はじめてのおつかいは、私が5歳の頃。


確か、みりんとライスペーパーを買いに行かされた。



・・・今、思い返すと・・・


5歳児に『ライスペーパー』という初めての買い物には

高等すぎる品名のモノを買いに行かせるのは、いかにも・・・家の母親らしいと思う。


みりんはラベルを覚えていた為、なんとか見つけられたのだが、ライスペーパなど、見た事は無かった。


”『食べられる紙』って覚えなさいよ”・・・という母の適当な情報しか与えられず、私は家を出された。


・・・当然、そんな情報だけで、ライスペーパーを発見出来るわけはない。


商品を見つける前に、5歳児は、自分自身を見失う事となる。


1時間ほど、スーパーの中を彷徨い歩いた。

人に聞こうにも、知らない人ばかり。聞けずじまいで、私は自力で探すことにした。

知らない人には、付いて行ってはいけないといわれていた事を忠実に守ろうとしたのか、単に怖かったか。


…どっちもだろう。


…我ながら、律儀な人間だったと思う。



・・・というよりも、あの時・・・5歳にして私という人間は

『このまま帰ったりしたら、間違いなく、母に家の中には入れてもらえないだろう』

・・・と予想していたからだった。

妙な教育主義の母を持つ子供は、妙な所に神経が回るようになる。


買い物を終えるまで、帰る事は許されない…5歳児が妙な使命感を抱え買い物をしてるなんて誰が分かるだろうか。


・・・・・誰もわかるはずもない。



しかし、さすがに5歳児が、涙目で長時間一人でスーパーをうろつけば、人目にも付く。

間もなく、惣菜コーナーの人の良さそうなオバちゃんに、涙目の私は保護され

お目当てのライスペーパーを探してもらい、事なきを得た。



ライスペーパーを手にした瞬間、今度は嬉しくて泣いた。


これで、家に帰れるという安心感。…5歳児の自分ながら、随分と律儀と言うか・・・まあ、恥ずかしい思い出だ。



…ちなみに、その初めてのおつかいの日の晩御飯のおかずは『から揚げ』だった…



そして後にも先にも、ライスペーパーを使った料理は、我が家の食卓に登場した事すら、ない。


…一体、あの時のライスペーパーは、何の為に買いに行かされたのか…


一体、あの時受けた私の苦痛と苦労は、何だったのか…。




未だにそこだけは、納得できずにいる。




・・・あンの、ババア(母)・・・




で。



その日、幼い頃の私が、得た教訓は、こうだ。




  『自分が知らない事は、知ってる人に聞け。』



今となっては、当たり前の事だが、この時、私は人生で初めて『自分一人で生きていくには、限界があるのだ』と知った。



しかし、成長するにつれて、人に聞くことより、自分で調べる方が多くなった。

それは…子供の頃のように、人にものを聞く事が”恥ずかしい”という事ではない。


人にものを聞く、自分が”情けなかった”のだ。

恥ずかしいのではない。

人に頼る自分が、許せない…とでも言おうか。


こんな事もわからないのか?と誰かに問われるのが嫌、というのもあるが。



人にものを尋ねる前に、自分でなんとか出来るならなんとかしておきたい、という思いがあったからだ。



・・・第一、私という人間は歳を取るにつれて『人嫌い』に育ちきってしまっていた。


人の手を借りたりして、そこから余計な人間関係を築きたくはない。

借りがなければ、貸す事も無い訳だし。



だから、私は自分の問題や疑問をなるべく、自分で解決してきた。



・・・なにより、それが・・・人と関わらないで済む方法だったから。





だけど…現在の私は、人と関わらざるを得ない生活を送っている。

それが、とても苦痛であり、問題であり、私の苦痛の全てである。



とにもかくにも。



人は誰しも、一度は何らかの『試練』を与えられ、それを通らねばならない時がある。



私にとって、アレは『それ』だ、と考えて良いのかもしれない。

もし、そうだというのならば…人嫌いの私にとっては、辛すぎる『試練』だ。



下手したら、死んでしまう『試練』。



少年誌で、よくある、普通は何年掛かる技の習得を、命懸けで数日でやりとげるような、そんな感じだ。


現実にやったら、死んでしまうし(それを乗り越える事を”奇跡”と呼ぶ)


・・・挙句。少年誌の場合、1年も経たずにその苦労をぶっ壊す程の強力な敵が、あっさりホイホイ出てくる始末だ。



私の場合『試練』を乗り越える為の修行も何も無い事に加え

何日いや、数時間・・・はたまた数分単位で、次の『試練』がホイホイと生まれるのだから

夢も希望もあったもんじゃない。



そんな訳で。






私の名前は、水島。

悪いが下の名前は聞かないで欲しい。



・・・私は、現在・・・呪いに呪われて『女難』という名の試練に、負け続けている女をやっている。








  [ 水島さんは出演中。 ]








”プルルルルル・・・カチャ”


「…はい、城沢グループ、事務課です…はい…ええ、はい…」


「こっちのファイル、終わりでーす。」

「ごめん、じゃあ、こっち手伝ってくれる?」


「やだ、B5の紙切れてる・・・」

「あ、A3も無いんだわ、補給しておいてくれる?ゴメン!」


「ハンコ、貰ってきまーす。」

「はーい。」


ここは城沢グループの事務課。私の職場だ。


(…ふう…只の人嫌いOLが、命懸けの試練、か…)

オフィス内で、ひたすらキーボードを叩く私は、そんな下らない事を考えながら、エンターキーを押した。


相変わらず、事務課は淡々と仕事を進めていく。

時々、目薬を点眼する者、甘い物で糖分を補給し、幸せを得る者。

上司のギャグに愛想笑いを浮かべつつ、後ろ向いた途端舌打ちをかます者。

メールをチェックし、定時後の合コンに備える者、または現在の恋人との連絡を取り合う者。

または・・・出来たばかりの恋人の写メールを見せ回る者、それを一旦は『あ、優しそうな人ね』と褒め、裏で鼻で笑う者。


相変わらず…だなぁ。

…事務課は。

この一見・・・和気藹々としていそうで、殺伐とした空気が吹きすさぶ職場が、私の職場だ。

病み上がりだろうと、関係ない。

勿論、私が休んでいる間、事務課の女達が裏で何が囁いているかは、想像がつくので、不問だ。



とにかく、私に構わないでくれる事が、今はすごーくありがたい。



 ”キーンコーン…”



昼休みを告げるチャイムが鳴った。


いつもなら、チャイムの後にすぐに沸き立ち、賑やかになる事務課だが…今日は静かだった。


その理由は、私のすぐ後ろにいた。




「・・・水島君。」



低音の落ち着いた静かな声。何より、私の名前を伸ばさないで”君”付けで呼ぶのは…

我が事務課の仙人こと、高橋 利典(たかはし としのり)課長だけだ。


私は、即座に振り向いた。


(・・・・なっ・・・!?・・・け、気配が全く無かった・・・!!)


これが、課長が”仙人”と呼ばれる由縁だ。

人を避けようと日頃から神経を尖らせている私ですら、その気配がまるで掴めない。

高橋課長という人物の気迫というか、まとう特殊な雰囲気に、周囲は思わず黙ってしまう。


下手に大声を出せば、高橋課長が怒るか、倒れて死んでしまうんじゃないか、という感じだ。



「…水島君、一つ頼まれてくれるかね?」


高橋課長は、毎度おなじみの決して健康的には見えない顔色で、私にそう切り出した。



「は、はい・・・」


「…じゃあ、昼食でも一緒に…ついてきてくれるかな。」


「…はい。」



断れない雰囲気の中、私は高橋課長について行った。

一体何の用事だろう?病院の件なら、出社してすぐに話し終わったし・・・


・・・全く見当がつかない。


いつもなら、昼休みとなれば、ダッシュで事務課を抜け出す私…

そして、私の前に現れる女難チームの皆さんがいるはずだが…


高橋課長という鉄壁がいる為か、門倉さんも君沢さん(君塚の間違い)も私の傍に来なかった。



てっきり社員食堂に行くのかと思ったが、会社を出て、課長の後を黙って付いて行く事、約8分。





連れて行かれたのは、一軒の蕎麦屋。

青い暖簾をくぐり、店内に入ると常連でもないのに、その古さが懐かしく思える。

店内を見渡すと、驚く程人が少なかった。

カウンターに3人、テレビを見ながらもり蕎麦をすするのが2人・・・皆、中年男性で、女性はいない。


(・・・うん、女難は、ないな。)


皆、私と課長をちらっと見る事もなく、黙々と麺をすすっている。


…ダシの良い香りが食欲をそそる。

さすが食欲の秋、到来か…



だけど、慣れない上司の前…私の食欲は、湧き出た端から蒸発していく。


私と課長はテーブル席に座った。

席に着くと調理場の中から、お辞儀をした状態のおばあさんが出てきた。



「ぅらっしゃいみゃしぇ…(※いらっしゃいませ、と言ってます)」


おばあさんは礼をしたまま、テーブルの近くにいた。


・・・いや、違う。


顔は真下を向いている。礼をしている訳ではない。

これが、通常の状態なのだ。彼女がこの状態なのは、おそらく腰が悪いせいなのだろう。


でも・・・前、どうやって見るんだろう・・・このおばあさん・・・。


「・・・・あ・・・えと・・・」


余計な事に気を散らせている私は、瞬きしかできない。

失礼極まりない態度の私に対し、高橋課長は落ち着いている。


「きつね蕎麦を…。水島君、君はどうする?」


高橋課長は、静かに私に聞いた。

メニューを見る暇も何も無かったので、私は、常連らしき高橋課長の注文を真似ることにした。

これで、失敗はないだろう。


「…え?あ……お、同じのを…」


すると、高橋課長は、これまた静かに言った。


「…きつね蕎麦2つ…」


「あーい…」


顔が見る事もできないまま、老婆はまたほぼ90度に曲がっている腰のまま、てけてけと調理場に戻っていった。

あの手のおばあさん・・・私は志村●んのコントでしか見た事は無い。



(・・・あのおばあさん、色々と苦労したんだな、きっと・・・。)


でも・・・”女難”での苦労じゃない事は、確かだ。



私は薄ら笑いを浮かべながら、セルフサービスの水をコップに注いで、課長に出した。


「どうぞ。」

「ああ、すまないね…ありがとう。」



そして、自分の分のコップへ水を注いでいると…老婆の大きな声が聞こえた。




「たぬきうどん2つ!」


「…あいよ。」




(…えええええええ―ッ!?)



それは、数といい、タイミングといい・・・・・それは私達の注文か!?



きつね蕎麦は、油揚げが載っている蕎麦。

たぬきうどんは、揚げ玉がのっているうどん。





・・・・・・全然違うじゃん!!!





調理場から、明らかに注文した品とは全く違う料理名が聞こえたが、高橋課長は微動だにしない。


(い、いいの…?たぬきでいいの?うどんでいいの?何もかも違うけどいいの?高橋課長…!)


私のハラハラする想いとは対照的に、高橋課長は、やはり落ち着いていた。




「…では、早速だけどね、水島君。君に少し、頼みたい事があってね…。」


高橋課長は、話を切り出した。


「・・・は、はい・・・。」


私は、私で…返事をし、コップの水をとりあえず口に含んで飲み込んだ。


冷たい水が、喉を通過していく間、私はなんとか


(・・・あ、いいんだ・・・気にしないんだ・・・。)


と自分を納得させた。




話が本題に入ったようなので、私は、たぬきうどんの事を忘れる事にした。




・・・・・・・・・・・・・・・。





………………結構、きつねも蕎麦も好きだったのに…。

私、うどん派だから、今久々の蕎麦で…普段より蕎麦寄りの気分だったのに……。







・・・いや、忘れる事にした!




「ただ・・・これは、業務とは全く関係ない。僕の個人的なお願いに近い。」


高橋課長の表情が、わずかに…怒っている、ような…

いや、いつも通りの顔色の悪い不健康な仙人のような表情にもみえる…。


個人的なお願いと言ってはいるが、高橋課長は私に頼むのは、恐らく本意ではないのだろう。


「はい…」


とりあえず、私は厨房を気にしつつ、生ぬるい返事をした。

 ※注 水島さんは、食物に固執する傾向があるようだ。




「水島君…君の卒業した大学はたしか、X大だったね?」


「はい…それが、何か?」


久々に聞いた自分の卒業した大学の名。


特に、思い返す事もない大学生活が私の頭の中にさっと右から蘇り、ささっと左へ消えていった。


コンパとか、学食とか全く縁の無かった…勉学と家の往復だけの日々。

別に、懐かしいとか戻りたいとか…学生時代には、思い出すような出来事はこれと言ってない。

あのキャンパスライフで強烈に覚えてるのは・・・駐輪場で自転車盗まれた事、あと教授に怒られた事くらいか。



”…チクンっ”



そう・・・なんとなく、心が痛む思い出が・・・なんだっけ???




”…チクンっ”




ん?


あ、あれ?この痛みは…思い出じゃないぞ…?





昔の記憶に関わる心の痛みの他に・・・つい最近、よ〜く知ってる痛みも感じる。

…嫌な、予感が…ぞくぞくする…



私の嫌な予感を知ってか知らずか、多分知らない高橋課長は水を一口飲むと静かに言った。



「…X大学の近くには、T大がある…”城沢海さん”が通っている、女子大だ。

 ・・・知っていたかい?」


城沢海・・・聞いたことのある名前だ。

・・・うん、聞いたことのある名前だ・・・知らなきゃ良かったなとも思った事もあるくらい身近な名前だ。





「…イイエ…。」



(そして、知りたくなかったわー…その事実…)


と、私は思った。



だって・・・この流れ・・・どう考えても・・・


女難ですね?課長…女難の布石ですね!?


私に…女子大へ行けというんじゃないですよねー!?ねー?


まさか、そんな・・・解りやすい布石・・・ねー!?ねー!?何とか言って!仙人課長ッ!!


 ※注 あくまでも、水島さんの心の中の声です。




・・・落ち着け・・・私・・・!


まだ最後まで話を聞いてないじゃない!聞いてから、逃げれば良いのよ!

しかも前置きに、これはあくまでも、業務とは関係のない

高橋課長の”個人的なお願い”と言っていたじゃないの!


つまり、強制力はない!胸を張って、断れる!!


私は、落ち着きを取り戻すため、コップの水を再び口に含んだ。


そこへ良いダシの香りが。


「…おまちどうさ みゃ(ま)〜…」


(あぁ、来たか・・・・って、うおおおお!?)


いつの間にか、おばあさんが先程の腰を曲げたままで、お盆に汁物の丼を2つ載せて運ぶ…

という、危うさと緊迫感100%な状態でやって来た。


・・・何せ、彼女に”正面”という視点は無いのだ!!



つーか前向いて!おばーちゃん!お願い!首だけでもいいから!前を!!




思わず私は、立ち上がった。


ばあさんも危ないが、たぬきうどんがひっくり返ってしまっては、作り直し…

そんな事していたら、貴重な昼休みが終わってしまう!



 ※注 結局は、自分の為に立ち上がるOL・・・それが水島。




私は、少ししゃがみ込んでおばあさんの視界に入れるように努め、お盆に手を添えた。


「あのっ…持ちます…。」


「あー…あ…すいましぇんねぇ…」


おばあさんは、そういうと私にあっさりとお盆を渡してくれた。

私は、お盆の上の丼をテーブルに置いた。


高橋課長は、何故かうんうんと頷き微笑んで…いるように見えた。

・・・気が利くね、とでも言いたそうに。・・・・・・なんか、心が痛い・・・。



(・・・ん?これは・・・)



私は、自分の分の丼をテーブルに置いたところで気付いた。



(・・・・・・これ・・・海老天蕎麦だ・・・。)


テーブルの上には、海老天が”海老だよ!”と自己主張するように、蕎麦の中央に堂々と寝転んでいた。



確か、私達が注文したのは、きつね蕎麦なのだが…


ばあさんは、たぬきうどんと厨房に伝えて・・・


出てきたのは…海老天蕎麦…



・・・えーと・・・んん?・・・きつねがたぬきで海老になって・・・蕎麦がうどんで蕎麦で・・・えぇ・・・?

えーと…分離して、合体して、分離して…?




・・・もう、何がなんだか・・・訳がわからん・・・

適当なのか?ここのお店は…。深く考えちゃダメなのか?



高橋課長は動じる事もなく、割り箸をパキンと割っている始末だ。



いいのか・・・これで・・・。

いや・・・出来上がってしまったものはしょうがない。

なんかクレーム言うのも気が引けるし…むしろ、海老天蕎麦は好きな方だ。



私はとりあえず、お盆をおばあさんに返して、再び席に着いた。



「まあ・・・話は、食べながらでも、きいてくれたまえ。水島君。」


高橋課長は、割り箸を私に差し出してくれた。


「あ、ありがとうございます。」


私は割り箸を割って・・・・




”パキンッ”



・・・・・ちょっと、右側に偏って割れてしまったが・・・

…もう、いちいち気にしていられない…。


気になるのは、先程感じた”女難サイン”だ。

・・・大学と海お嬢様の話を始めた途端、女難サインだもの・・・絶対、何かある・・・


蕎麦をすすりながら、私は高橋課長の様子を伺う事にした。


・・・しかし、旨い・・・この蕎麦……ダシと蕎麦の相性が良すぎる。

歯ごたえのある蕎麦に、薄すぎず濃すぎずのダシがなんとも・・・


「・・・水島君、頼みと言うのはね・・・」

「”ずずっ…”…はい?」


「…学園祭へ行ってもらいたいんだ。」


そこまで言って、高橋課長は蕎麦に箸をつけた。


「・・・え?が、学園祭?・・・だ、大学の?」


私が聞き返すと、高橋課長はずずっと蕎麦をすすり、咀嚼した後、口を開いた。


「・・・・そう、T女大の学園祭だ。」


「…学園祭に…私がですか?どうして・・・」


「・・・君は以前、社内で暴漢から会長のお孫さんを助けたそうだね。」

 (※ 詳しくは、水島さんは仕事中 参照。) 


「いえ…あれは…ぐ、偶然です…本当に。何もしていないんです、私。」


謙遜と受け止められても困る。

あれは、本当に偶然の産物の出来事なのだ。

そもそも、女難のせいで起きたトラブルに過ぎないのだ。


だから勝手に私を凄い人扱いするのはやめていただきたい・・・のだが。



「それでも、海さんにとっては相当嬉しかったらしい・・・・と僕は聞いているよ。」



「・・・そんな話、誰からです?(そんな余計な事を言ったのは!)」

 ※注 ()は水島さんが、飲み込んだ台詞。



「宮元 龍児(みやもと りゅうじ)…会長直属の秘書だが、海さんの面倒を良く見ている人だよ。

 彼は、僕と同じマンションに住んでいてね、ご近所さんなんだ。

 休日は、よくバーベキューに招待するほど仲が良くてね…」


「…へえ…(・・・世間、狭・・・っ!)」


宮元さんと言えば、あのヤクザの若頭みたいな…海お嬢様の後ろにいた大きい人…としか印象がない。

海お嬢様が言っていたが、宮元さんはとても頼りになるボディーガードも出来る秘書なのだそうだ。

・・・そんな、ドラマみたいな人だからこそ、天下の城沢の秘書を勤め上げているんだろう。多分・・・。


しかし・・・社内の人間関係とはいえ、意外な所で繋がっているものだ。


まさか、高橋課長と、宮元秘書が・・・


それにしても・・・仙人のバーベキューってどんなだろ・・・

…もしかして、野菜オンリーかな…。豚とか鶏とか丸焼きにしてそうな気も・・・


私が高橋課長のバーベキューを想像している間も、高橋課長の話は続いていた。



「宮元君が言うには、以前の海お嬢様は、あまり外に交友関係を開きたがらなかったらしいんだ。

 それが、最近・・・大学郊外に友達が出来始めたらしくてね。

 そのきっかけが・・・」


と、そこまで言って、私に掌を向けた。

クイズの司会者のように『さあ、その答えとは!』とでも言いたげに。



「・・・・・・私、だと?」



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・その通り。」


少し間を溜めて、高橋課長は正解を伝えてくれた。



「宮元君は、君にとても感謝していたよ…。

 憧れの女性が出来た事で、周囲の人間関係に幅が広がったってね。」



「はあ、そうなんですか?(なんか・・・なんか、色々違う気がする・・・)」




「それで今度、海さんの通う大学の学園祭で、彼女がミスコンに出場するそうでね。

 ・・・宮元君は・・・是非、君に学園祭に来て欲しいと・・・」



そう言って、高橋課長は私に、学園祭のパンフレットと入場券2枚と食券3枚をテーブルに置いた。



「・・・あ・・・あの・・・私、実は・・・」


私が断ろうとした瞬間、高橋課長は一味唐辛子を手に取り、それを蕎麦に振りかけながら話した。



「宮元君の話を聞いてね、正直、僕は心を打たれたよ…

 君の人間性はあまりに謎で、普段では表に出る事は滅多に無かったからね。



 君は事務課にいるには、あまりに勿体無い程の人材だと思ったよ…。」



「・・・ぇ・・・!」




私は、体が固まった。



高橋課長・・・なんというプレッシャーだろうか。海老の味すら、脳から飛んだ。


事務課にいるには勿体無い?


…勿体無い…


私が事務課にいるには勿体無いとは…褒め言葉だろうか?

事務課に私のスペースを割いているのが、勿体無いって意味?


・・・どっち・・・?


それとも・・・『この件、断ったら営業飛ばすよ?』とか・・・そういう意味だろうか・・・!


日本独自の暗黙の2択タイム・・・?

 ※注 日本にそんな文化はありません。



高橋課長は、滅多に怒らない・・・物静かで有名な人だ。


だが、事務課には「高橋課長が怒る時、事務課から退職者が1名必ず出る」という伝説がある。


・・・・・伝説は伝説、なのだが・・・火のない所に煙はたたないというか…なんというか…。



「・・・水島君・・・一味、いるかね?」


高橋課長の低い声に、私は少し恐怖感を覚えた。



「・・・・はい・・・。」


私は、なんとか一味を受け取ろうと手を伸ばしたが・・・



”サッ”


赤い一味唐辛子が、高橋課長の手で、蕎麦に振りかけられる。



「・・・あと・・・何振り、いくかね?」


低い声で、高橋課長がそう聞いた。


その瞬間、私は・・・やはり・・・とてつもない、プレッシャーを感じた。




私の脳の中では、お祭り騒ぎに似た緊急会議が行われた。




 [ 水島さん一人会議・・・開催! ]




ありとあらゆる最悪の展開を考えよう…。


・・・・・・これは・・・断ったら・・・本当に、営業とかに飛ばされるかもしれない。


いや、まさか・・・高橋課長がそんな事を・・・


・・・でも、パワハラよ・・・


・・・でも、伝説が・・・



どうしよう・・・さっきの女難のサイン・・・この事、よね・・・


女子大なんぞに行ったら…何が起こるかは薄々解るんだけど…解りたくない!!

どうして、危険の渦に身を投じて、喜ぶなんてドM行為を、休日にしなければならないんだ!!



でも・・・もしも、ここで断って、高橋課長の怒りをかって・・・

女ばっかりの秘書課に転属!なんて事の布石だったら…どうしよう!


十中八九…阪野さんに喰われるわ…ッ!!始業ベルと共に…!!



あぁ・・・もう、こうなったら、誰かに身を任せて…いっそ、楽になってしまおうか…?


いやいや…前回、火鳥との対決で、大見栄を張った私のプライドはどこだ・・・!!


いやいやいいや・・・無いわよ!プライドなんか!あの時だけ!




本当は、自分の身が、可愛いわよ!愛おしいわよ!愛しさと切なさと心弱いのが私なのよ!!




・・・・って落ち着け!自棄になるな!!・・・私の中の私・・・!!





もう・・・何がなにやら・・・(泣)


ドン詰まりだわ・・・・




 [ 水島さん会議・・・結論でないまま 終了。 ]







「・・・・水島君?」


高橋課長に声を掛けられ、ハッとした。

ああ、なんという無駄な時間を…!!



「あ・・・いえ・・・あの・・・ふ、2振りで…お願いします…。」




私は焦るあまり、殆ど無意識でその台詞を口にしていたと思う。

一味を口に入れてもいないのに、汗がじんわり出てくる・・・。


どう断る?いや、断ってもいいのか?どうなる?私はどうなる?

そんなバカの考えに私は踊らされ続けた。



なおも、高橋課長の”口撃”は続いた。



 「それで、水島君…」



”サッ!”


一味の赤い雨。


低い声。



 「日曜日…」



”サッ!”



一味の赤い雨。


低い声。




 「・・・行ってくれるかね?学園祭。」




・・・・・・・・・・・。




「はい・・・い・・・行っちまいます・・・私・・・暇、持て余しておりますが故に・・・ははは・・・。」


※注 只今、水島さんのプレッシャー耐性が許容範囲を越えましたので、日本語がおかしくなっております。ご了承下さい。




・・・私は負けた。



目先の上司のプレッシャーに負けたのだ。

断る事なら出来ただろうが…それが出来ない、悲しき小心者のOLの性質…。



社員旅行の反省と教訓を生かせないまま…私は地獄行きの切符を手にしたのだ…。



女難のサインが出ていたのに…どうして・・・毎回毎回・・・こうなるのよッ!!



 ※注 自分のせい。





「あ〜のぉ・・・」


私達のテーブルに突如、またあのおばあさんがやって来た。

やはり、腰は曲げたままだが、手に何かを持っている。


「ん?」



「・・・これは・・・おみゃふぇ(オマケ)です・・・・」



そう言って、テーブルに『漬物の盛り合わせ』を置いた。

茄子や胡瓜、白菜・・・私の好きなものばかりだ。


オマケと聞いて、普段ならラッキーと喜ぶのだが・・・今の私の状況が状況だけになんか…喜べない…。



「おお、良かったな、水島君。」


位置的に、漬物の器は、私の方に寄って置かれているので、高橋課長はそう言ったのだ。



「・・・え?わ、私ですか?」


私が、おばあさんにそう聞き返すと、おばあさんはやはり腰を曲げたまま


「・・・先程はありがとうございました・・・」


と言った。



先程・・・?・・・ああ、丼を運んだ事か…。



「あ、いえいえ・・・お気になさら、ず・・・」



私は少し、違和感を覚えた。

おばあさんの頬が・・・気のせいか・・・桜色に染まっている・・・?



・・・・・・まさか・・・さっきの・・・・・



「・・・本当、若い人に親切にされると・・・年寄りは、嬉しいもんですよぉ…」



そう言って、おばあさんが私の手をグッと握り、拝み始めた。



「はぁー・・・ありがたや、ありがたや・・・」



「・・・・う゛っ!?(…拝むなッ!頼む!仏じゃないのよ!私ッ!死んでもいない!)」


「…本当、若いと肌の張りが違いますなぁ・・・ぐほぉぐほぐほ・・・」



仏扱いされた挙句…不気味な笑い声に私はすっかり、固まった。

気のせいだろうか・・・掌から精気が吸われていくようにも思う・・・。



・・・あれ・・・本当に、力が抜けてく・・・。

・・・箸が・・・重い・・・。





嘘…。


嘘だ…。



・・・・・・ば、ババァ(暴言)も女難入りだというのか・・・?


女難に、年齢制限は無いのか・・・っ!?つーか、何なの?この女難っ!!女難ってなんなのっ!?



 ※注 女性は、いくつになっても、女性であり、女難です。(作者の自論)



おちおち、私…老人ホームも行けないの!?・・・別に行かないけどさっ!!



ていうか、私の女難センサーしっかりしてえぇ!!最近役立たずの極みよーッ!!

もうセンサーの下りなんて無くても、話進んじゃうじゃないのよッ!!




 ※注 作者も反省の極みです。





心の中で絶叫する私を置いて、海老天はふやけ、蕎麦はどんどんのびていった。



「ほぉっほぉっほぉっ・・・」


「・・・ぐほぉぐほぐほ・・・」


不気味なバルタン星人ような笑い声の二重奏が、蕎麦屋に響く。



逃げ場は無い…毎度の事ながら、自分で自分が嫌になる…。



気分は、更にげんなりしていった。




・・・こうして。



私は、女難の女でありながら、女子大という魔窟へと潜入するハメになってしまったのだった。









「それにしても・・・どうしよう・・・」


私は部屋の中央でタバコを咥えつつ、テーブルの上の紙を見つめ悩んでいた。




私の頭を悩ませるのは、入場券が”2枚”ある事だった。



高橋課長は”誰か誘って行くといい”と余計な気を利かせて、私に2枚くれたのだった。






 ・・・・・・誰かって・・・・・・誰もいないわよ・・・・・・・・・。





ここで、普通ならば…誰かを誘うのだろうが。


私は、女難の女だし、友達もいない。



・・・この間まで、いたには、いたけれど・・・出来た途端、数十分で失ったばかりだ。


そういえば、来週は病院に行かないと・・・。

でも、気まずいな・・・。



いや、今はそれよりも。



「・・・今は・・・目の前の女難を乗り切ろう・・・。」






私は、一人頷くと、入場券の1枚を破り捨てた。









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