウス、キャンプ場と立て続けにあてが外れて、雨にも濡れて、すっかりやる気無しモードになった僕は、もうどこでもいいや、とりあえず屋根のあるところで寝たい、と軒先の公衆電話の電話帳で宿を探して、最初に電話して空室アリだった旭川市内のビジネスホテルを確保しました。

本日の走行距離 329km

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8月4日(日)曇り/晴れ
旭川〜富良野
 目がさめて外を見ると、久しぶりに青空が見えます。よし、今日は走るぞ、と心に決めて旭川の町を後にしました。
 市内から東へ向かうR39は、層雲峡など大雪山のメイン観光地へ向かう道ですから、さすがに観光バスが多いです。途中からR273に別れて交通量が減りましたが、こちらにも観光バスが何台か走っていました。山の中を走る気持ちの良い道なので、バスさえ追い越してしまえば楽しいのですが、カーブが多く見とおしの悪い山道で大きなバスを追い越すのは結構難しく、しばらくバスの後ろを走らなければなりませんでした。バスを追い越した後、滝上町までの間のR273通称「渚滑国道」は景色の良い快適な道でした。
 滝上町で左折して国道をはなれ、サクルーというところで右折して札久留(サックル)峠という峠をこえます。サックルとかサクルーという地名は道内の他の場所でも見た記憶があります。アイヌ語で何か地形を表す言葉なんでしょうか。峠を越えると道は藻興部川という川に沿ってオホーツク海岸の興部町まで出ます。
 道の駅おこっぺで少し休憩した後、R238を北上しましたが、海岸線は相変わらず天気が悪く、海も灰色でした。雄武という町で国道を離れ、再び内陸部を目指します。道道49号を西へ向かい、上幌加内峠を越え、さらにイキタライロンニエ川というすごい名前の川に沿って登ったところが美深峠です。なだらかな峠を下りると、名寄でR40に再び合流、国道を南下します。
 車の流れの速いR40をどんどん南下して、旭川の市街地も難なくパス。この先は美瑛、富良野へ道は続きます。どこか景色の良いところでのんびりしようかと考えていたのですが、今日は日曜日と言うことを忘れていました。きれいな丘の続く美瑛町内の国道は観光客の車で大渋滞、通りぬけるだけで疲れました。やっと富良野の鳥沼公園キャンプ場にたどり着き、ここをねぐらと決めました。

 このキャンプ場は夏の北海道名物「牢名主キャンパー」が見られると聞いていたのですが、案の定キャンプ場の奥のほうに、それらしい方々がいました。「牢名主キャンパー」とは、アルバイトなどをしながらキャンプ場に長期滞在する内に、いつの間にか村みたいなのができて、その中で先輩・後輩のヒエラルキーが発生し、最古参のキャンパーがあたかも牢名主のごとくいばっている、という物です。鳥沼キャンプ場でも、いかにも長期滞在ふうのテントがたくさんあり、テント村を形成していました。
 また、僕はここで「フル装備ライダー」も見ました。彼はオフロードバイク1台でソロツーリングをしているようで、僕の隣にテントを設営し始めたのですが、彼のキャンプ装備がすごいのです。テントやストーブの他、タープやランタン、パーコレーターにキャプテンチェアなど、いったいどうやってバイクに積んできたんだ?という量の装備、しかも全て一流ブランド品です。すべてセッティングするのに1時間以上かけて、アウトドア雑誌の写真のような豪華なキャンプサイトを作っていました。僕は缶ビール片手に半ばあきれて彼の奮闘を見ていたのですが、ついにその素晴らしいキャンプサイトが完成した時には恐れ入って思わず「お疲れさん」と缶ビールを差し入れてしまいました。キャンプの楽しみ方は人それぞれですが、いろんな人がいるもんだと思いました。

本日の走行距離 357km

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8月5日(月)晴れ/曇
富良野〜羊蹄山
 富良野からR237を南下し、金山峠を越えると占冠村です。JRの線路にぶつかったところで線路に沿って左へ折れ、道道136号で山の中へ入っていきます。ほとんど車が走っていない静かな道は、カーブが多いですが良く整備されていて走りやすく、楽しい道でした。道が分岐する所には必ずアルファリゾートトマムを示す看板が立っています。すると唐突に森が開け、明るい草原の中に巨大なタワーが立っていました。ここがアルファリゾートトマムです。広い敷地の中にホテルやレジャー施設が見えますが、平日の朝だからなのか人の気配がほとんどなく、不思議な感じでした。
 リゾートを過ぎてしばらく走ると道は再び南富良野町に入り、R38に合流します。道幅の広い国道を東へ登ればすぐ狩勝峠に着きます。ワインディングの道を下ればそこは十勝平野。新得の町につく頃には空模様が怪しくなってきました。トマムでは晴れて青空だったのに、狩勝峠を越えたとたんに暗く曇ってしまい、今はすっかり肌寒く、今にも振り出しそうな雰囲気です。このまま帯広方面に行こうかと考えていたのですが、峠の西側は天気が良いようなので西に戻ることにしました。
 清水町からR274で西に向かい、日勝峠を越えます。朝通った狩勝峠の標高640mに比べこちらは標高1,100m、豪快なワインディングの登り坂が続き、大型トラックをかわしながら快調に登りました。
 日勝峠から先は深い原生林の中を走ります。景色は良いのですが、片側1車線の道はトラックが多くて前方視界があまりよくありません。森の中を川に沿って進む道なのでカーブが多く、追い越しポイントも少なくて欲求不満がたまります。こんなときはイライラして無理な追越をしても事故の元なので、快適スピードはあきらめ、鼻歌交じりに周りの景色を見ながらゆっくり走ることにします。幸い、天気は晴れてきました。
 日高の町中、R237との交差点にあるセイコマートで昼食を取りました。このコンビニは4年前に富良野からR237を南下したときにも立ち寄った覚えがあります。今回は西へ向かいます。ここから先は「石勝樹海ロード」と呼ばれていて、深い山間を高速道路のように高架とトンネルで貫いた立派な道で、トラックも多いけれど登り坂には登坂車線が設置されています。
 ところで僕は以前からこの「登坂車線」というものに疑問を抱いています。片側1車線の道で速度差のある交通をスムーズに流そうとする目的そのものは大いに賛成です。でもその方法が「遅い車が車線変更をして速い車に道を譲る」というのは間違っているのでは?遅い車は別に好きで遅く走っているわけではなく、重量車や小馬力車など登り坂で物理的に精一杯の速度で走っているのです。それなのに車線を変更させて、さらに坂の頂上で登坂車線が終わると本線に再合流しなければなりません。遅い車が速い車線に割り込むのはけっこう怖いです。登坂車線じゃなくて追い越し車線を作れば良いんじゃないでしょうか?速い車は性能に余裕があるんだから、遅い車を避けるのが安全だしスムーズです。高速道路でもそれが普通だと思うのですが・・・。
 登坂車線側を走ったり本線を走ったり、右に左にトラックをパスしながら快調に樹海ロードを走ります。穂別ダムを通りすぎた所で国道から外れて道道74号を南下しました。穂別町の市街地は道路沿いの街灯や柵などが恐竜のデザインで統一されていました。鵡川という川に沿って更に南下すると、その名の通り鵡川町という町に入り、海岸線でR235にぶつかります。交通量の多いこの道を西に向かえば苫小牧市内に入ります。

 フェリーターミナルがあるせいか、苫小牧の市街地は大型トラックやトレーラーが多く走っていて、結構速いスピードで走っています。市街地だしこれくらいかな、って感じのスピードで走っていると(これでも制限速度を結構アレしてるんですが)、バックミラーに映る大型車の姿がだんだん大きく迫ってきます。ひえ〜飛ばすなぁと思いながら、追突されたくないのでまたアクセルを開けて車間を広げて走ります。こんなことを繰り返しながら、やっと市街地を抜け、支笏湖へ向かうR276に乗りました。街の出口の信号で停まると、例によってすぐ後にはミラー一杯に大型車のグリルが映っています。でも信号の先は林の中を直線的に登る緩やかな登り坂です。見通しも良くて横断歩道もありません。信号が青になると同時に遠慮無くアクセルを開けました。ところが、さっきまであんなに迫ってきた大型車はいつまでたっても追いついてきません。対向車も心なしか市街地よりのんびり走っているように見えます。???と思っていると、緩いカーブの内側におじさんが二人、パイプ椅子に座って何か機械を持っています。オーマイガー!次の瞬間には、別のおじさんが遠くで旗を振っているのが見えました。白黒の車の横でこっちを向いて微笑んでいます。30キロオーバーで赤キップを頂戴しました。

 その後しばらく暗〜い気持ちで走りました。何とか気を取りなおしたのは留寿都から真狩村に入って羊蹄山の姿が見え始めてからです。今日は羊蹄山のふもとの真狩町野営場でキャンプすることにきめました。ゲン直しに町でビールと美味そうなものをたくさん買いこんで、きれいな芝生のキャンプ場で野外料理を楽しみました。

本日の走行距離 378km

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8月6日(火)晴れ
羊蹄山〜青森
 羊蹄山のふもとを東西に走る道道66号を西へ向かいます。ニセコの町でR5と交差しますがそのまま直進、JR函館本線を渡ると道はニセコアンヌプリに向かって本格的な登りになります。ワインディングの途中、倶知安方面と岩内方面へ別れるT字路を右折して倶知安方面へ少し行くと、五色温泉という所に展望台があります。展望台でしばし朝の景色を楽しんだ後、来た道を戻ってさっきのT字路を岩内方面へ向かいます。ここから岩内まで下る道はニセコパノラマラインと呼ばれている道で、左右を大谷地湿原や神仙沼に囲まれ、前方遠くには日本海を見下ろしながら走る爽快な道です。この日は空は抜けるような青空、湿地の緑も美しく、最高の景色を楽しめました。
 岩内でR229にぶつかります。そのまま国道で海岸線を南下しました。この海岸線は切り立った岸壁が続いていて、道沿いのあちこちに××岩とか○○滝といった名前のついた岩や滝が点在しています。しかしそういうのにはあまり目をくれずに海岸線を調子よく走ります。寿都、瀬棚と通り過ぎて北檜山町に入ると道は海岸を離れます。海岸を走るのに飽きた僕はここら辺でどっか良さそうな道は無いかな、と地図を見ました。とりあえず道道42号で太平洋側の八雲という町を目指します。山間の静かな道は路面も良く快適な道でした。標高390mと低い分水嶺を越えれば太平洋側です。八雲の市街地に入る手前でR277が交差しています。
 ここで右折し、R277で雲石峠という峠を越えて再び日本海側を目指します。この峠は狭くて路面も悪く、車も多くてあまりよくありませんでした。きついカーブの続く道を下ると熊石町に出ます。ここから再び日本海沿いのR229を走りました。しばらく海岸線を走ると、江差町に入ってすぐにR227との交差点があります。今日は松前半島をぐるっと回って函館に行こうと思っていましたが、このまま海岸線を走っていてもつまらないので、R227を函館方面に左折しました。このときは、その途中から国道をはなれて半島を横切り、また別の道で日本海側に戻って松前半島を走り尽くすつもりでいました。
 ところが、またやってしまったのです。R227に乗るとすぐに厚沢部の町がありますが、市街地をぬけてすぐのカーブで前を走っていた車が急ブレーキを踏みました。おっとっとっこちらも急ブレーキをかけ、なんだよもう!と思いますが車の前方には原因らしい物も見当たりません。その車は急減速の後はノロノロ運転をしています。僕はてっきり停車するもんだと思い、対向車がいないことを確認して右側から追い越しました。センターラインは黄色でした。するとカーブの先には紺色の服を着たおじさんが旗を振って手招きしていました。オーマイガー!ハミ禁で青キップを頂戴しました。後になって考えてみると、あの前車の急減速はネズミ捕りおじさんを発見してのことだったのです。
 二日連続でキップを頂戴してしまった僕はすっかり走る気を無くしてしまいました。松前半島走り尽くしもどうでも良くなって、とりあえず早くウチに帰ろうと思い、そのまま国道を函館に向かったのです。

 函館港のフェリー乗り場へ行くと、青森行きは夕方遅い便まで満員でした。大間行きならすぐ乗れるようだったので大間行きに乗りました。大間港からはR279をひたすら青森へ向かって走りました。ところがこの道がけっこう交通量が多く、信号も多くて頻繁に停車させられます。北海道ペースに慣れた体にはストレスがたまりました。夕方になると渋滞もはじまり、結局青森市に着いたのは、遅く出航した青森行きのフェリーが到着する時間よりも遅くなってしまいました。
 青森市内に着くと疲れどっとが出て宿探しも面倒くさく、4年前と同じ駅前のカプセルホテルで風呂を浴び、とっとと寝てしまいました。

本日の走行距離 437km

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8月7日(水)〜8日(木)晴れ
青森〜行田
 朝から東北自動車道を南へひた走り、埼玉を目指します。途中、山形自動車道経由で山形県に寄り道、親戚の家に一泊しました。翌日、再び山形自動車道から東北自動車道に乗って羽生ICまで、暑さに耐えながら一気に走りました。CB−1は航続距離が短くて150kmも走るとガソリンコックをリザーブにしなければなりません。リザーブでもあと3〜40kmくらい走れるのですが、リザーブのまま走りつづけるのは精神衛生上あまりよろしくないので、ほぼ150kmおきに給油することになります。この距離は高速道路ではぎりぎりなんですね。あらかじめ給油可能サービスエリアまでの距離を確認しておかないと、給油のために高速道路を下りるはめになってしまいます。
 無事に羽生ICで高速を下り、行田に帰りつくことができました。今回の北海道ツーリングは天候にもあまり恵まれず、車両トラブルやネズミ捕りに悩まされましたが、それでも行って良かったと思える良い道をいくつか走ることができました。また北海道へ行くぞ!とリターンマッチを心に誓ったのでした。

本日の走行距離 922km

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