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私達は、とても仲の良い姉妹。周囲には、そう見えるらしい。

でも・・・私と彼女との関係には秘密があった。


『・・・悠理、2人だけの秘密よ・・・。』


薄く笑みを浮かべる彼女の少し低い声に、私は頷き、両腕で彼女を抱き寄せた。

呼吸をする度に重なる唇の感触に力は抜けていく。

私なんかに似合わないだろう、彼女の香水の匂いが大好きで、私は彼女の首筋に痕を残さないようにキスをする。

でも、彼女は胸の真ん中にいつもキスマークを残す。皆には見えない場所にそっと残してくれる。



周りには、秘密の関係。


私と彼女は・・・



[ それでも彼女は赤の他人  ]



「――瀬田、なんか、特別な事でもあった?」


私の前を歩いていた瑞穂が、何の前触れもなく、そう聞いてきた。


「・・・は?」


私は間の抜けた声でそう返事するしかなかった。

その日は瑞穂と待ち合わせして、望実の家に行き、宿題を見せる予定だった。

結局、夏休みを病院で過ごす羽目になり、その後、病院に担任の先生までがお見舞いに来て説教されて、望実の不満はピークに達していた。

そんなこんながあって、望実は今やっと、自宅療養になった。

命に別状もない怪我だった為、すぐに歩けるようにはなったのだが、だからって遠出する訳にも行かず。

だったら、大人しく宿題から片付けよう、という話になったのだ。・・・まあ、家で話をしても望実なら話題は尽きないと思うし。


・・・で、その望実の家へ向かって瑞穂と2人で歩いている途中。

望実に『もうすぐ着くよ』とメールを打ちながら、アスファルトから照り返す日光にウンザリしている所に、いきなり天然爆弾が飛んできたのだ。

・・・相変わらず、突然、妙な事を言い出す天然爆弾娘だと思って、私は苦笑いをする。


「もしかして、藤宮さんと、何かあった?」


瑞穂はコンビニで買い込んだ飲み物とお菓子の袋を持ちながら、平然とした顔で次の爆弾を投下した。

この、続けての爆弾投下には、さすがに私は少し動揺してしまい、優貴さんとの色々な事が瞬時に頭に駆け抜けていった。


「・・・・・・え、何かって・・・何ですか?ていうか、なんでそこで優貴さん出て来るの?」


突然の瑞穂の問に、私は思わず手も足も止めて、質問に質問で返す・・・・・・しかないでしょ?この場合。

私の質問返しに瑞穂は、前を向いてボソッとこう言った。


「・・・何となく。」

「何となくって・・・?」


とはいえ、この数日の間、優貴さんと何も無かった訳じゃない。

だからって、瑞穂に話す事じゃないし・・・と思って、私は歩き出しながら瑞穂の質問に質問で返す。


「それは・・・勘、かな。」

「勘、ね・・・。」


私はそう言って、その先の会話を自分から切ってしまった。

・・・本当に瑞穂は、勘が鋭い方だと思う。


「・・・そういえば、瀬田、背も伸びたんじゃない?」

瑞穂は、私に笑いかけながら、手を頭の上で上下させながら、他の話題を振ってきた。

「・・・そうかな?」

私も笑ってそう言った。


「うん、1学期と比べると伸びてる。」

「それじゃあ、この調子でもっと伸びたいなぁ。」


私はそう言って、両手をぐっと空に向かって挙げた。


「へえ・・・瀬田、気にしてたの?」

「いや、だって私、優貴さんの隣にいると、なんか子供みたいだし。」


それは、2人でいる時、周囲からもっとも”姉妹らしく見える”から都合は良いのだけれど。

私は、それが少しだけ不満でもあった。

優貴さんと私の少しの遺伝子の違いってヤツは、いつだって私を悩ませる。

いや・・・結果、少しだけ違うからこそ、私は優貴さんに惹かれるのかもしれないけれど。

背が高い優貴さんの顔を見る為に、見上げないといけない私は、もっと身長が欲しいと思っていた。

・・・それに、キスする時だって背伸びしないと届かないし。それをいい事に優貴さんは、私が背伸びをするまでキスをしない事がある。


「藤宮さんの事、好きなんだ?・・・相当。」


瑞穂が少し呆れたように笑いながら、そう言った。声の調子から察するに、どうやら、からかってるつもりのようだ。

どう答えてやろうかな、と少し考えた私は、笑ってこう言った。


「・・・・・・・・・好きだよ。・・・それなりに。」


可もなく不可もない回答、だと自分では思う。

すると、瑞穂が少しびっくりしたように目を見開いてこちらを見ていた。

・・・が、すぐにいつもの瑞穂らしく、いつもの表情に戻り、眼鏡をくいっと上げると瑞穂は言った。


「・・・開き直り過ぎ。」

そう言ってから、瑞穂はまた笑った。


「だから、それなりだって言ったじゃない。」

「・・・はいはい。」


私の言葉に瑞穂は片手をひらひらさせて、また笑ったが、小声で呟くように「良かった。」と言って、再び前を向いた。

何が良かったんだろ?と思いながらも、瑞穂がそれ以上、優貴さんの事を聞く事は無かったし、私も話すつもりは無かった。



望実の住んでいるアパートに着いて、望実の部屋のインターホンを押す。


「・・・野原、大人しくしてるかー?」

「望実、来たよー。」


・・・・・・・・・・・。


インターホンを鳴らして、しばらく経ってから、ドアはゆっくりと開き、苦笑いの望実が出て来た。

額に少し汗が滲んでいる所を見る限り、歩けるようにはなったけれど、やっぱり痛みは残っているようだ。


「っつつつ・・・はあ・・・お待たせ。ちょっと・・・いや、かなり部屋片付いてないけど、どうぞぉ〜。」


「野原・・・もしかして、傷、まだ辛いのか?」

「大丈夫?望実・・・。」


・・・さすがに心配になってくる。


「ああ、痛み止めはさっき飲んだから、まあその内、元気な望実ちゃんに戻るっつーの。まあまあ、んな事は気にしないで。はい、どーぞ、どーぞ。」

そう言って、無理矢理ニッコリと笑う望実に、私と瑞穂は互いの顔を見合わせてから、望実に言った。


「「無理しなくて良いから。」」


「無〜理なんか、してないって〜。さあさ、上がって上がって。」


「「・・・お邪魔しまー・・・・・・・・・・・・・・す・・・。」」




・・・その後、望実の部屋に入るなり、私と瑞穂は言葉を失った。




「・・・でね?望実の言う通り、本当に部屋がすっごく散らかってて。望実ったら、怪我人は掃除出来ないんだって開き直るし。

その場で、もう、これは宿題どころじゃないって瑞穂と話して・・・結局、瑞穂と一緒に望実の家の掃除してきちゃった。」


私は、サラダ用のレタスをちぎりながら、優貴さんに今日の出来事を話した。


「・・・そう。望実ちゃんも早く怪我、良くなると良いわね。」


優貴さんが味噌汁の味見をしてから、そう言った。


「望実のお母さんは忙しいし、望実もあんまり動けないから仕方ないかもしれないけど。あんまりな状態だったんで・・・。

とりあえず、瑞穂と出来る限り掃除し終わった後、望実ったら”毎週一回掃除に来てくれ”って真顔で言うんですよ?」


とにかく”散らかり過ぎ”としか言えない家の状況に私と瑞穂は、お節介覚悟で掃除をさせてくれと願い出た。

そして、それはあっさりと『あ、いいの?じゃ頼んじゃおうかな〜』と許可された。

まずそこらのゴミを仕分けて、まとめて、掃除機をかけて・・・私達の掃除という名の戦いが終わる頃には、望実はちゃっかり私達の宿題を移し終わっていた。


「ふふふ・・・望実ちゃんらしいわね・・・。」


私の話を聞いて優貴さんは笑っていたが、おたまを置いて、優貴さんは鍋に蓋をしながら、こう言った。


「そういえば・・・望実ちゃんの家って母子家庭なのよね・・・。」


そう、望実の家は・・・優貴さんの前の家と同じ、母子家庭。


「ええ、でも・・・前より親子関係、良いみたいですよ。帰る時に、望実のお母さんに会ったんですけど、なんていうか・・・

・・・初めて会った時より、なんか・・・なんか、柔らかい感じになってましたよ。」

「そう・・・。」

私はレタスをちぎり終わると、切ったトマトを飾りつけて、真ん中にツナ缶からツナを取り出し盛り付けた。


「やっぱり、あの事件がキッカケだったのかなぁ・・・こういうの不幸中の幸いって言うんですよね?」


私がそう言いながら、サラダの入った器をテーブルへ持っていく。後ろで、ぽつりと優貴さんが言った。


「そうね・・・人は・・・変わるのよ。」


「・・・そうですね、変わるもんですよね。成長っていうのかなぁ。あ・・・成長といえば・・・優貴さん、私、背が伸びたと思いません?」

私はサラダの器をテーブルに置いてから、優貴さんの方を向き直って言った。


「・・・・・・・。」

「・・・優貴さん?」


優貴さんは台所に立ったまま、窓からみえる夕焼けの空を見ていた。

私が声を掛けても、何も言わずただ立っていた。


「・・・優貴さん?」

「・・・え?あ、ゴメン。ちょっとぼーっとしてたわ・・・ゴメン。なんだったっけ?」


そう言って笑って、優貴さんは私の頭にぽんっと手を乗せた。


「・・・・・。」

(変なの・・・。)


瑞穂の言う通り、私の背は本当に伸びたのだろうか?

相変わらず、優貴さんの背は高い。まだ、背伸びしないと・・・優貴さんの唇まで遠い気がする・・・。

私が優貴さんの顔をみていると、優貴さんの目線がまた窓の外に移ってしまった。


この頃、優貴さんは・・・よく空を見てるような気がする。


「・・・悠理・・・明日、きっと雨だわ・・・。」


優貴さんは、呟くようにそう言った。

確かに、大きな雲が空の向こう側に広がってきていた。


その空を見つめる優貴さんの横顔は・・・どこか寂しそうで、悲しそうにも見えた。


(・・・優貴、さん・・・?)


背だけじゃない。

まだ・・・私は、まだ彼女の”何か”に届いていない・・・そんな気がした。




でも・・・その”何か”すら、私は・・・・・・知らない。





自分の部屋でゲームをしているとメールの着信音がした。

「・・・あ。瑞穂からだ。」


『今日はお疲れ様。』

お疲れ様とは、望実の部屋の”掃除”の事だろう。

私も『ホントお疲れ様。私は只今ゲーム中。苦戦してる。』と返信する。


『へえ、藤宮さんもゲームするの?』と瑞穂。


『優貴さんは別室でお勉強・・・』とここまでメールを打ってから、私は瑞穂に思い切って相談してみる事にした。


勿論、それは・・・

『あのさ、最近、優貴さん、なんかぼうっとしてる事多いんだよね・・・。瑞穂、何か知らない?』

最近の優貴さんの事。


優貴さんの通う大学の近くのコンビニでバイトしている瑞穂だったら、もしかしたら何か知ってるかもと思ったんだけど・・・。


『確かに大学の近くでよく会うけど・・・別に変わった様子はないかな・・・どうかしたの?』

『うーん・・・ぼうっとしてるのが多いってだけで、他はいつも通り。』


『本人は何て?』

『・・・何も。でも、なんか悩みでもあるのかなって気になっちゃって。

でも私、年下だから・・・そういう類の事言ってもしょうがないって思われてて・・・頼りにされてないのかも、な〜んてね〜。』

と私は少しおどけたような感じでメールを返信する。

でも、内心物凄く悩んでいたりする訳で。


それを見通しているかのように、瑞穂の返信メールの内容はとても真面目に返って来る。


『そんな事ないよ。それに、それは優貴さん本人に、ちゃんと聞いてみないと、どうとも言えないんじゃないか?

第一・・・知りたい事があるのに知る事が出来ないのは、瀬田にとっても苦しいだろう?

・・・とりあえず、もし、なんかあったら、いつでもメールして。』


瑞穂の言う事はもっともだ、と思った。

こうして、誰かに背中を押されるのを私は待っていたのかもしれない。


『ありがと、瑞穂。』


私は携帯電話をパタンと閉じて私はやりかけのゲームをきりのいい所まで進めてから、セーブした。

いつもなら時間を忘れるほどプレイしているゲームにも今日は集中出来ない。


カーテンを開けて、少し外の空気を入れる。

窓の外を見ると・・・空には随分と嫌な感じのする雲が広がっていた。

湿った風だ。・・・多分、優貴さんの言っていた通り、明日は雨だろう・・・。


「・・・雨かぁ・・・。」


雨で思い出すのは、優貴さんと2人きりで過ごした、あの激しい雨と雷の夜の事。


停電して、雷が苦手な私に優貴さんは優しく接してくれた。

優貴さんは暗闇の中、アロマキャンドルを持ってきてくれて・・・私の傍にいてくれた。優しく傍に抱き寄せてもくれた。

それが、私にとってどんなに嬉しかったか・・・私は思い出してクスリと笑う。


(・・・優貴さんは、きっと知らないんだろうなぁ・・・。)


あの時の恩返しって訳じゃないけれど・・・私だって、優貴さんの傍にいて・・・少しは力になりたいと思う。


「・・・よし。」


私は窓を閉めた。


夜、優貴さんの部屋のドアをノックするのは、やっぱりなんとなくだけど・・・緊張する。


静かに、ドアが開くのを待つ。


「・・・どうかした?」


優貴さんのいつも通りの笑顔。

それを見てしまうとやっぱり、この頃、優貴さんの様子がおかしいと感じるのは”単に自分の気のせいなんじゃないか”、と思ってしまう。


「あ・・・あの・・・えと・・・」


口篭る私に対し、優貴さんは優しく言った。


「・・・入る?」

柔らかい微笑み。

優しくて耳の置くまで響くような少し低い声。


ドアを開けて部屋の中に入れてくれようとしていた優貴さんの胸に、私は飛び込んだ。


「ど・・・どうしたの?悠理・・・。」


飛び込んだは良いけれど、その先の言葉が続いて出てきてくれない。


顔を上げると同時に言おう・・・そう思って、顔を上げる。


「あの―――ッ!?」


そのタイミングを見計らったかのように、優貴さんがすかさずキスをしてきた。

次に身体をきつくきつく抱き締められる。身体の力が抜けていく。


(優貴、さん・・・)


私は優貴さんの背中に腕をまわし、服を掴む。

少し呼吸が苦しくなって私が唇を離しても、優貴さんは更に唇を近付け、キスを続ける。

私の口の中に優貴さんの舌が少しだけ入ってきて、私の舌先だけを刺激する。

私が口をちゃんと開かない時、優貴さんは時々こういうイジワルをする。


「っく・・・ぁ・・・優貴、さん・・・」


私が抗議しようとすると、低く囁くような声が私を誘惑する。


「・・・・・・眠れないなら・・・お姉さんと一緒に寝ようか?」

「・・・・・・・。」


本当の目的は・・・そうじゃないのに。


私はこくん、と頷いてしまった。


(私・・・だから、ダメなのかも・・・。)と自分を情けなく思いながらも、私はまだ優貴さんの抱えている”何か”を聞き出す事を諦めてはいなかった。


「じゃあ・・・枕、持って来たら?」

そう優しく言われて頭を撫でられると・・・


「・・・はい。」


”やっぱり何も聞けないかも”、と弱気になってしまう自分が・・・嫌になった。



「・・・暑くない?悠理、平気?」

「あ、はい。」


優貴さんの部屋は、普段から、いい匂いするから好きだ。

優貴さんがいない時に、洗濯物を届けるついでに〜とか理由を付けては私は勝手に優貴さんの部屋に入っている。

アロマキャンドルとか置いてあるせいもあるけれど、優貴さん自身の匂いがするから好きなのだ。

勿論、優貴さんには私が部屋に勝手に入った事は洗濯物が置いてある事でバレバレな訳で、毎回「洗濯物、ありがとう」って言われてしまう。

・・・でも、洗濯物を届ける以外でも、用も無いのに部屋に勝手に入ってしまう事もあったりする。

それは、あんまり良くない事だとは、わかってはいるものの、ついやってしまう。


「・・・もう少しかかるから、先に寝てても構わないわよ。・・・悠理?」


その部屋の主がいると、その匂いがまた強くなる。


「・・・優貴さんっ♪」


邪魔を承知の上で、私は優貴さんの背中にピタリと抱きついた。


「・・・そんなに、構って欲しいの?」


優貴さんは困ったように笑って、私にそう聞いた。


「ううん、なんとなくこうしたかっただけ。」


優貴さんの肌は、やっぱりすべすべして気持ちが良い。

長くて綺麗な髪の毛もサラサラして気持ちが良いし、抱きつくだけでこんなにも幸福感が感じられるのは、相手が優貴さんだからだ。


「・・・お姉さんは、課題あるんですけどー?」

「存じておりまーす。」


「じゃあ、離ーしーてー。」

「んー・・・やだっ。」

「もう、しょうがない子ね・・・フフッ・・・。」


そう言って、優貴さんは笑いながら、私の頭をくしゃくしゃと撫でてくれる。

私は、優貴さんが怒らないのをいい事に子供のようにじゃれ続けていた。


私達が笑いながら、そんな会話をしていると・・・”コンコン”というノック音の後、ドアが開いた。


「優貴・・・・・・!」


(・・・ヤバッ!)


突然、部屋に入って来たお父さんは私と優貴さんを交互に見てから言葉を切り、そして優貴さんからぱっと離れた私に向けて少し怒ったような表情を作って私に言った。


「・・・悠理、お前はこんな夜遅くに何してるんだ?優貴の邪魔をするんじゃない。」


その一言にちょっと私はムッとした。どうして、お父さんに私が”邪魔者”扱いされなくちゃいけないんだろうと思った。


「別に。何もしてないし。」と理由の説明も何もせずに私はそれだけ言った。


その態度が気に入らなかったのか、お父さんは更に怒ったような口調で私にこう聞いてきた。


「大体、自分の課題は片付けたのか?」


(口を開けば、そればっか・・・。)

「・・・終わってるってば。」と素っ気無くボソッと私は答えた。


ウンザリしながら返事をする私に対し、お父さんはふーっと溜息を吐いて、更に何かを言い出そうとしたが。


「・・・あ、別に邪魔なんかじゃありませんよ、悠理と単に話してただけです。辞書も借りてるんで助かってます。」


段々険悪になってくる部屋の空気を察知したのか、優貴さんが助け舟を出す。

机の上の私の英和辞典を片手に持って、証拠を見せ付けるように、お父さんに辞書を見せる。


「・・・そうか。なら・・・良いんだが・・・」


納得しかけたお父さんは、ふと優貴さんの布団の上に私の枕があるのを見つけると、今度は目を細めて聞いてきた。


「・・・お前達・・・今日は、一緒に寝るのか?」


その問いに、すぐに優貴さんが笑顔で答える。


「はい?・・・何か、いけませんか?」


一瞬の間の後。


「・・・そうか。いや、すまん。気にしないでくれ。・・・おやすみ、2人共。」


そう言って、部屋を出ようとするお父さんの背中に優貴さんが声を掛ける。


「あの、何か用件があったんじゃ?」

「・・・いや、また今度で良い。ゆっくり話せる時にでも、な。」


「そうですか。じゃあ、おやすみなさい。お父さん。」


優貴さんは、ニッコリと笑顔で挨拶をして軽く頭を下げた。


「・・・ああ。おやすみ。」


お父さんはそう言うと、すぐに部屋を出てしまった。


(お父さんこそ、一体優貴さんに何の用があったんだろ・・・)と思う私の耳に、優貴さんは小声で囁いた。


「・・・ちょっと、危なかったわね。」


その『危なかった』という意味は、全部言われなくとも解っていた。


「・・・ですね。・・・ゴメンナサイ。」と私も小声で言って、自分のしていた事を反省した。


今回は抱きついているだけの現場を見られただけで済んだとはいえ・・・あまり好ましくは無い。

これが、もしも私と優貴さんがキスしている現場だったら、それをお父さんが見てしまったとしたら・・・。


・・・想像してちょっと、ゾクッと、トリハダが立った。


多分、怒られる、とかそういう次元じゃ済まない気がする。

だからこそ、私達は気を付けなくちゃならないのに・・・。


(・・・私、注意力も自制心もちょっと無さ過ぎかも・・・。)


「・・・まあ、普通の姉妹が一緒に寝るだけなら、普通の事でしょ?問題無いわ。」


小声でそう言ってから、優貴さんは口元をおさえて、ククッと喉で笑っていた。

まるで悪いコトを楽しんでいるイタズラっ子のような・・・そんな感じの笑みだ。


「まあ、一応・・・今日は、可愛い声出す時は、いつもより抑えて頂戴ね?悠理。」


耳元に息がかかる程の近距離で、囁かれたその言葉に、その言葉の意味に、私は思わず言葉を詰まらせる。


「・・・え?・・・・・・・・あっ・・・は、はい・・・。」


一瞬にして顔が熱くなる私を見て、優貴さんはまた笑いながら言った。


「じゃあ、課題早く片付けなくちゃね。」


そう言い終わると、優貴さんは、私の耳たぶを軽く唇で優しく噛んだ。その後、しっとりとした舌の感触が、容赦なく私を刺激する。

「――ッ!?」


「・・・大人しく、待っててくれる?」


思ってもいなかった行動と刺激に私は体をビクリとさせた。

「・・・は、はい・・・。」

私が力なく返事をすると、優貴さんは何事も無かったかのように、平然と私に背中を向けて、シャープペンシルを動かし始めた。


私は、というと・・・すっかり脱力してしまい、優貴さんの布団に座り込んだ。


(耳たぶだけで、こんなになってしまう自分って・・・恥ずかしい・・・。)


そんな事を思いながら、さっきの事を思い出す。


 『・・・悠理、お前はこんな夜遅くに何してるんだ?優貴の邪魔をするんじゃない。』


お父さんのあの言い方には、やっぱり今もちょっとムッとしている自分がいる。



お父さんには、2人の関係は秘密。



そう言い聞かせながらも、私は心の片隅である思いが頭をもたげ始めていた。



(・・・邪魔なのは・・・お父さんの方じゃない。)



・・・でも、なんだかそれも”かわいそうか”と思い直し、私は気分転換に携帯電話でゲームでもしようかと、携帯を取り出した。

その瞬間に、この部屋に来た当初の目的を思い出した。


(あ・・・肝心の優貴さんの事、何も聞けてないや・・・。)

机に向かう優貴さんの背中や真剣な横顔を見ていると、今はその話題を出すべきじゃないのかもしれない。

(・・・でも、いつでも聞けるか・・・。)と思い、今日はひとまず・・・と自分の中で勝手に処理してしまった。


瑞穂からは『大丈夫?』という心配するメールが来ていたが、私は『大丈夫。今、優貴さんと一緒。心配しないで。ありがと。』と返信した。


扇風機の風が、部屋の主の匂いを私に届けてくれる。

その匂いに刺激されて、私はまた優貴さんの背中に抱きついてしまいたい衝動に駆られたが・・・私は我慢した。

優貴さんの真剣な横顔が時々見える。それがやっぱり綺麗で・・・見とれてしまう。


・・・私は携帯電話を閉じて、ずっとその背中を見ていた。


不意にシャープペンシルが止まり、優貴さんは指でクルリとシャープペンシルを回して、私を横目で見ながら言った。


「・・・あのね。いくら私でも、そうやって、じ〜っと見ていられると、流石に緊張しちゃうんだけど?」

「あ、ごめんなさい。」


背中が再び向けられた。


「ごめんね・・・もう少しよ。待ってて。」


その優しい声に私は「はい」と答えた。

もう少しだけ待っていれば、その優しい声に包まれるのを、その優しい声だけじゃない、優貴さん自身を独占できるのを・・・私は分かっていたから。



優貴さんの勉強が終わり、優貴さんは軽く伸びをしてから”お待たせ”と私に微笑みかけた。

私はそれに対し微笑みで返す。


チラリと見えた優貴さんの胸元・・・あの指輪が蛍光灯の電気に照らされ、少し鈍い光を放った。

それを見て、私は自分の首からかかっているソレを取り出し、優貴さんに見せた。


「あ・・・そういえば、私もホラ。」

「・・・・・・・・?」

「指輪。・・・私のお母さんの。」


そう言って私は胸の間から、チェーンを引き寄せ、お母さんの指輪を取り出して見せた。


「指輪・・・?」


私は、優貴さんの枕を抱き上げ、片手で指輪をプラプラと揺らして見せた。

優貴さんの真似をして、私もお母さんの指輪をチェーンに通してみたのだ。

今まで、”大事にしよう”とは思っても、”持ち歩こう”なんて発想は私の中に無かった。

失くしそうで怖かったのもあるし、お父さんもそれに同意していた。

だけど、優貴さんがお母さんの思い出の品を持ち歩いている、という事を知ってからは、少しながらも私はそれもちょっと良いな、なんて思っていたのだ。


とは言っても、チェーンを買って来ただけで”今日から始めた”に過ぎないのだが。


でも、私は満足だった。



好きな人と同じ事をしている、それだけの事で。



「そう・・・チェーン買ったんだ・・・。」


それだけ言うと、優貴さんは電気をパチンと消した。


「そう、でもね、そこのお店の人が全然違うのを勧めてき・・・」


私の話は、ぷつりと途切れた。

優貴さんが私の唇を塞いだからだ。


私がチェーンを探して、店を3軒くらい回った事、やっと探し当てた理想の、お目当てのチェーンよりも違う品を店員に勧められてしまった事・・・。


・・・全部・・・全部・・・話したい言葉は・・・飲み込まれていく。


肌の感触に。


「・・・悠理。」


この、少しだけ低い声に。


全部、そう全部が飲み込まれていくような感覚・・・それでも、私はそれが気持ち良いとすら思ってしまう。


一時の気の迷い。

錯覚。


何も知らない他人はそう言うだろう。


だけど、今は。

私の周囲を囲む家族・友達・たくさんの人・・・。


今の私にとって、大切な人と呼べる人は、この人しかいない。


「優貴さん・・・」


頬に添えられた掌、優貴さんの掌にはまだ傷の痕がある。

私はそれに唇を付けて言う。


「・・・もっとして、いいよ・・・それ。」


私のその言葉が意外だったのか、優貴さんは驚いたように、私の顔を見つめていた。


「・・・・・・ごめ・・・・・。」

「ん?」


「ごめんね・・・悠理・・・」

「・・・え?」


どうして謝るの?と私が聞こうとしたと同時に。


「・・・痛かったら、ゴメンねって意味。」


そう苦笑しながら、優貴さんはその身体を沈めた。








「ん・・・?」


目を覚ますと、携帯の時計を見てみれば、お昼をとっくに過ぎてしまっていた。

優貴さんの部屋なのに、優貴さんの匂いが薄い気がする。私が居続けたせいだろうか。

とりあえず、布団をたたむ。


・・・お昼ご飯も作ってないな、優貴さんは自分で用意してしまったのだろうか・・・。

だとしたら、優貴さんに悪い事をしてしまった、と私は即座に起き上がり、急いで一階へ降りた。


(起こしてくれても良かったのに・・・)

「・・・おはよう、優貴さん・・・」


昼が過ぎてしまったこの時間帯に不釣合いな挨拶をする私。

しかし、リビングからはあの聞き慣れた声はしない。台所にも優貴さんの姿は、無かった。

もしかして・・・と思ってお風呂場に行ってみた。

優貴さんのボディソープの匂いがする。

・・・使われた形跡はあったけれど・・・そこに優貴さんの姿はなかった。

庭を見ると、既に今日の分の洗濯物が物干し竿にかかっていて、ゆらゆらと風に揺れていた。


(・・・優貴さん、仕事し過ぎ・・・。)


優貴さんは放っておいたら、本当になんでも一人でこなしてしまう。

リビングも片付いてるし、洗濯まで終わらせてしまっては、私のする事なんて自室の掃除くらいしかない。


(・・・あ・・・私、今一人なんだ・・・。)


家には、誰の気配もなかった。

静か過ぎる午後を私は一人で過ごす事になってしまった。


優貴さんは、買い物にでも行ってしまったのだろうか。

・・・だったら、無理にでも私を起こしてくれたって良かったのに。


(・・・寂しいなぁ・・・)


家に一人を自覚した私は、ソファに寝転び、優貴さんの体の温かさを思い出そうとしていた。

なんだか無性に寂しくなってきて、それは寒さにも似たような変な感覚が、ふっと浮かんできていたからだった。


大丈夫、優貴さんはすぐに帰って来る、と頭で解ってはいるのに、どうしても、どうにも出来ない寂しさが私の心を支配していく。

優貴さんの事を思い出そうとすればするほど、それは強くなっていった。

今、無性に・・・あの少し低い声が聞きたい。あの温かい手で頬に触れて欲しい。


(なによ・・・このくらいで・・・。)


自分でもこんな気持ちうざったいな、と心の端で考えてはいる。ただ、今、私の傍に優貴さんがいないだけ。

たった、それだけの事なのに。

なのに、この寂しさは、もうどうしようもない程に膨らんできていた。


少し家を空けたくらいで、私が勝手にこんな状態になって、優貴さんに一方的な寂しさを訴えたって、そんなの優貴さんが困るに決まってる。


(メールしてみよう・・・。)


冷静になって、私は連絡を取る方法を思い出した。

せめて、どこにいるかくらい聞くのは大丈夫だよね、と自分で勝手に誰に言う訳でもない言い訳を並べて私はメールをカチカチと打った。


『今、起きました。優貴さん、どこにいるの?買い物?あのね・・・』


”寂しいから早く家に帰ってきて”、と途中まで文章を打とうとしたが、やめた。


(・・・私キモい。優貴さんに引かれる・・・。)


いくら寂しくてたまらなくても、自分を客観視する気力だけは、まだあった。

もう子供じゃないんだから、と自分に言い聞かせる。


『今、起きました。優貴さん、どこにいるの?』


文章はシンプルに、絵文字は明るめのキャラクターモノを選んだ。今の私の情けない、この状況を悟らせない為に。


カクカクと明るく動くキャラクター。

携帯の画面に映るのは、そのキャラクターとは対照的な顔の私。



送ってから、すぐにメールは返ってくると思ったのだが、携帯は鳴る事もバイブレーションが働く事もなく・・・

ただ、時間だけが、過ぎていった。


(・・・どうしたんだろう・・・)


寂しさの次は、不安。

私の昨日の行動は、もしかして迷惑だったのかな?・・・なんて考える。

寝ている私を起こさないで、家事をこなしてしまうあたりは、いつもの優しい優貴さんらしいのだが・・・


(・・・それでも、起こしてくれても良かったのに。)


おはよう、くらい言いたかった。

今日一日の始まりに、優貴さんを見ていない、それだけの事なのに。


乾いた洗濯物を取り込み、たたみながらも気になるのは、優貴さんの居場所。


・・・携帯は、まだ鳴らない。

たたみ終わった洗濯物をソファに置いて、その隣に座って私は新しいメールを打っては消し、打っては消し・・・を繰り返している途中・・・携帯が鳴った。

だけど、その音は優貴さん用に設定した着信音じゃなかった。


「・・・もしもし?」

「悠理か?お父さんだ。」

「うん。で、何?」

「・・・一度、皆で食事しようと思ってな。優貴が来てから行ってないだろう?」

「そんなの別に・・・」


別に私と優貴さんで作るからいいよ、と私は言いかけたが、妙にお父さんの口調は真剣で鋭かった。


「・・・あの店に行こうと思ってる。どうだ?」

「・・・あの店って・・・」


脳裏に浮かんだのは、私の家族が、お母さんがいた・・・あの頃の記憶。

割と古い洋食屋で、看板をぶら下げた豚のコックさんの人形があって、そこのスープが私は大好きだった。

何を食べても美味しくて、夢中で食べる子供の頃の私。お母さんは、いつも私のソースでベタベタになった口元をナプキンで拭いてくれた。

結構家族で通っていた思い出の店だったが、お母さんが死んでからは私とお父さんは、お母さんの命日くらいにしかその店に行かなくなっていた。


(あの店に、優貴さんと3人で・・・。)

優貴さんは、私の家族となった。だから何の問題も無い。・・・だけど、突然なんだというのだろう。


「別にいいけど、何で、そんな急に・・・?」

「・・・その・・・ちゃんと話してない事もあるしな・・・。折角・・・優貴は家族になったんだし、ちゃんと話そうと思ってな。」

「ちゃんとって・・・何を?」


自然とその疑問は出た。お父さんは、何を話す気なんだろう?


「・・・それは店でゆっくり話そうと思ってるんだが・・・。そうだ、優貴は今いるか?予定を・・・」


電話の声に私は溜息をついて答えた。


「・・・今、優貴さん、いないよ・・・。何所に行ったかも、わかんない。」


優貴さんがどこにいるか、それはこっちが知りたい。


「・・・・・・そうか・・・」


お父さんは溜息をついて、残念そうに言うので、私は思った事を口にした。


「・・・そんなに大事な事なら、今言ってよ・・・。」

「・・・・・・そうだな・・・もっと早く話しておけば良かったかな・・・」


後悔のような言葉をお父さんは口にした。

さすがにイライラしてきて、私はすぐにでも、その”大事な事”を聞いてやろうかと思った。


「・・・何?言ってよ、お父さん。」

「・・・いや・・・やっぱり、家族が揃った時に話そう。」

そう言って、お父さんは電話を切ってしまった。


(・・・自分勝手。)


思わず心の中で私はそう吐き捨てた。・・・お父さんは、よくこんな風に自己完結してしまう。


「それにしても・・・」


携帯を閉じた後、再び開く。


・・・その日の夕方になっても、優貴さんは帰ってこなかった。

メールにも返信は無い。


リビングに寝転んで私は天井に手を伸ばす。


昨日の夜、確かに私を、私の想いを包んでくれた、あの手は無い。

私の声を飲み込んでくれる少し低いあの声も聞こえない。


なんだか、遠ざかっていく気がして、私は胸元のリングを握り締める。



優貴さん・・・私のお母さんみたいに、遠くにいったりしないよね・・・?

私を、また独りになんかしないよね?



心の中で問いかけるが、答えをくれる人は・・・今、この場所にいない。


私の手のひらが空を掴む。


「優貴さん・・・」


私の想いの行き先は、相変わらず不安定で・・・それでも止まってはくれない。





・・・あの人の抱えている何かに気付きもしないまま。





「・・・あ、また降って来た・・・」


優貴さんの言う通りだった。

TVの天気予想では朝から降っていたらしい雨は昼頃、私が目を覚ます頃には止んでしまったらしい。

だが湿っぽい空気は相変わらずで・・・不安を感じさせる憂鬱な色の空から、突然、雨は降り出した。


(・・・優貴さん・・・傘持ってるのかな・・・)


家に一人きりの私は、降り出した雨を見て、外出しているだろう優貴さんが気になった。


(・・・・・あ・・・そういえば・・・)


以前、雨が降った時・・・優貴さんは、ずぶ濡れで平気な顔して歩いていた事を思い出した。



『私は平気よ、雨とは相性良いの。』

『・・・相性?優貴さん、雨、好きなんですか?』

『・・・そうね・・・・・・好き、とはちょっと違うかな・・・ただ、雨の日は、とても気分が落ち着くの。』



そう言って、まるでシャワーを浴びるように空を見上げていた優貴さんの横顔を思い出した。

あの時は、通り雨だったから良かったけれど・・・


(大丈夫かな・・・またずぶ濡れで歩いているんじゃ・・・)


そう思うと・・・なんだか心配でたまらなくなってきた。


私は起き上がると素早く着替えて、傘を2本を持って玄関のドアを開けて外へ出た。

優貴さんが、一体どこにいるのかだってわからない。だけど、飛び出さずにはいられなかった。

傘をさして走りながら、携帯を片手に何度も何度も電話をかける。


・・・やっぱり電話は繋がらない。


(・・・優貴さん・・・どこ・・・?)


とりあえず、近所のコンビニ、スーパー中心に回る。2人で何度も行った事のある場所だ。

買い物をしているのならば、ここにいるはずだけど・・・。


「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・!」


息を切らしながら、店内を探す。周りの人が驚いたような顔で私を見るが、そんな事に構ってなんかいられない。

店内のどこにも優貴さんは、いない。


移動の間、電話をかけ続けてはみるが・・・電話はまだ繋がらない。


今度は、近くの駅へと移動する。駅にはたくさんの雨宿りをしている人がいた。

息を整えながら、雨宿りしている人々の中に、優貴さんの姿はなかった。


(・・・もしかして・・・行き違ったかも・・・!)


私は、駅から家まで戻る事にした。

優貴さんが、またずぶ濡れで歩いているのかもしれない、たったそれだけの事じゃないかと誰かは言うかもしれない。


だけど・・・雨の日の優貴さんは・・・


『・・・そうね・・・・・・好き、とはちょっと違うかな・・・ただ、雨の日は、とても気分が落ち着くの。』


そう・・・どこか寂しそうで、そのままどこか手の届かない所へ行ってしまいそうな・・・。

そんな・・・そんな事はないって思いたいけれど・・・。


この頃の優貴さんの様子がおかしい事も重なって、どうしても私にそんな考えを植え付ける。


「・・・優貴さん・・・」


電話にだって、全然出てくれないし、メールだって来てない。


(・・・こんな事、一度もなかった・・・。)


悪いコトを振り払うように頭を振って、ぱしゃぱしゃと水溜りの上を走って、優貴さんの姿を探し続けた。


すると、空からあの嫌な音がした。・・・ゴロゴロというカミナリの音。

息は上がってもう走れないし、空からは苦手なカミナリの音。


(・・・最悪・・・!)


たまらず、私は近くの公園に避難する事にした。あそこには、小さい頃から遊んでいる小さなドーム型の遊具がある。

そこなら、しばらく休めるし雨宿りにもなるし・・・。


(・・・カミナリを見ないで済むかも・・・音は、我慢しよう・・・。)



濡れた砂場を通り、遊具の中に入る。

薄暗くて、あまり良い心地がしない。おまけに外はカミナリだし・・・


「にゃー。」

「え・・・?」


遊具の中に一歩足を踏み入れると、猫の鳴き声とふと、どこかで嗅いだ様な匂いがした。


「悠、理・・・?」


薄暗い中から、続いて聞こえたのは、あの少しだけ低い声。


「・・・優貴さ、ん・・・?」


探していた人を・・・やっと・・・やっと見つけて、私は思わずその場にぺたりと座り込んでしまった。


「悠理・・・?」


薄暗い中から、優貴さんの腕が伸びてきて、私の肩に触れ、その人の顔が見える。

一番見たかったその人の顔が。

やっぱりその姿は、私の悪い予感通りにずぶ濡れで・・・

髪の毛から雫がポタポタと伝い、雫は腕を伝って指先へ。私はその濡れた手を掴む。


やっぱり、傘が無くてずぶ濡れだったんだ・・・。

良かった・・・探しに来て本当に良かったと思った。


「・・・優貴さん・・・良かった・・・!」


今にも私は優貴さんに抱きつきたかったのだが・・・


「にゃー。」


優貴さんのもう片方の手には、猫がいた。

猫までずぶ濡れだったが、優貴さんのハンカチを頭に乗っけたまま、私をキョトンとした目で見つめていた。


「・・・猫?」

「あ、この子ね・・・丁度雨が降り出した時に、道端で会っちゃって、一緒に雨宿りしてて・・・。とても人懐っこいのよ。」

そう言って、優貴さんはハンカチで濡れた猫の身体を丁寧に拭いていた。


「・・・そう、だったんですか・・・。」


優貴さんが見つかってホッとした反面、急に力が抜けていくような感じがした。

私はそのまま、優貴さんの隣に座った。


空からはまだゴロゴロという嫌な音がして、今にもカミナリが落ちそうだ。


「・・・・・・・・・・。」


しばらく、私は黙っていた。

ずぶ濡れの優貴さんの膝の上には、優貴さんの髪の毛にじゃれる無邪気なトラ柄の猫が一匹いる。

私はそれを黙って見ていた。


「・・・ねえ・・・悠理・・・もしかして、ずっと私を探してくれてたの?」


優貴さんの質問に私は、ぽつりぽつりと答えた。


「あ・・・だから・・・あの、優貴さん・・・前、ずぶ濡れで歩いてたから・・・。」

「・・・そっか・・・それで、か・・・ごめん。今日、雨の日だって解ってたのにね・・・私、傘も持たずに外に出ちゃって・・・。」



・・・それだけ・・・?



「メール。」

ぽつりと私は言った。

「・・・え?」


「私、メール、いっぱい出したんだよ・・・。」

「・・・あ・・・」


「・・・電話も・・・たくさん・・・たくさん、したよ・・・?」

「・・・・・・」



「私・・・すっごい心配したんだからッ!!」



私の大声に猫がビクリと反応して、優貴さんの膝から降りた。



「・・・ゴメン、悠理・・・私・・・携帯、家に忘れてた・・・。」

「・・・・・・・・・・・・・。」


優貴さんの言葉に私は、ただ目に溜めていた涙をポロポロとこぼした。

ずぶ濡れだった優貴さんに傘を手渡せる・・・優貴さんに会えたのは、嬉しい。


・・・それに、優貴さんの事を心配するもしないも、私の勝手だ・・・。


・・・だけど・・・


「・・・私、また、一人になっちゃったかもって思っちゃったじゃない・・・っ!!」


一人ぼっちは、もう嫌だった。

置いていかれるのも。

好きな人が、私の知らない間に、何も言わずにどこかへ行ってしまう事も。


もう、一人にされるのは嫌だった。


「・・・・・・・ごめん。悠理。」


そう言って優貴さんは、冷たい手で私の頬を伝う涙を拭いた。

私はその手を握り、今度こそ優貴さんの体に抱きついた。

・・・冷たかった。


「ゆ、悠理・・・私、服が濡れて・・・」

「そんなのどうでもいい・・・!」


私はキッパリそう言い切って、優貴さんの体にしっかりと抱きついた。

離したくなかった。

優貴さんの服から雨の冷たさが伝わってくる。


「悠理・・・もう、そろそろ離れた方が・・・。」

「・・・嫌!」

私がそう言うと、優貴さんは少し顔をしかめた。

「だって、この頃の優貴さんおかしいだもん!目を離しちゃったら、なんか・・・どこか遠くに行っちゃいそうで・・・!私、それが怖いの!!」

「・・・・・・・。」


「私・・・優貴さんが好き・・・ずっと、ずっと一緒にいたい・・・!」

「・・・・・・・。」


「私の勝手な我侭だってわかってる。・・・でも、もっと・・・優貴さんの事知りたいし、力になりたいの!それも、いけない事・・・?」


私の言葉に、優貴さんは少し驚いたような顔をして、少し視線を逸らした。


「・・・・・悠理。・・・あのね・・・・・・私ね・・・本当は



その瞬間、カミナリが落ちた。

大きな音に私は目を瞑って、耳を塞いだ。


そして、そんな私を見かねたのか、優貴さんはしっかりと私を抱き締めてくれた。


「・・・大丈夫よ、悠理。今、私は傍にいるから。」


優貴さんの声は、頭上からハッキリと聞こえ、その言葉に私は黙って頷いた。


しばらく私達は抱き合っていた。

最初は冷たかったのが、互いの体温で段々と温かくなっていくのを私は感じていた。


それでも、このままでは優貴さんが風邪をひいてしまう。

私達は傘を差して、家に帰る事にした。


「そういえば・・・猫、どうします?」

茶トラの猫が、優貴さんから離れないのだ。


「・・・うーん・・・こうなったら、お父さんに一度、相談かな・・・。」

そう言って優貴さんは苦笑した。

猫は優貴さんの腕の中で大人しく、まるでそこが自分の場所であるかのように、そこにいる。



家に帰ると、私は優貴さんと猫にタオルを渡し、自分も服を着替えようと自分の部屋へと階段を駆け上がった。

優貴さんはシャワーを浴びる、と言って真っ直ぐ浴室へと向かって行って・・・猫は優貴さんの後をついて行った。


(優貴さんったら、本当に猫にすっかり懐かれちゃって・・・。)


・・・お父さんだったら、きっと許してくれるだろうな、私は気楽にそう思った。









「・・・嘘まみれの汚い私でも、アナタは傍にいてくれる?」

「にゃー。」


優貴は猫を撫でると、ポケットから携帯電話を取り出し、画面に映し出されている着信履歴を全て消去し、バスタオルの間に隠した。


「にゃー。」

「・・・私の想いはね、どこにも行き場がないの。誰にも伝える気も無いし、理解してもらおうとも思ってない。

当然、独りぼっちよ・・・最初から、ずぅっと、ね・・・。」


『・・・私・・・すっごい心配したんだからッ!!』

『だって、この頃の優貴さんおかしいだもん!目を離しちゃったら、なんか・・・どこか遠くに行っちゃいそうで・・・!私、それが怖いの!!』



「・・・私は一人よ・・・最初から、この家のどこにもいないの。」

「にゃー。」


『私の勝手な我侭だってわかってる。・・・でも、もっと・・・優貴さんの事知りたいし、力になりたいの!それも、いけない事・・・?』



「・・・でもね、この家を壊しに来たのよ、私・・・。」



想いは交わり、そして・・・徐々に・・・・・・・離れていく・・・。

その時に向かって、ゆっくりと・・・ゆっくりと・・・。






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