「あ、あの…待ってください…柏木さん…私…」

「何言ってるんですか、水島さん。こうなる事は、わかっていたでしょう?」


ナースと患者が、個室の中で、2人きり。

看護師の柏木さんは、天使のような微笑で、私を見つめていた。



「…あの、せめて…ゆっくり……い、痛い…」



私のベッドの中に手を差し込んだまま、柏木さんは、そんな私のリアクションも『慣れているわよ』といった感じで、笑っている。

揺れる白いカーテンに視線を向けることで、今自分に起きている現実を視界から外してみる。


「…ゆっくりだと、余計痛いですよ。大丈夫、大丈夫…なんか、針がチクッとする感じですから。」


とは、いうものの。

勿論、私は慣れてなどいないのだから、戸惑いは隠しきれない。



「ほ、本当ですか…?」

「ホント、ホント。…じゃあ、抜きますよ?」


「・・・あッ・・・!」


(ーー痛いっ…!)



チクリとした痛みが身体をスッと走り抜けていくと、その後はゆっくりと”ソレ”が引き抜かれていく。

そして、私は何時間も抱えていた”異物感”から解放された。


…痛みが消えてから、私は、『ああ確かに”針がチクッとする感じ”だ』と思った。



「・・・はい、カテーテル抜けましたよ。水島さん。」



・・・ああ、痛かった・・・。


いくら同性、しかも、医療関係者の前とはいえ…

・・・その、尿道を・・・・・アレしちゃってる・・・いわゆる、カテーテル抜かれるのは、恥ずかしい…。



昨夜、私は『急性虫垂炎』・・・つまり、盲腸で緊急手術&入院していた。



私が起きたら、いつの間にか私のベッドには御飯らしき…『お湯御膳』があった。

・・・御飯の粒が無い、サラッサラの白いお湯。

味も何もない…強いて言えば”お湯の味”の御飯…。


・・・あぁ・・・初めての病院食だけど・・・本当に美味しいものではないのだな、と実感した。


改めて。

自分は、病院にいるのだと自覚した時、柏木さんが絶妙のタイミングで、私の股の間のカテーテルを抜きにやって来たのだった。



「よし…これで、歩いてトイレ行っても大丈夫です。

 というか、癒着しちゃいますから、歩いてもらわないと困るんですけどね。」


柏木さんは、カテーテルを片付けながら、ニコニコ笑ってそう言った。


「・・・え?もう、歩いていいんですか?」


昨日、お腹を切ったのに?もう、歩いて良いんですか?

…この手の病を経験した事の無い私にとって、それは衝撃的な一言だった。


「ええ、歩いて下さい。癒着…つまり、腸がくっついちゃうんです。

 傷口は激しい運動しちゃうと、さすがに開いちゃいますけど、歩かないとくっついちゃいますから。」


そう言って、柏木さんは、ベッドの掛け布団をバッと剥ぎ取った。


「・・・い、今から・・・もう歩くんですか?」


「トイレ、この個室からだと、意外と遠いんですよ。漏らしちゃっても、知りませんよ〜?」


ニッコリと笑う柏木さんが、悪魔に見えた瞬間だった。

私は、ゴクリと唾を飲み込み、トイレの場所を確認するという名目の下、無理矢理歩行させられた。



「イテテ…」



トイレの場所は、意外と遠い所ではなかった。

…私の個室が南の端ならば、トイレの位置は、北の端にあった。


壁に手をつきながら、腹部の痛みに、情けなくヒイヒイ言いながら歩く姿は、まるで弱りきった牛だった。

いや、私の歩行速度は、今や牛よりも遅い。


「・・・ふー・・・ふー・・・ぅうッ・・・・・・う・・・・」


呼吸をするだけでも、辛い状態なのに…歩くのは、とてもじゃないが辛すぎる。


少しずつ歩きながら、時折、私の横をスタスタと看護師の皆さんが軽快に歩いていく。

時折、『頑張ってくださいね〜』と気楽な一言を残して、歩いていく。



普段、サクサク歩いたり、走っていたあの頃が懐かしい・・・たかがお腹を切ったぐらいでこんなに・・・!


・・・あ、でも、走っていた理由は大体、女難を避ける為だから、別にそれは懐かしくは無いな・・・。


痛みを抱えながら、歩いてゆく…


「う・・・ぅ・・・くっ・・・!」


今、女難チームが一人でもやってきたら…逃げる足は無いな、と…ダブルで最悪な状況に泣けてくる。

トイレの場所を指し示す看板が見えてきた。看板の隣には、ゴールである女子トイレ。


・・・個室から出発して・・・看板まで、15分。


女子トイレの個室に入って、パンツを下ろすまで……25分はかかるだろう。


いつも通りの生活の中で、少々の事なら我慢してきた私だが……今回は我慢は命取りだ…!

こまめにトイレに行く癖をつけないと…イザという時、間に合わず『水島ダム決壊!』…なんて事に…


…25になって…トイレの心配をしなくちゃならんとは…くうぅ…!!


……これは……予想以上にキツい入院生活になりそうだ…。








※注 お食事または、おやつタイムの皆様、大変申し訳ありません。







(・・・・・・あ、そうだ・・・会社に連絡しとかないと・・・)



始業時間前に思い出して良かった。



私は、また牛歩並のスピードで、自分の個室へと戻る道を歩き始めた。



「ねえねえ。烏丸先生の話、聞いた?またネコ連れ込んだわよ。」


廊下の向こうで、看護師2人が作業をしながら何やら話し込んでいた。



(へぇ・・・あの先生、猫派なのか・・・カワイイもんなぁ・・・猫・・・)


しかし、病院に猫を連れ込まれては、確かに…衛生面での不安はあるだろう。

・・・でも、猫がいるというのは、魅力的な話だ。



「えー?またですかぁ?いい加減にしてよねぇ…あの先生、腕は良いんだからさー、大人しくしてりゃ良いのに。」


「ホント、親の七光りって奴は、厄介よねぇ。院長の娘だから、気は遣うし、注意も出来やしないわ。」



烏丸 忍先生は…昨日、私の盲腸を手術したお医者さんで…この病院の院長の娘さん。

…そして、猫好き。


・・・結構、看護師の人に嫌われているのかな・・・あの先生・・・

そんな風には見えなかったが・・・。・・・猫好きなだけで、エライ言われよう・・・。

いや、それ以外に、嫌われる要因でもあるのだろうか…???



「…ホントホント、どうせ院長継ぐのは、お兄さんの方なのにねぇ。

 わざわざ、医者なんて仕事なんか、しなくても見合いすれば楽そうなのに。」


ふうん…烏丸先生には、お兄さんがいるのか…医者一家だと、なんだか、色々苦労しそうだなぁ…

などと思いながら、私という奴は、看護師達の噂話を、ちゃっかり耳で咀嚼して頭に入れていた。



「そうよねぇ・・・あたしが烏丸家に生まれたかったくらいよ。」



思わず私は、チラリと看護師2人をみた。



(・・・・・・・無理無理。)



私は、痛みを抱えながら年上だが、同年代だかわからない白衣の天使に、心の中でツッコむ。

親は選べないし、生まれただけでもありがたいと思え。


なんだ…嫌われているわけじゃなく、単なる”ひがみ”じゃないか。



看護師達の噂話に、私はまたウンザリする。全く、事務課といい・・・ココといい・・・



(・・・これだから・・・嫌いなんだよ・・・)



私は、人に干渉しない代わりに、人に干渉されるのが嫌いだ。

噂話も嫌いだ。

その話の中で有力な情報は、ごくわずかしかない。


でも、ちゃっかり聞いてしまった自分が、もっと情けなく感じる。


・・・ああ、下らない話を聞いてしまった・・・烏丸先生に顔合わせた時、気まずいじゃないか。



人が、痛みと戦いながら、車椅子から立ち上がった直後のクララ並のスピードで歩いているというのに!

ハイジもユキちゃんもロッテンマイヤーさんもいないのに、頑張って歩いてるってのに・・・!!



「それは無理としても、烏丸家に嫁ぐって手は残ってるじゃないの。た・ま・の・こ・しよ、玉の輿。」


(…無理無理。う・れ・の・こ・りよ、売残り。)


車椅子から立ち上がった直後のクララ並のスピードで歩きながら、心の中でツッコむ。


玉の輿に憧れる女に限って…



結婚してから不満だなんだと言って、お金を湯水のように使いまくった挙句

やっぱり、愛の無い結婚は刺激が無いわなどとホザきながら、テニススクール通って、コーチがカッコイイとか、ぬかしてたら

姑から『長男はまだなの?』とか小言言われて、同居するとかしないとか、姑の事で夫とモメて

『アイツはマザコンだった』とか泣きながら実家帰って、結局離婚する事になって、双方弁護士雇って、裁判が泥沼化すんだよ。



玉の輿どころか、玉転がしじゃないか。


・・・・・・・・・あぁ、今の例えは・・・なんか、上手いようで、ありがちで、つまんないな・・・。






※注 あくまでも、水島さん独自の玉の輿シミュレーションです。

    個人差がありますので、玉の輿希望の読者様は、安心して玉の輿を狙って下さい。







「でもさぁ…未来の院長夫人になって、玉の輿のろうと思っても、妹がアレじゃあねぇ…」


(…だから、妹がどうのこうの以前に、無理だっての。)


「妹に喰われちゃ、意味ないものねぇ?」

「やっだ、気持ち悪。」


会話の内容がよくわからなくなってきた所で、ようやく私は、自分の個室にたどり着いた。


「う…くく……ッ…!」


カバンの中から、手帳を取り出し、高橋課長の携帯に電話をかけた。

彼ならば、口は硬いし、何より…この場合、事務課の課長に連絡を入れるのが筋だ。


話し声が廊下へ届かないように、私は窓際へと移動した。

窓の外には、朝から病院の患者さんらしき人が、庭を歩いていた。




”プルル…プルル…”



「あ、もしもし・・・おはようございます。水島です。」


『…水島君か?…どうしたのかね?僕の携帯に電話とは…』


「実は、ですね…」


私は、昨夜の出来事を簡単に説明し、入院する事を告げた。

正社員とはいえ、ちゃんと説明しておかないと…いくらなんでもクビにされてしまうかもしれない。


高橋課長は、相変わらず仙人のような落ち着きぶりで私の話を聞いてくれた。


『…うむ…それは、災難だったね。ゆっくり静養してくれたまえ。

 ・・・・で、水島君。ちなみに、病院は、どこのだね?』


(・・・来たか・・・その質問・・・!)

入院中である事を、高橋課長の携帯にわざわざ連絡したのは、この質問をクリアするためだった。


「あ、その件なんですが……高橋課長。」

『・・・ん?』


「私の入院の事は…事務課の…いえ、会社の方々にはどうか内密にお願いします。」


『…どうしてだね?』


「…たかが盲腸ですし…もう歩けるんです。それに恥ずかしいので、どうか同僚には…」


『・・・わかったよ。内緒にしよう。

 しかし・・・まさか、君の口から”恥ずかしい”という言葉をきくとは…いや、失礼…人それぞれ事情があるものだ。』


仙人(高橋課長)は、勝手に納得してくれたので私は、心の中でガッツポーズをとった。



会社関係に、私の入院がバレでもしたら…私の個室は…女難地獄と化してしまう。



彼女達が、私を大人しく見舞うだけでは、決して…決して!済まないだろう。

ただでさえ、女性が多い病院という舞台で、これ以上女難人口を増やすわけには行かない。


その為には・・・私の入院した事実を、現在の私の居場所を隠す必要があった。


近藤係長に言ったら、きっと


『みんな〜水島くぅん、盲腸だってサ!水島くぅんの分まで・・・”もう、超”頑張ろうねぇ〜』


とか自分の寒いギャグの材料に使うに決まってる。


  ※注 あくまで、水島さんの予想です。



そして、ソレと同時に・・・私の入院と病院の位置がわかってしまう。



事務課にその情報が流れでもしたら…

・・・会社の女難チームが近づいてくる危険性が、グンッと高くなるのだ・・・!


今、この状況で、女難チームが私の病室にやって来たら……私は……”終わる”…!!!(…気がする。)




だからこそ、私は…会社ではなく、高橋課長の携帯に直接電話をしたのだ。



それにしても・・・私って・・・恥ずかしいと言わないような女だと思われていたのだろうか?

高橋課長の中の私のイメージは、一体どうなっているのだろう?



・・・ま、それはいいや。


 
『それで…どこの病院だね?花くらい送らせてくれないかね?』


高橋課長は、こんな時も生真面目な仙人だった。

妙に『大丈夫?』と”いかにも心配してますよ”という態度を装わない人で、良かったと思う。

人の心配を無碍にする気はないのだが…本気で心配している訳でもないのに、大丈夫?と言われるのはあまり快くは無い。


社交辞令の大丈夫?の問いには、大丈夫です、としか答えが無いからだ。


そんな優しさの皮を被っただけのやり取りなど、人嫌いの私には、不必要だ。

例え、本心で心配してくれたとしても、それこそ、心配ご無用だ。



「K病院です。いえ、課長…お気遣いだけで結構ですから…盲腸ですし…5日で退院なんだそうです。」


『ふむ、そうか。5日か…じゃあ来週には出てこれるんだね。わかった。』


私と課長は、その後、事務的な会話を淡々と済ませた。



「では・・・業務に参加出来なくて、申し訳ありませんでした。」


『いや、気にせずゆっくり治したまえ。』


「はい、ありがとうございます。それでは、失礼いたします・・・・。」




私は、電話を切って、息を吐いた。

・・・やはり、普段口を利かない上司と会話するのは緊張するものだ。





「…あぁ…タバコ吸いたい…」


病院という場所で、ボソリと…別の病の源の名称を口にする。




「・・・困りますね。水島さん。」



私の背後の声に、おもわず振り向くと…そこにいたのは、烏丸先生だった。

(い、いつの間に…!?)


私も自分の気配を消せる方だが…彼女もそういうクチか…?


  ※注  水島さんの場合は、単に、目立たないだけです。




「病院ではタバコも、携帯も決められたゾーンでやってもらわないと。

 ・・・というか、タバコは病院以外でも止めた方が良いですよ。」



「・・・スイッ・・・ま゛ッ!?」


”スミマセン”と言おうとした瞬間、力んでしまったが為に、腹部に痛みが走る。


お腹を抱える私に対し、烏丸先生は髪を耳にかけながら親指で、ベッドを指した。


「あぁ、ほら、ダメですよ、急に身体捻っちゃ。…ホラ、ベッド戻って、お腹見せてください。」


少し切れ長の目が細められて、わずかに微笑んだ。

改めて…烏丸先生は、美人だと思う。



しかし、この手の美人に何度、私は振り回されてきただろう。

もはや『美人=危険』という図式が、私の頭で出来上がっているのだ。



「水島さん、診察しますから。横になって下さい。」


医師の命には、素直に従わないとなるまい、と私はすごすごとベッドへ戻った。


(…そういえば…)



私は、この病院に来て女難シグナルを感じた。女難の危険性が…全く無くなった訳じゃないのだ。

・・・だが、女難の前触れどころか・・・何も無い。



一度は信用しようと思った女医さんだったが・・・



「はい、失礼します。」


私が『冗談じゃない』と言葉を発する前に、烏丸先生は私の患者着の前をバッと開け放ち、私の傷口を見た。



「あ、あのッ…!?」

(いくら同性でも、そんな豪快に患者着を剥がさなくても良いじゃないか…!)


私…今…患者着の下は、半ヌード状態なのだ。


…つまり…それを剥がされたら、パンツ一丁…略して”パンイチ”って訳で…いや、略してる場合じゃなくて…






落ち着け!私!あぁぁー!今までの経験が、正常な判断能力をショートさせていく!







とにかく!・・・・・・・・今・・・・・・大ピンチじゃないですか!?私ィーッ!!!








やっぱり、烏丸女医は女難チームだったのか?

今更、こんな状態になっている私を…一体…どうする気だ…!?







烏丸先生の指先が、私のみぞおちに触れる。



「ちょ、ちょっと!…せんせ…」



なに?このシチュエーション!?

私は一度だって望んだこと無いぞ!?このAVにありがちな無理矢理な展開なんてッ!!



途端に、私の頭を高速スピードで駆け抜けていくピンク色がかった・・・色々なシーン。

下手に歳を取ったせいか…頭の中のピンク色妄想が、具体的過ぎて、自分でも恐ろしい…!!






(…この女医に…私…もしかして…






 ※注 大変申し訳ありませんが、これ以上、水島さんの頭の中を文章化すると、18禁になってしまうので、割愛いたします。








意識すれば、するほど…身体中が強張る。

抵抗する力は無いし、もうほぼ裸だし…こんなの急展開過ぎるし…



「・・・すぐ終わりますからね。」


ベッドに寝かせられたほぼ全裸の私と、それを見下ろす女医。


(・・・ああ、すぐ終わらせられるのね・・・私・・・)



先程のトイレまでの運動で、30分以上痛みに晒された体に…抵抗する気力は残ってはいない。

数々の女難から逃げてきた私だが、今回ばかりは…もうダメだなコンニャロ、と思った。


ナースコールを押そうかとも思ったが、飛んでくるのは、女性の看護師さんだ。


…無理。

いくらなんでも、2人攻めは無理…前も後ろも、無理無理・・・あは、あはははは・・・・・・クソ・・・!



 ※注 只今、水島さんの精神が、著しく荒れております。ご了承下さい。



「・・・・・・うん、よし。」



烏丸先生は真剣な顔で、私の傷口を観察すると・・・サッサと患者着を元の位置に戻した。



(……あ、あれ?)



呆気無く、閉じられた私の患者着。

ぽかんとしている私の表情に、烏丸先生は首をかしげた。


「………どうかしました?水島さん。」



・・・・普通だ。

いや、別にそれで良いんだけど・・・普通過ぎる・・・!!



「・・・え、あ・・・いえ・・・なんでもないです。」


私は、今までの経験上、あり得なかった一つの結論を頭の中に思い浮かべた。



(・・・もしかして・・・この人、女難じゃ・・・ない?)


烏丸先生が、女難じゃない、としたら…私が、この病院に来た時感じた女難シグナルは、一体何だったんだ!?


・・・何がなんだか訳がわからない。

盲腸のせいか、私の女難センサーがイカレたのかは、よくわからない。


だが・・・今の所、私に何かをする気配が・・・彼女には、全く感じられない。


(・・・・・・じゃあ、やっぱり・・・私の気のせい、だったのか・・・?)


いや。

例え、気のせいだとしても…気を緩めてはいけない。

女難は…油断するとやってくるんだ…!・・・つーか、いっつも、そのパターンなんだよ!

誰が油断してやるかッ!!


・・・油断はしないけど・・・悲しきかな・・・今の私は、肝心の抵抗が出来ない・・・!




「…タバコ、結構吸われる方ですか?」

烏丸先生が、ツカツカと窓際へと向かって歩いていく。

私はそれを目で追いながら、答えた。


「えと…まぁ…それなりに…」


最近、量が増えて…一日10本以上は確実に吸うようになった。

医者にそんな事を言えば、怒られるに決まっている、と思っていたが・・・


窓を開けて、烏丸先生は微笑んでいた。


白衣が靡き、新鮮な外の空気が、個室に入ってくる。



「この病院、喫煙室は、1階にしかないんですよ。しかも、小さい小部屋にオッサンのすし詰め状態。」



窓の外から入ってくる風にのって、消毒薬の臭いが鼻をかすめた。

・・・多分”烏丸女医”からするのだろう。



「え…そうなんですか?…………困ったな…」



この階の廊下を移動するだけでも辛いのに、一階まで移動しないと吸えないとは、辛い。



「…辛いでしょう?私もなんですよ。医者で女だから、ますます…吸える場所無くって。」


「…烏丸先生も、タバコ吸われるんですか?」



先ほど、私には吸わない方が良いと言っていたが?


「ええ、実は吸うんですよ。…一応、医者という立場ですから、患者さんには吸うなとは、言うんですけどね。

 ・・・まあ、結局は自由なんですよ。医者は患者さんの人生まで、健康の為に縛る事なんか出来ませんから。」


そう言って、クスッと笑いながら、タバコの箱を白衣の下から取り出し、振って見せた。

烏丸女医は、”プリシーラ”という銘柄のタバコか。


そして、烏丸女医は何を思ったのか、窓際に立って、タバコを一本咥えると火をつけた。


「あ、あの・・・先生・・・?」


・・・なんと烏丸女医は、患者の個室で、堂々と喫煙をぶっこいたのだ。

真面目そうに見えたのに、なんて大胆な人だろうか…。



「…吸います?健康を害する恐れありますけど。」



ぽかんとする私に向かってニッコリと笑って、烏丸女医はプリシーラを差し出した。

・・・私は、ゆっくり立ち上がり、窓際に向かうと、プリシーラを一本受け取り、口に咥えた。


「いただきます。」

「…まあ、素直な患者さんだこと。」


烏丸女医は、私の行動にクスクスッと笑った。


これは単に…吸った事の無い銘柄に対しての、好奇心だった。

それに、この機会を逃せば…タバコを吸える事は難しそうだったし。


烏丸女医は、ジッポで私の咥えたタバコに火を点けてくれた。



「・・・ん、メンソールタイプですね。」

「普段は何を?」


「マスタングです。」

「あぁ、アレね。」


私の吸ってるマスタング8は、メンソールタイプではないが、これも別に悪くは無いなと思った。


病院の個室で、昨日盲腸を切った患者と、その執刀医が、タバコを吸っている。

煙を2人して、窓の外へ煙を吐いた。



「…この女、普通じゃない、と思ってます?」


ふと、烏丸女医が私にそう聞いた。視線は窓の外だった。


「・・・・・・・・・。」


私はチラリと烏丸女医を見たが、すぐに視線を窓の外へと向け、あえてその問いに答えなかった。



「・・・…普通って、何でしょうね?」



彼女が、そう呟いたのか、私に向かって言ったのかは、わからなかった。

だから、私は、それにも答える事はなかった。




そのまま、特に会話する事無く、私と烏丸女医は喫煙していた。





(・・・いいのかなあ?)


吸い終わる頃になって、ようやく私はそう思い始めた。

ここは病院。自分は昨日、お腹を切った身。そして、隣にいるのは医者。


「…こんな所で医者と一緒にタバコ吸ってて、いいのかな?って顔してる。」


開けた窓のふちに肘をついて、烏丸女医が私にそう言った。



「……普通、そう思いますけど…良いんですか?」



先程の途切れた会話の答えと言うわけではないが、私は台詞の頭に”普通”という文字をつけた。



「…良いんですよ、それに”共犯”ですもの。…ただし、窓は開けて吸わないと、バレますからね?

 ああ、これも普通、言わないか。」




そう言って、彼女は笑いながら、携帯灰皿にタバコの吸殻を入れ、私の方へ向けた。



(・・・なるほど。肩身の狭い喫煙者同士、ここでの喫煙は、黙っておこうという”協定”か。)


私は、自分の吸殻を、烏丸女医の持っていた携帯灰皿に、入れ込んだ。




普通…こんな事はない。

健康に害のあるタバコを堂々と、病室で患者と吸っていたことを始め。

医者はもっと忙しいもんだと思っていたが…彼女は、患者の個室に居座って、のんびりとタバコを吸っていた。


・・・昨日、自分が盲腸を切ったばかりの患者の個室で、だ。


ただ、私は普通じゃない状態を、嫌!という程、経験してきていた。

何が普通の出来事で、何が異常の出来事かは、いつもその出来事が起きてから、わかる。



だから・・・麻痺、しているのかもしれない。




・・・・・・大体・・・普通って、なんだ?





私の烏丸女医の先程の言葉が、より鮮明に私の頭に浮かぶ。





『…普通って、何でしょうね?』





・・・普通・・・普通・・・。



前は、自分を普通のOLだと思っていたが…今は、もう違う。


私が、普通のOLじゃなくなった理由は『女難の女になったから』だ。



でも、思い返せば…

私はそうなる前から、周囲の人間から、『普通じゃない』とか『何考えているか、わからん』とか言われてきた存在だ。


私は、人嫌いなだけと思っていたが、どうやらそれは、周囲から見れば、度が過ぎているようだ。

それ以外に、何を考えているかが、読めないらしい。


・・・大体、他人の思考パターンを読んだりしようとすること自体、私には恐ろしく感じるが。


よくわからないモノを見たとき、人は想像力で、その不足した情報を補おうとする。

よくわからない人は、誰かの想像で『あの人はきっとああいう人に違いない』と勝手に決められる。


私の考えている事など、他人に理解してもらえるものじゃないことくらい、自分で十分すぎる程わかっているのだ。


私は…人様の普通には、なれない。


別に自分を”特別視”している訳じゃない。

普通を装うだけで・・・・普通には、なれない人間なのだ。




”普通”という境界線内にいれば、勝手なイメージを決め付けられたり、あーだこーだ言われずに済む。

普通の境界線内にいれば、個性も何もかもが普通で、まあ目立つ事は無い。



・・・だが、その普通の境界線が、どこで、どうなっているのかが、わからない人間はどうすればいいのだろう。



未だに、私は、普通とそうじゃない境界線がわからない。

あやふや過ぎてわからない。



いや、今となっては、そんなモノわからなくても別に構わないと思っているし、もし、その境界線があるとすれば

その境界線を越えさえすれば、いわゆる普通の人は、”普通じゃない私”には勝手に近付かなくなるのだ。



だったら私は・・・普通の境界線など、積極的に越えて行こうとすら思っている。

どうせ、境界線内だろうと、境界線の外にいようと、変な人は、所詮、全部・・・『変な人』で片付けられてしまうのだ。



まあ、極端な話だが・・・・普通じゃなければ、大抵の人は、寄ってこないのだし。


だから・・・私は、それを・・・境界線の外にいる事を、利用する事にした。


変な人として、人と接さない道を、選んだのだ。



「先生。」

「…はい?」


目の前の女性は、女難かどうかはわからない。

普通か否かもわからない。他人の事など、どうでもいいのだ。


「普通だろうと無かろうと、感謝してます。

 盲腸切ってくれた上、タバコまでくれましたから。・・・ありがとうございます。」



だが、目の前の”事実”には、感謝しよう。



「ふふふ…私、普通じゃないけど、ヤブ医者じゃあありませんからね。…それから、昨日も言いましたけど。

 その言葉は貴女が、治ってから、頂きます。

 あ、そうだわ…柏木さんから聞いたでしょうけど、暇があれば、なるべく歩き回って下さいね。」


烏丸先生が、そう言った。

「はい、癒着させないように、でしたね?」

「その通り。」


しかし・・・。癒着防止とはいえ、目的もなく歩き回るのは…あ、そういえば・・・。



「・・・あ、そうだ。先生、ここ、猫いるんですよね?」



病院内にいる猫を探す、という目的なら、歩けそうだ。動物なら、喜んで会いに行きたい…


  ※注 水島さんは、ゴリラ以外の動物なら、大抵好き。




「・・・・・・・はい?猫?」


「看護師さん達が言ってました。先生、猫、飼ってらっしゃるんですよね?

 もし良かったら、触らせてもらえないかなぁ…とおも・・・」


私は途中まで言いかけて止めた。烏丸女医が…ぽかんと口を開けていたからだ。


・・・あれ?猫じゃなかったのか?犬?いや、確かに猫と聞いたが・・・


「・・・・・・・・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・・・・・・・・。」



・・・もしや、私、マズイ事を言ってしまったのだろうか・・・?



「く・・・くくくっ・・・・あはっはっはっは!!」


突然、彼女は腹を抱えて、笑い始めた。

笑いすぎて、時折よろけて、ベッドに顔を埋めたり、しばらく大笑いしていた。


一方、私は、というと・・・・



「・・・・・・・・・・。」


頭の中にクエスチョンマークをいっぱい並べて、大笑いする女医を見ているしかなかった。



「あー…ヤバ…お腹、痛…あははははは…あー確かに”猫”には違いないわねぇ…フフフフ・・・」


・・・私は、切られてお腹痛いのに・・・目の前の女医は、笑いすぎて腹痛か…。




笑い涙を拭いながら、女医は顔を上げた。



顔を上げた烏丸女医は笑い過ぎて、真っ赤になっていて、その顔はすっかり幼くなっていた。


さっきまで、疲れていたような顔はどこへやら。まるで女子中学生みたいだった。



「ああ、ごめんなさい…そうね、”猫”ねぇ・・・そう・・・彼女達、ホント噂をよく蒔いてくれていたのね・・・」



「・・・噂?」



「あぁ…ごめんなさいね、今説明するわ…貴女にご迷惑が掛からないうちに。」






「…実はね…私、女性しか愛せない」



(・・・・う゛ッ!!)


はーい、やっぱり女難キタ・・・






「・・・という事になってるの。噂の上だけで、ね。」






”・・・かくんっ” ※注  水島さんが、心の中でコケた音。






「は、はいぃ・・・?」



「…なにかと面倒なのよね…30手前にして、独身で大病院の院長の娘やってると。

 そういえば・・・貴女、恋人は?」


そう言いながら、烏丸女医は、2本目のプリシーラを咥えながら、私を見た。


「いません。」

(必要もないし。)



「そう…私はね、人に興味ないの。

 興味ないというか…私ね、人を”患者”としか…見られないの。

 治せるか、死ぬかって…あぁ、大丈夫よ。水島さんは5日すれば、ちゃんと生きたまま、ココを出られるから。」



そう言って、イタズラっ子のように笑った。・・・それから、私は『いや、盲腸で死んでたまるかよ』と思った。



…私は、ベッドの上に放り投げた自分のカバンの中を探り、自分のタバコと100円ライターを出した。



「あ、マスタング?」

「…吸います?」



「ありがと。初めてだわ・・・」


今度は私が100円ライターで烏丸女医のタバコに火を点ける。


「…それで…どういう事なんですか?」


煙を吐きながら、烏丸女医は、また窓の外へと視線を移した。


「私、人に興味がないのに…他人は、私と誰かをむやみやたらにくっつけようとするの。

 病院の為だ〜とか、いつまでも女が仕事ばっかりしてるのは、いかがなものか〜ってね。

 余計なお世話って感じなんだけど…」


タバコの煙を、憂鬱そうに吐きながら、烏丸女医は話し始めた。


人は、他人の恋愛関係を覗きたがるし、知りたがるし、中には面倒もみたがる奴もいる。

そんなもん興味ないと言えば、人生損するよ、といわんばかりにせせら笑うのだ。


・・・それが、普通の女のすることなら、普通じゃなくて、結構なのだ。



もはや・・・人に興味を持つ以前に、興味は冷めていくのだ。




「私は、ただ…今、こうして仕事をする事で、満足してるし、精一杯。

 医者って仕事は…やりがいがあるかどうかっていうより…背負うのよ、人の命の一端を。

 とてもじゃないけど、自分の人間関係に目を向ける暇なんか無いわ。

 大体、結婚やら恋愛やらが、今の自分の為になるとは限らないじゃない?
 

 それに元々興味も無いのに、そんなのに時間とられるくらいなら、眠りたいし…なーんて、ね。


 ・・・あぁ・・・これも、普通の女の反応じゃないわねぇ。」



烏丸女医は、妙に・・・普通にこだわる人だな、と私は思いながら、自分のタバコに火を点けた。



医者の家庭に生まれてしまった彼女にとって、普通の生活は…縁遠いのかもしれない。

・・・あくまで、庶民の私の想像でしかないけれど。



普通にこだわるという事は・・・・普通になりたい、という気持ちの裏返しなのかもしれない。



でも・・・彼女もまた、私と同様…『自分は自分の望む普通には、なりきれないだろう』、と自覚しているのだろう。





(・・・・・・なんか、解るなぁ。その気持ち。)



なんだか…心が、うずうずする…

解る、解るよ、その気持ちと思いつつも、私はそれを烏丸女医に伝える事はしなかった。




「・・・・・えと・・・・・・それで、猫はどう関係するんですか?」


・・・そう、今の話は・・・猫と噂話の関係性だ。



「ええ、まあ…私はこんなんだから。人とお付き合いするの回避する為、レズだって思わせておいてるの。
 
 それで、私がレズだって周囲のナースに思わせて、この噂の種を蒔いてもらったら、私に近付く人は減っていくでしょ?


 口では言わずに、思わせぶりな行動をするだけ。

 時々だけど、ね…入院する女性を一人、こうして個室に入院させて…こうやって、話し込んでるって訳。」


そして、最後に”本物の人(レズビアン)には悪いけどね”と付け加えて、目を閉じた。



私の頭には、先程廊下で聞いてしまった会話を思い出した。


『妹に喰われちゃ、意味ないものねぇ?』

『やっだ、気持ち悪。』



・・・なるほど、さっきの話は、そういう意味だったのか・・・


なるほど、看護師の皆様は、烏丸先生をレズビアンだと思っているのか…


…にしても、自分が迫られるとでも思っているのか?



『妹に喰われちゃ、意味ないものねぇ?』


いやいや・・・喰われない、喰われない。

他人の私が太鼓判押すのは、なんだけど…お前は烏丸先生が”本物”でも、喰われないぞ。

自信を持って、仕事をしてくれ。根性ドス黒いのは解ったから、命の光だけは、消さないでくれ。


・・・と私は心の中で、サラリと毒を吐いた。



「…じゃあ・・・猫というのは・・・?」


「ああ…ネコっていうのはね、レズビアンで受身の女性の事。まあ、本物の…動物の猫も好きだけどね。」



「…へえ…」

(専門用語だったのか…じゃあ、猫の肉球は、おあずけ、か・・・。)


私は、心の中で猫の肉球に触れない事に、がっかりしていた。

その表情に、反応して、烏丸女医は私の顔を覗き込んだ。


「・・・引いた?」


「あ、いえ。単に・・・肉球、触れないんだな、と思って。」


私は、正直に答えた。


すると、烏丸女医は、『どんだけ猫好きなのよ』と、また腹を抱えて笑った。

30手前と言う割に、10代の少女のような幼い笑顔で、彼女は笑い続けた。



「…あー可笑し・・・ははは…どうしてかしらねぇ?

 …今までこんな事、誰にも言う気にならなかったんだけど…貴女って・・・

 その、話易いっていうのかしらね・・・不思議な人ね。水島さん。」




昨日とイメージが、一変する。

烏丸女医は、随分と医者らしくない、医者だという印象に変わった。



「…普通、ですよ。」


私はあえて、そう言った。

・・・今は、女難の女だから、前よりも普通じゃないだけ。

呪いを解きさえすれば…私はただの人嫌いの普通のOLなのだ。



「・・・それで、水島さん。悪いんだけど退院までの間、話し相手になって下さる?

 勿論、私は、患者の貴女に医療行為以外のことを、する気は無いのよ。まったく。

 …話すのが嫌なら、こうしてタバコ吸うだけでもいいわ。今、話した事は、内密にして欲しいの。」



・・・なるほど。それで、私は希望する前に、個室に移されたのか。



「いいですよ…個室にしてもらって、私は助かってますから。」


「・・・・・・・・え?」


「人嫌いなんです、私。」


「・・・あらまぁ・・・じゃあ、似てるのね。私達。」


烏丸女医は、複雑そうな顔で笑った。

”同志”?・・・といえども、マイナスの共通点など、見つけても苦笑するしかない。


だが。


「・・・いいえ。」

「・・・え?」



「先生は、人に興味が無いだけです。

 私は人に興味もなく、人が嫌いであって…先生はきっと、人嫌いじゃないです。

 だから、似てませんよ。ちっとも。」


私がそう言うと、烏丸先生はまた笑った。今度はふわりと優しく笑った。



「・・・・・・そうね、じゃなきゃ、治してやるもんかって、メス投げているでしょうね。」


「…先生も私も、この状況で、お互い損は何もな…」



・・・・ん?この言い方・・・


私の脳裏に、ふとある人物の台詞が浮かんできた。




『私達は、同じ目的の下に、お互いを求めるだけ…これでも十分相思相愛のハズよ?

 お互い、それで損は無いしね。』



”誰か”にソックリだな・・・

・・・クソ・・・。


違う。私は、損得勘定の話なんかしてはいないんだ。



『アタシも、アンタみたいな偽善者女、大嫌いよ。』



…そうだ、この人は、ちゃんと私を治療してくれる医者だ。

だから、そのお礼として、当然の協力で・・・




『アンタみたいな偽善者女』




・・・うるさい、火鳥・・・私は、オマエとは違うんだ・・・ッ!!



私は、タバコの煙を吐きながら、台詞を整えた。



「…いえ、もとい・・・退院までよろしくお願いします。烏丸先生。」



「ええ、こちらこそ。…じゃ、夕方頃にまた見に来ます。お大事に。」


そして軽く挨拶をすると、彼女は『コレ差し上げます』と、携帯灰皿を私の手に握らせて、部屋から出て行った。


妙に落ち着いていた人だったな…。

掴みどころ、未だに無いし…今まで会って来た人と、また違うな。

彼女は、女難じゃないのかもしれない。

・・・彼女自身、ややこしい事情は抱えているが、とても、私のような者と縁が出来るような人(ややこしい女)じゃない。



「・・・・・・ま、いいか。」



何にせよ、烏丸女医は、私に治療以外の行為を、何もしなかったのだ。(というか、それが当然なのだが。)


彼女が、何を考えているのかは、この際どうでもいい。

医者としての腕も悪くは無いし、タバコも吸わせてくれたし。


 ※注 結局、最終的に、タバコに釣られている水島さん。




この距離を保ったまま、無事に退院するとしよう。

今の所、例の頭痛も無いし…。


…だとすれば、今から看護師さん方面に気をつけなくてはならないな…。


と、その前に・・・


「…さて、もう一眠りするかな…。」






・・・気になる事は、掌から滴り落ちる程あるが、考えても傷は治らない・・・今は、眠ろう。







そのまま、私の意識は落ちていった。



(・・・・ああ、疲れたな・・・気持ち良いな・・・)






・・・ふわふわとした感覚の中、現実と夢の狭間・・・私は・・・








”…チ…チクン…!!”






「・・・んん・・・」







”チクンチクンチクンチクンチクンチクンチクンチクンチクン・・・”



「・・・んー・・・」







”チクンチクンチクンチクンチクンチクンチクンチクンチクンチクンチクンチクンチクンチクンチクンチクンチクンチクンチクンチクンチクン・・・”







「…しつけぇなー!オイッ!?・・・・ぁ、イタタタ…」






私の意識は、おなじみのソレで、覚醒した。





頭の奥から発せられる・・・・女難の前触れを告げるしつこいサイン・・・!



私は、痛みを堪え、ベッドから起き上がった。



そのサインのしつこさは、もう何も言わずとも、私をベッドから動かすのに十分だった。



(……何か、来る…絶対、来る…!)



嫌な予感が、ゆっくりと近付いてくる予感がする。それもデカ盛りで…!


なんで今…!?やはり、油断していると、こうなるのね…!



…個室を出ようか?…いや下手に動き回るのは、危険だ…何せ、この痛みは歩行の度に増強する。

痛み止めを飲んでも、移動距離は、たかが知れている。

誰だか知らないが、見つかれば…厄介だ…!



(…隠れよう…!)



私は、頭をフル回転させながら、個室を見渡し……一か八か、その場所に身を隠す事にした。



(くうぅ…イテテテ…!)


私は、息を潜めて、嵐がやむのを待つ事にした。



”ガラッ”


「…水島さん?御花届いてますよ…えーと・・・・・・影山素都子さんって方から…あれ?」


花を抱えた、柏木さんが部屋に入ってきた。

(・・・・ああ、柏木さんか・・・)


柏木さんなら、まだ安心だ。

・・・なんだか、不吉な名前も聞こえた気がするが、この際…返事はしない方がいいだろう。



「…早速、歩き回ってくれてるようね。じゃあ、今のうちに…」


柏木さんは、私のベッドの乱れを直すと、独り言を言いながら、私のベッドの下に手を突っ込んでいた



(・・・・ん?何してんだ?)


柏木さんは、ベッドの中に手を突っ込んでいた。

・・・ベッドの乱れを直してくれている、ようには見えない・・・。


いや、それよりも。


・・・何をしているのか?は、この私にも言えることだった。




…私は、個室にあるロッカーの上に乗り、気配を消して、しゃがんでいた。



・・・ベッドの下に潜り込んでも、良かったがそれでは個室を見渡せば、見つかってしまう。


そこで、個室にある…鉄製の少し幅の広い縦長タイプのロッカーの上を発見。

・・・まさか、ココにはいないだろうという場所を探した結果・・・ココしかなかった。


それにしても…天井が高いタイプの個室で良かった…


勿論、偽装も抜かりない。


運よく近くにあった、ダンボールの上下部分を素早く切り取り、横に部屋を見る為の穴を開け

それを被って、ロッカーの上にしゃがんでいた。



…これで、どこからどう見ても、私はロッカーの上のダンボール…。


  ※注 お忘れかもしれませんが、水島さんは普段、事務課のOLです。



・・・・・・・・・・・アイテテテ・・・・。



・・・いや、確かに、お腹切った次の日にやることじゃあ、ない。


ロッカーに登り、しゃがむなんて、お腹を切ったこの身には、大変な負荷だし、たかがロッカーの上に登るのだって、命懸け…

来客用の椅子を使って登る事も出来たが、それでは椅子の位置からバレてしまう。


・・・ならば、己の腕の力で、登るしかあるまい・・・!


  ※注 繰り返しますが、水島さんは普段、事務課のOLです。



・・・人間、追い詰められると、色々出来るのだ・・・って、ギリギリだよ、もうこんな事出来ねえし、したくねえよ…!


私どんだけ必死なんだよ・・・ッ!!




・・・・・・作者も、さすがにこれは無理があると思っている事だろう。


  ※注  作者のコメント:『・・・いや、別に?』




”コンコン…ガラッ…”


「あのー…すみません、こちらの個室に…」「水島さんがいるって聞いたんですけど」

「…ちょっと、こんなに大人数で迷惑じゃないの。」「だったら、貴女がお帰りになれば?」

「みーちゃん?大丈夫?着替え持って来たよー」「…ちょっと、何そのパジャマ…ダサ…。」

「水島ー暇してると思って、新曲持ってきたぞー。」「うわ、ちょっと!病院で止めて下さいよ…!」



静かなノック音の後、急激に室内が、賑やか・・・いや・・・うるせー・・・いや、賑やかになった。


台詞の順番に・・・門倉さん・かもめさん・花崎課長・阪野さん・伊達さん・海お嬢様・樋口(元・総長)さん・・・



・・・あれ?最後の誰だっけ?  ※注  君塚さん。



(・・・・なんで、バレてんの・・・?)


私は、覗き穴から見える”まさかの光景”に、ゴクリを唾を飲み込んだ。


仮に、高橋課長経由だとしても・・・ここまでキレイに、全員揃うなんて・・・無理があるだろ…!?

・・・一体どうしたら、こんな事になるんだ!?



いやいや、落ち着け…とにかく、落ち着いて…



・・・・・・・・えーと・・・・・・とりあえず、このツッコミから・・・。












・・・・・・・仕事しろよっ!お前らーッ!!!












   現在の水島さんが判断する、自分の置かれている状況 ……… 超・最・悪。











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