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「ねえ…どうしても今日じゃないとダメ?」




私は、ドアの前で、精一杯の笑顔でそう言った。


もしも回避できるのならば、この月末の日曜日・・・なけなしのお小遣いをはたいてでも

あのままファミレスで、ドリンクバーからサラダバー…食事、デザートまでを奢っても構わない!とさえ思った。


が、しかし。





「…はあ?今更、何言ってるのよ。ねえ?瑞穂」

「そうだ、野原の言う通り。今更だよ、瀬田。一度はOKしたんだから、発言には責任を持て、責任を。」



友人たち(望実と瑞穂)は口々に私に異議を申し立てた。

だけど、異議は私の方がもっと多く言いたいくらいだった。


「…大体さぁ…どうかと思うよ…わざわざ見に来るなんてさ。」


私がそう言うと、2人は口をそろえて反論する。


「別に、見に行くんじゃないよ。悠理の家に遊びに行くってだけだよ。ねえ?瑞穂」

「そう、姉君に会ったら、それは偶然。別にそれが目的じゃあない。」



「……はーい、はいはいはいはい。」



私はウンザリしながら自宅のドアを開けた。…今までで一番重く感じた。

私の後ろにいる友人達の目的は…ハッキリしている。

日曜日にファミレスに集まり、暇を持て余した友人たちは、瀬田家に『優貴さん』を見に来たのだ。

きっかけは、またしても『天然爆弾娘』だった。


日曜日に親しい友人達と遊ぶ約束をして、ファミレスに集まったまでは良かったが。

他の2人はデートでキャンセル、私・望実・瑞穂の3人でファミレスで、これからどうする?と相談していたところへ

瑞穂の携帯に、双子の妹からメールが来たのだった。


「二葉から、私のメモカ(メモリーカード)にゲームのセーブしていいか?ってさ。

今、私の家、全員PSの古いゲームにハマっててさ。・・・・・・”灰色のヤツなら良いよ”っと…。」


瑞穂は、いつも通り、眼鏡をくいっと上げると、メールをぽちぽちと返していた。


「ねえねえ、双子ってやっぱり、似てるの?男の好みとかさー」

望実が気楽にそう尋ねると、瑞穂は、ちらりと望実を見てから、冷めたフライドポテトを口に入れた。


「さあ…恋愛ゲームの時は、二葉も一葉も違うキャラクターを落とすから…男の好みは、似てないんじゃない?」

「ゲーム基準かい…」

私がそう言うと、望実は思い出したように言った。


「そういえば、優貴姉さんの男の好みは?恋バナとかしないの?

あ、ホラホラ…この間さ、カラオケで男、カッコ良くフッてたじゃない。モテるんだろうねぇ〜」


望実もワザワザ、嫌な事を思い出してくれる。それから、優貴さんを自分の姉さんのように呼ぶなってば。


「…んー…あぁ…そーだね…」


気乗りしない話題なので、曖昧な返事をした私に、急に瑞穂が噛み付いた。


”野原は見たのに、私は見てない。不公平だ。”・・・と。


・・・確かに。

優貴さんの存在を確認しているのは、野原望実だけ。瑞穂には話しかしていない。

だが、それのどこが不公平なのか。見せろ!と言って、それ以外の話を聞かない。


”見世物じゃない!”と私は抗議したのだが・・・。

隣のテーブルで暇そうにしている、どこかのオヤジに”うるさい”と怒鳴られ、勢いを削がれ。

仕方なく店を出た後、道端での多数決により、敗北した。


という訳で。ドアを開けた所で、私は再度念を押した。


「いい?優貴さんに会っても、変な事聞かないでよ…?」


特に望実。…根掘り葉掘り色々聞かれては、友達だと言って、連れてきた私の評価が下がるかもしれない。

瑞穂にいたっては……あまり喋らないで欲しい…(爆弾だから)。


「はいはいはい、いいから、早くステキなお家入れてよ〜悠〜理〜」

「お母さ〜ん、寒いよ〜ひもじいよ〜・・・あ、瀬田、トイレも貸してくれ。」


「・・・・・・・・。」


友人達は早く家にあげろと、不安でいっぱいの私をせかしている。


「おかえりなさ……あら…。」


玄関を開けた私が、なかなかリビングに入ってこないのを不思議に思ったのか、優貴さんがやって来た。


「・・・・・・た、ただいま、です・・・。」


私の後ろの物体2つを見て、優貴さんは少し驚いたようだったが、すぐにいつもの笑顔で挨拶をした。


「あら、こんにちは。望実ちゃん。」

「あぁ、お久しぶりッス〜!」


優貴さんは、来客用のスリッパを丁寧に出すと、瑞穂に気が付いた。


「・・・・・あら、こちらは・・・初めまして、ね?」


優貴さんは”大丈夫?”と言った感じで、ちらりと私を見る。

自分が姉だと言っていいのか、異母姉妹だという事を知っているのか?という確認のサインだ。

やっぱり突然、友達連れてきたら、戸惑うよね…と思いつつ、私はコクリと頷いた。

瑞穂は、優貴さんの事も、異母姉妹である事も知っている。

しかし、ここは私が紹介をした方が良いだろうと思い、私は先に瑞穂の紹介から始める事にした…のだが。


「こっちは、同じクラスの瑞穂で……」


私の差し出した手の先にいる瑞穂の動きは、ピタリと止まっていた。

マネキンのように、目を見開いたまま、優貴さんを見つめたまま…瑞穂は動かなかった。


「・・・瑞穂?」


私が声をかけると、瑞穂はハッとして、頭を下げた。


「……あっ、はい。あの、はじめまして、飛田瑞穂です。」


私は、今度は望実と顔を見合わせた。


 『珍しい。』


いつも淡々としている、あの瑞穂の調子が、ほんの少しだが乱れたのだ。

私達は、スリッパを履くと、階段を上がり真っ直ぐ私の部屋に向かった。


「…瑞穂でも、優貴姉さんには恐縮するかぁ…」

部屋に入って、望実の第一声に瑞穂は答えなかった。


「・・・そういえば・・・トイレ、借りるんだった…どこだったっけ?瀬田。」

「・・・階段降りて、廊下まっすぐ、突きあたり。」


瑞穂の様子をなんとなく、不審に思いながらも、私は聞かれた事に答えた。


「…じゃあ、借りる。」

そう言って、瑞穂は無表情で部屋を出た。


・・・それから・・・20分、瑞穂は戻ってこなかった。


望実は、ぼそっと”他人の家でウンコかぁ?”と言ってのん気に笑っていたが、私は…心に何かが引っかかるのを感じていた。




「・・・・・悠理、そわそわしてね?」

「・・・え?」


望実に指摘されて、私はやっと”自分が居ないあの場所”が気になっている事に気付いた。

瑞穂がトイレを借りると言って、時間が経ち過ぎているのもあった。


「…ねえ、悠理の家ってトイレに漫画とか置いてる?トイレ篭る時なんかさ、置いておくじゃん。」


望実が、そのページには興味がないのか、パラパラと雑誌を飛ばし読みしながら聞いた。

・・・というか、トイレに本持っていくのは、もっぱらお父さんで。悪い癖だと私は思っている。


「…いや。…どうせ、トイレに持っていくなら、もっぱら携帯だもん。」


じゃあ違うか、と言いながら望実は雑誌のページを捲った。

瑞穂が、我が家のトイレに長居する理由はない。いや、瑞穂なら妙な理由をくっつけて居座りそうな気もしないでもない。

普段なら気にならないのだけれど…今日だけは、妙に気になった。


・・・・下のリビングには、優貴さんがいるから。


「………望実、私、ジュースの氷持ってくるから」

「んー。」


適当な理由をつけて、私は部屋を出た。

階段を足音をたてずに、私はそろそろと降りていった。

この家の住人なのに、どうしてこんなコソコソしないといけないのか、この時の私はそんな事を考えもしなかった。


・・・すると。



階段を降りきった私の耳に、2人の人間の話し声が聞こえてきた。



「…そうそう、さっきは、一応ごまかしましたけど…こんな形で会えると思いませんでした。思い返すと、聞いたの、名字だけだったし。」


それは、瑞穂の声だった。


「そう?私の方はね、”もしかしたら…”なんて思ってたのよ?制服が、悠理ちゃんと同じだったから。」


優貴さんの落ち着いた声が聞こえてきた。



(…え…2人共、知り合い…?)


驚くと共に”やっぱり”と私は思った。

瑞穂の優貴さんを見た時のリアクションが妙だったのは、このせいだったのだ。


(一体、いつ…?)


優貴さんは瑞穂の事を、一言も私に話していないし、それは瑞穂も同じだ。

でも、どうして知り合いである事を誤魔化す必要があるんだろうか。



まるで、私に隠すような……。



「・・・なんか、猫かぶってるって感じしますね。全然、雰囲気違うって感じ。」

瑞穂が、笑いながらそう言った。


(……何、言ってんのよ…)


リビングには私が知っている、いつもの優貴さんがいるはずなのに、瑞穂から見れば全然違うという。


一体、瑞穂が優貴さんの何を知っているというのだろう。

一緒に住んでいる私も知らない優貴さんを瑞穂は、知っているというのだろうか。


それはまるで私が瑞穂より、優貴さんの事を知らないといわれているみたいで。

再度、赤の他人である事を突きつけられているみたいで。



私の心の中では、ドロドロとした何かが生まれ、それは上へ上へと上がってきて、口から出そうになる。

ドロドロの中身はわからないし、解りたくもない。


遠くの街から姉として、この家にやって来た優貴さんの事を、この街で一番知っているのは…

…家族の…妹の…私だけのはずで…。


だけど。


優貴さんは、朗らかな声でこう答えた。





「そりゃ、そうよ。だって、ここは……私の家じゃないもの。」





  [ それでも、彼女は赤の他人  ]






・・・・・・正直、ショックだった。


確かに言っている事は、真実で、その通り…なのだが。

優貴さんの口から、こんな形で”本音”を聞く事になるなんて思わなかったからだ。


「あ、そうだ…あれから、大学どうなんですか?」

「普通通りよ。授業は面白いし、課題もこれといって苦労しないわ。…今の所は、ね。」


それどころか、2人の会話はドンドン弾んでいく。

瑞穂が、誰かに積極的に質問するなんて初めてじゃないだろうか…。


「そっか…いいなぁ…私も早く大学行きたいですよ。

うちの高校の教師の教える事なんて、大学の試験の乗り切り方だけですから。

試験に出そうな所は熱心だけど、そこから掘り下げるべき所を扱わないんですよ。質問したら面倒そうな顔するし。」


…瑞穂の愚痴も初めて聞くような気がする。

そんな事を私達には話さなかったし、そんな態度さえも、一度も観た事なかった。

瑞穂の成績は良かったけれど、そういえば授業中、彼女はいつもつまらなそうな顔をしていた。


「それでも、腐って何もしないと後悔するのは自分だもの。他人のせいにして自分が腐るのは、勿体無いわ。

だから今はやれる事をやるしかないのよ、瑞穂。大学だって、好きな事だけ出来る訳じゃないんだもの。」


優貴さんは、落ち着いた声でそう言った。大人らしいアドバイス内容よりも私が気になったのは…。


(今……優貴さん…『瑞穂』って、呼び捨てた…。)




2度目のショック到来。




瑞穂は、私の知らない優貴さんの何かを知っていて、なおかつ呼び捨てられるくらい、優貴さんと親しい。

優貴さんと一緒の家に住んでいる私と、一緒に住んでもいない他人の瑞穂。


なのに、この差は何?


というか…なんで、私、こんな気持ちにならなくちゃいけないの?


まるで…。



「さすが、苦労人。」と瑞穂。

「お互い様ね。」と優貴さん。



一体、2人はどこでどう出会ったのだろう。

普段、どんな会話をしているのだろう。何を話しているんだろう。



私の疑問をよそに、2人の小さな笑い声がリビングに広がって、私の耳に届いた。


私は、そのまま動く事無く階段の傍にいた。2人の会話は、そのまま楽しそうに続いていた。

耳を塞ぎたいのに、塞げられない。

ただ、気になって…でも、話を聞いたら聞いたで、嫌な感情しかにじみ出てこなくて。



「あぁ、そういえば…」

瑞穂が声のテンションを下げた。


「…藤宮さんが瀬田の姉だとは知らなかったんで…”姉は猫かぶってるかも”って言っちゃいましたよ。」


瑞穂のその言葉に優貴さんは、ほんの少し黙っていたが

「・・・友達として、良いアドバイスだと思うわよ?」と言った。



優貴さんの声はいつも通り落ち着きすぎていて、笑っているのか、真剣な表情をしているのかは

階段にいる私には解らなかった。


「瀬田は…イイヤツ、ですから。」

「そうね。とてもイイコだわ。」


イイヤツ・イイコ…


私が、今までずっと苦労して人から、そう見られる様に行動してきた結果が、こうして、ちゃあんと出たわけだが。


なぜかな・・・。


ちっとも、嬉しくないし、褒められている気もしない。

今、私が欲しいのはイイコの称号じゃないからだ。

特に優貴さん・・・貴女から、は。



(…優貴さん、イイコだなんて言わないで…。)


自分の家なのに、リビングに乗り込んで、そう言う勇気もなく。

私は瑞穂がリビングから出てくるまで、そのまま階段に座り込んで、顔を伏せていた。

心の中では、ドロドロとした何かが生まれ、それは上へ上へと上がってきて…口から出ないまま


…少しずつ、少しずつ…。


…少しずつ、また私の中…奥深くに蓄積していった。




・・・その感情の名前を、私は知っている。





「遅かったね〜こちとら、同じ雑誌3週目突入だよ。」


私が部屋に戻ると、そこには、まるでその部屋の主であるかのように、ごろ寝しながら雑誌を見ている望実がいた。


私が何かを言おうとすると、その後ろから階段を上がる音が聞こえてきた。

振り向くと瑞穂が、何食わぬ顔で階段を上がってきた。


瑞穂の表情に変化は無く。

私を見て、言い訳か何かを言うのかと思えば、何も言わず。

平然と普段通りに、私の横を通り過ぎ、私の部屋に入った。


・・・それが、なんだか無性に腹立たしかった。


それを面と向かって瑞穂に尋ねられずに、ただひたすら胸の奥で感情の切っ先を研いでいるだけの自分にも。


「…そういえば悠理、氷は?」

「え…?」


部屋の中の望実がそう言い出し、私は望実ではなく、まず瑞穂を見た。

そこでやっと、瑞穂は…その表情をわずかに変えた。

私は「あ、ゴメン、今取りに行く。」と笑って部屋のドアを閉めた。


・・・なんとも、嫌な気分だった。


リビングを通ると、分厚い本を読みながら、所々に付箋を付けている優貴さんがいた。

広いリビングのソファの隅で、膝を抱えるように小さく座っている優貴さんは可愛らしくみえたが

表情は真剣そのもので、話しかける事は出来なかった。


…瑞穂は…喋っていたけれど、ね…。


一体、瑞穂とはどこで知り合ったのか、今そんな下らない事を聞けるような様子じゃないので

私は、真っ直ぐ冷蔵庫に向かうと、氷をグラスに入れ、部屋へと戻った。

部屋に戻っても、瑞穂をどうこう問い詰めるつもりは無かった。


”イイコ”・”イイヤツ”…それが、彼女達の評価なのだし。


何食わぬ顔で戻ってきた瑞穂に対抗するかのように、私も何食わぬ顔で

氷の入ったグラスをそっとテーブルに置き、高カロリーのポテトチップスの袋を”パーティ開き”にした。


私が部屋に戻ってくるなりに、瑞穂は何かを言いたげな顔をしたが、私は目を逸らした。

それだけじゃなく、炭酸は冷えてないとね〜等と白々しく喋り出した。



・・・何もかもやっておいて、の自己嫌悪。

顔は笑顔でも、気分は最低、最悪。



そう、私はイイコなんかじゃない。



それが解っているから、人前でそういう風に振舞うだけ。

でも、今の私には瑞穂には出来る”いつも通りの振る舞い”が出来ないでいた。


瑞穂は、優貴さんとどこでどう知り合ったんだろう。

望実はともかく、私ですら呼び捨ててもらえないのに、どうして瑞穂だけなんだろう。


イライラする。ウジウジ考え続けるしかない自分に、イライラする。


友人たちは、適当にゴロゴロ寝て喋って、ゲームで適当に遊んでいた。

日曜日の女子高生が、お金を使わずに遊ぶとしたら、そうなる。

私も遊ぶ事に集中しようとする。イライラは忘れて、愉しむように。


「・・・あー、そろそろ私帰るわ。」


瑞穂が携帯を振りながら、そう言い出した。母親から”帰って来いメール”が来たのだそうだ。

それを聞くなり、望実は苦笑した。


「マジで〜?良いお母さんじゃーん。」と棒読み台詞を言いながら、コントローラーを振っていた。

「じゃあ…また明日学校で」

そう言って立ち上がった瑞穂に私は言った。


「うん、気をつけて帰ってね。瑞穂」


そこで振り向いた瑞穂は何かを言いたそうにしていた。でも妙な間だけを残し、結局何も言わなかった。

瑞穂がいなくなってから、望実がボソッと言った。


「悠理〜どうした?瑞穂のヤツ、何かした?」

「・・・何が?」


「悠理のテンション、おかしい。」

「高い方がいいじゃない。」


「いや〜無理してるな〜って感じしたから。」


そう言って望実はコントローラーを振った。

望実の表情は普段と変わらないが、私の方を見ない。


・・・私ってそんなに抱えている感情がバレやすいんだろうか。

そういえば、以前優貴さんも私の事を『わかりやすい』と言っていた。


じゃあ、瑞穂にも…うすうすバレていて…それで何度も何かを言おうとしていた………のかも。


……いや…別に何言われてもいいけど。


私は考えた。

望実に、この尖った負の感情を話しても良いんだろうか、と。


でも、なんて言う?



『瑞穂が、優貴さんと瑞穂が知り合いなのを隠している』って?

・・・馬鹿じゃないの?って言われるのがオチだ。自分でもそう思う。


迷った。

この手の迷いは、行動しないに限る。


「・・・べっつに。」

私がそう言うと、望実は気まずそうに言った。


「…あー…ゴメン、優貴姉さんを見学しに遊びに来たのは、悪かったって。申し訳ないって。」

私は、それを聞いて”そういう事にしよう”と思った。


「でも、優貴さん大分、馴染んでる感じしたけどなぁ?悠理の家に。」

「…そう?」


でも、本人曰く『ここは私の家じゃない』し、私の事はまだ悠理”ちゃん”だし。


という台詞は口に出さず。


「少なくとも、他人って感じはしないよ。もう昔からいるよって感じ。ちゃんと悠理のお姉さんじゃん。悠理が意識し過ぎなんだって。」


畳み掛けるように望実がそう言う。

瑞穂と優貴さんの会話を聞いてないからそう言えるんだわ、と私は思った。


「…望実、それでもね…優貴さんは」





 『…他人、なんだよ…』





頭の中ではそんな文章が浮かんでいた。



  ”コンコン”



しかし、私の言葉を遮るように、今度はノック音がした。

遠慮しがちなノック音…優貴さんだ。私はすぐに立ち上がって、ドアを開けた。


「はい?」

「あ…ごめんね、悠理ちゃん、晩御飯どうしよっか?冷蔵庫、何にも無くって。リクエストあるなら言って、買い物行くから。」


困ったように微笑む優貴さんを見て、私は言った。


「一緒に行きます。」


後ろにまだいる客、望実の事も忘れて私は即答した。

私の即答に、優貴さんは少し驚いたような顔をしたが


「…えと、望実ちゃんは・・・ウチで食べていく?」


それは、まるで私に”お友達放っておく気?”と聞くように、苦笑していた。


「…あ、えーと…あたしは別に…。」


私と優貴さんの会話を聞いていた望実がそう言いかけた。

私は振り向いて望実を見た。無言の圧力を望実はちゃんと受け取ってくれた。


「…別に、今帰るんで、別にお構いなく、ホント。あはっはっはっはっは」

「望実は、途中まで一緒です。今、用意しますから。」


私は手短にそう言って、ドアを閉めた。ドアが閉まり、小声で望実は笑いながら抗議した。


「………今日の悠理は、マジ怖えぇ〜…」


心の中で、望実には悪いとは思っている。だけど、どうにも出来ない。

イライラが爆発しそうだった。この短時間で、ちっとも冷静になれなかった子供な私は

困ったように微笑む優貴さんを見た時、私は優貴さんに瑞穂の事を直接聞くしかない、と思った。


…早く2人きりになって、聞き出したかった。


(……早く、2人きりに、なって………。)



私は部屋を軽く片付けて、階段を降りた。



玄関のドアを開け、3人で歩いていると、望実は自分たちが今日家に遊びに来た理由や経緯を話した。

”余計な事を言わないで”と私が止める前に、望実はあっという間にしゃべってしまった。


「もうっ!何で言っちゃうかな〜!?」

「だって〜悠理がずっとそれで怒ってるから〜」


私が更に言い返そうとすると「悠理ちゃんは、気を遣ってくれてるのよね?」と優貴さんがぽんと私の頭の上に手をのせた。

何気ない”ソレ”に、私は黙るしかなかった。


「じゃあ、あたしはこの辺で!お姉さん、悠理のイライラ除去しといて下さいね〜明日困るんで!」と望実は、陽気に笑った。


かつて、こんなにも友達の笑顔が憎らしいと思った事は無かった。


「わかったわ、お姉さん頑張ります♪…あ、今度ゆっくり出来るなら、御飯一緒に食べましょうね?」

ノリ良く優貴さんはそう言った。



(あ…優貴さんも、そうやって調子合わせるんだ…。)



望実のノリに触発されたのか、元々優貴さんのノリなのかは謎だけれど。

その表情や言葉遣いは、初めて出会った時よりも、大分くだけてきている様に見えた。

望実が言っていた『優貴さんが大分馴染んできている』という実感が少しだけ得られた。

優貴さんの一言に、望実は元気良く”はーい”と答えると珍しく、自分の家の方向へと帰って行った。





近くのスーパーまで徒歩15分。一番近くのコンビニは10分弱。

私の好きなコンビニは、このスーパーより遠くにある。


日曜日の夕方は、人が多い。人の多い通路を、私は、優貴さんと2人で歩いていた。


「…さーて、今日は何にしようか?」


優貴さんは”なあんにも考えてないの”とおどけて笑いかけてきた。

私は私で『もう、なんでもイイです…』なんて思ってしまった。

優貴さんのスマイル一発で、私のイライラは吹っ飛びそうになり…瑞穂の話も出しにくくなってしまう。


……でも…気になる。


聞こうとすると足は重くなった。優貴さんが3歩くらい前を歩き、私はその後ろ。


「あ…あの、優貴さん…」

「ん?」

「瑞穂とは…知り合い、ですか?」


私がやっとそう言うと、優貴さんは足を止めて振り向いた。

優貴さんの表情は、逆光でわからなかったが。


「・・・・ええ。」


優貴さんは、しっかりとそう答えた。



「じゃあ…やっぱり、瑞穂とは初対面じゃないんですよね…?」



私は、優貴さんに改めてそう聞いた。

だけど、優貴さんは何か言いかけて、でも何も言わず歩き始めた。私は、その後ろを黙ってついていった。


「・・・・・・。」

「・・・・・・。」



…この間は…なんだろう…?

新しい嘘の準備だろうか?私は、また嘘をつかれるんだろうか。

不安になっても、また嘘をつかれても…私には、同じ質問をする勇気は無かった。

そして、目的地のスーパーに到着する頃・・・私の質問にやっと優貴さんは、答えた。


「…実は初対面じゃないのよ。初対面のフリはしたけど、その方がいいと思って。」

「・・・どうして、ですか?」


「…それが…約束、しちゃったのよね。誰にも言わないって。」

そう言って優貴さんは、困ったように笑った。

そんな風に言われては、それ以上聞けなくなる。これ以上聞くのは、わがままだと思う。


・・・いや、何をイイコぶってるんだか。本当は、すごく気になって仕方がないクセに。

私の知らない誰か…優貴さんの大学の友達と優貴さんの間に、そういう秘密があるのなら、仕方ないと諦めもできただろうケド。


・・・いや・・・。


私の本音は…もっと、ずっと汚い。


私のクラスメイトの瑞穂と優貴さんの間に、私の知らない何かがあるのが、気に入らなかった。

秘密を…壁を作られているのが、嫌だった。


まるで、自分だけ、仲間はずれにされているみたいで。


優貴さんが、私より瑞穂と仲良くしているような気がして、それが嫌で嫌で…




その感情の名前は・・・『嫉妬』。




すると、優貴さんが突然私の手を握った。


「・・・行こ?なんかレジも混んでるみたい。」


私は…その手を、上手く、握り返す事が出来なかった。


優貴さんの言う通り、スーパーは混雑していた。


賑やかで、お菓子売り場からは子供のおねだりの声が聞こえ、それを一喝するお母さんの声が聞こえたりする。

レジの音や、声、特売案内のアナウンス。


いつの間にか、手は離れていた。


離れていた、というより、私が離したと言った方が正しいのかもしれない。


私は、そのまま、ただ黙って優貴さんの後ろを歩いていた。


母親に叱られて、子供みたいにスネている。・・・そんな感じだったと思う。

…今になって、思い返すと高校生にもなって、なんて子供なんだと思う。



「…悠理ちゃん?」

さすがの優貴さんも、それに気付いた。


「…気にしてる?」

「・・・別に・・・。」


その返事で十分過ぎる程『はい、そうです。拗ねてます』と言ってるようなモノだったけど。

それ以外の回答なんか思いつくはずも無く。優貴さんはそれ以上、何も言わなくなった。


いつもの空気じゃなくなってきているのは、肌でわかっていた。

周囲の賑わいが余計、悪い空気を際立たせている。


(…私って、嫌な子…)


……いつも…やってしまった後で、思う。

優貴さんは黙って、売り場から”特売!”のポップがついた竹輪を手にとると籠に入れ、今晩のおかずは、竹輪の天ぷらだと言った。

そういえば、以前、優貴さんのお母さんがよく作ってくれた、という話を聞いた事がある。


「・・・・・・ねえ、悠理ちゃん。」


私は優貴さんに呼ばれたので、優貴さんの顔を見た。

「悠理ちゃんの学校って、バイト禁止でしょう?」

いきなり何の話だろうと思いつつ…どうして、そんな事知ってるんだろうと疑問にも思った。

とりあえず、正直に答えた。


「……まあ、建前は。」


校則ではバイト禁止になってはいるが、殆どの子は、やっている。

勿論、運悪く教師に見つかると、停学やら、課題を出されたりする。

教師の目の届かない所で、髪型を変えたり、伊達眼鏡をかけたり、接客中に鉢合わせないように、接客業を避けるなど、上手くやっている。

今時、校則をガチガチに守っているヤツなんか、いるんだろうか。


「……瑞穂ちゃんね…私の大学の近くのコンビニでアルバイトしてるのよ。私、そこで知り合ったの。」

「・・・・・え?」


コンビニ?瑞穂が?


「バレると大変なんだし…ホラ、だから…私がペラペラ喋る訳には、いかないでしょう?彼女、友達の前でも、隠してたみたいだし。」


そうだ、瑞穂はそんな事、一言も言ってなかった。

でも…大体、みんなやってるんだし…私は瑞穂の友達だし、隠す必要なんか無いのに。


「…別に、私…先生にチクったりしないのに…」


もしや、瑞穂なりの安全策だろうか。だとしたら、私、ものすごくお喋りなヤツだと思われているんだろうか。

私が、ぼそっとそう言うと優貴さんは、クスッと笑った。


「そういうんじゃないみたいよ?瑞穂ちゃん、先生にバレる以上に、友達に見られたくないんですって。

ホラ、最近…”お姉さんが出来た誰かさんの家”を見学しに来たみたいに。」


思わず”何それ”と言いそうになった。

元々、優貴さんを見学したいと言ったのは瑞穂だからだ。


だから、私は「・・・それって、なんかズルい。」と言ってしまった。

優貴さんはそれを聞くと”ね〜”と、やはり困ったように笑っていた。


「…でも、見に行かないであげてね?瑞穂、すごく気にしてたみたいだから。」


(・・・あ、また呼び捨てにした。)


普段は呼び捨てなんだろう、今無意識に呼び捨てたのは、そう呼び慣れている証拠だ。

それに・・・2人きりだと、呼び捨ててたのに。私の前だと、意識して瑞穂の事を、”ちゃん”付けしているのだ、という事に気付く。

余計に、それがしゃくで…私は本当に瑞穂のバイト先を見に行ってやろうか、とも思ったが…


「はあ…行けませんよ。そこまで聞いたら…」


私は溜息の後、なんとかそう言った。

全く…なんか、どっと疲れがやってきたような気がした。

怒りやら妙な感情を溜め込んでいたせいで、凄く疲れた。

知ってみれば、何てこと無い瑞穂と優貴さんの秘密…でも。


・・・正直、私は半分しか安心を得ていなかった。


「……でも…瑞穂とどうして、そんなに親しいんですか?」


私は、もう一袋竹輪を手に取った優貴さんにそう聞いた。

肝心なのは・・・もう半分の不安・・・いや、殆どの不安の原因は、それだ。


優貴さんは”え?”という顔をして”そうかしら?”と聞き返してきた。…聞いているのは、こっちなのに。


「だって…瑞穂って、呼び捨てにしてましたもん。」


そういうと、優貴さんは3袋目の竹輪を籠に入れて

「…もしかして、会話…聞いてた?」と、表情を曇らせて聞き返してきた。


咄嗟に”いいえ”と嘘をつこうかと思ったが、上手い言い訳は思いつかなかったので素直に「・・・はい」とだけ答えた。


「・・・そっか。」


優貴さんは、再び歩き始めた。


「…瑞穂ね…私が大学からの帰り、夕方くらいに、いつもいるのよ。

私が大学に入学するくらいから、あのバイトに始めたみたいで、なんか親近感がわいちゃってね。」


そして、野菜売り場に行き、アボカドを品定めして、2個籠に入れた。


「で、そのうちお互いよく会うね〜なんて、たわいも無い世間話から始まって…それから、毎回夕方会うようになってね。

悠理ちゃんの学校の生徒だってのは、そこで知ったんだけど…

まさか、悠理ちゃんのクラスメイトとは思わなかったわ。・・・知ったのは、今日の玄関先。」


そう言って、優貴さんはトマトを手にとり、”トマト、生でも大丈夫?”と私に尋ねてきた。

私は頷きながら「…でも…それでも…隠す事、ないと思う…。」と、小さい声で私は抗議した。


すると、優貴さんが「…ごめん。」と言った。困った笑顔はそのままに。


・・・だけど、声は、完全にトーンダウンしていた。


(…あ…。)


…そんなつもりは、無かった。別に優貴さんに謝ってほしくて、こんな事を言ったんじゃないと。

…これ以上、わがまま言ったら、嫌われるかも。それだけは、嫌だった。

いや…もうとっくに、嫌われ始めてるかもしれない。

大体、私は優貴さんと瑞穂が秘密を共有して、親しくしているのが嫌だっただけ。


(……ていうか、自分、子供過ぎ…。)


・・・だから、余計に自分の存在が、ウザいヤツだなと思ってしまう。


”なあんだ、そうだったんですかぁ。もう家族なのに、秘密とか、仲間はずれは止めて下さいよ〜。”

と望実みたいにあっけらかんと言えたら、どんなに良かったか。


「・・・あ・・・あのッ・・・ご、ごめんなさい・・・私、ただ・・・」

「・・・大事な家族の前で、その友達と秘密作っちゃあ、ダメよね?ごめんね・・・。」


優貴さんは、私の心をズバンと言い当てた。


「でも…瑞穂も迷ってた。バイトの事・・・悠理ちゃんならともかく……望実ちゃんの前では言いたくないって。」

「・・・・・・。」

(・・・そうか・・・納得。)


家の中で何か言いたそうにしてたけど…黙っていたのは…望実がいたからか。

…確かに…望実という人間は暇だからという口実一つで、瑞穂のバイト先に顔を出しかねない。


遠くからニヤニヤ笑って、お弁当一つ買って”お箸2膳下さーい♪”とか言いそうな気がする。


「一生懸命バイトしてるんだし、笑われたりしないと思うんだけどね…どーしても嫌だって。」


多分、そういう問題じゃないと思う。純粋に、嫌なんだと思う。私が瑞穂なら、多分そう思う。

・・・私は、そこでようやく、瑞穂に悪い事をしたな、と思い始めた。


「……私、瑞穂に悪い事、しちゃったかも…。」


私がそう言うと、まるで全て解っているように、優貴さんは優しく微笑みながら言った。


「…メール送っておいたら、どうかな?今の素直な気持ち、そのまま文章にして。・・・晩御飯は、私が作るから、ね?」


『それに、今の気分じゃ美味しく食べられないじゃない?』と言い、また私の頭を撫でた。


私はコクリと頷いた。

買い物を終えて、優貴さんが御飯を作る間、私は瑞穂にメールを打った。



 『今日はゴメン。変な態度とっちゃって…優貴さんからバイトの事、無理に聞き出しちゃった。

 誰にも言わないから。本当にごめんね。』



瑞穂からの返事は、思ったよりもすぐに来た。

それは、優貴さんが竹輪の天ぷらを揚げ始めた時。



 『こっちこそ、ゴメン。実は、瀬田の姉君とバイト先で知り合った事、黙っていてと口止めしてしまった…。

 悠理と優しい姉君にも悪いことをしちゃった…謝っておいて…。 

 あと、マジでバイト先には来ないでくれ…頼む!!』


最後の1行は切実なお願いだった。

瑞穂が”いらっしゃいませ〜”と頭を下げる姿は確かに想像もつかないし、本音を言えば見てみたい。


でも、私は約束した。


 『わかった。約束する。明日、学校でね!』


瑞穂の返信はシンプルに、彼女らしく…『了解』の二文字だった。



「・・・どう?」



エプロン姿の優貴さんが菜ばしを片手に私の方へやってきた。火の傍から堂々と離れている。

 ※ 危険だから、真似しちゃダメよ。by優貴



よほど、心配してくれてる…のかな。

瑞穂に対する誤解も解けたのも、うれしいのだが、何より…優貴さんが私をちゃんと心配してくれるのが、嬉しくて。



「瑞穂、優貴さんにもゴメンって伝えてくれって。」

「…ふふっ…根は真面目、なのよね。瑞穂って。」


(あ、まただ…。)



  ”瑞穂”  ”悠理ちゃん”


小さな…それでも…間違いなく、それは生まれている”差”だった。

埋められるなら、埋めたい。


優貴さんは、笑ってまた台所へと戻っていく。


「……あの!優貴さん!」

「ん?」


私は思い切って提案した。


「私の事、ちゃん付けするの…そろそろ、やめません?」


それを聞いた優貴さんは瞬きをパチパチとして、少し間をあけた。


いつも、やらなきゃ良かった…と思う事を私はしてしまう。

だから、子供なんだ。私って。



「……じゃあ…悠理、お皿出しなさい。」



そう言い放ちながら、人差し指でビシッと私を指差し、”こんな感じでいい?”と笑った。


「ぁ・・・は、はいッ」


私はいざ呼ばれると、照れ臭いなとくすぐったさを感じつつ。

そんな事で、私の気分は最高に舞い上がってしまった。



竹輪の天ぷらに、アボカドとトマトのサラダ。

サラダには、グレープフルーツが入っていて、さっぱりして美味しかった。

竹輪の天ぷらは、とても懐かしい味がした。竹輪を3袋買っておいて良かったななんて、思える程。


ああ、本当に…優貴さんの言う通りかもしれない。箸をつけながら、そう思う。

気分が晴れたせいか、食事がいつも以上に、美味しく感じる。


いや…優貴さんが作ってくれたからかも、しれない。

いやいや・・・私が、ものすごい単純だから、かも・・・。


「・・・あ、おかわりする?悠理。」

「・・・あ、はい!」


いや・・・目の前の優貴さんが、ちゃん付け無しで、私を名前で呼んでくれるから、かも。


それから、ずっと優貴さんは私を呼び捨てて呼んでくれた。

私は、優貴さんとの距離がまた縮まったようで、それが何より嬉しかった。





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