1999年5月 四国一周ストロングスタイル・ツ−リング



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1999年5月1日(土)〜4日(火)

参加者
上田うさの介


遙かなる四国への道


四国上陸


剣山スーパー林道


尾長鶏と桂浜


四万十川で野宿


四国カルストと四国の山


失敗続きで、道後温泉も入れない


雨の中の帰り道850km


旅の終わりに




遙かなる、四国への道(5/1)
 朝、目覚まし時計の音で目が覚める。時計を見ると5時だ。「もうちょっと 寝よう。」これがいけなかった。実際起きたのは、7時になり、あわてて、支度をする。どうにか、8時に出発することが初出来た。
 前橋インターから、関越道に乗る。天気は、良いし、道はそんなに混んでいない。まもなく、上信越道には入り、僕と相棒のアフリカツイン(以下AT)は、高速をひた走る。更埴JCを過ぎ、長野道松本手前の、梓川SAで、無料のほうじ茶で、休憩を取り、さらに、中央道へと入る。上信越道も、中央道も、山岳地帯の高速道路は、トンネルが多くて、とても怖い。特に、今回のように、なるべく距離を稼ぎたい時は、カーブの連続する、道は、とても怖いのだ。途中駒ヶ根SAで、今回初の給油をした。
 バイクは、長野県、岐阜県、愛知県と走り、名神高速には入った。車は、渋滞している。車のナンバーを見ると、名古屋、三河、静岡、横浜、品川と東名を走ってきたと思われる。腹が減ったので、養老SAで休むことにした。
 しかし、ちょうど、12時のために、カレーや麺類でさえも、混んでいて並んでいたので、あきらめることにし、次の多賀SAまで、走ることにした。友人のAさんから、携帯が着信されていたので、電話してみる。「おお、上田さん。どこにいるの。」「岐阜県の関ヶ原の手前だよ。」「ずいぶん遠いね。」てな具合に。その後、再出発し、渋滞の関ヶ原をぬけ、滋賀県に入った。米原を過ぎると、すぐ多賀SAだ。ここの、近江牛串焼きは、¥510で、フランクフルトなどと比べると、とても高いが、かなり旨いので、食おうと思ったが、やめて、角煮うどん¥450を食う。結構旨い。馬鹿に出来ない味だ。
 それから、京都を過ぎて急に眠くなってきた。大阪府に入ると、とても、危険な状態になった。危ないので、高槻のバス停で、15分ばかり眠る。高速バスを待つ乗客のけげんそうな目つきなんて、お構いなしに。それから、2時半頃、出発した。千里のエキスポランドの観覧車が見えれば、吹田、豊中、尼崎、西宮と、名神とのお別れカウントダウンの始まりだ。西へまっすぐ延びる名神を走りながら、胸躍る。明石大橋まで、もうすぐだと。 
 ところが、西宮から先、阪神高速が動かない。大渋滞だ。すり抜けも非常にし辛い。垂水ジャンクションを過ぎると、車は、流れ出した。橋の手前のバス停では、多くの人が、海峡を渡るバスを待っていた。目の前が、ぱっと開けた。明石海峡大橋だ。眼下には、明石海峡。先には、淡路島。ここから見ると、以外と淡路島は、近いんだなと、思いつつ、橋を渡る。海峡をバイクで走るのは、初めてだ。横風が強い。しかし、かなりの絶景だ。その絶景を楽しむと言うより、風から身を守りながら、あっという間に淡路島に入った。
 SAで、給油とリンゴジュースで、小休止、今晩泊まる宿を、ユースホステルのガイドで、見つけ、電話する。徳島のYHだ。空いてるそうなので、予約を済ませ、再出発。僕は、腕時計をしないので、途中の時間が、全く分からないのだが、ここで、時計は、5時を回っていた。
 途中、事故渋滞で、全然、動かない車を横目に、ATは、快調に走る。途中鳴門海峡でうず潮を探しながら、大鳴門橋を渡りきり、いよいよ、念願の四国上陸を果たした。

↑よく見えないけど、淡路島から明石大橋 

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四国上陸(5/1)
 鳴門ICを降り、R11を徳島市に入る。地図で、YHの場所を確認するため、ATを国道端で、止める。長距離を9時間も走ってきたため、耳がガンガン鳴っていた。オフロードのヘルメットは、突起物が、多いので、オンロード用ヘルメットに比べて、風を切る音が大きい。高速道路を長時間走る、ツーリングには、向かない。
 YHは、市街地の南にあるが、場所が分かりづらそうだ。でも、適当に走ってたら着いてしまった。入口には、群馬ナンバーのバイクも止まっていた。
 僕は、排気ガスで真っ黒に汚れた顔を風呂に入って、流し落とした。その後、夕食を食べに、店を探しに行く。「定食・うどん」の看板が目に入ったので、寄ってみることにした。

↑徳島YH 
 ところが、この店は、「本場讃岐うどん」「郷土料理」なんて看板を、掲げながら、店の中は、客は一人以外おらず、しかも、その客と店主は、競輪中継に見いっている。ちっとも旨そうじゃない。「お品書き」を見ても、ありふれた、献立しかない。仕方がないので、鳥の唐揚げ定食を注文したが、予想どおり、うまくない。まあ仕方がないって、思いながら食べる。「初日から、運が悪いな。」と思いつつ。食べ終わった後、店を出てYHに戻る。
 YHは、徳島市の南部の海岸沿いに建つ。周囲には、公園等が整備されており、しかも、周囲を山に囲まれた、小さな湾に面しており、風光明媚な場所である。YHと海岸の間は、松林になっており、キャンプ所に整備されてる。YH自体は、結構古い建物で、一昔前の70年代といった雰囲気である。部屋は、二段ベッドが二つあり、奥のスペースにカーペットが敷いてあり、テレビも一台置いてある。こういう部屋は、4人グループとかで来た場合、良いかも知れないけど、一人旅の旅行者にとっては、部屋にテレビは、いらないから、談話室のようなものを充実させてもらう方がよいと思う。ここでは、そのような談話室がないので、廊下においてある、テーブルと椅子で、他の客と交流をはかるようになっている。ビールの自動販売機もある。今まで、泊まったYHの中では、「中級」といったところだ。
 僕は、この日、一本の缶ビールを飲みながら、明日の「剣山スーパー林道」の走破と、どんなルートで走るかを考えた。国内有数の80kmに及ぶダートは、とても魅力的だ。掛けと敷きシーツが、一枚の布でできている、特殊なシーツに包まれて、この日は、10時に寝てしまった。

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今回のハイライト剣山スーパー林道(5/2)
 朝、起きると天気は良かった。僕は、YHの前の海岸をダイエットペプシを飲みながら、散歩する。テントを張っていた人もいたようである。「YHに3千円払うなら、ここの東屋で、寝りゃあよかったなあ。」そんなことを考えながら、すぐに出発することにした。
 朝の道でまずは、コンビニを探して走る。R55沿いにローソンを見つけたので、そこで、パンとおにぎりを買って食べる。四国は、圧倒的に、「ローソン」が多かった。群馬では、セブンイレブン、セーブオンが多いのだが。 パンを食べながら、地図を見る。剣山スーパー林道へは、どうやって行くのか、見てみる。「なんだ、すぐそこの川を渡ったら、すぐに右折すれば良いんだ。」
 四国の山道は、のどかな感じだ。連休中でもあり、家族連れの行楽客が多かったが、山菜取りや釣りのためとおぼしき、人たちも結構いた。やたら、軽トラックが多かった。僕は、そんな軽トラックにいらいらしながら、林道へと向かった。
 途中、剣山スーパー林道の標識が出てきて、近くなったことを予感させる。しかし、「通行止め」の看板も見つける。「これは、まずいぞ。」と思ったが、今までの経験上、本当に通れなかったことは、まず無かったことを思いだした。いくら、崖崩れの現場でも、崩れた、反対側と人は往来できるようにしてあるわけで、やっぱ普通「猫車」(一輪車)が通れるくらいの幅はあるものだ。自動車は、通れないと言うことであっても、二輪車だったら、通れる場合もある。

↑剣山スーパー林道入口 
 剣山スーパー林道の入口の看板を見つける。全長80数キロと書かれた看板に、気持ちが高ぶる。僕が、高校生のころ、よく御荷鉾スーパー林道に出かけた。あそこも、50kmくらい、ダートが続き、初めて行ったときは、興奮したものだった。しかし、御荷鉾スーパー林道は、今は、正式には、存在しない。「旧御荷鉾スーパー林道」と呼ぶのが正しい。なぜなら、林道でなくて、「県道」や「町村道」に移管替えされているからだ。しかも、舗装化が進んでいる。初めて、行ったのは、12、3年前だから、変わっていって当たり前だが。
 この看板を過ぎても、しばらくは、ダートは出てこなかった。ここも、どんどん舗装化されているのかと、心配になったが、そんなことはなかった。土捨て場の後に作られた、東屋にライダー達が大勢いた。四国のナンバーよりも、本州から来ているナンバーが目立った。ここは、有名なところだからやっぱり、人気が高い。
 特に、ATやBMWなどの、大型オフロードマシーンが目立った。確かに、僕の場合もそうだが、ATだと、くねくねした、短いダートは、疲れるだけで、走りを楽しめない。結局、転倒が怖くて、たらたら流すような走りになるので、北海道や、ここのようにスケールの大きいところを、みんな走りたいのだ。しかも、高速道路を使っての長距離移動がある場合、大型マシーンは、その魅力を十分発揮する。

↑TSR(剣スーパー林道)の途中で 
 途中、「ファガスの森」という、休憩所と食堂があったり、林道の終わりのあたりにも、食堂のようなものがあった。全長が長いので、助かる。ファガスとは、ブナやイヌブナ等のブナ属を示す、学名である。その名のとおり、周辺は、ブナ等の落葉広葉樹の森だった。標高が高い。そして、山深さにも驚いた。急峻であり、下を見ると、かなりの標高差があるようだった。その絶景を僕は、ATを止めては、楽しんだ。
 途中で、例の「通行止めポイント」に到達した。案の定、道が崩れていたが、人が通れるくらいのスペ−スが有り、封鎖されたいなかったので、走り抜ける。
 後半、道は、徐々に標高を下げたいった。重い体のATには、下りは特に苦手である。それでも、久しぶりの、ロングダートは、楽しかった。まもなく、「剣」と別れ、しばらく走ると、国道195号線に出た。車の数も少なく、快調にATを飛ばす。ゼッケンプレートを付けたバイクとすれ違った。しかも、それから、何台も。四国で、毎年行われている、レースの参加者のものだろう。一回参加してみたいところだが、ATだと、重いし、今持っている、KDX220Rは、公道走れないので、出れないし。そのうちに出たいね。
 そう考えているうちに、「四つ足トンネル」を抜け、高知県に入った。

↑大型バイクが次々と 

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オナガドリと桂浜(5/2)
 高知県に入りそのまま快調に飛ばす。とりあえず、高知市に向かうことにした。途中、物部というところで、「ライダーズイン」というものを、見つけた。北海道の「ライダーハウス」と同じような物なのか?これは、他にも、四万十川の上流や中土佐町でも見かけた。また、途中で、妙に車が混みだした。実は、「あんパンマン」の美術館だか、なんだか分からないが、施設があって、そこに向かう家族連れの車だった。「へえーっ。四国にもいろいろあるんだなあ。」と思いつつ。途中で、昼食を取った後、南国市に入る。すると、信号待ちで止まった、交差点にあるではないか、「長尾鶏センター」が、前から少しは興味のあった僕は、迷わず立ち寄ることにした。
 一見、入口は、田舎の喫茶店風?で、入場料500円分の期待は、僕には、無かった。その入口の建物は、お土産類を売っており、その奥に、さらに、一棟、「おながどり」の飼育されている、建物があった。その建物の入口付近には、また土産物が売られており、その奥は、広くなっている。その周りに、木でできた、ロッカーのような飼育箱が壁沿いに並ぶ。そこには、2名の説明の女性がいた。「どっからきたん?お兄ちゃん。」「群馬からです。」「えらい、遠いとこからきはったなあ。」「にいちゃん、泥だらけやけど、どこか行ってきたん?」「徳島から剣山の袂をバイクで走ってきたんで。」こんな感じで、会話は弾む。飼育箱が、ガラス張りになっているのがいた。白い尾長鶏だ。おばさんが、今から、出すからと言うと、その飼育箱の前にある、止まり木に、次々に、褐色の尾長鶏、白いの、原種と言われている、白と黒の3種を出してきた。

↑原種のオナガドリ 
 オナガドリは、洋服ダンスのようなロッカーのようなところで、飼われている。飼育箱の扉を開けると、数段にもなる、引き出しの上から横にかけて、カギの字状に空間が空いており、その引き出しの上に、身動きできないようにオナガドリがいる。そして、尾がカギの字の下の方にたれている。本当に、尾が長い。しかも、写真も自由にとって良いとのこと。僕は、逆に、撮るなと言われるのかと思っていた。しかも、手にオナガドリをオナガドリを乗せて撮ってくれるとのこと。僕は、実は鳥関係を触るのは、苦手なので、羽を触ったり、手 の上に載せる行為は、嫌だったんだけど、せっかくだから、写真を取ってもらった。でも、鳥の羽を触っている、感じではなかった。清潔に飼われているので、手の上に載せても嫌な感じではなかった。
↑茶褐色のオナガドリ 
 話によると、原種は、白と黒のツ−トンカラーで、この白いのを作るのに、90年の歳月を要したという。オナガドリは、あまり、卵を生まないそうで、毎日、産むわけでないそうだ。しかも、卵から「ひよこ」への孵化する率が、普通の鶏より、低いそうだ。しかも、生まれてくるのは、雌ばかりだそうだ。そんな中で、在来種と、白色レグホンを交雑させ、選抜し、また交雑を繰り返し、白いオナガドリを作っていったそうだ。それに、狭い飼育箱に入れると、暴れる個体もあるため、全部が全部数mにも及ぶオナガドリになれるわけでないそうだ。また、農家の兼業化等により、飼育者の数が減っていき、今では、貴重なものになってしまったそうである。
 僕は、この話を聞いて、感心した。ここの、オナガドリは、どこからか、ひよこを買ってきて、育てただけでないのだ。ブリーダーなのだ。飼うだけなら、飼育の時の、注意だけで良いのだろうけど、ここのは、自分のところで、ブリーディングをしているのだ。簡単な話ではない。僕は、ここに入る前、ただ飼っているというイメージしか無かったが、中に入ってみて、とても良かった。
 その後、高知市内に入り、給油したあと、はりまや橋へと向かった。「はりまや橋」は、行くとがっかりする観光ポイントと言われているが、やっぱり、土佐の高知へ行ったら行かなくちゃと言うことで行ってきた。しっかりと、はりまや橋をバックにATの記念撮影をしてきた。
 時間も、2時を回っていて、今日は、四万十川の下流の町、中村まで行こうと思うので、「桂浜」へと急いだ。途中桂浜へと向かう道は大渋滞だった。特に、高知市内から、海岸線に出て、そこから、海岸沿いを東に向かうのだが、海岸沿いは、全く身動きがとれない状態である。

↑はりまや橋とAT 

↑桂浜 
 いつも思うのだが、東京みたいな都市部では、渋滞していても、案外自転車で行けたり、電車があったりするが、こういう観光地に住んでる人は、そんなことないので、たまったもんじゃないだろうなと気の毒になる。しかも、仕事関係の車でなく、遊びに来た車である。本当に、こんなとこに住んだら、大変だ。夏の湘南とか、一昔前の冬の、R120群馬県の利根村や片品村とか。
 僕は、するする、すり抜けて桂浜に到着した。駐車料金50円取られた。駐車場から、桂浜に抜ける途中は、土産物屋が軒を連ねる。中には、「闘犬」の看板も。でも、闘犬は、余り見たくないので、そのまま、桂浜へと向かった。
 浜に向かう途中、土手のような丘を越えなければならない。その、丘に有名な坂本龍馬の銅像が東を向いて立っている。そして、その前に、弓状に桂浜がある。もっと、高知市内から、近いイメージがあったのだが、渋滞してたこともあって、とても、遠く感じられた。ここでしばらく、岩の上で、ぼーっとしていた。四国にやって来たという実感が沸いてきた。
 時計は3時を過ぎていた。中村に向かって走ることにした。今日は、四万十川沿いで寝たかった。その川は、どんな川か。僕は、海岸沿いに、須崎市、中土佐町と進んでいった。この辺は、カワウソが、生息しているのではないかと、思われている地域である。また、鰹漁などが盛んな地域である。でも、僕は、とにかく進む。中村に向かって。

↑坂本竜馬の銅像 

↑アイス売り 
 中村へ向かう道の途中で、ビーチパラソルで、アイスを売るお婆さんに遭遇した。この、アイス売りは、高知県のいたるところで、見かけることができた。そっくりなアイス売りが秋田にもある。確か、「ばばへら」と秋田では、呼ばれていたと記憶しているが。一つ買ってみることにした。味は、秋田のものと似ていた。乳脂肪分たっぷりの高級アイスクリームと対極にある、シャーベットのような、さっぱりとした味だった。さっぱりとして、おいしい。
 ここのアイス売りのお婆さんと立ち話をしていると、宮崎ナンバーの家族連れが、やって来た。僕のATの群馬ナンバーを珍しそうに眺めていた。「群馬から走ってきたんですか。」お父さんが言う。「ええ。そうです。」「僕も昔乗ってたんですよ。気を付けて行ってください。」「ありがとうございます。」こんな会話が、うれしいのだ。
 夕方、7時近くになって、中村に着いた。僕は、またもや、食事の店選びにはずれて、がっかりしながら、四万十川の橋を渡った。橋の上から、見る河川敷には、ものすごい数のテントが、張られていた。カヌーをやりに来た人や、ツーリング途中のライダーも多い。もう暗くなったし、寝床を探さなければ。

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四万十川で野宿(5/2)
 僕は、四万十川に行けば何とかなると思っていたのが、安宿らしきものが見あたらないので、当てが外れて困ってしまった。僕は、市内のミスタードーナツで、ドーナツを食いながら、これから、どこへ行くか、どこで寝るか考えた。そして、四万十川を上っていけば、何とかなるんじゃないかと思った。
 夜の8時、僕は、四万十川の上流を目指して、ATを走らせた。暗い夜道。河川敷には、蛍のように、テントの灯りが無数に見える。相当の数のテントが、張られている。また、川沿いの、このR441は、驚くほど狭い。暗い夜道を寝る場所探しに、走る。しかし、適当な場所が見つからない。僕は、西土佐村江川崎駅まで、行こうと思い、ATを走らせた。
10時近くになって、江川崎の駅に着いた。さて、寝ようと駅舎にはいると、「宿泊禁止」の張り紙が、これは、だめだと、国道沿いの四万十川が見渡せる、小さな公園へと向かった。ここの東屋で寝ることにした。東屋のテーブルの上にシュラフを広げた。ATも東屋の中に入れた。到着して約10分あまりで、寝ることができた。
↑僕が寝たあずま屋の内部 

↑四万十川とアフリカツイン 
 その晩は、ぐっすり眠れたと言うわけではなかった。早朝何度か目が覚めた。6時になると、朝のサイレンが鳴った。結構田舎の方に来ると、6時とか、昼とか、サイレンを鳴らされて起こされることがあるが、ここもそうだった。またもや、10分くらいで、荷物をまとめて出発した。
 途中、沈下橋と言われる、川が増水すると、川に沈む橋を見つけ、ATと四万十川の記念撮影を行った。その後、四万十川の流れを見ながら、朝食のパンをかじった。「これから、どこへ行こうかなあ。」「四国カルストっていうのが良さそうだ。」四万十川は、ゆったりと流れていた。

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四国カルストと四国の山(5/3)
 昨日は、風呂には入れなかったので、途中、十和村で、柳瀬温泉に行ったが、今は、入浴できないと言う。そのまま、R381を大正町方面に向かった。十和村で、ガソリンを入れた。
 大正町で、R439に入る。その後、まだ時間的に余裕があると思い、ツーリングマップルに載っていた、中津川林道にはいる。(同じ名前の有名な林道が埼玉県の秩父郡大滝村から、長野県の川上村で通じているが。)ここの林道は、結構狭くて、ATの大きな車体では、緊張した。でも、山深い四国の景色を楽しみながら、パスした。
 また、R439に戻り、檮原町に向かう近道?の県道に入った。それから、檮原の町の「よろず屋」のようなスーパーで、ウーロン茶を買って、R440を四国カルストへと向かう。R440は、また細い道だった。そんな細い道を、くねくねと上がっていった。山の尾根筋が見えてきた。カルストって言う感じの、岩が見えてきた。羊なんとか岩って言うやつが。

↑以外と深い四国の山 

↑四国カルスト 
 峠の頂上付近で、土産物屋があった。さらに、奥にカルスト地形が広がっているらしい。そのまま奥に進んだ。観光客が、たくさん訪れていた。細い道で、車線をはみ出す、車とすれ違うのが、怖い。奥には、草原の中に、白っぽい岩が点々とあり、ドリーネなどと呼ばれる、窪地があり、秋吉台のような、カルスト地形が広がる。僕は、ATを降りて、展望台へと向かう。展望台からの眺めは、なかなか良い。少しなだらかな、この尾根筋に広がる、カルスト地形の向こうには、四国の深い山々が連なる。放牧されている、牛が草をはむ。この珍しい風景しばらくを楽しむ。片手には、さっき買った、2Lのウーロン茶をごくっと飲みながら。
 その後、R440を愛媛側に下り、R33に出た。そして、久万で、豚太郎でラーメンを食う。この店は、四国では、数多く見かけた。フランチャイズ展開しているようだ。結構安くて、うまかった。麺も関東では、珍しいような、九州ラーメンの細いようなもので、スープは、あまり醤油の濃い奴でなくて、うまかった。そこの駐車場を出るときに、また、家族連れに声をかけられた。今度は、お母さんの方だ。うれしかった。R33を走っていたら、美川と久万でスキー場の看板を見つけた。この辺で、スキー場ってどんなだろうと思った。群馬でも、標高の低いスキー場では、雪不足気味なのに。

 R33を三坂峠にさしかかると、そこには、道後平野の風景が広がった。この峠を越えると、松山市にはいる。この峠を下っていると、JRバスと黒のセリカが事故を起こしていた。バスのサイドにセリカが斜めに突っ込んだ形になっていた。バスの乗客が気の毒だ。四国3県目、愛媛県へ僕は入った。

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失敗続きで、道後温泉も入れない
 松山市内に入った。今晩は、松山YHに泊まろうとしたが、泊まれないとのこと。ここは、人気があるそうだ。他のYHにも電話したが、どこもいっぱいのようだ。金比羅様への参拝もするために、琴平青年の家YHは、電話をしても出ない。とりあえず、道後温泉に向かった。
 道後温泉に近づくと、多くの人で、ごった返していた。ここの周囲も、車で渋滞中だ。道後温泉本館の湯に浸かろうとしたが、並んでまで入りたくなかったので、あきらめて、その行列の前で、記念撮影。これで、僕の松山観光は、終わった。

↑入れなかった道後温泉 
 明日から雨らしい。なるべく、帰りやすいように、東へと急ぐこととした。明日、あさってと雨なら、明日は、本州に渡って、名古屋か、出きれば、大阪あたりまで、行ければと思った。瀬戸内海沿いをとおるR11には入り、東へ向かった。

 ところが、この道、延々と渋滞していた。やっぱり、新しく、出来た、「しまなみかいどう」によって、本州から、どっと観光客が来ているに違いない。僕も、ここを通ろうかと思ったが、今回は、四国全県制覇がかかっていたために、香川県に入らなくてはならない。そのため、ひたすら、東へ向かった。西条に入る頃には、3時頃になっていた。ここで、高速を使って一気に東へ向かうこととした。国道の大渋滞に比べて、下から見える、高速は空いて見えたので。
 高速は、空いていた。こんなんだったら、なんで、みんな高速使わないんだろうと思った。そして、入野PAで、休みながら、今晩の宿を探すことにした。ベンチに座って、携帯でYHに電話をかけていると、一人のライダーに話しかけられた。「泊まるとこ、探してるんですか?」「ええ。」「YHだったら、僕の分も、予約して欲しいのですが。」「良いですよ。」すると、丸亀の近く多度津と言う町の海岸寺YHで、空いているという。僕が、今日何人泊まれるのかと訪ねると、電話に出た方(ご住職か?)がこう言う。「200人だって泊まれるよ。」心の中で僕は、「2人泊まれるかどうか聞きたいだけなのに。」その、話しかけてきた、彼は、東京の昭島市から来ているそうで、泊まるところが、決まらず困っていたそうである。その彼は、観音寺市にある、銭形平次の寛永通宝の砂型を見てくるとのこと。高速道路の案内で、明日の高速代を調べる。最近は、高速道路が、つながりだしたので、複雑になって、料金表が、本になっているのだ。以前のように、無料の地図の裏に書いてあるわけでない。そこの案内で、聞く。「坂出北から、前橋なんですけど。」「前橋って、どこですか?」「関越道ですよ。」「名阪国道を通って行くといくらになりますか?」「名阪国道って何?」ここの、お姉さんは、何も知らなかった。その後、僕は、YHへとまっすぐ向かった。

 高速を善通寺で降り、海岸寺へ向かった。以外にも、早く見つかった。YHといっても、まるっきりお寺の宿坊だった。巡礼の客もとまっているようだった。僕は、昨日風呂へ入れなかったので、風呂に入った。さっぱりした後で、夕飯を食べに、丸亀へと向かおうとした。ここの、若い女性(娘さん?)の係りの人に、門限の時間を聞いた。「常識ある時間です。」と言う答えだった。「まっ、10時頃だろう。」僕は、考えた。ここの宿泊料は、2千円で、日本のYHの中では、かなり安いほうである。でも、設備的には、ちょっと不満も残った。談話室のようなものがあれば良いのに。僕の他に、9人同じ大広間の泊まり客がいるとのことだ。でも、値段を考えると、贅沢を言えない。
 僕は、夕飯を食べに、丸亀市に向かった。でも、知らない町で、どの辺に行くと、お店があるのか分からない。最近は、日本全体が車社会になったため、駅周辺がさびれて、郊外に大型店が出来るようになってきている。僕も、駅周辺を探したが、適当な店が見つからなかった。僕は、半ばあきらめて、多度津へと帰って行った。多度津の街で、日本料理の看板を見つける。行ってみると、新しい店で、ちょっと、和食のファミリーレストラン風でもあったので、そんなに、高そうな感じがしなかったので、入ってみた。僕は、カウンターに座って、刺身定食と地魚の天ぷらを注文した。地魚ばかりの刺身を期待していたから、マグロや甘エビに少しがっかりしたが、別に、まずかったと言うことではない。ハマチのような魚の刺身が出たが、非常にコリコリしていてうまかった。天ぷらも、さくさくうまかった。

 海岸寺に帰ると、他の泊まり客も、みんな帰ってきていた。ヒッチハイクの外国人2人組や、ライダー、鉄道で回っている人。様々だ。PAで声をかけてきたライダーも、寛永通宝は、四国へ来たら見といた方が良いと言いながら、部屋に入ってきた。最後に入ってきた、自動車での旅行中の2人と話していると、栃木から来たという。僕が、埼玉出身だというと、埼玉の狭山に住んでいたことがあるという。他にも、三重県にも住んだことがあるという。僕は、すぐに、ぴーんと来た。「もしかして、本田技研の社員の方ですか。」「配送ですけど。なぜ分かりましたか?」「だって、本田の工場があるところばかりじゃないですか。」もう一人が、「そいうふうに言ったら、誰でも分かっちゃうよ。」と言った。僕らは、10時くらいまで、話し続けて、お寺の朝は、早そうなので、すぐに寝た。

 案の上、お寺の朝は、早かった。僕らは、関係ないけど、朝6時頃、巡礼の人達だと思うけど、どたばた、廊下を大勢で本堂に向かって、歩いたり、ちりんちりん、鐘を鳴らしたり、ちょっと、寝てる場合でなかった。起きてしまったので、荷造りをして、早めに出発することにする。もうすぐ、6時半だ。 「しかし、今回の旅は、事前に何も調べなかったら、ろくな目に遭わなかった。泊まる場所も、観光地も、食い物も、やっぱある程度、調べた方が良かった。しかも、今日は、雨だし、「どうしようかなあ。岸和田のSの家に泊めてもらおうかなあ。名古屋あたりまで、がんばろうかなあ。」

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雨の中の帰り道、850km(5/4)
 海岸寺のご住職の、はからいで、バイクは、ガレージの中で、濡れずに済んだ。結局、荷物まとめて、7時前には、出発した。雨の中を瀬戸大橋の坂出北インターに向かう。ガソリンがほとんどないので、ガソリンスタンドを探す。しかし、連休中の朝ガソリンスタンドは、どこも閉まっている。わざわざ、高速道で、給油するのも馬鹿らしかったので、インターの入口まで、行ったのに、また、丸亀方向に戻り、丸亀市内で、開いているガソリンスタンドを見つけて、給油する。給油後、坂出北から、瀬戸大橋を渡る。

↑瀬戸大橋とAT 
 瀬戸大橋は、巨大だ。明石海峡大橋の時は、天気が良かったから良いけど、今日は、天気が悪い。路肩が、金網状になっているし、雨と強風で、かなりの恐怖感だ。途中与島PAで、お土産購入のために、休憩を取る。ループ状に下に降りる、道がまた怖い。
 与島PAは、朝だというのに、混んでいた。僕は、讃岐うどんとオリーブキャラメルを購入して、ここを後にした。

 瀬戸大橋を渡り、岡山県にはいる。早島から、山陽自動車道だ。走り出すとすぐに、距離の標識を見つける。「神戸150数km」えっ。神戸まで、そんなに遠いの。そっから、京都は何km?名古屋は?松本は?前橋は?気の遠くなる話である。
 雨は、激しさを増し、体が冷える。しかも、トイレに行きたくなる。先が思いやられるが、最初の吉備SAで、休憩する。冷えた体を無料のお茶で、暖める。ゆっくりは、してられない。出発だ。でも、バイク置き場の外に、車がいつの間にか停められている。出しづらい。ちょっと、怒った僕は、その車のボンネットの上に、パイロンを3つ載せて、ここを立ち去った。他のライダー達が笑っている。

 雨の山陽自動車道を市がしに進み、神戸JCで、中国道には入り、西宮名塩SAで、休憩後。吹田から名神には入った。雨が少し小降りになってきた。ちょっと、いい感じになってきた。それから、大津SAで、12時になった。でも、このときは、名古屋のYHにでも、泊まろうと思ったので、インター降りてから、みそかつでも、食おうと思った。
 それから、雨は、また強くなり、カッパのはずれたボタンから、雨水が進入し、体の一部が濡れだした。体が、だんだん、言うこと聞かなくなってきた。滋賀県、岐阜県、やっと愛知県に入る頃には、体は、限界に近づいた。僕は、一宮で、名神を降り、名古屋市内へ向かった。途中見かけた、とんかつ屋で、みそかつを食う。最初、僕は、みそかつと注文したら、みそかつを注文しなくても、最初から、みそだれもあるから、特にみそかつと言うメニューは、無いと言われた。そうか、ここ名古屋では、ヒレでも、ロースでも、何を頼んでも、みそかつになるんだと感心してしまった。とんかつ食って、体が温まったら、体が楽になった。「これは、群馬まで帰るかなあ。今日中に。」僕は、小牧インターに向かった。途中のガソリンスタンドで、今日2回目の給油と着替えをする。これで、ばっちりだ。時計は、4時になっていた。

 小牧から、また、高速にのる。すぐに、小牧JCから中央道に入る。雨の中央道は、山岳ルートだけに、とても、怖い。トンネルや、橋が多いし、特に、橋のつなぎ目は、金属なので良く滑る。恵那山トンネルも無事に越え、長い、長い、岡谷までの道のりも、あっという間にパスした。岡谷から長野道には入った、道も松本盆地には入り、中央道よりもだいぶ、走りやすい。行きと同じ梓川SAで休憩する。まだ、少し、明るいが、もう6時だ。小牧からの200kmを2時間で走ることが出来た。途中休憩も取らずに、よく頑張ったと自分に対して思った。しかし、これからが厳しかった。梓川を後にすると、すぐに、上信越道渋滞中の電光表示板。対面通行だし、山岳ルートだし、暗くなってきたし、雨降ってるし、最悪だ。
 更埴から、上信越道に入ると、本当に最悪だった。本当に参った。車は渋滞してるし、すり抜けし辛いし、たまに、道が空くと、雨と暗闇で、前は見えにくいし、寒いし、スピードは出せないし。時速70kmの走行が、渋滞が切れた、碓井軽井沢を過ぎても、下仁田インターまで続いた。それから、藤岡JC付近の渋滞中の車を横目に、午後9時前橋インターに無事到着したのだった。

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旅の終わりに
 今回の、旅は、非常に疲れた。この言葉につきる。それと、事前の準備なしに行ってしまったため、寝るところ、観光スポット、食べ物などで、後から人から聞いて、そこへ行っておけば良かった。とか、それ食いたかったなあ、とか多すぎた。
 でも、行きあたりばったりだから、良い面もあるし、仕方がないか。高速代、ガソリン代を足して、4万円になってしまったことも大きかった。それ以外は、3泊もして、2万円しかかかってないのに。でも、ATが本当に良く走ってくれた。今回のように、高速道路を長距離走り、林道も走るなんてことをするのに最適なバイクだ。
 来年、四国へまた行くぞ。

↑僕と、がんばってくれたAT 

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