--> --> -->





「・・・ただいま・・・」

ひどく疲れた低い声が、玄関から聞こえた。


「・・・おかえりなさい、お父さん。すぐ御飯にする?」


「ああ、悪い。お父さん、済ませてきたんだ。風呂に入るよ・・・もしかして、お前、まだ入ってないのか?」


汗を拭きながらお父さんがとても疲れた顔で、廊下をのそのそ歩く。


「あ、うん。でも、別にいいよ、お父さん先入っても。・・・なんか・・・大学、大変そうだね?」


”まあなぁ”と呟きながらも、お父さんは仕事の愚痴をこぼさない。疲れたとは何度も言うけれど、それ以外の愚痴はこぼした事はあまり無い。

お父さんのカバンを持って、私はお父さんの部屋に持っていく。お父さんは疲れた顔のまま、風呂場へとのそのそ歩いていく。

でも途中でピタリと足を止めて、私にこう聞いた。


「そういえば・・・優貴は?」


優貴さんがガラスで手に怪我を負った事を、私は黙っていた。

(・・・そういえば、結構深かったし、大丈夫かな・・・)

お父さんにも話そうかとも思ったが、優貴さんの事だから、余計な事は言わないでなんて言われそうな気がしたからだ。


「・・・部屋にいるけど?」


私の答えにお父さんは振り返って、こう聞いた。


「そうか・・・その・・・どうだ?優貴とは、仲良く・・・やっているか?」


その言葉は、もっと早く聞きたかったな、と内心思った。けど、そこがお父さんらしいな、とも思う。

でも・・・一応、お父さんなりに私達の事を気にしていてくれたみたいで、安心した。


仲良く・・・うん、仲は良い。・・・良過ぎて言えない事もしちゃったけれど・・・。


私は、笑って答えた。


「うん。仲良いよ。・・・だって、優貴さん、優しいんだもん。」


思い返せば。

優貴さんと初めて出会った時、異母姉妹だと聞かされて・・・

ただ笑ってその場の空気の気まずさをごまかし、良い子のフリしかしなかった私に対して、優貴さんは、ずっと私に優しく接し続けてくれた。

そんな優貴さんの優しさと言葉があって、今の私がいる。


「今はね、料理も教えてもらってるし、優貴さんの味付け好きだし、教え方も優しくって・・・だから、料理だけじゃなくって、そのうち、勉強とかも教えてもらっちゃおうかなって・・・」

笑いながらそう話す私にお父さんは、ぴしゃりと言った。

「優貴に、あまり甘えたりするんじゃないぞ?優貴も大学生なんだから、やる事はあるんだしな。自分で出来る事は自分でしなさい。」

私は優貴さんの話に水を差されて、少しムッとして言い返した。


「・・・冗談だって。わかってるよ、そのくらい。・・・大体、そんなのお父さんに言われる筋合いないし。」


私の言葉に、お父さんは明らかに表情を変えた。


「なんだ?それは・・・。」


不機嫌そうな声で聞き返すので、こちらも不機嫌いっぱいの声で言った。


「・・・優貴さんの事、今まで放っておいたクセに。」


優貴さんのお母さんが亡くなって、優貴さんが家に来るまで、お父さんは優貴さん達の事を一言も話さなかった。

優貴さんは気にしてないって言ってたけれど、父親がいないなんて、本当は寂しかったんじゃないかと思う。

お母さんとの写真立てを壊してしまっただけで、優貴さんはあんなに悲しそうな表情をするのに・・・。

・・・さっきのガラスの件が尾を引いて、思わず言ってしまった私の棘のある言葉にお父さんはもっと怒るかと私は思っていた。

だけど、お父さんはふうっと溜息をついて力なく答えた。


「・・・・・・お父さんだって、放っておこうと思って、そうしていた訳じゃない。・・・知らなかったんだよ。・・・色々、あるんだよ。」


色々ある、で済まされる問題じゃない。私は、ついムッとして即座にお父さんに言葉を突きつけた。


「そういう大人の事情で、一番迷惑するの、子供なんだからね。」

「・・・ああ、すまないと思っているよ・・・お前達には・・・。」


お父さんは、そう言うと一層疲れたような顔をして浴室に入っていった。


(ちょっと・・・責め過ぎたかな・・・。)


疲れて帰ってきた父親に、過ぎた事を子供がこんなに責めるのは、ちょっとかわいそうだったかも、と思った。

というのも浴室に入っていくお父さんの後ろ姿が、いつになく寂しそうにも見えたのだ。


でも、正直言うと、やっぱり子供の立場としては、”色々ある大人の事情”とやらが、気に入らない。


・・・心境は、やはり複雑なまま、だ。


「悠理。」


階段の方から声がするので、振り返るとこちらを覗き込むように見ている優貴さんの顔が見えた。


「・・・優貴さん?」

「・・・ゴメン、ちょっと部屋来てくれる?」


そう言って右手を見せた。私がさっきしっかり結んだ筈の包帯が緩んで取れかかっていた。


「・・・ちょ・・・っと・・・包帯、解けてるじゃないですか・・・っ!?」

「うん、取れちゃった・・・。」


私の言葉に優貴さんは苦笑して言った。

意外と抜けてる所があるのか、それとも・・・やっぱり今日の優貴さんは少しだけおかしいのかな、そんな気がした。


「もう、”うん”じゃなくて・・・!今、行きます!」


私が階段を上がって、救急箱を手に優貴さんの部屋に入る。


「なんか、ゴメンね・・・」


優貴さんはそう言って、私を部屋の中に入れるとドアを閉めた。


「いいですよ、さあ、座って下さ・・・っ!?」


いきなり、怪我していない方の腕で、私は力一杯後ろから抱き締められた。

優貴さんの指が、まるで私の肌に食い込むように、私の肩を力強く掴んだ。


「悠理・・・」


少し低い声で囁かれる私の名前は私のすぐ耳元で。唇の柔らかさが、私の耳の軟骨を少し優しく挟む。

「優、貴さ・・・!」

瞬時に熱が身体中に広がり、私は救急箱を床に落としてしまった。

ガタンという音と共に、私は優貴さんの顔を見ようと振り返る。その時を待っていたかのように、優貴さんの唇が私の唇に触れ、きつく吸われていく。

僅かに開いた唇の間から、優貴さんの舌が私の口の中に入ってくる。

それが、こんなにも突然の事なのに、少しも嫌ではなく・・・私は自分でも驚くくらいあっさりとそれを受け入れてしまっていた。

呼吸の為に一旦唇を離した優貴さんに、私は優貴さんの右手をそっと触りながら言った。


「・・・包、帯・・・」

”巻きなおさなくていいんですか?”・・・その先を優貴さんは言わせてもくれなかった。


繰り返されるキスと優貴さんの左手に、どんどん私の身体の力は抜けていく。

怪我人のする事じゃない、と私は何度も優貴さんの右手に触れたが、優貴さんは構わずに私にキスをし続けた。

長いキスが終わると、私は優貴さんの部屋の中央に寝かされていた。

私を上から見下ろす優貴さんの髪の毛が私の素肌に触れて、それが少しくすぐったくもあり、気持ち良いとも感じる。


「悠理、私の事・・・好き?」


何を今更、と思って私は瞬きをした。

でも、優貴さんの真剣な眼差しに、私は答えた。


「・・・好きです。」

「じゃあ、もっと・・・強く握って。」


そう言って、優貴さんは怪我をしている右手を私の左手に乗せた。怪我している手を強く握るなんて・・・。


「でも・・・怪我してるのに・・・」

「平気。」


戸惑う私の言葉に優貴さんはそう言って微笑んだ。・・・怪我なんてしてないみたいに。


「・・・で、出来ないよ・・・平気なんて言ったって・・・ホラ、血が滲んで・・・」


血は、緩んだ包帯にまで滲んできている。

やっぱり、明日病院に行った方がいいんじゃないかって私は言おうとしたが。


「平気。だから、お願い。」


優貴さんのお願いに私は逆らえなかった。

指を絡めて、少しだけ握る。


「・・・・もっと・・・強く・・・」


そう言われて、恐る恐るもう少しだけ左手の力を込める。

・・・でも、これ以上強く握ったら、本当に怪我が悪化しちゃうような気がする。


「でも・・・」

私は心配で、優貴さんの右手をジッと見た。


「悠理、お願い・・・変に気遣わないで。もっと強く握って。」


その言葉に私がふと優貴さんの顔をみると、一瞬、悲しそうな目をした優貴さんは、私からふっと目を逸らした。

そして、いつもの微笑みに表情を・・・”整えた”。


「・・・優貴、さん・・・?」


やっぱり、今日の優貴さんは・・・変だ・・・。

いいや、変と言うよりも・・・もしかして・・・前から・・・



「・・・ねえ、優貴さ・・・」


私が、何かを言おうとすると、私のポケットの携帯電話が鳴った。電話の着信音なので、私は切れるのを待ったがなかなか切れてくれない。


「・・・・・・どうやら、メールじゃなくて電話、みたいね。出た方が良いんじゃない?」

「・・・うん・・・」


優貴さんはそう言って、私の上から身体をどけると緩んだ包帯を外し、自分で消毒をし始めた。

私はそれを横目で見ながら、電話に出た。


「・・・もしもし?」

『私、瑞穂。メールより、電話の方が早いと思って連絡した。』


いつになく早口の瑞穂に対し、ぼうっとしたままの返事をする私。


「あ、うん・・・で、何?」


だけど、瑞穂から聞かされたのは、衝撃的な言葉だった。


『・・・望実が刺された。私は今、病院にいるんだけど。』


「・・・・・・マジで、言ってるの?」


だとしたら、笑えない。大体、瑞穂の言う事は・・・今回の言い方だって、冗談に聞こえない。・・・冗談であって欲しいのに。


『冗談に聞こえる?だったら私でも、もう少しマシな事言うわよ。』

「・・・・・・いつ?誰に?だ、大体、どうして・・・望実が・・・?」


一瞬、目の前がグラリと歪んだ気がした。


(だって・・・望実・・・今日の昼間、電話で話したのに・・・!)


あんなに元気で、私の事を気遣ってくれたのに・・・。

身近な人間が、親しい友人が、そんな事件に巻き込まれるなんて・・・。

私は、まだ瑞穂の言葉が信じられないでいた。


『わからない。刺された時、望実と一緒にいた奴は、今警察に事情聞かれてるし、わからない事だらけ。・・・とりあえず、瀬田にも知らせておこうと思って。』

「・・・うん・・・ねえ、どうして瑞穂が病院にいるの・・・?」


私は必死に冷静になろうと努めた。瑞穂が冷静に説明してくれている御蔭で、なんとかパニックを起こす事にはならなかったが・・・。

だけど、頭に浮かんでくるのはどうして、望実がそんな目に合わないといけないのかという疑問だけだった。


『まあ、望実と一緒にいた奴に呼び出されたってのもあるんだけど・・・一回、望実の親の顔、拝んでおこうと思って、まだいるってワケ。』

「・・・まだ、来てないの?」

『呆れるだろ?自分の娘が重体かもって時に、連絡がつかないんだと。まあ、なんか事情があるかもしれないんだろうけど・・・。』


瑞穂の言葉に私は立ち上がった。


「・・・私も行く。病院、どこ?」

『瀬田、時間も遅いし、やめておいた方がいいよ。私が事情聞いとくからさ。』


冷静に説得しようとする瑞穂に私は言った。


「だって!望実が、友達がそんな目にあってるのに、ジッとなんか、できないよ!」

「・・・望実ちゃんが、どうかしたの?」


優貴さんが、私の肩に手を置いて尋ねた。

私は堪えていた涙を零して泣きながら、優貴さんに抱きついた。


「望実が・・・刺されたって・・・!優貴さん、どうしよう!?望実が・・・望実が、死んじゃったら・・・どうしようッ!?」

「落ち着いて、悠理。・・・ちょっと、ごめんね・・・」


状況が飲み込めない優貴さんは、私から左手で電話を取り上げると瑞穂と話し始めた。


「もしもし?代わりました・・・あ、瑞穂なの?うん、私よ。刺されたってどういう事?・・・ああ、そうなの・・・。

で・・・望実ちゃんの容態は?・・・うん・・・そう、わかったわ・・・ええ・・・悠理は、私が連れて行くから。大丈夫よ、父も反対はしないでしょう。じゃ、後で・・・。」


優貴さんは、電話を切ると私の頭を撫でながら言った。


「望実ちゃんは、きっと大丈夫よ、さあ準備してらっしゃい。その間、私がお父さんに事情を話して来るから。」

「・・・はい。」


優貴さんに促されて、私と優貴さんは望実が搬送された病院へ行く事になった。




望実のいる病院までは、タクシーで行く事になった。

早く着けばいいのに、と焦る私の手を車中で優貴さんはずっと怪我をしている右手で、優しく握ってくれた。

落ち着いてと言いたそうな優貴さんの目が、私を捉えた。

私はタクシーの中で、優貴さんの右手の包帯を巻き直した。

「・・・大丈夫よ。きっと、大丈夫。」

優貴さんはそう言った。私はその言葉に頷くだけ、それでも、心配は拭い去れなかった。


(・・・望実・・・。)


昼間の元気な望実の電話の声を思い返しながら、私は窓の外を見た。

空にあるのは・・・まぶしいくらいの光を放つ、満月だった。






望実が搬送されたという病院に着くと、私はドアを開けた。

パトカーが一台、駐車場に止まっているのを見つけてしまった私は、もうその場に居ても立ってもいられなくなった。

走り出した私の後から、タクシーの会計を済ませた優貴さんも走ってくる。


望実は大丈夫だろうか。一体、望実の身に何があったんだろうか。わからない事だらけの中、不安だけが次から次へと襲ってくる。

夜の病院は暗くて、所々明かりがついている位で、人気も無く驚くほど静かだった。

息を切らせて望実のいる場所へ行こうとロビーを走ろうとした矢先、瑞穂が先に私を見つけて手招きをした。


「瀬田、こっちこっち。」

「瑞穂!望実は・・・!?」


私が駆け寄り、瑞穂は片手にペットボトルの水を持ちながら、赤い眼鏡をくいっと人差し指で上げて静かに言った。


「望実の手術は終わったよ・・・病室、こっち。」

「それより、大丈夫なの!?望実は・・・!」

「・・・うん、出血多かったみたいだけど、命に別状ないって・・・ひとまず、大丈夫、だって。」


その言葉を聞いて、私はその場に力が抜けていき、ぺたりとしゃがみ込んだ。


「・・・良か・・・ったぁ・・・!」


自然と溢れ出してくる涙、私は手で顔を覆った。・・・望実が生きている。それだけで、安心した。


「瀬田・・・」


「・・・悠理。」

その場に座り込んだ私の腕を掴んで、立たせてくれたのは、優貴さんだった。


「・・・悠理、早く望実ちゃんの所、行ってあげなさい、ね?・・・一応、面会、出来るのよね?瑞穂。」


優貴さんは冷静だった。泣いてばかりの私とは大違いで、瑞穂と話を進めていく。


「え・・・ええ・・・ただ、まだ麻酔効いてて、話は出来ないけど・・・どうする?瀬田。」


瑞穂の問いに私は、涙を拭って言った。


「・・・顔だけでも見たい・・・。」

「・・・わかった、こっちだよ。」


私と優貴さんは、瑞穂の後ろについていった。


「でも、どうして・・・望実が、刺されたりなんて・・・」


私がそう聞くと、瑞穂は少し迷いながらも答えてくれた。


「私も・・・ちょっと話聞いただけだから、これが確かな情報かどうかわからないけれど・・・

なんか・・・付き合ってる男と別れたがってる女の子の付き添いをしたのが望実で・・・

それで、別れ話を切り出したら、逆上した男に望実が刺されたって事、みたい・・・。」


「・・・そんな・・・そんな・・・望実、関係ないじゃない!!」

「まあ、そうなんだけど・・・望実は、そういう事によく首突っ込む所あったから。

私は単に、望実は家に帰るのが嫌で、遊びまわってるだけかと思ってたら、実は全然・・・。」


瑞穂はそこで口を閉じた。


「それ・・・どういう事・・・?」


「友達の悩み相談とか、割と真面目に乗ってたみたい。・・・今回の事だって、放っておけなかったんだろうね。」


「でも・・・だからって・・・!」

「うん、まあ今回のは・・・さすがに、ね・・・。」


望実は、ただ他人のもめ事に巻き込まれただけ・・・?別れ話の仲裁に入っただけで・・・

たったそれだけで、どうして望実が傷付かなくちゃいけないの?


私の心の中はそんな思いで一杯だった。


「で、その刺した犯人は、捕まったの?瑞穂。」


優貴さんが歩きながら、瑞穂にそう聞いた。


「いや、多分、まだだと思う。・・・けど、刑事さんが来て、色々聞いてったし、捕まるのも時間の問題だって言ってた。」

「そう・・・早く捕まると良いわね・・・」


私は、その会話の間黙っていたが、早く犯人が捕まれば良いと思っていた。

絶対に、絶対に、許せない・・・。


・・・それに、こんな事に巻き込んだ望実の友達だって・・・!

私は、こんな事件に巻き込んだ望実の友達を見つけたら、怒鳴りつけてやろうかなんて事を考えていた。


望実のいる病室には、女の子がいた。

私は、黙って近付いた。まず、その子を、怒鳴ってやるつもりだった。


・・・・・だけど。


その女の子は、泣いていた。望実の手を握り締めながら、泣いていた。


「み、瑞穂・・・!」

「・・・晴美、落ち着いたかい?こっちは、瀬田とそのお姉さん。望実の友達だ。飲み物、買ってきた。少し休んで・・・」


瑞穂が声をかけると、その女の子はまたボロボロと泣きだした。服には、血が付いていた。・・・多分、望実のものだ。

ずっと泣いていたのか、目は真っ赤で。


「ど、どうしよう・・・どうしよう・・・あたしのせいで・・・あたしのせいだよ・・・あたしが・・・あたしが・・・全部、悪いんだあぁッ・・・!望実ぃ・・・っ!」


その声は掠れていた。


「あたしが・・・あたしがあんな相談しなきゃ・・・望実は・・・!」


望実の手を握りながら、晴美という名前の女の子は声を上げて、また泣いた。

瑞穂は、晴美という名の女の子の背中をさすりながら、なだめるように言った。


「・・・落ち着いて。誰のせいとか、そんなの責めたって、仕方ない。・・・ほら、とりあえず水飲んで、落ち着いて。」


瑞穂はそう言って、晴美という女の子に水を飲ませた。

私は、彼女を怒鳴る気も何も一気に失せていった。


望実の事を巻き込んでしまった事を、心から悔やんでいるように見えたから。

それに、私が怒鳴っても望実が喜ぶ訳も無いと、想像できた。もし、望実の意識があれば『そんな怒鳴らなくてもいいじゃん』なんて、言いそうな気がした。


私は、ゆっくり望実の寝ているベッドに近付いた。


ベッドで寝ている望実は静かだった。

昼間や学校で見かけるいつもの望実からは考えられない程、静かに静かに眠っていた。


 『悠理!』


いつも元気な声で笑って、くだらない冗談を言う口は閉じたまま。

いつもお菓子を差し出して、人が元気の無い時に限って声を掛けてくれて・・・。


望実は眠っているだけで、無事なんだと解っていても、望実の静かな寝顔を見ているだけで、知らず知らずの内に涙が溢れてくる。


「望実・・・!」


震える私の肩に、優貴さんがそっと手を置いた。私は、優貴さんの胸に飛び込んだ。私の泣き場所は、そこにしかなかった。

優貴さんは私の背中を擦りながら「大丈夫、大丈夫」と小声で言った。


「あの・・・どちら様?」


突然、私達の後ろから不機嫌そうな声が聞こえた。

立っていたのは、不機嫌そうな顔をした中年の女性で、こちらを睨むような目つきだった。

格好はとても派手で、水商売の人だという事がわかった。キツイ香水に、お酒やタバコの臭いもする。


「・・・私達は、望実さんの友達です。」


瑞穂の言葉に女性は、ふうっと溜息をつくとこう言った。


「・・・こんな時間まで出歩いていて、あなた達の親は、何も言わないの?」


それは、とても棘のある言い方だった。まるで、ここにいては迷惑、みたいな言い方だった。そんな中、優貴さんが口を開いた。


「親の許可は得て、ここへ来てますのでお気遣いなく。あの、望実さんのお母様ですか?」

「そうだけど?何か?」


(・・・この人が、望実のお母さん・・・?)


私は少々、びっくりした。とてもこの人が、望実のお母さんとは思えなかったからだ。・・・特に態度が。


「悪いけど、お見舞いなら、別の日にしてくれるかしら?仕事中に警察に呼び出されたと思ったら、まだ話があるとかで、忙しいのよ。

・・・まったく、こんな事件に巻き込まれるなんて、夜遅く出歩いてるからよ。自業自得もいい所だわ。」


ツカツカとやってきて、ベッドで寝ている望実を見て、額に手を置くと望実のお母さんは、そのまま”ぺチン”と額を叩いた。

私は、それを見て呆気にとられた。


「・・・だ〜か〜ら、夜遊びすんなら気をつけろって言ってたのに。本当に、親にどこまで迷惑をかければ気が済むのかしら。

このご時勢、入院費だって馬鹿にならないってのに・・・。今度馬鹿やったら、帰って来ないでいいわよ、この馬鹿。」


「・・・・・・・・・・。」


それだけ言うと病室の出口にツカツカと歩き出した望実のお母さんに向かって、私は声を張り上げて言った。


「そ・・・そんな言い方、無いと思いますッ!!」


あんな言い方、しなくたって。望実だって好きでこうなった訳じゃない。友達の相談にのって、巻き込まれただけなのに。

望実がどうしてここにいるのか。私達がどんな思いで望実を心配してるか。親なのに、この人は、望実の親なのに・・・!


私の声に、望実の母親はゆっくり振り向いて、こちらを睨んだ。


「・・・はぁ?何が?」


それでも、私は言いたいことを口にした。


「望実は、馬鹿なんかじゃありませんッ!普段から、明るくて、友達思いで・・・!」

「・・・ああ、はいはい・・・ソイツ、愛想はいいからね。どうもね〜。」


そう言って、望実の母親は、私の言葉の途中で面倒臭そうに、背中を向けてしまった。

こちらの言いたい事は全然聞く気がないらしく、とっと面倒な事を済ませてしまいたい、そんな態度丸出しだった。

私達は、そんな母親の後姿をみて呆気にとられるしかなかった。


ところが。


「・・・母親失格って、ああいう人を言うのね。」


そんな軽蔑の言葉を吐いたのは、優貴さんだった。勿論、そんな言葉に望実の母親は振り向いて私達を睨んだ。


「・・・・・・なんですって?今、誰が言ったの?」

「私です。」


優貴さんは一歩前に出て、今までに見た事もないような怖い顔で望実の母親を見ていた。


「・・・初めて会う人に対して随分な言い方じゃないのよ。礼儀も知らないの?」

「いえ、私も初めて出会う最低な母親だったもんですから。つい、礼儀も何も忘れました。」


「ゆ、優貴さん・・・!」


先に言い出したのは私だけど、さすがにこれは止めた方が良いと私は優貴さんの腕をとった。

・・・だけど、優貴さんはひるまなかった。更に一歩踏み出した。


「私がどんな思いで、娘育ててるか知ってるわけ?何も知らない赤の他人に母親失格なんていわれる筋合い無いわよ。」

「・・・赤の他人にそこまで言われるような事なんですよ。今、アナタの言った事は。」


「はぁ?」

「家族のクセに、どうしてこうなったのか、何も知ろうともしないで馬鹿の一言で済ませるようなアナタなんかに望実ちゃんの何がわかって、何をどうだと言えるんですか?

単に自業自得だ、馬鹿だって、決め付けるだけなら、赤の他人でも、誰でも出来る事なんですよ。」


私は瑞穂は思わず、互いの顔を見合わせた。いつになく、優貴さんが怒っている事だけは確かで・・・。

それに対し、どうする事も出来ず、私達はただ様子を見ていた。


「・・・あ、アナタこそ、何様なのッ!?家には、家の方針があるのよ!いちいち娘のやる事に口出さないだけなの!」


「じゃあ何故、望実ちゃんが毎晩のように、街を出歩くのか解ります?家族のいる家が本来、望実ちゃんの帰るべき・・・帰りたい場所の筈でしょう?

なのに、望実ちゃんは帰らない。私は、アナタにお会いして、ようやくその原因がわかりました。望実ちゃんは”帰りたくない”だけなんですよ。

あなたの家の方針がどうのこうの関係ないんです・・・ていうか、笑わせないで下さいよ。

そんなの自由でも、放任主義でも、なんでもない。只の”ほったらかし”って言うんですよ。・・・日本語、わかります?」

「・・・・・・・・っ!」


優貴さんの言葉に、望実の母親は言葉に詰まった。更に優貴さんは、口を開いた。


「・・・お話を聞く限り、アナタは望実ちゃんの事を何もわかっていない事が、よくわかりました。

望実ちゃんがしてきた事も、彼女が傷付いた時に涙を流す友人が何人いるかだって、知らないでしょう?

赤の他人が泣いて、家族が泣かないで治療代の事を嘆くなんて・・・本当にアナタは良い家族ですね。」


(・・・・・・優貴、さん・・・!?)

驚くほど流暢に棘のある言葉で、優貴さんは望実の母親をねじ伏せていった。


「さ、さっきから、偉そうに言いたい放題言って、アナタなんかに何がわかるのよ!?」


「わかりますよ。アナタには、望実ちゃんの母親の資格がないって事がね。

娘の事も考えずに、治療代の事にわめくだけしか出来ない、只の赤の他人に等しい存在でしょう?違います?」


「な、なんですって・・・!?言わせておけば・・・!」


顔色がかあっと赤くなったかと思えば、望実のお母さんは優貴さんに掴みかかった。

怪我をした右手を思い切り握られて、優貴さんは苦痛に顔を歪めたが、力で押し返そうとしていた。

さすがに、止めた方が良いかもしれない。・・・いや、誰か呼んで止めた方がいいかもしれない。

私は瑞穂の方を見たが、瑞穂は落ち着いた様子でそれを見ているだけだし・・・。


「あ、あの!2人共!やめて・・・!」


私が思い切って2人の間に入って止めに入ろうとすると・・・


「・・・あーこらこらやめなさい・・・警察です。」

病室の出口には、スーツ姿の疲れた感じのおじさんが頭をポリポリかきながら立っていた。


「ちょうど良かったわ!刑事さん!この女をどうにか・・・!」


望実の母親がそんな事を言うので、私も思わず口を開いた。

「さ、先に掴みかかってきたのは、あっちです!」


「いや・・・悪いんですが、ちょいと話を聞かせてもらいました。・・・いいですかね?奥さん。」

「・・・・・・・は?」


刑事のおじさんは、頭をかきながらゆっくりとこちらに歩きながら話を始めた。


「あのねぇ・・・こう言っちゃなんだけど、おたくの娘さんは、確かに素行は決して褒められたモンじゃない。あなたの言い分もわからないでもないです。

・・・しかしですな、現に街には、孤独や悩みを抱えた子供達がいっぱいいるんですよ。それに漬け込んで大人が犯罪へ誘い込むのも珍しくは無い訳です。

だけど、自分の子だけは大丈夫、そう思ってる親御さんがいっぱいいて、自分の子の小さなSOSに気が付かない。まあ、むずかしい年頃ですからな。」

「そ、そんなのわかってます!」

「・・・でも、知ってましたか?周囲の話をよくよく聞くとですな・・・おたくの娘さんは、そういう子達の受け皿的な存在だったんですよ。

悩み相談に乗ったり、人から頼りにされていたんですよ。立派じゃないですか。

おたくの娘さんがいなかったら、街で孤独を抱えるたくさんの同年代の女の子達が、悪い大人達の餌食になっていたかもしれない。

確かに、家にも帰らずに、人の為に夜の街を歩き回っていたのはあまり褒められた事じゃない。

しかし、しかしですな、裏を返せば、孤独で、悩んでいたのは、あなたの娘さんも他の子供達と同じって事なんじゃないんですかね?

だから、自分と同じように孤独な子や悩んでる子を放っておけなかった。それを考えるとですな・・・」


(望実・・・そうだったんだ・・・)

そこで私は、やっと・・・望実の”一面”を知った。今までずっと望実が見せなかった・・・いや、私が見ようともしなかった一面。


刑事さんは、優貴さんの方をチラリとみてから、言葉を続けた。


「・・・そっちのお嬢さんの言う事も一理あるんですよ。

親であるあなたに娘さんを叱る権利はあっても、ですな・・・今まで放っておいた上で、娘さんを馬鹿だ、なんだと決め付ける必要はないんじゃないですかね?

大体、娘さんは犯罪に巻き込まれたんです。素直に心配してやんなさい。

帰る場所を作ってあげられるのも、娘さんの悩みや孤独を埋める事が出来るのも、あの子の親も、あなただけでしょう。それをあなたは、考えもしなかったのは事実でしょう。

・・・さあ、もう一度、その目でよく見て、考えてやってください。

おたくの娘さんの為に心配して駆けつけて涙を流す・・・そんな良いお友達が、あんなにたくさんいるんですよ。」


そう言って、刑事のおじさんは私達を指差した。


「私はね、これを誇りに思っても良いと思いますがね・・・違いますかね?

・・・それなのに、あなたは怪我を負った娘さんを馬鹿だと一言で現し、涙ひとつこぼさない。それが家族ですかね?

奥さん。あなたにとって、家族とは・・・娘さんの存在は、そんなもんなんですかね?

その家族の為にあなたなりに頑張ってきたんでしょう?それなのにそんな言い方しちゃあ・・・娘さんはさぞ悲しいでしょうなぁ。」

「・・・・・・・・・・。」


刑事のおじさんの言葉で、望実のお母さんは完全に何も言えなくなっていた。


「お嬢さん。」

「・・・私、ですか?」


刑事さんは、ふと私達の方を向くと優貴さんに声をかけた。


「・・・お嬢さんのさっきの言葉、その歳でそれだけ言うのは、勇気のいる事だ。いや、ビックリしました。

それだけ、家族に対して・・・余程、思い入れがあるんでしょうな。貴女の家族はさぞステキな・・・」

「思った事、そのまま言っただけです。」

(・・・優貴さん・・・?)

まるで、刑事さんの言葉を遮るような言い方で、優貴さんは腕を組んだ。


その表情は・・・無表情、だった。

一切、何もかもを消し去った・・・そんな表情。


それは、私が初めて見る優貴さんの表情だった。


「そうですか・・・いや、これは失敬。・・・さあ、奥さん娘さんの手でも握ってやんなさい。」


望実のお母さんは、そのまま刑事のおじさんに促され、望実のベッドの傍に座らされ、まだ色々話しているようだった。


・・・やがて、望実のお母さんは泣きだしてしまった。


「望実の親も見れたし、後は刑事のおじさんに任せて・・・私達は、明日、また来よう。」と瑞穂は言った。


それを聞いた私達も、さすがに邪魔だと思ったので、病室から退散する事にした。



「・・・そうだね。えーと・・・」私は、もう一人の望実の友達の方を見た


「・・・晴美。」

「うん、晴美ちゃん、良かったらさ、待ち合わせして、私達、一緒に望実のお見舞い行こう?」


「でも、私のせいだし・・・私、きっと望実に恨まれても仕方ないし・・・。」


そう言って、下を向く晴美に私は昼間の望実の言葉を借りて、こう言った。


「・・・『そんなのわかんないじゃん』・・・ていうか、良いに決まってるよ。」

「・・・・・・・。」


私の言葉に瑞穂も同意してくれた。

「うん・・・瀬田の言う通りだ。望実なら、きっと笑顔で迎えてくれる。友達なんだからな。」

瑞穂がそう言うと、晴美という子はまた泣き出した。


私達はメルアドを交換して、望実のお見舞いに行くと言う約束をして別れた。





帰り道、タクシーを捕まえようとしたが、なかなか捕まらなかったので、歩きながら私と優貴さんは帰っていた。




「・・・早く、犯人捕まるといいわね。」ふと、優貴さんがそう言った。

「うん・・・・・・ねえ・・・優貴さん・・・。」

「・・・ん?」


私は思い切って優貴さんに聞いた。


「・・・どうして、望実のお母さんに、あんなに怒ったりしたの?」

「・・・・・・・え?そんなに・・・私、怒ってた?」


「うん、すごく怒ってた・・・。」

「・・・そう?悠理だって怒ってたじゃない。」


確かに私も怒ったけど・・・でも、優貴さんのアレは、その比じゃないと私は思う。


「・・・そうね・・・多分・・・」

「・・・多分?」


「・・・私は、家族を放っておいたり、ないがしろにするような人が、どうしようもなく、嫌いなんでしょうね・・・。」


そう言って、優貴さんは笑った。


「・・・優貴さんは、やっぱり優しいんですね。」


私がそう言って笑うと、優貴さんはピタリと足を止めた。


「・・・・・・そう、かしら・・・。」


そんなに悩む事かな、と私は思ったが、優貴さんの表情が少し暗い。


今日の優貴さんは、表情が色々変わるな・・・そんな印象を受けた。

でも、さっきの無表情は・・・怒った時の顔より、ちょっと怖かったかも・・・。

何も無い・・・静かで、何の感情も見えない優貴さん。


(それも、優貴さんの・・・一部、なのかな・・・。)


どんなに好きになっても、知ろうとしても、やっぱり、わからない事が多い。

わからないからこそ、かえってそういう所に、私は惹かれているんだろうか。


(・・・でも・・・私、知りたいよ・・・全部、とは言わないけれど・・・)

ふと、優貴さんの怪我した右手が視界に入った。


(この怪我だって・・・本当の所、どうしてあんな真似してつけたのか、わからないもの・・・)

優貴さんのお母さんの月命日に、優貴さんは自分の手を傷つけた。


様子も明らかにおかしかった。

その理由は、話してくれない。


・・・私に、出来る事は無いのだろうか・・・。


(・・・私に出来る事があるのなら・・・。)


私はタクシーが捕まるまで、優貴さんの怪我した右手をそっと握って話題を変えた。


「・・・それより、手、痛みません?」

私がそう聞くと、優貴さんはいつも通りに笑って答えた。

「・・・・・・いいえ。平気よ・・・。」

「そうだ、家に帰ったら、ガーゼかえましょうね!」

「ええ、お願いね、悠理。」


・・・そうは言ったが、私は出来る事なら、もう少しタクシーが捕まらなければ良いと思った。


もう少しだけ・・・この手を、握っていたかったから。




「瀬田!こっちこっち。」


望実のお見舞いに病院前で待ち合わせ。

昨日はタクシーに乗って行ったけど、今日はバスと徒歩の為、ちょっと時間がかかってしまった。


約束した通り、晴美ちゃんと瑞穂は病院の前で私を待っていてくれた。

「ごめん!もしかして、遅れちゃった?」と私が謝ろうとすると、花束を持った晴美ちゃんが「ううん、時間通り。」と言った。

向日葵がメインの望実のイメージにピッタリな花束だ。

私が持ってきたのは、退屈が何より嫌いだろうなと思って、望実の好きそうな漫画や小説にした。ちょっと重たかったけど。


「なんか、夜と雰囲気違うね・・・」

私は病院のロビーを見て、そう言った。一言で言うと賑やか。見かける看護師の人は皆忙しそうだった。


「うん、夜と昼間では、見せる表情がまるで違うね。」


病院の中を歩きながら、瑞穂がそう言った。


「・・・昨日の優貴さんみたいに、ね。」

「・・・・・。」


ハッキリと言われた瑞穂のその言葉に、私はどう答えたらいいのか解らず、ただ苦笑いを浮かべた。


『いえ、私も初めて出会う最低な母親だったもんですから。つい、礼儀も何も忘れました。』

『家族のクセに、どうしてこうなったのか、何も知ろうともしないで馬鹿の一言で済ませるようなアナタなんかに望実ちゃんの何がわかって、何をどうだと言えるんですか?

単に自業自得だ、馬鹿だって、決め付けるだけなら、赤の他人でも、誰でも出来る事なんですよ。』


思い返すと・・・確かに、昨日の優貴さんはちょっと危なかったというか・・・怖かった、かな。

あんなに怒ってる優貴さん見たのは、初めてかもしれない。


それに・・・


・・・昨日は、優貴さん・・・様子がおかしかったし・・・。



「そういえば・・・昨日の望実のお母さんと喧嘩しそうになったの、悠理ちゃんのお姉さん?」


晴美がそう聞いてきたので、私は答えた。


「あ、うん、そうだよ。あと・・・私の事、悠理でいいよ。」

「じゃあ、悠理・・・私も晴美って気軽に呼んで。」

「うん。」


望実の病室に着くまでに、私と晴美は打ち解けた。話してみると、やっぱり良い子だった。


「そういえば、望実のお母さん・・・いたら、どうしようね・・・?」

「う、うん・・・。」


(ちょっと、まだ怖かったりして・・・。)


昨日の優貴さんと望実のお母さんとのやり取りが頭の中をよぎる。


(・・・顔を見るなり、追い返されたりしないよね・・・?)


私と晴美は病室を恐る恐る覗く。


「私達が、気にする事は何もないだろう。」

瑞穂はそう言って、躊躇いなく病室に入っていくので、私達はその後を慌てて追う。


「あ・・・瑞穂・・・。」

「あぁ・・・起きてるね、望実。大丈夫?」


瑞穂の声に、望実は笑って起き上がろうとする。


「うん・・・イテテ・・・御蔭様で。」


「あ、無理して起き上がらないでもいいよ、望実!」

晴美が望実を気遣う。やっぱり事件の事で気にしてるんだな、と感じる。


「いやいや、寝転がってばっかりって結構辛いのよ。折角の夏休みだってのにさぁ・・・。」


起き上がった望実は、相変わらずの望実だった。

・・・それが、私をとても安心させた。


「望実・・・ごめん・・・本当に、あたしのせいで、ごめん・・・」

「あぁ、もうハルはそうやってすぐ泣く〜。気にしなさんなって。あたしはさ、このくらい平気だって。

うわ、ハル、花なんか持って来てくれたの〜?ちょっと、あたし感動なんだけど!!」


・・・ホント、怪我人?と疑いたくなる程、望実は元気でベッドの上ではしゃいだ。

それは晴美を安心させる為だと、私にはすぐに解った。望実は・・・そういう子だから。


時折ちょっとお腹を押さえたりしてる所を見ると、やっぱり痛い事に変わりは無いみたい・・・。


その後、瑞穂はみんなの分の飲み物を買ってくると言って病室を出て、晴美は花瓶に花を入れてくると病室を出て行ってしまった。

私は、椅子に座って改めて望実にプレゼントを渡した。


「・・・コレ、暇つぶしに。全部、読みきりだから。」


そう言って渡すと望実はそれを受け取ると嬉しそうに笑顔になった。


「お、サンキュー!悠理!・・・・・・・あの・・・ていうか、さ・・・」


けれど、その後、しんみりと望実が言った。


「ていうか・・・・・・・・なんかさ、色々・・・ありがとね。」

「え?色々って・・・?」


「・・・・・・・うちの親、会ったんでしょ?」

「あ、うん・・・。」


「・・・今朝、刑事のおっさんが来てさ、その・・・まあ、説教と一緒に色々聞いちゃったんだ・・・悠理達が・・・その、心配して来てくれた事とか。

うちの・・・母親に、その喧嘩売った話とか。正直、聞いた時、超ビックリしたんだけど・・・。」


「ご・・・ごめん・・・何か、私達の事で、怒られちゃった・・・とか?」


「あー・・・違うよ、違うよ。だからさ・・・あのさ・・・」


そこで、望実の言葉が詰まった。

私が黙って望実を見つめていると、望実はポツリポツリと話し始めた。


「あたしさ・・・・・・あんまり、見せられたモンじゃないって思ってたんだ。うちの母親の事。

見た目あんなだし、外面は良いんだけど、性格も言葉もキッツイし。

金稼いでるんだから文句言うなってすぐ頭叩くし、その代わり、あたしが何やっても、無関心も良い所で、そこがあたしには気楽って言えば気楽だったんだけどさ・・・。

なんつーか・・・あの人にとって、あたしって”どうでもいい子”みたいな感じでさ・・・。

だから・・・ずっとあたし、この人の何なんだろって思ってた。きっと、なんでもない面倒な子なんだろなって思ってた。

だから家に帰っても、つまんないだけだったし。ぶっちゃけ、帰る必要も理由も無いって思ってたんだ。」


それは、普段の望実を見ている私から見ると、望実の意外な一面の話だった。


望実は、今まで自分の家庭の事や自分の事を話した事は、なかったから。


天井を見ながら、ポツリポツリ、一言一言を噛み締めるように望実は話してくれた。


「・・・そう、だったんだ・・・。」


・・・今まで一緒にいて、全然気が付かなかった、望実の家庭の話、望実の気持ち。


「あたしって、ホント何なんだろっていつも思ってた。もしかして、あたし・・・周りからも面倒なヤツとか、なんでもないそういう存在で・・・

あたしから声かけないと、何かしないと・・・誰からも必要とされない・・・そういう存在なんじゃないかなって。

だから・・・いつもあたし、誰かの傍にいたかった。そうじゃないと、誰もあたしの近くにいない、いてくれないって思ってた・・・。」


「そ、そんな事ないよ!望実は・・・望実は私の大事な友達だよ。それに、私、何度も望実に助けられたんだよ?みんなだって・・・。」


私がそう言うと、望実はちょっと笑って話を続けた。


「そんな・・・全然。買いかぶり過ぎ。

あたし自身が、そういう風に振舞ってたんだ・・・誰かに必要とされたかったんだ。だから、良いヤツぶって、ずっと誰かの話や悩み聞いてた。

人の悩み聞いてると、自分の悩みなんか、どうでもよくなってくるしさ。それだって・・・比較するもんでもないのにね。

だから・・・自己満足で、偽善もいいとこなんだ、あたしのやってた事って。単に、一人になるの怖かっただけなのかも、しれないし。」

下を見ながら望実はそこで話を切った。


でも、私は・・・


「でも・・・でも!現に晴美は感謝してたよ!望実が相談にのってくれた事。

・・・私だって、望実に話聞いてもらって、望実の言葉に助けられた事だって、いっぱいあるし。

ねえ、助けられた私が言ってるんだよ?それだけは本当だよ、信じてよ。望実のやってた事、自己満足とか偽善だなんて、私は・・・絶対思わないから!」


私は、正直な気持ちを口にした。

それを聞くと望実は気が抜けたようにフッと笑った。


「・・・悠理は、本当に良いヤツだよね。」

「それは、こっちの台詞。でも・・・今回みたいな危ない事は、もうダメだよ?・・・本当に、心配したんだからね。」


私は、そっとやんわり釘を刺した。


「うん、ごめん。心配かけて・・・でも、あたし、悠理達が病院に来てくれた事・・・今日も、だけどさ・・・本当に嬉しかったよ。

・・・今の話も、聞いてくれて・・・本当に、ありがとうね。悠理。」


力が抜けたように望実は笑った。


「・・・それは、普段のお返しだよ。

それに私達、望実が無事で、本当に安心したんだから。・・・だからさ、望実が困った時は・・・いや、なにも無くてもいいからさ・・・。

なんでもいいんだよ。私達に言ってよ、望実が思ってる事、悩んでる事・・・私達、そういう友達じゃん。」


望実がしてくれた事、話を聞いてくれた事は、本当に私にとって救いだった。それだけは間違いは無い。

話を黙って聞いてくれたり、背中を押してくれたり、止めてくれたり・・・

だから、私は何度も望実に相談した。その度に望実の言葉や行動に救われて・・・そういう所は尊敬してるし、大好きだ。


・・・私も、望実にとって、そういう位置の人間でありたいと思う。

困った時に助け合ったり、相談出来る・・・そういう友達になりたい。


「だからさ、望実もさ・・・頼ってよ。私の事。」


思い浮かぶ精一杯の言葉で、私は望実に感謝の気持ちを伝えた。


望実は、私の言葉に笑顔で頷いた。


「・・・・・・うん。」


その笑顔を見て、照れ臭くなって私も笑った。

望実とこんな話がするなんて、思ってもみなかったけれど・・・でも、話せてよかったと思った。


「あ、そういえば・・・今日、お母さんは・・・?」

「・・・ああ、珍しくあたしの傍にさ、付きっきりで朝までいたんだ。メイクも何もボロボロでさ。面白かったから、つい写メ撮っちゃった。はははっ・・・見る?酷いよ〜。」


そう言いながら、携帯電話をプラプラ見せる望実に私は苦笑いでツッコミを入れる。


「・・・オイオイ。」


「はははっ・・・でも、なんか、さ・・・あたしの為にメイクボロボロになるまで、この人あたしの為に泣いてくれる事あったんだーみたいな事、思ったりして・・・。

起きるなり、あたしに抱きついて”ゴメンなさい”なんてキャラにもない事泣きながら言うしさ・・・仕事してるんだから、家に帰ってゆっくり休んでよって言って帰した。

・・・まあ・・・着替えとか持って今夜も出勤前に来てくれるらしいけどね・・・。」


そう言いながら、どこか照れ臭そうに望実はお母さんの事を話した。


「・・・そっか・・・。」


それを聞いて正直”良かった。”と思った。望実の親子関係は、壊れてた訳じゃなかったんだ・・・って。

望実の表情は、照れたように、そして・・・とても嬉しそうだった。


「悠理。」

「ん?」


「・・・始めに、母さんにあたしの事で怒ってくれたの、アンタなんだってね・・・ありがとう。」

「そ、そんな事ないって・・・そういう話してたの、ほとんど優貴さんと刑事さんだもん・・・」


・・・キッカケは、確かに私かもしれない。

でも、望実のお母さんにその話をしたのは、ほとんど優貴さんと刑事さんだ。


「じゃあ、優貴お姉さんにもお礼、言っておいてよ・・・本当に、ありがとうって。

・・・コレは、うちの母さん本人も言ってたんだよ。

あの子の言葉が突き刺さって、今思えばあれは図星だった、目が覚めた、とかナントカ泣きながらだよ?

もう、な〜んか、別人みたいになっててー・・・何?キャラ変更し過ぎ?みたいな。はははっ」


そう愚痴っぽく話しながらも、望実はやっぱり嬉しそうに笑っていた。


(本当は・・・望実だって・・・お母さんの事、好きなんだよね・・・。)


「・・・そっか・・・。」


そういえば・・・あの時の優貴さんの言葉は、確かに・・・妙に、棘があった。


その理由は・・・


『・・・そうね・・・多分・・・』


『・・・多分?』


『・・・私は、家族を放っておいたり、ないがしろにするような人が、どうしようもなく、嫌いなんでしょうね・・・。』


・・・なんて、優貴さんは言ってたけど・・・。


望実のお母さんは、そういう人じゃなかったみたいだ。



・・・・・・もしかして、優貴さんの周りには、そういう人でも・・・いたのかな・・・。

だとしたら・・・酷い大人だな・・・。



家に帰ると、既に優貴さんが夕食の用意をしているのがわかった。

私はお父さんがいない事を良い事に、後ろから抱きついて”ただいま”を言った。


・・・優貴さんの匂いは、好きだ。


「・・・それで?望実ちゃんは元気そうだった?」

「あ、はい。あと・・・」


「ん?」

「・・・犯人、捕まったそうです。」


あの後、病室でしばらくみんなで話していると晴美の携帯に警察から電話が来て、刑事さんが犯人を捕まえた事を伝えられた。

勿論、みんなでホッと安心したのは、言うまでもない。


「・・・そう良かったわね・・・。」

「優貴さん、望実がね・・・ありがとうって伝えてって言ってました。」


「え?」

「望実、優貴さんと望実のお母さんとのやり取りの事、聞いたらしいです。あれがキッカケで、望実とお母さん、イイ関係になったみたいで・・・。望実も、すっごく嬉しそうだったし・・・。

だから、優貴さんにありがとうって伝えて欲しいって言われて。」


私が、望実と望実のお母さんの関係が修復されていた事を伝えると、優貴さんは複雑そうな顔をして、おたまを置いた。


「・・・・・・なんだか複雑、ね・・・私、単にあの人に喧嘩売っちゃっただけなのに。」


そう言って、優貴さんはお味噌汁の鍋に蓋をした。


「でも、言われて気付くって事って、ありますよ。御蔭で望実とお母さん、上手くいってるみたいですし。」

「・・・そう。・・・なら、良かったけど・・・。」


「望実の話を聞いてて思ったんですけど・・・望実って・・・普段自分の事、表に出さないで、自分の中で色々抱えてたんですよね・・・。

私、知らなかったとはいえ・・・なんか・・・もっと早く望実の事、気にしてたらなって・・・なんか、望実の事色々気付いてあげられたかもしれないし・・・。

なんか、色々反省しちゃいます・・・。」


望実の話を聞いてから、私は望実の気持ちを考え、やっぱり心が痛んだ。

・・・普段から、無理して笑ってたんじゃないか。そう思った。

本当は、自分だって話したい事や辛かった事だって、いっぱいあった筈なのに。

それを隠して、私達の相談に乗って、話を聞いてくれて・・・。

もしも、今回の事件がなかったら、望実の心に、望実が抱えている悩みや傷に私達は、気付く事も触れる事もなかったんじゃないか・・・そう思う。


「悠理・・・誰もが秘密や傷を抱えているのよ。隠してるなら尚更・・・それに気付こうっていうのは、大変な事ね。

ましてや気付いたとしても、何が出来るかというと・・・もっと難しいわね。

・・・いいえ、何も出来ないかもしれない。」


優貴さんは、そう言った。


・・・そう、だろうか・・・。


あまりにも、あっさりと優貴さんがそう言うので、私はついムキになって優貴さんの顔を覗き込んで聞いた。



「それでも、私は自分にできる事があるなら、したいです。それに・・・そういう優貴さんにも・・・ありますよね?秘密。」



未だに、優貴さんのわからない所は、たくさんある。

こんなに近くで、こんなに触れているのに。


わからない事がたくさん、ある。そんなの、ちょっと・・・かなりズルい気がする。


夜と昼間で表情を変えるあの病院や街のように、優貴さんにも・・・隠しているもう一つの顔が、あるんじゃないだろうか。


・・・その一面を見た時、私は何をどう思うんだろう。


だれでも持っているという、秘密や傷。


・・・優貴さんの隠している秘密や傷は・・・もし、あるのだとすれば、それは一体、なんなのだろう?


それを私は知る事が、出来るだろうか?


・・・また、それに対して何が出来るんだろう?



優貴さんの言う通り・・・”何も出来ない”のかな・・・?



すると私の言葉に優貴さんは、こう言った。


「・・・さあ?どうかしら?・・・とりあえず、”2人の秘密”なら、今、ここにあるけど。」


優貴さんは、そう言って私に躊躇いなくキスをした。

隙を完全に突かれた一瞬だけ触れる唇の感触に、私はすぐに真っ赤になった。


「あ・・・・・・・そ、そういえば・・・手の怪我・・・どうですか?ていうか、無理しないで、晩御飯の支度なんてしなくても・・・」

「大丈夫よ。ちょっと切っちゃっただけだし、悠理の治療の御蔭で全然問題ないわ。」


そう言って、優貴さんは怪我をした方の手で私の頭を軽く撫でた。

優貴さんの傷口を見ている私は、それでも、やっぱりあれは痛そうだ、と私は優貴さんの包帯を見ながら、思った。

私は、黙って優貴さんの右の掌を撫でた。




→ 次のページへ進む。

 → 前のページに戻る。

 → TEXTページへ戻る。