医者の一家なんて、今時珍しくも無い。普通だと思っていた。



勉強さえ出来ていれば、親は何も言わなかった。

構われたければ、褒められたければ、勉強すれば良かった。



欲しい物をねだる時も、遊ぶにも、休むにも、どこかへ行くにも…

イイコの証明として、勉強で成果を見せれば、許可は簡単に降りた。




成果無くして、何も得る事はできない。




結果こそ、全て。




それが、烏丸家の方針だった。


そんな家庭環境を当たり前だと思って、過ごしてきた私だったが。




本を読むと、どこにもそんな事は書いていない事に気付く。




いや、それどころか。



我が家の方針とは、真反対の家族の物語が、描かれている物語を多く見かけた。




子供を無条件に愛する優しい両親。

妹を思いやる兄に、そんな笑いの絶えない家族の中で育つ子供。

夢いっぱいに育つ子供は、やがて自分探しの旅へ出て、自分の夢を掴む。



私は”そうか、人は自分で自分の人生を決めて良いのか”と思った。


しかし”所詮、それは絵空事だ”と父は言った。



それでも、青少年らしく、私は反抗期を迎えたこともあった。

しかし…それも、いつの間にか”諦め”に変わり、自分の人生は親の掌の上にある事に気付く。



旅に出るまでもなかった。


自分なんて探さずとも、ここに存在しているじゃないか。


夢なんて持っても、無駄じゃないか。

だって、もう私の進むべき道は決まっているんだもの。




母が泣くのは嫌だったし、父の不機嫌で家が暗くなるのは嫌だった。

私が、この家を壊していると言いたそうな、兄の目が嫌だった。


別にやりたい事もなかった私は、親の言うとおりに進むことにした。



”家庭の破壊”より、私は”平穏な日々”を選んだ。



すると、まもなくいつもの家庭が戻ってきた。



ひとつ学んだ。


”条件”を満たさなければ、家族として、認められないという事。


・・・そう、条件さえ揃えば、私は烏丸家の一員なのだ。





ただ時間が過ぎた。





そして、私は、医者になった。


両親の悲願だった医者となった今、私はそれが親孝行なのだと思っていた。

両親が願う私の未来を、私は叶えたのだ。

子供の不幸せを願う親はいない。両親が私の事を想って考えてくれた道だ。

だから…今の私は、最高に満足のいく、幸せな人生を歩んでいるのだ、と思っていた。






だけど、ある日


気づいてしまった。









・・・それが、どんなにつまらない人生か、という事に。









そんな私に向かって、あのコは、鼻で笑ってこう言った。






『・・・だったら、家、出れば?』





なんて、簡単な事。


でも、単純かつ簡単すぎて…だからこそ…難しくて。




支配されていた私の頭には、思いもつかなかった事だった。









    [ 水島さんは治療中 〜烏丸 忍 編〜 ]








傍から見れば、恵まれた環境なのだろう。


本やドラマでは、よく”お金持ちで、英才教育を受けている人間”は、苦労知らずとか、人間の本質を理解していない、とか

なんでもお金で解決できると思っているとか、どこか心が歪んでいる、と言いたげな描写が数多く見受けられる。


しかし、現実はどうだろう?


「・・・ねえねえ、烏丸先生ってさ、レズなんだって?」


「ああ、今更?有名よ。だから、院長の娘なのに、未だ、浮いた話も婚約話すらも無いのよ。」


「えぇ…じゃあ、更衣室別にして欲しいかも…」


「いやー確かにね〜正直無理よねぇ…」


「だから、アレは、院長先生の娘だって言ったでしょ?滅多な事言わないの。

 それに、着替えるのは、別室に決まってるじゃない。身分が違うのよ。」


「それでも、嫌でしょー…いつ”Lルーム”連れて行かれたりしたらって…思うと…あー…」


「ははは・・・アンタ、考え過ぎ。大丈夫、あたしでも、アンタは無理。」


「アレのお兄さんと一緒なら、玉の輿のチャンスもあるんだけどなぁ…」


「いや、別に、アレと一緒でも、マンションのひとつも買ってもらえそうじゃない?」


「・・・いやー無理無理・・・」


「だよねー。」



…人間、誰でも歪む要素は持っている、と言ったところか。

金銭・家庭環境・教育・思想…どんな条件を揃えても、歪むものは歪む。

老人の背中が月日を経て曲がっていくのと同じように、時が来れば…多少なりとも、歪んでいくものだ。


彼女達の歪みの原因は…果たして、内因か外因か。

…つまり、自分の中にあるのか、それとも周囲にあるのか。


いずれにせよ。


彼女達の会話で、私は思わず苦笑をこぼさずにはいられない。


私の噂を蒔いてくれて、医療をサポートしてくれる優秀で頼もしい彼女達。

しかし・・・白衣の天使、とはよく言ったものだ。


ナースステーション前にいれば、月に5,6回は自分の評価をこうして聞ける。

ありがたい事だ。



「あの…忍先生…」

「あら、婦長、どうしました?」


ナースステーションの入り口で立っている私に、婦長・五十嵐 いすゞ(いがらし いすず)さんが声を掛けてくれた。


背は小さいが、存在感があって、とても頼もしくみえるのは、年季と眉間の皺のせいだろう。

この病院一のベテラン看護師であり、普段から鬼婦長とも呼ばれている彼女だが…

医者の立場から言えば、彼女のような人はとても貴重な人材だ。


私が研修医の頃から、彼女にはとてもお世話になっていた。



「すみません…忍先生。」


五十嵐婦長は、そう言ってすまなそうに頭を下げた。


「え?何がです?」


私は、笑ってそう言うと、五十嵐婦長の表情はまた一段と曇った。


「・・・いいのよ、忍ちゃん。怒っても。」


諭すように、婦長はそう言った。

婦長が私を下の名前で呼ぶ時は、プライベートな話の時だけだ。

…余程、自分の部下達の井戸端会議を申し訳なく思っているのかしら…。


「どうして?事実ですよ。それに、こうして現場のナマの声を聞けるんですし。」


私は表情を変えずに、そう言った。

そんな風に婦長に気を遣わせてしまうなんて、私には不本意だったからだ。


「忍ちゃん…」

「ホント、全然、気にしてませんから。噂されるうちが華ですよ。」


私は笑ったが、婦長の顔は曇っていくばかりだ。

なんだか、余計こちらが悪い気がしてくる。

婦長はじっと私をみて、やがて珍しく、優しくそっと呟くように言った。




「…忍ちゃん…受け入れるだけが、良い事は限らないのよ。」



そう言ってから、私の肩をぽんと叩いた。


「・・・・・・・・。」



・・・婦長は、軽く置いたのだろうが、私にはその皺の増えた手が、やけに重く感じた。



「・・・あぁ、そうそう、忍先生。」


婦長の口調が、突然いつも通りの鬼婦長らしいモノに変わった。


「あ…はい?」


「院長先生が、午後から院長室に来るように、と伝言を。」


「あー…。」


父親が私を呼ぶ時は、何かと面倒な時だ。

思わず、顔が歪む。


「…宜しい、ですか?」


婦長は、いつも通り、口をへの字にしてそう聞いた後、ニッコリと笑った。

…こんな風に年をとれたのなら、幸せだろうと思わせる笑顔だ。


そんな婦長のお茶目な笑顔につられて、私も笑った。


「…ふふっ・・・はい、確かに伝言聞きました。」





「あーた達!(アナタ達)一体、いつまで口を動かしているんですか!

 貴女達のそのおしゃべりで患者さんが治りますか?どうなの?休憩なの?今、あーた達の休憩時間なの?」




「・・・すいません。」「はい、すいません・・・。」



「・・・くくっ・・・」


一気に静まり返るナースステーションの空気に、私は、思わず笑ってしまった。

さっきまでの賑わいから、一気に静寂の世界。

その激しい落差を笑わずにはいられない。



(・・・どうして、みんな・・・ああ面白いのかしら・・・。)



私は、白衣のポケットに手を突っ込んで、タバコの箱の角をそっと親指で撫でた。



(・・・あー・・・タバコ、吸いに行こうかな・・・)


病院の廊下を歩きながら、すれ違う患者さん達に挨拶を繰り返す。

彼らは、一度…病にかかった、あるいはかかっている人々だ。


健康だった頃は、まさか自分がこんな病にかかるなんて思わなかった、とか

病にかかり健康の大事さを知りました…等、患者の大半がそう話し、笑う。


楽しそう。


楽しそうな人々の笑顔を見ているのが好きだ。

私は、この先ずっと・・・自発的に、あんな笑顔を作り出す事は出来ないだろうし。

面白い出来事があっても、自分はそれに加わる事無く、見ているだけでいい。


それは、部屋に一人こもって、TVを見る感覚に近い。


人に対しての興味も、ここ最近減ってきた。というか、無いのかも。



私は…人を、患者としか、みられなくなっていた。



仕事のし過ぎか?とも思ったが…どうにも患者以上の関係に発展した事も、それ以上の関係を望もうと思った事もない。


その人の治療すべき所がないのなら、そこで私がその人と関わる理由はなくなる。

とりあえず、医者の私は仕事しかする気が無いし、出来そうもない。


何かと結婚の文字が躍り出てきたのは、3年前くらいだったかしら。

とりあえず、医者の私は仕事しかする気が無いし、出来そうもない。



どうしようか。


今、婚活(結婚する為にする活動)に時間なんか掛けている余裕は無い。

私の受け持つ患者は、大勢いる。

只でさえ、人に興味が持てなくなっているのに、そんな事したって無駄だと解りきっているのに。

だからと言って、この年で「結婚したくない」などと、おおっぴらに我侭を言えば、また、烏丸家は揺れに揺れる。

10代の頃に経験したあの揺れは、もう二度とゴメンだわ、と今でも思い出すだけで、気が重くなる。


そこで・・・私は考え・・・思い切って”同性愛者のフリ”をする事にした。

本物の同性愛者の人には、悪いとは思うが…これは良いシールドになった。

深く知り合う前に、この情報を知った人間の6割は、色々な理由をつけては、自動的に身を引いてくれる。

残り3割は、理解を示すと言いながらも、本音は違うらしく、疎遠になる。

残りの1割は…まだ会った事がないから、わからない。


まず、看護師達にそれとなく噂を流してもらおうと、自分から噂を垂れ流した。

真実味を出す為に、時々女性患者に”個室に入って欲しい”と頼み込む事もやった。
(頼んでみると、不思議な事に、あっさりと引き受けてくれる人が多かったのだが)


御蔭で、今ではすっかり・・・看護師の間では、そういうキャラ設定が定着している。


今はまだ、そのキャラ設定に見て見ぬフリをしてくれている家族だが…

お見合いや婚約を断っても、あの時のように家庭が揺れる事は無いだろう。今は、まだ。


しかし、いずれ・・・また、揺れだす事だろう。



その時は、どうしようかな。

その時に、なったら、また考えようかな。




あの家は、私の居場所であり、檻で、墓場だ。

それ以外に、どこにも”眠る”場所はない。








・・・ある日の診察の時間の事だった。


「お待たせしました、どうぞ・・・・・・あら、珍しいじゃない。病院嫌いの貴女が来るなんて。」



私の診察室に、久々に”面白い患者”が来た。



「…フン、別に来たくて来る訳ないでしょ、病院なんか。とっとと診てよ。」



やって来たのは、私の従姉妹(人嫌い)。

病院嫌いなのは、他人に自分の身体を見られるのが嫌、と言ったところか。

それでも、体の不調時には、必ず私の元へやって来る。



「あら、私を指名したの、そっちでしょ?・・・相変わらず、可愛くないわねぇ。」



いつの頃からか…年下の従姉妹はこうなってしまった。



昔はイイコを絵に描いたような、素直で純情なカワイイ子で、引っ込み思案な所もあって

それでも、私には懐いてくれて、よく遊んであげたのになぁ…。


初めて会った時は、私の部屋にも、控えめな態度で入ってきたのが・・・。

今は足を組み、腕を組み、愛想の無い憮然とした表情で座って、こちらを威圧するように睨むわ…。


「フン、お互い様でしょ?レズ装ってる女医さんに言われたくないわ。」


・・・この口の利き方。


・・・すっかり変わってしまって・・・。


…この子…あの頃の事、覚えているのかしら?


「あら、悩んでる私にアドバイスくれたの、貴女じゃないの。”いっそ女の恋人でも作ったら?”って」


私が同性愛者のシールドを作ったのは、元々従姉妹とのやり取りがキッカケだった。


「・・・アドバイスなんかした覚えないわ。やめてくれる?

 アタシがアナタを唆したみたいじゃないの。医療界の権力者の一人に、睨まれる様なトラブルは、ゴメンよ。」


あ〜ぁ・・・”本当に”すっかり変わってしまって。



「・・・あんまり辛口きいてると、その引き締まったカワイイお尻に、太い注射打つわよ。」


「・・・・・・フン・・・。」


私がニッコリ笑いながら、注射を打つジェスチャーをして見せると、従姉妹は戦意が削がれたのか、目を細めて視線を横に逸らした。

患者が大人しくなった事だし、とりあえず、私は仕事を始める事にした。



「にしても…変わる所は変わるのに、変わって欲しい所は変わらないわね…」


容姿の変わり栄えとその優秀さには、目を見張るものがあったが…

それ以外に変わってしまった所が多すぎる。


その変化は…年々、酷くなっている気さえする。


特に…”人嫌い”って所が。



「…成長って、言ってもらえる?”忍おねーさん”」


棘のある嫌味な言い方。

それも、昔はしなかった。


人を自分から突き放す目的で会話しているとしか思えない。


「ふふ・・・久々ね、その呼び方。でも、従姉妹だからって、白々しいわよ?はい、服まくって。」


「…白々しいのは、アンタでしょ、忍。ニコニコ作り笑いはやめなさいよ。」


瞬時に、相手の真実の姿を言い切る。

それも、昔はしなかった。

付き合いの浅い、普通の人なら、顔を真っ赤にして怒るでしょうけど。


「随分、絡むのね。…はい、息吐いて。」


(…私はね、慣れてるのよ。)


自分の何が悪いのか、指摘されても、もう、治しようがない。

何が足りないのか、指摘されても、それを手にしたところで、私自身が満たされる事は無い。


私の人生は、つまらない。・・・そう、決まっている。



「はぁ〜………アンタが、レズのフリなんかするから、見合いの話がこっちに飛び火してくるんじゃない。

 いい加減、偽装でもいいから、結婚したら?楽よ?」


(・・・・・・・・・。)


その言葉を聞いて、私は”ああ、この子は本当に、あの頃の事を、忘れているんだな”と知った。



・・・まあ、それ程度の思い出だものね。



おっと、仕事仕事・・・。



「・・・はいはい気が向いたらね。嫌でもする事になるわ。でも、今は仕事が恋人よってね。

 ・・・・・・・はい、もういいわよ。

 それに、人嫌いの貴女から”結婚”を勧められてもねぇ…そっちこそ、どうなの?」


カルテに記入しながら、私はそれとなく彼女の人間関係に探りを入れた。


「…………はいはい、アタシが悪かった。

 今は、アタシの人間関係の話はしないで頂戴。胃が痛くなるわ…」


忌々しそうにそう吐き捨てる従姉妹を横目でみて、私は”ああ、相変わらずか”と思った。


「だから、ここに来たんでしょ?胃だけじゃなく、たまには、ガン検診も受けときなさい。手遅れになっても知らないわよ。」



「・・・・・ぅ・・・。」


従姉妹は、こめかみを抑えたまま、苦悶の表情を浮かべた。


「ん?・・・どうしたの?」


「・・・いや、なんでもないわ。」


なんでもない、だなんて…脂汗かいて言う台詞じゃあ無い。


「頭痛?だったら、話が違うじゃないの。胃が痛いって言うから…」


「これは、違…いや、なんでもないったら、うるさいわね。早くしてよ。仕事あるんだから。」


早口で従姉妹は、とっとと話を進めろと私に抗議の視線を浴びせた。


「・・・はいはい・・・検査の結果からするに胃が荒れてます。その分だと、ストレスでしょうね。

 ・・・ちょっと、聞いてる?」


「・・・・・・・・聞いてるわよ。」


・・・折角、説明してるのに、余所見して。

インフォームド・コンセントの意味から、説明してやってもいいのよ、と思いつつも説明を続けた。


「胃酸を抑える薬…その他モロモロ出してあげるわ。ちゃんと飲みなさいよ。

 薬飲みきっても、痛みがあるならまた来なさい。」


「・・・・・ええ、わかったわ。」


ふと・・・従姉妹の視線が、時折私の後方の柏木さんに移っている事に、私は気が付いた。

珍しい事もあるものだ。

他人に興味がわくなんて、私には羨ましい限りだ。


「・・・じゃあ、以上。帰ってよし。」

「・・・・・・。」


私が帰ってよし、と言った途端。

従姉妹は、それを”よーいドン!”の掛け声を聞いたかのように、素早く無言で診察室を出て行った。


「・・・失礼この上ない患者ね。」


そう言いながらも、私は何故か…笑ってしまった。

あの従姉妹のああいう個性的な所が、結構好きだから。



(・・・面白くなったなぁ・・・あの子。)


あんな風に変わってしまったのは、残念だな、とは思えど。

従姉妹は、家を出て、自分のやりたい事に手を伸ばし、走り続けている。



(・・・私とは大違いね・・・。)


「あ、そうだ。ところで、柏木さん…来患、あと何人いるのかしら?私午後から院長室に…あれ?」


問いかける私の後ろには、誰もいなかった。

静かな診察室にぽつんと一人残されたこのシュールな光景。


(うーん・・・ちょっと、面白い、かな。)















”コンコン…”


「失礼します。」


午後、約束通り私は院長こと、父の元へとやって来た。


「ああ、やっと来たか…忍。」

「すいません、回診が長引きまして。それで、何か?」


院長室の長椅子に、父はいつも不健康そうな顔をして、座っていた。

何が不快なのやら・・・いや、実際機嫌は良い方なのかもしれないが、表情はいつも同じだ。



「…最近…お前のよくない噂を耳にしたんだが…忍、お前、女が…」


(・・・ああ、今日は不快なご気分のようね。)


私は、表情を変えずに、院長の机の前を通り過ぎ、ソファに腰掛けた。


”よくない噂”とは、私のレズ疑惑の事だろう。

噂の種を蒔いてくれた看護師達に感謝しよう。



「知ってます。でも・・・噂と娘、どちらを信用なさるのですか?お父様。」


「あぁ、いや…今、好きな男とかいないのか?」



「今は、仕事に集中したいんです。先月入院した後藤さんのオペに…

 先日、検査で初期のガンを発見した斉藤さんの…あ、男性の方の斉藤さんですけどね…初期とはいえ」


私がそこまで喋ると、父は煩そうに右手を振りながら遮った。


「ああ、もういい…。お前は、よくやってくれているよ…ウチの病院で、患者のウケは、お前が一番良いらしいからな。」


もっともらしい褒め言葉だが、心が無い褒め言葉ほど、嬉しくないものはない。



「…患者さん”だけ”ですけどね。」


「・・・皮肉をいうな。…それだけ、スタッフの間にお前の良くない噂が、立ちすぎているんだ。

 特定の患者に”妙な思い入れ”をすると”誤解”される。

 ・・・そのうち、患者の耳にも入るかもしれないから、今の内、私が言ってやってるんだ。」


「・・・肝に銘じておきます。では・・・回診がありますので。」


ニコリと笑ったまま、私は立ち上がると、父に頭を下げた。

頭を上げると同時に、父に背中を向け、私は出口の方向へと歩いた。



「・・・忍。」


「・・・はい?」


返事をしてから、ゆっくり振り返ると、父は真顔で私を見ていた。







「・・・お前は、忍、だよな?」






父の目は、まるで不思議な生き物でも見るような目だった。


実の娘に向けて、そんな目を向けるなんて・・・ひどいわ、お父様。

・・・なーんて、露ほども思ってないけど。




「・・・・・・・・・・他に、何に見えるんですか?」



私は私で…”何を言ってるんです?”と不思議そうに目を丸めて、父を見返してみせる。

父は瞬きを4,5回すると、気まずそうに頷きながら、私から目を逸らした。



「・・・ああ・・・とにかく。あまり、私を失望させないでくれ。頼むぞ、忍。」



父と私の会話の終わりの言葉は、いつもコレだ。




『私を、失望させるな』




そう・・・父は常に”私に失望させられる”のを恐れている。

失望はそのまま、自分の家族の不利益に直結する事だからだ。


父は、家族の為に生きている。理想の家族を作り上げ、世間からは理想の父親とも言われた。



私は、理想の産物なのだ。


なのに。



どうして・・・どうしてこうも、つまらないのだろう。



父の理想は、良い筈なのに。

母の理想は、良い筈なのに。



父と母の理想通りに生きてきた本人の私は、どうしようもない、つまらなさを感じていた。




(…あーぁ…つまらないなぁ…。)




空室の通称:Lルーム。


私にとっては、単なる喫煙所だけれど。

ここでタバコを吸っている時が、落ち着く。五十嵐婦長には、怒られそうだけど、ね。


喫煙は、健康を害する最大の要因。

本にはそう書いてあったが、私は吸っている。



喫煙しても、面白い事は何も無い。

有害な煙を体の中に入れるだけの、ドM行為。

副流煙も発生するから、余計性質が悪い。


だから。誰もいない、この部屋で吸うのが、適しているのだ。


「…ちょ、ちょっと!!」

「だから…!」



「・・・ん?」



窓の下から、聞き覚えのある女同士の言い争いが聞こえてきた。

いつもなら気にならないのだが…言い争いはドンドン激しくなる。


「…んー。」


思わず、私は咥えタバコのまま、身を乗り出して、下を覗いた。



「…だから!・・・ってんの!!」

「でも!…私!」


窓の下にいたのは、数時間前に見ていた人物だった。


(・・・あらら。従姉妹と柏木嬢じゃない。)


なんとも珍妙な組み合わせ。


(・・・面白そう。)


私はそのまま、2人を見ていた。

従姉妹は必死に腕を振っているが、柏木さんがなかなか離そうとしない。


(・・・あの子、何かやったのかしら?)


私は、従姉妹の人嫌いと性格の悪さを知っているので、きっと柏木さんを怒らせるような事をしたんだろうな、と予想した。


ところが。


「・・・私……しますから!」


よく観察すると、なんだか違うような…。

いつも明るく元気な柏木さんのあんな必死な顔、初めて見た。

彼女、私のレズ疑惑知ってるけど、一応、上辺も中身もちゃんと普通に接してくれるのよね。


人の嫌がる事するような子じゃなかった…と思ったんだけどなぁ…

柏木さんは、絶対に離すまいと従姉妹の腕を必死に掴み続けている。

よっぽど、あの子が何かしたのか…


(あぁ〜あ…それにしても、あんなにブンブン振り回さなくても良いのに…。)


従姉妹も容赦ない。

暴れ牛のように、柏木さんを振りほどこうとしている…。


いや、待って。


(…そういえば…あの子のあんな表情…久々に見るわ。)



変化…いや、成長する前の従姉妹。

昔…鬼ごっこしてた時、鬼の私が追いかけると、必死に逃げようとして、あんな変な顔してたっけ。

ああいうトコ、昔のまんまで残ってたんだ…。


懐かしさに、つい頬が緩む。

従姉妹からすれば、とんでもないなんて言われそうだけど。



(…やっぱ、止めに入ろうかしら…でも、面白いわね…。)



そうだ。私が関わると、面白くなくなるかもしれない。

当人同士の問題ならば、私はここで見守る方が…





「烏丸先生!!」




「・・・・・・・あ、婦長・・・。」


振り向くと、五十嵐婦長が鬼の形相で立っていた。




「・・・喫煙は、喫煙室でお願いしますって、研修医の頃から口すっぱくなるまで言いましたよね!!」




「・・・実際、すっぱくなるもんですか?」


笑いながらそう言うと、鬼はますます目を吊り上げた。




「揚げ足とらないのッ!!!はい!行きますよ!!」




「あーはいはい・・・」

(あ〜…面白そうだったのにな…ま、いいわ…。)


苦笑しながら、私はタバコの火を消して、仕事に戻る事となった。












ある夜勤の日。

私は、また空室のLルームに一人でいた。


人がいても、いなくても…私はこうやって、窓を開けてタバコを吸い、夜空に向けて煙を吐く。



ただ、タバコを吸って、吐き出した煙を見つめると…自分もそのまま空に消えていけそうな気がした。


煙になった私は、烏丸忍じゃない。

単なる煙の方が、余程面白いのではないかと思った。



(…ふっ…煙になりたいなんて、末期ね…。)



自分の考えている事は、末期症状だな、と苦笑する。

乏しい空想。



どうせ、何も変わらない。



私の居場所は…私の牢は…私の墓場は…全て、まとめて、ここにあるのだから。










『・・・だったら、家、出れば?』










ふと、あの頃の記憶が蘇った。






あの頃。



『私の人生って、この先もずっと、つまらないの。この家は私の居場所で、檻で、墓場なの。』



私が、自分のつまらない人生を嘆いていた頃。


たまたま遊びに来ていた従姉妹は、別れの挨拶の代わりのように私に言った。



『・・・だったら、家、出れば?』



ちょうど、従姉妹が…今の無敵な彼女に”成長”を遂げた時期と重なる。


『・・・ダメよ。言ったでしょ?私、ここしかないんだもの。

だって、家族がいるのよ?ここしか、私の居場所が無いじゃない。』


私の無難な回答に、従姉妹は…火鳥は、こう言った。



『家庭を居場所にする必要なんてないわ。家族だろうと、意識は別の生き物よ。

 自分の居場所は、自分だけの為に、自分で作るものよ。

 本当の自分の居場所っていうのは、他人と共存する為の空間なんかじゃないわ。


 他人が・・・馬鹿がいたら・・・邪魔なだけよ。

 自分以外の人間なんか要らないのよ。本当に安らぎたいならね。


 自分の欲しいモノの為なら、弱音吐く前に、血反吐吐いてでも、手に入れる為の方法を捻り出すわ。

 アタシは、その為の努力なら惜しまない。


 ・・・アタシ、そこら辺の、馬鹿じゃないからね。 』



私は、言葉を失った。

衝撃的だった。

何があったのか…あの頃、私の部屋に入るのもやっとだった少女は…一体、何を見てこうなったのか。


その後、火鳥は、私に見せ付けるように自分の家を…火鳥家を出た。

彼女は、大学を卒業してすぐに、就職も住む場所も、自分で何もかも決めたそうだ。

彼女の両親は反対をしたが、彼女自身は、一切聞く耳を持たなかったという。


それどころか、実の親の会社を、彼女は潰した。

どんな手を使ったのかはわからないが、彼女がやったとだけしか、わからない。


利用する所が無くなったから、潰しただけよ、と火鳥は言っていた。


その後の火鳥家の末路は、というと、実は誰も知らない。親戚の誰もだ。

火鳥に聞くと、死んではいないらしいから、放っておけと釘を刺された。


『なんて娘だ!』と親戚の大人達は、彼女に後ろ指をさしたが、彼女は不敵に笑い続けていた。


そして、誰も彼女の話をしなくなった。




従姉妹は…火鳥という女は、そうやって、自分の檻を壊して行った。







”・・・面白い。”


”そこまで、出来る貴女が、羨ましい。”





彼女の話を聞いた私は、素直にそう思った。




私には、出来ない事を…考えもつかない事を、彼女は笑いながらやった。



さぞ、彼女の人生は・・・面白い人生なのだろうな、と私は思った。



(それに比べて…私の人生は…)




”ヴィーン…ヴィーン…”


携帯電話のバイブレーションが、私を思い出から引き戻した。




「・・・はい?」


『烏丸先生、急患です。腹痛の患者さんが…どうも、急性虫垂炎じゃないかって、言ってるんですけど…』


「・・・え?石丸先生はどうしたの?」


『石丸先生は別の急患で今、手が離せません。救急車、もう向かってるそうなんです。

 なんでも、たらい回しにされたとかで…』


あらら…なんという…不幸な患者さんだろう。


「・・・わかったわ、虫垂炎でも、ほっといたら危険よ。私がやりましょう。受け入れて。」



私は電話を切ると、タバコを携帯灰皿に入れ、医師・烏丸忍として、不運な急患の元へと向かった。

処置室に近付くと、バタバタと夜勤の看護師達が準備に駆け回っている所が見えた。


「いくぞ!せーのっせ!!」

「・・・先生!」


到着したばかりの救急隊員の一名が、私の姿を見ると、ほっと安堵の表情を浮かべたが、すぐにきりりと仕事の顔に戻した。

患者の名前と症状等を聞いて、私は指示を出した。


「…ご苦労様。あとは、こちらで……水島さーん?大丈夫ですかー?」


「ぐのぅ……ず・・・す゛い゛ま゛せ゛ん゛ん゛…」


苦痛に顔を歪ませながらも、何かを申し訳なさそうに訴えようとする患者の顔を、私は冷静に見ていた。


(・・・あれ・・・。)


ふと・・・不思議な感覚が私の脳裏によぎった。


「…あ゛の゛…」


「あ、喋らないで良いですよー…ここ病院ですからねー水島さーん、これから検査行きますよ〜大丈夫ですよ〜」

「・・・え?…ああ、保険証ね。今見せなくても大丈夫ですよー。」




(・・・なんだろ・・・デジャ・ヴか何か・・・?)




「・・か・・・・?」



(・・・あの急患・・・初めて会った気がしない・・・。)



「…んせい?」




(…なんとなく、懐かしい…ような…違うような…)




「・・・烏丸先生?」




「・・・・え?」


私の肩をぽんっと叩いたのは、五十嵐婦長だった


「…忍ちゃん大丈夫?」


私の顔を心配そうに覗き込みつつも、婦長の目は険しい。

・・・私の状態が、正常でなければ、執刀を止める気だろう。


「ええ・・・大丈夫です。」

私が笑って答えると、婦長はやっと目の険しさは3分の2程度になった。


「もしや、お友達かしら?」


友達…私にそう呼べる人物は、仕事の都合上、もう何年も会えていないし、連絡すら取れていない為、皆無の存在になってしまった。

それに、今の私には、あんなに若い女性の友達は、そうそう知り合えないわね。


「…ああ……どうかしら…覚えてないから、初めてだとは思うんだけど…。」


「まあ、ここは病院ですからねぇ…あの方、ココに一度来院した事、あるかもしれませんし…

 あの手の顔の人なら、似たような人いっぱいいるでしょう。」

「・・・そうね・・・。」


確かに、どこにでもいそうな…ちょっと陰気なカンジの女性だけど…。




でも…何か、違う…。



(・・・違う。)



何が、どう、違うのか…はっきりとは解らなかったが。



(・・・あの人・・・普通じゃない、気がする。)



何をもって、普通か、そうじゃないか…確実な事は何もいえない。

五十嵐婦長の言うとおり、どこにでもいそうな…普通の女性。

ただ、なんとなく・・・そう”感じた”だけ。

医者としてではなく…烏丸忍、個人の感覚だった。



勝手な思い込みかもしれないが…なんだか…無性に好奇心がくすぐられた…。


随分と昔に、こんな風に…人を見て、ワクワクしたのを…覚えている…。



(ああ・・・そうか・・・この感覚、似てるんだわ・・・)





そして、その急患・・・”水島”から感じた雰囲気が・・・私の知っている”誰か”に似ている事に気付いた。



「…烏丸(からすま)先生、CTです。」


「うん…うん…これは、急性虫垂炎、ですね…。

 えー…水島さん…ここまで症状が悪化してるとなると、手術しかありません。

 これから手術を行います。・・・宜しいですか?」



「・・・はい・・・」



ぐったりした様子の”水島”の様子をみて、私はすぐに烏丸忍から”医師”へと意識を切り替えた。



・・・今は、自分の仕事をしなければ。






この不思議な好奇心を埋めるのは…仕事の後で、ゆっくりと…。


そう思い込むことで、私は目の前の仕事に集中した。








「はー……久々に、疲れた…。」


オペ終了後。

私はカルテに記入をし終わると、仮眠をとる為、ソファに横になった。


(・・・ていうか・・・虫垂炎あんなになった人、久々に見たわ・・・)


瞼を閉じては、みる。




・・・だが、目は冴えていた。






(・・・不思議な感覚だわ・・・。)




私の人生はいつだって、どうしたって、つまらない。

これは、もう決定事項だ。





(・・・彼女、きっと、面白い・・・。)




ただ・・・”彼女”に会ってから。


私は、私のつまらない人生が、いかにつまらないかを、改めて痛感させられた事は確かで。

それと同時に、心が騒いだ。



その時からか…いつからかは、正確には解らないが…



私は無意識に、他人に”面白さ”を求めるようになっていた。



自分がつまらないから。

自分で、生きる事を面白くする術を知らないから。




面白さを、刺激を、他人に求めるようになっていた。



やがて、その他人を探す事にも、興味がなくなった私の前に現れたのが・・・彼女・・・だっただけの話。



(・・・彼女を知りたい・・・。)


・・・知れば・・・きっと面白いと、何の根拠もないのに、ただ・・・心はワクワクしていた。







「…え?個室へ移した?」


「はい。急性虫垂炎の水島さんを、個室に移したいんですけど。例の部屋に。」


私がそう言うと、五十嵐婦長は、仕事の手を止め、渋い顔をし、こちらにゆっくりと向き直った。


「・・・忍ちゃん・・・院長先生とお話してきたんでしょう?」


どうやら…例の部屋…通称:Lルームの噂は、婦長もご存知だったようで。


彼女の言葉には”今、それは止めた方が良いんじゃない?”という意味合いが含まれていた。

私の父が”私のレズ疑惑の噂”を本気にし始めているのなら、結婚が遠のく好機でもあるのだが。



今回は・・・いつもの狙いとは、別の狙いがあった。



「んもう・・・婦長まで。・・・私と噂、どっち信用してくれるんですか?」



今までは、Lルームへのご招待は、独身の成人女性ならば誰でも良かった。


ただ、今回は…個人的な興味。


ただ、水島という患者と、個室で話してみたい。



彼女は、きっと面白い。



そんなあやふやで、根拠も何もない”興味”だけが、私を突き動かし続けていた。





「……もし、水島さんが嫌がったら、すぐに大部屋に移しますよ。いいですね?」

「は〜い。」



私ののんびりした返事に、さすがの婦長も困り顔で、溜息をついていた。

婦長のリアクションに、私は笑いたいのを堪えながら、ナースステーションを去った。











「あぁ…やっぱ、夜勤は体にくるわね…」



外は、朝を迎えていた。

とはいえ、早朝の病院内は夜のように薄暗い。


私にとっては、丁度良い明るさだ。



・・・夜の病院と言えば、オカルトの舞台になるのだが、私は幽霊の類は見たことはない。


見たり、体験出来たりしたら、それはそれで面白いのだろうけれど…やっぱりというか、無い。

金縛り程度ならあったんだろうけど、あれは単なる疲労だろうし。


それに、病院に現れる幽霊は、きっと患者の霊だろう。

患者の霊が、私のような医者を見たら、きっと恨み節しか聞けないだろう。

それもそれで、面白そうだろうけど…ね。


今は、オカルトより面白そうな生きている人が、私の興味を引いていた。


・・・名前は”水島”さん。


これが、不思議な患者さんで。

会話もロクにしていないのに、不思議と以前会ったような気がした。

いや、私の知っている誰かに似ている、と言った方がいいのか。



まだ会話は無理だろうが、彼女の様子を見がてら、少しタバコを吸って出て行こう。


そのつもりで、私は、Lルームへ向かっていた。



『Lルーム』…頭の中で反芻させると、なんとも面白い名前だ。

私が、女性患者を入室させ、不純な目的で通う・・・という事になっている個室の名称らしい。

・・・いや、実に良い名称だと思わない?名付け親の心の毒が、良く現れていて。

私は好きよ。そうやって他人を面白おかしく茶化して、楽しい時間を過ごそうとする精神は。


・・・普通は、嫌うらしいんだけれどね。



・・・で。


そのLルームの前に、見慣れた人物が一人。


「・・・あら、何してるの?」


気軽に声を掛けると、その人物は開きかけたドアからぱっと手を離した。


振り向いた人物の驚いた表情を見て、やっぱり貴女かと、私は思った。

どんなに変わっても、後ろ姿や纏っている空気…雰囲気みたいなものが他の人とは違う。


「・・・忍・・・!・・・・・・・・ねーさん・・・。」


遅れて発せられた単語からは、会いたくなかったという気持ちが手に取るように解った。

人嫌いの従姉妹”火鳥”は、良い意味でも悪い意味でも…感情がストレートに表情に出てしまうのが昔からの特徴だ。


「・・・後から渋々付け加えるくらいなら、呼び捨ててくれて構わないわよ。ムカつくけど。」



どんなに従姉妹が変わっても、彼女の反応にいちいち”可愛いなあ”と思う私は、変わらない。



「……悪かったわよ。じゃ。」



そのまま、従姉妹はそそくさと私の横を通り過ぎようとした。

ツカツカと早足なのが、どうにも気になった。

特に毎日顔を合わせている訳じゃないけれど…


この間の態度といい、柏木さんとの言い争いといい…今のこの行動といい…


・・・好奇心をそそらずには、いられない。



興味津々の私は、目の前の従姉妹の肩を「お待ちなさい。」と掴んだ。



「な、何よ!」

「・・・知り合い?」


もしも、水島さんと、従姉妹が知り合いなのだとしたら…と考えただけでワクワクする。

…類は友を呼ぶ、というヤツかも、だなんて勝手な予想まで立てる。



私の心をくすぐる人間が、2人もいる。


面白い。


・・・どうして、こうも・・・貴女達は、楽しそうに見えるのかしらね。



「関係ないでしょ。」


…貴女は、いつも素っ気無く、そう言うのよね。

”関係ない”と、私を突き放して、自分に関わるなと言うように睨む。



「冷たいわねぇ…昔は、腰周りにくっついて離れなかったのに。」

「アタシ、くだらない昔話したくて、ココに来たんじゃないの。…離してくれる?」


・・・さすが。

昔話程度じゃ、動じないわね。やっぱり。


従姉妹は、自分の肩に置かれた私の手をどけようと、人差し指と親指でつまんだ。


ならば、話題を変えよう。


「…じゃあ、柏木さんにご用事?」


柏木晶子(かしわぎ あきこ)と従姉妹が数日前、話している(従姉妹は、振りほどこうとしていたが。)のを

見ていた私は、さり気なくその話を持ち出してみた。



「……あの女、何か言ってたの?」


柏木の名を出した途端に、従姉妹の目の鋭さが増した。

どうやら、柏木嬢の話題は、従姉妹にとって、不快な話題だったようだ。


「・・・仲良く、してあげたらいいのに。」


当然、話を聞いていた訳ではなく、2人の言い争いを見ていただけの私は、具体的な事はあえて言わなかった。


「…冗談じゃないわよ。誰が、女なんか…!もう、たくさんよ!アタシは…もう嫌なのよ…!

 コレ以上、他人に邪魔され続ける人生なんて…まっぴらだわ…ッ!」


頭を抱えて、搾り出すような…それでも小声で従姉妹はそう言った。


…珍しい。


正直驚いた。

あの従姉妹が、ここまで”弱る”なんて。


実に興味深い現象だ。


やはり、私生活で何かあるに違いない・・・と私は思った。



面白そう。

知りたい。



私の人生には無い、刺激がそこにあるのなら。



「・・・困ってるなら、力になるわよ。」


珍しい。私自身、こんな言葉が出せるなんて思わなかった。

自分からこんな事を言って、関わろうとするのは、久しぶりだと思った。




聞きたい。

知りたい。



単純な動機が私を動かす。

私の親切心という皮を被った単なる言葉が、従姉妹に通じるかは、わからない。


でも、また退屈な日々が続く事を考えたら、そうせずにいられなかった。

父と母の理想通りに、兄の足手まといにならないように、あの家の檻の中

彩り豊かで、つまらない人生を被って、ただ生きるだけの日々。


従姉妹は、檻を抜け出した女だ。

檻の外の楽しい出来事を、きっと私に見せてくれるに違いない。

いつも会う時はワクワクしていた。

そんな女が、こんなにも弱々しく見えるのは…何かあったとしか思えない。


その”何か”とは、何か?


ワクワクどころか・・・ゾクゾクしてくる。


心配したフリをしつつも、この女を追い詰める”何か”に、私は期待していたかもしれない。



「…忍が?アタシの力に?…………フン、なりゃしないわよ。」


「・・・あら、どうして?」


吐き捨てるように言った従姉妹に私が聞き返すと従姉妹は、口篭り…溜息混じりに言った。


「・・・・・・女だから。」


「あらあら、今度は性差別?」


「・・・そんな程度だったら、まだいいわよ。」


「気になるじゃないの。自分の職場に、従姉妹が何しに入ってきたのか、聞いておく必要もあるし。」



これ以上、誤魔化されてはつまらない。

”・・・下手をすれば、警察沙汰かもね。”と私は台詞を考えていた。


だが、従姉妹の表情は、迷っているようだった。


「・・・・・・・。」


私は、彼女の信用を得ようと、従姉妹に摘まれたままの手を離した。


「・・・誰にも言わないわ。だから、今回くらいは、事情を説明しなさい。」


頭の中は、好奇心に支配されていても、私は真剣に聞いていた。

従姉妹は、ゆっくりと私の顔をみた。


「・・・アタシだって、まだわからないのよ。」


従姉妹は、ぽつりとそう言ったかと思うと、くしゃくしゃと自分の頭をかきむしった。


「わからないのよ!女ばっかり、アタシの元にやってきて、好きだ惚れただ次々と…鬱陶しいッたらありゃしない!!

 どうして、アタシが…ッ!!これは…ああッ!もうッ!」


息は乱れ、抑えきれず溢れた怒りの声は、口元にあてられた手が辛うじて、病院内に響くのを防いでいた。



あの従姉妹が…こんなにうろたえる程の、出来事…。

私の好奇心は引くどころか…2倍、3倍にも膨れ上がった。


女ばかりが、彼女を好きになって、やって来る…。


確かに、人嫌いの彼女には、耐えられない状況だろう。

だが、そんな状況になってしまったのが”わからない”というのは、恐らく違う。

それは、従姉妹自身もわかっているのだろう。


わからないのではなく、どうしてこんな状況になったのかが説明しようにも整理できていない、と言う方が正しいのだろう。


・・・それにしても、女ばかりに好かれるなんて。いや、美人な方だし、惹かれる人間は惹かれるだろう。

だが、どんな人間が寄ってきても・・・その程度、この従姉妹なら利用できないと解れば

蹴るわ、詰るわで済ませているはずだ。


それが、こんなにも・・・心乱すなんて。

それとも、まだ何かあるのかしら・・・。

そのせいで、彼女の胃は痛んだのか…。




・・・不謹慎なほど、好奇心は、増していった。




「…落ち着きなさい…らしくもない。私の部屋にいらっしゃい、コーヒー淹れてあげるから。」



私が落ち着くように、彼女の背中に触れると、従姉妹は大きく息を吸って、顔を伏せた。



「……………いらない。今日は帰るわ…」



そう言って、顔を上げた時の従姉妹の表情は、もういつも通りの表情だった。



(・・・本当に、強くなったのね。)


それが、とても羨ましくて、少しだけ・・・恨めしい。

私の腰にしがみついてくれた…あの頃の貴女は、過去の姿でしかなく、もう現在はいないのね。




「・・・いいの?会っていかなくて。」



私がそう言って、Lルームを指差したみせたが、従姉妹は見向きもしなかった。



「別に。会いに来たとかそんなんじゃないわ。」


いつも通り、従姉妹は不敵に笑った。

…狙いは不明。

大体、水島と従姉妹の関係すら、伺えない。


「…貴女の”ストレス”と、ここの女性患者さん…余程、関係があるのね?」


「・・・・・・そいつじゃないと、ダメなのよ・・・生贄は。」


「生贄?」


「・・・・・・喋りすぎたわ。水島には、アタシが来た事言わないでね。


 …頼んだわよ……忍…ねーさん。」



私の問いに、従姉妹は答えず、帰っていった。




残された私は…Lルームに入った。


窓のカーテンによって、朝の強烈な光は遮られて、部屋の中には、薄暗かった。

個室では、水島という女性患者が、眠っている。



(・・・生贄・・・確かにそう言ってた・・・。)



中途半端にヒントを与えられると、かえって良くないみたい。


従姉妹は、女性ばかりに好かれて困っていて…体の具合を壊すほど、酷い状況…。

そして…この水島と言う女性は…従姉妹の生贄…。



「・・・わからないって、時々素敵だわ・・・。」



私は、眠ったままの水島さんの顔を少し、撫でた。



5日間…彼女の担当医でいられる。

5日間…どこまで、知れるだろう。



そして…5日間…退屈とは無縁でいられる。



感謝に近い気持ちで、私は水島さんの顔を撫でた。


タバコを吸う事も忘れていた。



そして、もう一つ忘れていた。背後の存在を。




「・・・・・・言われたもの持ってきたわよ、火と・・・・・・あ。」



・・・今日は、随分と人に縁のある日だと思った。



ドアを開けて、入ってきたのは、看護師・柏木晶子だった。


私が水島さんの頬を撫でている所に、タイミング良く入って来てしまった彼女。

いや、この場合…普通は『タイミングが悪い』と言うべきか。



「・・・あら、柏木さん。何か御用?」


”普通”の柏木さんは、なんとも気まずそうな顔で、私と水島さんを交互に見ていた。


「・・・あ、いえ・・・あの・・・えと・・・」


”見てはいけないものをみてしまった”という文字が、彼女の顔に浮き出ている。


・・・まあ、普通はそうね。


Lルームで、ベッドに腰掛けて、女性の顔を撫でている、曰くつきの女医…を見たら、普通リアクション困るわよね。



「…あら、ご苦労様。彼女、まだ麻酔効いてるみたいよ?」

「・・・あ、はい・・・」


私は、ゆっくりと立ち上がり、いつも通りに笑顔を浮かべてみせた。

僅かながら、柏木の表情には焦りが見える。


「どうか、した?」

「あ、いえ…」


会いたくなかった…まるで、先程の従姉妹と同じ。


「・・・行きましょうか。」

「・・・はい。」


私は、ドアの近くにいる柏木さんの肩に手を置いて、Lルームを出るよう促した。


病院の廊下は大分、朝日が差し込んできていた。

だが、不気味なくらい静かだった。


私があそこで何をしていたのか、聞いても良さそうだったのに、柏木さんは何も言わなかった。

まあ、普通は聞かないわね。想像して、勝手に納得しているのかもしれないし。



・・・そういえば、先日・・・。


Lルームの窓の下で、柏木さんは、従姉妹と何を話していたのだろうか。

従姉妹は嫌がっていたが…結局、この2人は仲が良いのか、悪いのか。


そして、今。

ドアを開けながら、火鳥の名前を言いかけていた所から察するに

ここで2人が会う約束でもしていた・・・のか。


だとすれば。

わざわざ、水島という女性患者がいる個室に、女が2人で何をする気だったのか。



・・・犯罪の類、じゃなければいいのだけど・・・。まさか、ね・・・。






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。




・・・・・・・・・・・・やりかねないかも。今のあのコなら。



面白そうだけど、犯罪行為をする気なら、未然に防いであげないと・・・

あの子が、私の元に来なくなったら・・・きっと、私の人生が、もっとつまらなくなってしまう・・・。




「ところで・・・柏木さん。ウチの従姉妹が、何かご迷惑かけてない?」

「・・・え?誰の事ですか?」


私の問いに、柏木さんは早速とぼけた。


「・・・”火鳥”って言うんだけど・・・私の従姉妹なのよ。覚えてない?」

「・・・あぁ。・・・先日いらっしゃった女性ですね?」


「そう。それで、その日に・・・貴女とその従姉妹が、喧嘩してるの見た人がいるらしくて。」

「えぇ・・・そんなの・・・人違いじゃ、ないですかね?私、あれからお会いしてませんし。」


まさか、その見た人物が、自分の目の前にいるとは、思っていないのだろう。

彼女が、事実を隠す、嘘を付く・・・という事は・・・そこに真実へのヒントがあるという事だ。


・・・情報の収穫は、まずますと言ったところだろう。


「そう・・・だったら、良いのよ。あの子、ああ見えて、基本的に人を利用しようとする性格極悪女だから。

 人の言う事なんか聞きやしない悪い子だから・・・気をつけてね?」


ニッコリと、だが・・・しっかりと、私は一応釘を刺した。


私は、他人に一度しか釘を刺さない。

大抵の人間は、自分の行動を抑制・批判する他人の忠告には、耳を貸さないからだ。


私は仮眠をとる事にした。その後は、普通にまた仕事。


医者の勤務実態は、こんなものだ。

皆は気を遣って、家に帰ればいいのに、と言ってくれるが、家に返っても安らぎがあるかどうかはわからない。

忙しいだけが、救いだなんて、私くらいしか言わないようだ。


眠る時、いつも私は深い湖に、背中から飛び込んで、そのまま静かに沈んでいくような感覚に包まれる。


(私が・・・死ぬ時は・・・こんな風に・・・死ね、る・・・か・・し・・・・)



眠りに堕ちる、この瞬間が・・・・・今、私の安らげる瞬間だ。




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BLOGで散々言ってましたが、これからが、迷走中です…

そして、結構暗いですよ〜。いや〜書いてると、落ち込みます(笑)


水島さん本編だと、いい人そうだ…との期待があったのにも関わらず。

本人曰く”つまらない女”であると・・・。(苦笑)


何とな〜く忍さんの背景説明をふわ〜としてから・・・いよいよ、問題の核心に迫りたい…いや、迫れるかな…(苦笑)